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60.急な来訪

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 牧羊犬と共に魔羊を小屋へと追い立て、数を確認した後でノエルは鍵をかけた。
 昨日からの雨で放牧ができず、大屋根がある広場へ出しているだけなのでいつもより作業は楽だ。

 魔羊は通常の羊より体力があり、少しでも運動させないとすぐストレスが溜まってしまう。
 そうなると暴れて厄介なので、雨の日でもこうして外へ出す時間は必ず作っていた。

 事務所に戻り、今日の報告を終えるとノエルは小雨の降る中外へ出る。
 降るといっても、もう傘をさすほどでもない。
 階段を降りきったところで、建物の影に帽子を目深にかぶって立っている男の姿が目に入った。

 すっきりと背の高い見た目は顔を隠していてもかなり目立つが、自分以外に目を留める者はいない。
 どうせ、また変な術をかけているに違いない。
 相変わらずそつがなくて嫌味な奴だとノエルは思った。
 向こうもこちらに気がついたのか、迷わず自分目指して歩いてくる。

「やあ。よかったら、付き合ってよ」

 手には不釣り合いなえんじ色の買い物袋を携えており、こちらに向かって軽く持ち上げた。
 袋からは酒と思える瓶の口が何本か覗いている。
 ユールはいつもの笑顔を浮かべていたが、付き合いの浅いノエルが見ても、明らかに覇気がなかった。

「それ、どうしたんだ?」
「たくさん買ったら、紙袋だと破れるからって布袋これに入れてくれた」

 ノエルは中身の酒について聞いたつもりだったが、ユールは目立つ袋の事だと思ったらしい。
 ちょっとした食い違いに、再び聞き直すほどの事でもないので話を終わらせるべきかどうか悩んだ一瞬を、ユールは断りの理由を考えていると取ったようだった。

「あ、予定あった?」
「いや。飲みに行くくらいしかねーから別にいいけど。…約束は2日後だったろ?」
「やっぱり迷惑だよね、ごめん」

 落ち込むユールはまるで捨て猫のように心許ない。
 たとえ演技だとしても、そこまでするなら俺に何か聞いて欲しいことがあるのだろう。
『仕方ないな』とノエルはため息を一つ吐いた。

「この間の小屋でもいいか」



 小屋につくと、ノエルは作業机の上を片付け始めた。
 机の上は紙や書物が乱雑に置かれたままだった。

 リントに教えるようになってからというもの、仕事の合間を見て自分が昔教わった事を思い出しながら書き留めていた。
 机上で済むような話は1人の時に学んでもらって、教える時は質問や実践の時間に当てた方が効率がいい。
 それにしても、感覚で覚えてしまっているものだから、言葉にしようと思うとなかなかに難しく、自分は教師には向かないとつくづく思ってしまった。

「それ、魔法陣の教科書だよね?」

 ユールが不思議そうに近くにあった一冊を手に取った。

「ああ、あいつから借りた」
「なんで?」
「魔法に対する捉え方が、あいつと俺じゃどうも違う気がして。多分魔法陣こいつ使うのが前提で習っているせいだと思うんだよな」

 ノエルにとって、魔法はもっと感覚的なものだ。
 けれど、彼女はどうも頭の中でも術式に当てはめて考えているようで、普通なら魔法板を使うよりも発動が早くなるはずなのに、どうしても数秒遅れるのだ。
 練習なら何とも思わない数秒が、実戦では命取りになりかねない。

 自分は魔法陣を使ったことがない。
 教科書を借りたのは、彼女の考え方を理解してからでないと、自分との違いをうまく説明できないと考えた結果だった。

「ノエルってほんと真面目だよね」

それは嫌味なのか、褒め言葉なのか。
ぱらぱらと教科書をめくりながら、ユールがどちらとも取れるような声音でしみじみと呟いた。
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