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文禄の役

反故

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「ようやく小西様も窮地を脱したわけですな。」
「ところがじゃ。竹内を送り出した後、明側からは一向に人質が来ぬ。竹内を送り出してから、さすがに戦まで仕掛けてくることはなかったが、待てど暮らせど明側からの人質は来ないのじゃ。」
「もしや、たぶらかされたと!?」
「有り体に申せば、そういうことじゃ。竹内を送り出して二日後、明軍二十万が一気に平壌を落とさんと、三方から鬨の声を上げた。明軍が放つ石火矢は、さながら稲光が幾重にも重なる様であった。憤懣やるかたないのが摂津守(小西行長)よ。李将軍に出し抜かれ、平壌も風前の灯とあっては、日本全体の落ち度じゃ。そう思い定め、摂津守は、全軍に死に物狂いで戦うよう檄を飛ばした。摂津守は櫓の上に、大筒、小筒を集め、雨あられのごとく、寄せ手に撃ち放った。二千ばかりがたちどころに打ち倒され、寄せ手の大軍もさすがに怯んだ。これを見た摂津守は、城の城門を開け放ち、明軍に突っ込んだ。汗血地に溢れ、双方組み合い首を搔き切り合い、射合わせ、打ち合わせ、交戦は数刻に及んだ。交戦を続けるうち、城の西側の守りが薄くなっていることに、明側が気づいた。明側の部将、張世爵、呉惟忠たちが一万余騎を引き連れそこを狙った。櫓に火をかけ、一気に一帯を占拠し、勝鬨を上げた。ここを守っていたのは、摂津守の舎弟、主殿(小西長続)であったが、一万余騎の大軍は防ぎきることはできなんだ。何とか一矢報いるべく、血眼になって敵勢に突っ込んでいった。主殿の戦いぶりは、言葉にはとてもできないほど、凄絶なものであった。主殿に従っていた五十人ばかりの兵卒も必死の形相で防戦するも、寄せ手は新手を繰り出す故、勢いが止まらない。そうこうする内、主殿の手勢も手負いが増え、ある者は討たれ、その数を減らしていった。主殿自身、声は枯れ、息も切れ、その身に七か所ほどの深手を負い、心ばかりは逸るも、体は言うことを聞かなんだ。味方の屍の上に腰かけ、逃げる兵どもを叱咤すれど、主殿を助ける兵はおらなんだ。」
「主殿様のご無念、いかばかりかと存じ上げます…。」
「そこへ、幽閑と申す摂津守の茶坊主が駆け込んできた。十二分に戦ったのだから、恥じることなく一旦退くよう、摂津守の伝言を伝えにきたのじゃ。それを聞いた主殿は、目を怒らし、この期に及んで惜しむ命ではない。そう告げるや、脇差で髻を切ったかと思うと、その髻は妻に、この手拭を母に渡すよう幽閑に伝え、鑓を握り、再び敵に向かっていった。二、三人を突き伏せた後、范虎という者が主殿に突っかかってきた。散々に戦った後、とうとう主殿が組み伏せられてしまった。主殿も、組み伏せられながらも、刀を抜き、范虎を薙ぎ払った。じゃが、これまでの戦いで疲れ切り、深手も数か所負っている、もはやこれまで覚悟を決め、念仏を高らかに唱え、ついに首を取られてしまった。」
「憎むべきは、李将軍の翻意でございましょう。策略と申すべきでしょうか。つらつら思うに、初めから李将軍は、講和など寸毫も考えておらなんだのでございましょう。二十万余騎の前に、高々数万の軍勢のなど、物の数ではないと。講和のふりをして態勢を整え、一気に攻め入る腹積もりであったと推察いたします。」
「今にして思えば、お主の申すとおりじゃ。じゃが、後の時の摂津守には、講和以外の道などなかったであろう。是非もない。もはや万死一生の身となり果てた摂津守は、ともかくも防戦に努めた。明勢は、十重二十重に城を囲んでおる。摂津守は、弓、鉄砲を整え、無駄な矢を射ることなく、心を一つにこの城を枕に戦えと下知した。摂津守の手勢は、一人で五人、十人と討ち果たしたが、明勢は物ともしなかった。それでも摂津守は、諦めることなく、弾幕を張り続け、さらに明勢は数千余りの兵を失った。そうこうする内、日も西に傾き、さすがの明勢もその日の内に平壌を落とすことは諦め、一旦、本陣まで退いた。」
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