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チャプター【12】
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「うわあああああッ!」
滝沢は半身を起して眼を醒ました。
自分がどこにいるのかわからないというように周囲を見回す。
そこが寝室であると気づくのに、少しの時間を要した。
息が荒れている。
全身が汗でぐっしょりと濡れている。
「夢か……」
現実ではなく夢であったことにほっとし、手のひらで額の汗を拭った。
鼓動がまだ、激しく胸を叩いている。
通り魔によって妻と娘を殺され、そして自分までもが殺されようとする夢。
なんともおぞましく、恐ろしい夢だった。
閉じられたカーテンに眼をやると、わずかな隙間から朝の光りが洩れている。
寝室にはまだ、夜の闇がわだかまっていた。
ベッドの横には妻の姿がない。
目覚まし時計を手に取ると、もうすぐ7時になるところだった。
滝沢はベッドを出ると、カーテンを引いた。
眩しい光りに眼を細める。
わだかまっていた夜の闇は、一瞬にして消失した。
そのとき、寝室のドアが開いて娘が顔を覗かせた。
「あ、パパ、起きてる」
「真奈、おはよう。ずいぶん早起きだな」
「だって、今日はピッピー会いに行くんだよ。パパ、約束したでしょ? 今日こそは連れてってくれるって。忘れちゃったの?」
そう言った娘の顔が曇った。
また約束を破られるのではないかという不安に、円らな瞳が揺れている。
「大丈夫だよ真奈。忘れてない」
滝沢がそう答えると、娘の顔がパッと明るくなり、
「やったー!」
そう声を上げると、
「ママー、パパ起きてたー! やくそく忘れてないってー!」
歓び勇んで、階下へと下りていった。
そんな娘が、滝沢はいとおしくてならない。
真奈は、妻の真知子と結婚して5年後にようやく授かった娘だった。
滝沢が30歳のときだ。
もう子供は授かることはないだろうと諦めていただけに、妻が懐妊したと聞いたときは歓びもひとしおだった。
父親となったことで、滝沢はそれまで以上に仕事へと身を入れた。
休日を返上することも厭わなかった。
その甲斐があってからか、昨年、34歳という若さで営業部長に就任した。
出世をすれば、それだけ仕事上での関係が増えてくる。
となれば、休日といえども仕事上のつき合いも多くなり、それを欠かすことはできなかった。
それも仕事だからしかたがないと、そのひとことで片づけてしまうような男になりたくはないが、休日であっても家にいないのだから、家族を犠牲にしてしまっているのは否めなかった。
これまで、家族との約束をどれほど破ってきたことだろうか。
それがわかっているからこそ娘の真奈も、今日はレジャーランドに連れていくという約束をしていただけに、心配になって父親の様子を窺いにきたのだろう。
だが今日は、破りつづけてきたその約束をようやく守ることできる。
これで父親としての役割が果たせた、などとおこがましいことを言うつもりはないが、それでも、少なからずは父親らしいことができることで滝沢はわずかな満足感に浸った。
そしてふと、いま見た夢のことを考えた。
妻と娘が殺される夢――
瞼を閉じれば、いやでも鮮明に甦ってくる。
妻と娘は、止めどなくあふれる血を流して腕の中で死に絶えた。
レジャーランドへ連れていくその日に、そんな恐ろしい夢で目醒めようとはなんと不吉なことだろうか。
(まさか……)
もしも、正夢だったとしたら。
滝沢は強烈な恐怖に襲われた。
それは身体の裡で膨らんでいく。
(ばかな。そんなことがあるわけない……)
考えすぎだと苦笑し、だが、その顔はゆがんだだけだった。
恐怖はさらに、ぞわぞわとウイルスのように増殖していく。
考えまいとするそばから、あれが現実に起きてしまったらという想像が脳裡の中で溢れ返った。
妻と娘を喪う恐怖。
それは何よりもまして耐えがたいことだ。
絶対にあってはならない。
ならば、レジャーランドへ行くのは延期にしたほうがいいのではないか。
思わず、そんな思いがこみ上げる。
だが同時に、哀しみに昏れる娘の顔がうかぶ。
あの歓んだ笑顔を、涙に変えたくはない。
いままで、娘の想いをずいぶん裏切ってきた。
そのたびに娘は心を痛め、なんど涙を流したことだろうか。
それを思えば、とても延期にしようなどと言えるわけがなかった。
ましてや、家族のための休日を、こんどはいつ作れるかわからない。
それだけに、もう娘の想いを裏切りたくはなかった。
