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チャプター【9】
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「救済人?」
さとみは訝るように男を見返すと、
「さっきから訳のわからないことばかり言ってますけど、これってなにかの冗談ですか?」
挑発的に言った。
「いえ、冗談などではありません。わたしがお話したことは、すべて真実です」
男はさとみから視線をそらさない。
「それを信じろと言うんですか。ばかばかしい」
さとみは嘲笑うようなため息をついた。
「わたしをばかにするのはかまいません。それに、とても信じられないことだということも重々承知しています。ですが、信じていただくしかありません」
「もういいです。聞きたくないわ。帰っていただけませんか」
さとみは粗暴な口調で言った。
「大切なことなんです。放っておけば、あなたは彷徨者になってしまう」
男は動じない。
「出ていかないなら、警察を呼びます」
「このままでは、数日のうちにはじまってしまいます」
そう言う男を無視し、さとみはレジのカウンターに行くと電話の受話器を取った。
「ほんとに警察を呼びますよ」
いいんですか? そう言おうとして顔を上げると、そこにはもう男はいなかった。
さとみは店内を見回し受話器をもどすと、すぐに店の外へと出た。
舗道の左右に眼をやる。
往来の流れはけして多くはないのだが、そのなかに眼を凝らしても男の姿はどこにもなかった。
(どういうこと?……)
男から眼を離したとはいえ、それはほんの一瞬だった。
舗道に出た時間を考えてみても、それこそほんの数秒しか経っていない。
それなのに男は、掻き消えてしまったように姿を消した。
煙の如くとは、まさにこのことだった。
さとみは混乱してしまって、舗道の左右に眼をやりながら二の腕を抱えた。
(なんなのよ……)
あの男はいったい何者なのだろうか。
脳裡にはそんな思いがこびりつく。
男は都立江東病院の医師だと言い、桐生と名乗った。
けれど、その病院に入院している母の担当医は桐生という名ではないし、当然のことだが容姿もタイプもあの男とはまったくちがう。
だから、男とはまったく面識がなかった。
なのに男は、さとみの姓を知っていて勤め先にまでやってきた。
男の話の内容からすれば精神科の医師と思われるが、だが、患者でもない人間にわざわざ会いに来てまで、「精神が崩壊し始めていると言ってもいい」などと告げたりするだろうか。ましてや、さとみは精神を病んだことなどない。
しかし、男の話によれば、さとみの精神が崩壊し始めているその理由とは、日常の中で依存を来たしてしまったからだということだった。
そしてそれは、囚われてしまっているとも言えると。
いったいどういうことなのだろう。
さとみにはあまりにも理解しがたいことだった。
そして、最後にあの男が言った言葉。
このままでは、数日のうちに始ってしまいます――
なんの前触れもなくやってきて、意味のわからないことを話し始め、最後にはそんな言葉を残して消えた男のほうが、むしろ精神に異常をきたしているのではないだろうか。
そう考えると、男がとても危険な異常者のように思えてくる。
(また来たら、どうしよう……)
そんな嫌悪感がこみ上げる。
と、そのとき、怖気に似た戦慄が走った。
面識のない男が、自分のことを知っているという事実。
それがどういうことなのかは、考えるまでもない。
男は、さとみの身辺を調べたのだ。
ということは、マンションの部屋も知られてしまっているだろう。
だとすると、帰宅するところを待ち伏せされる危険性がある。
男が異常者だとするなら、それこそなにをされるかわからない。
どうすることもできない恐怖が、身体の裡からぞわぞわと湧き上がってくる。
その恐怖に足が竦(すく)み、さとみはその場から動けずに立ちつくしていた。
さとみは訝るように男を見返すと、
「さっきから訳のわからないことばかり言ってますけど、これってなにかの冗談ですか?」
挑発的に言った。
「いえ、冗談などではありません。わたしがお話したことは、すべて真実です」
男はさとみから視線をそらさない。
「それを信じろと言うんですか。ばかばかしい」
さとみは嘲笑うようなため息をついた。
「わたしをばかにするのはかまいません。それに、とても信じられないことだということも重々承知しています。ですが、信じていただくしかありません」
「もういいです。聞きたくないわ。帰っていただけませんか」
さとみは粗暴な口調で言った。
「大切なことなんです。放っておけば、あなたは彷徨者になってしまう」
男は動じない。
「出ていかないなら、警察を呼びます」
「このままでは、数日のうちにはじまってしまいます」
そう言う男を無視し、さとみはレジのカウンターに行くと電話の受話器を取った。
「ほんとに警察を呼びますよ」
いいんですか? そう言おうとして顔を上げると、そこにはもう男はいなかった。
さとみは店内を見回し受話器をもどすと、すぐに店の外へと出た。
舗道の左右に眼をやる。
往来の流れはけして多くはないのだが、そのなかに眼を凝らしても男の姿はどこにもなかった。
(どういうこと?……)
男から眼を離したとはいえ、それはほんの一瞬だった。
舗道に出た時間を考えてみても、それこそほんの数秒しか経っていない。
それなのに男は、掻き消えてしまったように姿を消した。
煙の如くとは、まさにこのことだった。
さとみは混乱してしまって、舗道の左右に眼をやりながら二の腕を抱えた。
(なんなのよ……)
あの男はいったい何者なのだろうか。
脳裡にはそんな思いがこびりつく。
男は都立江東病院の医師だと言い、桐生と名乗った。
けれど、その病院に入院している母の担当医は桐生という名ではないし、当然のことだが容姿もタイプもあの男とはまったくちがう。
だから、男とはまったく面識がなかった。
なのに男は、さとみの姓を知っていて勤め先にまでやってきた。
男の話の内容からすれば精神科の医師と思われるが、だが、患者でもない人間にわざわざ会いに来てまで、「精神が崩壊し始めていると言ってもいい」などと告げたりするだろうか。ましてや、さとみは精神を病んだことなどない。
しかし、男の話によれば、さとみの精神が崩壊し始めているその理由とは、日常の中で依存を来たしてしまったからだということだった。
そしてそれは、囚われてしまっているとも言えると。
いったいどういうことなのだろう。
さとみにはあまりにも理解しがたいことだった。
そして、最後にあの男が言った言葉。
このままでは、数日のうちに始ってしまいます――
なんの前触れもなくやってきて、意味のわからないことを話し始め、最後にはそんな言葉を残して消えた男のほうが、むしろ精神に異常をきたしているのではないだろうか。
そう考えると、男がとても危険な異常者のように思えてくる。
(また来たら、どうしよう……)
そんな嫌悪感がこみ上げる。
と、そのとき、怖気に似た戦慄が走った。
面識のない男が、自分のことを知っているという事実。
それがどういうことなのかは、考えるまでもない。
男は、さとみの身辺を調べたのだ。
ということは、マンションの部屋も知られてしまっているだろう。
だとすると、帰宅するところを待ち伏せされる危険性がある。
男が異常者だとするなら、それこそなにをされるかわからない。
どうすることもできない恐怖が、身体の裡からぞわぞわと湧き上がってくる。
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