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新・賤ヶ岳合戦記

鬼玄蕃猛攻

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「柴田様は佐久間様の勢いに押されたということでございますな。さりながら、柴田様の思惑どおり、佐久間様が動くかどうか。」
「玄蕃のような猛将は、確かに扱いが難しい。ひとたび戦場に出れば獅子奮迅の活躍をするも、引くことを知らぬ。権六が心配するのも無理はない。かといって、玄蕃の働きがなければ勝利は覚束ない。権六としては玄蕃が孤立しないことを願うばかりであったろう。そんな権六の心情も知らず、玄蕃は、権六の陣屋から戻った後、佐久間左衛門尉、前田又左衛門尉父子、西郷五左衛門、原隠岐守、その子息彦次郎、不破河内守父子、徳山五兵衛、浅見道西、山路将監達に向かって権六に進言した策を伝え、密かに軍勢を整え、天正十一年四月十九日に出陣の準備を行い、二十日の丑刻に出陣した。」
「そのような時刻に出陣なさるとは、佐久間様は可能な限り静かに行軍し、殿下に奇襲をかける腹積もりでございますな。」
「いい読みをしておる。そのとおりじゃ。玄蕃の軍勢は、街道沿いは進軍せず、峰道を密かにとおり、垂水峠をわたって、余吾の海辺に向かって進軍した。先ず、佐久間左衛門尉を賤ヶ嶽の押さえに残し、次に前田又左衛門尉父子を堂木山の押さえに残した。そして、中川瀬兵衛の立て籠もる大岩山を目掛け、賤ヶ嶽の麓を、兵士たちに杖を持たせて密かに進軍させると、夜が白々と明け始めた。ちょうどその頃、賤ヶ嶽を守る桑山修理の郎党二人が余吾の海辺まで馬を三頭引き連れ、馬の脚を冷やそうとしていた。」
「桑山様が周囲の哨戒もかねて、馬の体調管理を命じていたというわけですな。」
「そうじゃ、戦というものは小さな情報の積み重ねがものを言う。賤ヶ嶽のような要衝を守る武士としては、当然の配慮であろう。ともあれ、桑山の郎党たちのことは直ちに玄蕃の耳に届いた。玄蕃は、己の動きを極力わが方に知らせぬため、その二人を即座に討ち取ることとした。不憫なのは、郎党たちよ。玄蕃の大軍に囲まれては、手も足も出せぬ。じゃがそれでも、一人は討ち取られたが、もう一人は生き延びて賤ケ嶽の砦まで逃げ帰り、事の次第を報告した。桑山はその報告を聞くや否や、すぐに物見櫓に上り、中川が守る出丸を覗いた。中川の出丸は、既に敵に取り囲まれていた。」
「佐久間様、そこまで迅速に軍を動かしておったのですな。して、桑山様のご判断は?」
「桑山は、中川に急使を遣わした。曰く、”中川殿の要害で敵を迎え撃つのは、心もとない。急ぎ、我が要害に参集し、共に敵の攻撃を防ぐべし”。敵の大軍を前に、少ない軍勢で個々にぶつかっても、それぞれ撃破されるのは火を見るより明らかじゃ。じゃから、一か所に軍勢を集め、そこで迎え撃つことは理に適っておる。桑山の判断は、至極もっともじゃ。」
「では、中川様も桑山に従ったのでございますな?」
「あにはからんや、桑山の進言を聞いた中川は、こう答えた。”桑山殿の仰せ、尤もである。しかし、殿は拙者と高山殿をこの地に留め、防衛を任された。拙者一人が立ち退いては、武士の風上にも置けない。もし、高山殿が一手に防衛を引き受けられるのであれば、拙者も貴殿の進言に従う”、とな。」
「中川様の武士としての矜持でございますな。さりながら、戦術としては桑山様のご意見が妥当でございましょう。桑山様はどうなされたのでございますか?」
「中川の言い分も一理ある。むしろ、武士の心構えとして中川の考えは称賛されるべきじゃ。中川の顔を立てるべく、桑山は高山の意向を確認し、中川が心置きなく退けるよう、すぐに高山に使者を派遣した。桑山の使者に対して、高山の答えはこうであった。”ご配慮忝い。しかし、戦というものは、自分の持ち場に敵が攻め込んできたら、一手で迎撃するものである。中川殿がいなかったとしても、ここに敵が攻め入ってくれば、偏に迎撃するまで。貴殿もそのよう心得るように”。」
「高山様も、武士の一分を貫いたわけですな。これで、中川様も一旦退き、迎撃態勢を整えられるという算段ですな。」
「残念ながら、そうはならなかった。鬼玄蕃の恐ろしさよ。高山の答えをきいた桑山は、改めて中川に使者を派遣した。しかし、そのわずかの間に玄蕃軍は大岩山を十重二十重に包囲し、一斉の鬨の声を上げた。こうなってしまっては、退くこともできぬ。元来、中川は勇士じゃ。この事態に、即座に腹を決めた。敵の攻撃に対し、四方八方繰り出し迎撃して要害の防衛に努めた。とはいえ、敵は大軍。ましてや率いるは鬼玄蕃。敵兵の勢いは止まることを知らず、また味方も無勢のため防ぎきれず、ついに敵兵が要害に侵入してきた。」
「佐久間様は、まさに鬼神でございますな。瞬く間に中川様の軍勢を吞み込んだわけですか。」