「考えすぎだ。あんなことは起こらないさ」
自分自身に言い聞かせるように、滝沢は声にして言った。
滝沢は半身を起して眼を醒ました。
自分がどこにいるのかわからないというように周囲を見回す。
そこが寝室であると気づくのに、少しの時間を要した。
息が荒れている。
全身が汗でぐっしょりと濡れている。
「夢か……」
現実ではなく夢であったことにほっとし、手のひらで額の汗を拭った。
鼓動がまだ、激しく胸を叩いている。
通り魔によって妻と娘を殺され、そして自分までもが殺されようとする夢。
なんともおぞましく、恐ろしい夢だった。
閉じられたカーテンに眼をやると、わずかな隙間から朝の光りが洩れている。
寝室にはまだ、夜の闇がわだかまっていた。
ベッドの横には妻の姿がない。
目覚まし時計を手に取ると、もうすぐ7時になるところだった。
滝沢はベッドを出ると、カーテンを引いた。
眩しい光りに眼を細める。
わだかまっていた夜の闇は、一瞬にして消失した。
そのとき、寝室のドアが開いて娘が顔を覗かせた。
「あ、パパ、起きてる」
「真奈、おはよう。ずいぶん早起きだな」
「だって、今日はピッピー会いに行くんだよ。パパ、約束したでしょ? 今日こそは連れてってくれるって。忘れちゃったの?」
そう言った娘の顔が曇った。
また約束を破られるのではないかという不安に、円らな瞳が揺れている。
「大丈夫だよ真奈。忘れてない」
滝沢がそう答えると、娘の顔がパッと明るくなり、
「やったー!」
そう声を上げると、
「ママー、パパ起きてたー! やくそく忘れてないってー!」
歓び勇んで、階下へと下りていった。
そんな娘が、滝沢はいとおしくてならない。
真奈は、妻の真知子と結婚して5年後にようやく授かった娘だった。
滝沢が30歳のときだ。
もう子供は授かることはないだろうと諦めていただけに、妻が懐妊したと聞いたときは歓びもひとしおだった。
父親となったことで、滝沢はそれまで以上に仕事へと身を入れた。
休日を返上することも厭わなかった。
その甲斐があってからか、昨年、34歳という若さで営業部長に就任した。
出世をすれば、それだけ仕事上での関係が増えてくる。
となれば、休日といえども仕事上のつき合いも多くなり、それを欠かすことはできなかった。
それも仕事だからしかたがないと、そのひとことで片づけてしまうような男になりたくはないが、休日であっても家にいないのだから、家族を犠牲にしてしまっているのは否めなかった。
これまで、家族との約束をどれほど破ってきたことだろうか。
それがわかっているからこそ娘の真奈も、今日はレジャーランドに連れていくという約束をしていただけに、心配になって父親の様子を窺いにきたのだろう。
だが今日は、破りつづけてきたその約束をようやく守ることできる。
これで父親としての役割が果たせた、などとおこがましいことを言うつもりはないが、それでも、少なからずは父親らしいことができることで滝沢はわずかな満足感に浸った。
そしてふと、いま見た夢のことを考えた。
妻と娘が殺される夢――
瞼を閉じれば、いやでも鮮明に甦ってくる。
妻と娘は、止めどなくあふれる血を流して腕の中で死に絶えた。
レジャーランドへ連れていくその日に、そんな恐ろしい夢で目醒めようとはなんと不吉なことだろうか。
(まさか……)
もしも、正夢だったとしたら。
滝沢は強烈な恐怖に襲われた。
それは身体の裡で膨らんでいく。
(ばかな。そんなことがあるわけない……)
考えすぎだと苦笑し、だが、その顔はゆがんだだけだった。
恐怖はさらに、ぞわぞわとウイルスのように増殖していく。
考えまいとするそばから、あれが現実に起きてしまったらという想像が脳裡の中で溢れ返った。
妻と娘を喪う恐怖。
それは何よりもまして耐えがたいことだ。
絶対にあってはならない。
ならば、レジャーランドへ行くのは延期にしたほうがいいのではないか。
思わず、そんな思いがこみ上げる。
だが同時に、哀しみに昏れる娘の顔がうかぶ。
あの歓んだ笑顔を、涙に変えたくはない。
いままで、娘の想いをずいぶん裏切ってきた。
そのたびに娘は心を痛め、なんど涙を流したことだろうか。
それを思えば、とても延期にしようなどと言えるわけがなかった。
ましてや、家族のための休日を、こんどはいつ作れるかわからない。
それだけに、もう娘の想いを裏切りたくはなかった。
「考えすぎだ。あんなことは起こらないさ」
自分自身に言い聞かせるように、滝沢は声にして言った。
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