「まさに恐るべき男よ、玄蕃は。しかし、中川とて、名うての猛者じゃ。臆することなく、敵兵に向かって切って出た故、味方は無勢と言いながら、敵兵も思うように進軍できなかった。これを見た玄蕃は、さらに闘志に火が付き、血気盛んな中川の軍勢を蹴散らし、遮二無二攻め入ったので、とうとう二の丸まで攻め入った。いよいよ敵は本丸まで攻め入るかという事態にまで進んだ。それでも中川は諦めることなく、敵を近づけては討ち、近づけては討ちを三度繰り返したが、三度目に傷を負ってしまった。これを見た、舎弟の中川九郎二郎は、たまらずこう進言した。”兄者の顔は敵兵に知られています。また、既に傷も負っています。このまま雑兵の手にかかるよりは、奥に引きこもり、心穏やかにお腹を召されるのが肝要かと”、な。」
「中川様は、佐久間様の大軍を前に要害が落とされようとしている最中、実に見事に防戦されたではありませんか。ご舎弟の進言、ご尤もかと存じます。」
「じゃが、中川はそれを退けた。曰く、”今日の働きは、誰に恥ずべきことがある。拙者は、敵兵に突っ込み、討死を遂げる。そなたたちも拙者に続くべし”、と。」
「何と!?玉砕を遂げるお覚悟でございましたか。ということは、武士としての矜持よりも、殿下の勝利に貢献すべく、一兵でも佐久間様の兵を減らそうという腹積もりでございますか。」
「中川こそ、武士の誉れよ。じゃが、中川の思いも空しく、敵兵が後方から押し寄せてきた。これを見た、舎弟の九郎二郎は中川を奥に押し込め、”早々にお腹召されよ、我らはその間敵兵を防いでご覧にいれる”、と涙ながらに訴えた。その訴えに、中川も最早これまでと、切腹して果てた。その間、九郎二郎は敵兵を一人も近づけず、最期は討死して果てた。」
「壮絶なご最期でしたな。胸に迫るものがございます。”木曽殿最期”の轍を踏まなかったのが、せめてもの救いでございましょうか。して、その頃、高山様はどうなされましたか?」
「うむ。中川の守る要害が敵に落ちた頃、高山は岩崎山の要害に立て籠っていたが、桑山に言った言葉とは裏腹に、敵兵が岩崎山に攻め入る前に、木之元に向かって敗走し、田神山の麓の大将軍というところで待機する有様であった。」
「何と!?高山様ともあろうお方が、いくら相手が佐久間様とはいえ、一戦も交えず退却されたと。僭越を承知で申し上げますが、武士の風上にもおけぬとはこのことでございませぬか!?」
「まあ、まて。確かに中川の奮戦の様子を聞いた後で、高山の敗走を聞けば、高山の武士としての矜持はどこへいったと、誰しも思うであろう。じゃが、高山とて決して中川に引けをとる者ではない。高山には高山なりの狙いがあったのじゃ。」
「敗走に及んで狙いとは一体なんでございましょうか?」
「さすがの策士もそこまでは読めなんだか。確かに、玄蕃は強い。あの中川を自害に追い込んだのじゃからの。その中川と同じ程度しかない兵力では、とても支えきれぬ。下手に戦って結局敗れてしまっては、玄蕃の士気を却って高めてしまう。もちろん、その分も味方の兵力も損耗する。であれば、いっそ一思いに退却してしまって、玄蕃の慢心を誘うことにしたのじゃ。玄蕃からすれば、中川を敗死せしめ、高山に至っては一戦も交えず尻尾を巻いて逃げたとあっては、どうあっても戦勝気分は高まるばかり。そんな高揚した軍勢が権六の言いつけなど守ると思うかの?」
「なるほど。高山様は、囮を買ってでたというわけでございますか。であれば合点がゆきます。むしろ、その戦術に恐れ入るばかりでございます。」
「田神山の麓まで退いた高山は、小姓の何某という者に、我らを匿える小屋など無いか、田神山に在陣している羽柴小一郎殿に尋ねて参れ、と命じた。その小姓は畏まって、田神山に登り、小一郎にその旨を伝えた。それを聞いた小一郎は事情を把握し、高山を迎えにいった。」
「大納言様も、高山様の狙いを見抜いていたわけですな。」
「そうじゃ。いかに小一郎とて、おめおめと引いた武士を助けることはせぬ。高山の判断はわが方にとって有益と判断したからこそ、直ちに、高山を迎えたというわけじゃ。」
「して、佐久間様は高山の罠にかかったのでございましょうか。」
「ああ、ものの見事にな。玄蕃は、権六に中川を自害せしめたことならびに高山を敗走せしめたことを注進した。これを聞いた権六は大層喜び、玄蕃の智謀、武勇を称賛し、玄蕃を武士の誉れと褒めちぎった。但し、早々に帰陣し、兵士たちに休息を与えるように指示することも忘れなかった。方や玄蕃は中川を葬り、また高山も敗走させ、数刻も経たないうちに要害二か所を手に入れたことで、喜びもひとしおであった。兵士たちの士気も高揚している。“兵は拙速を聞くも、いまだ功の久しきをみざるなり”という孫子の教えもある。ここは、一気呵成に攻め込むべきだと考えた。そこで、玄蕃は、権六の指示を無視し、さらに賤ヶ嶽表に攻め入るべく軍議を始めたのじゃ。軍議を始めるにあたり、兵士たちの団結を強めるべく、玄蕃は勝鬨を上げようと、采配を取り、小屋に上がって準備をしていると、奇妙なことが起こった。」
「奇妙なこととは?」
「玄蕃が登った小屋は、しばらくすると棟ごと倒れてしまったのじゃ。不審に思った玄蕃は、気を取り直して、別の小屋に登ってみた。暫く経つと、その棟も傾き始めた。とはえい、ここで玄蕃が不安に思えば、士気にかかわる。こうして玄蕃は、敢えて気にもとめず、軍議を始めたのじゃ。」
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