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新・賤ヶ岳合戦記
協定
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「一芝居というのは、一体…。」
「如何に余が私心なく、織田家につくしているかを滔々と申し立てたのじゃ。ちと、長くなるが聞いておれ。」
「拙者と柴田殿との間柄をご懸念遊ばされていることにつきまして、まことに忝いことではありながら、心外であるとの思いも禁じえません。そもそも、清州での会談のみぎり、若君に名代を置かず、我ら宿老が合議により事を進め、それについて三七殿、三介殿、そして徳川殿が承認するということについて、各々誓詞も差出、血判まで押しております。この定めを違えるなど全くもって考えられぬことでございます。
三七殿におかれましては、若君を預かり、然るべき時に安土に移すという約束は未だ果されておりませぬ。
また、今更、名代について議論するのも迷惑至極に存じます。もし、ご兄弟で名代争いをするのであれば、当然、於次(羽柴秀勝)にも名代の権利があって然るべきであります。於次も十五になり、武者として決して人に後れを取るものではございませぬ。
右府様ご存命の折、拙者は播州、北近江を賜り、非才の身ではございますが、畏れ多くも西国討伐を任じられました。三木城の別所はもとより、謀叛人の荒木征伐にも加わり、右府様から感状、あまたの褒美を賜りました。そのお礼に参上仕った折り、右府様は拙者の額をお撫で遊ばし、”侍たるもの、筑前にあやかるべし”とのお言葉までおかけくださりました。このことは、生涯忘れるものではございませぬ。
その後、鳥取城を攻め落とし、備中高松城も落城寸前というところで、右府様は惟任の手にかかり敢え無いご最期を遂げられました。毛利ももはや風前の灯であり、一挙に決戦に
持ち込みたく存じましたが、逆賊である惟任を討つことが先決でございました。そこで、毛利家と講和を結び、一挙に惟任を撃破したことはご記憶に残っていることと存じます。もちろん、惟任討伐は偏に右府様のご無念を晴らさんがためであり、私心は露ほどもございませぬ。事実、清州での会談において、美濃は三七殿の領国とし、尾張は三介殿の領国となったことは周知のことでございます。また、柴田殿には北近江ならびに長浜城を差し上げ、拙者に私心がないことは十分に証明されたと考えております。もっとも、これでもまだ拙者の忠心を示したことにはなりませぬ。そこで、惟任の旧領、坂本は五郎左衛門の支配とすべきことまで考えております。
このように拙者は織田家の行く末のみをひたすら案じているばかりでございます。そして、僭越は重々承知しておりますが、三七殿、三介殿、柴田殿が仏事に関して全く相談に乗っていただけなかったため、拙者が取り仕切る運びとなったわけでございます。誠にもって情けない事態であり、右府様に顔向けできない有様でございます。拙者は、右府様の供養が無事済んだのちには、追腹切って、右府様の黄泉の旅路の先導となる心づもりでおった次第です。
拙者の織田家に対する心情、以上、申し上げます。」
「…恐れながら、その文面では火に油を注ぐ結果となりませなんだか?」
「これ以外、どう答えよと言うのじゃ?まさか、三七殿の調停を呑むわけにもいくまい。それに、余が述べたことに嘘はないからの。少々、味付けは濃すぎたかもしれんがな。ともあれ、余は織田家の忠臣としての立場を改めて宣言したわけじゃ。実際、この後よ、権六と余が不仲になったと、あちこちで噂が立ったのは。結果として、信州で辛酸を舐めた将監(滝川一益)も加わって、三七殿、権六の三者で同盟を結んだのじゃ。」
「いよいよ柴田様との対立が不可避となってしまわれたわけですな。」
「挑発してきたのは、あくまで向こうじゃからの。まして、余は織田家の忠臣として振舞っておる。その余に対して、敵対心を丸出しにするということは、織田家に楯突くと同じ事じゃ。であれば、奴らこそ織田家の敵となる。織田家を守るために、余としても手を打たねばならぬわけじゃ。」
「どのような策を講じられたのですか?」
「ここからは、政治力がものを言う。まずは、畿内近国の大名、小名に使者を遣わし、貢物も贈った。加えて、京都の役人、諸色人たちにも心づけを与え、ゆめゆめ権六の手先になることのないよう工作したのじゃ。そして安土城を改修し、若君(織田秀信)を入城させ、若君が十五歳になるまでの後見役として三介殿を任命したというわけじゃ。」
「なんと!?それでは、清州での会談で決まった若君に名代は置かないということを殿下が反故にしたことにはなりませぬか?」
「申したであろう。織田家に楯突いてきたのは、権六どもの方じゃと。清州での会談を無視したのは、奴らの方じゃ。実際、名代争いを持ち出したのは、三七殿じゃからの。じゃからこそ、織田家を守るために敢えて三介殿に名代を依頼したわけじゃ。」
「”貸し”を作ったわけでございますな。思い返せば当時、殿下は既に天下の大将にようになったと京都で噂されるようになっておりましたな。」
「本意ではないが、政治的に優位に立つにはそのような噂も余にとっては好都合じゃ。権六どもに心を寄せる者は、このとき、越前や伊勢に隠れるように向かい、余の有様を報告したようじゃからの。もっとも、権六はそれでも、余のことなど眼中になかったようじゃからの。漏れ聞くところによると、こんな大言を吐いていたらしい。”どこの馬の骨とも分からない武者どもが五人や七人束になってかかってこようとも何の痛痒も感じぬ”とな。」
「如何に柴田様とは言え、さすがにそれは相手を侮りすぎではございませぬか?柴田様も、殿下が近隣諸国の大名方に働きかけを行っていることは察知していると考えるのが筋かと存じます。まして、越前は、中冬から中春までは深雪が積もるので、柴田様の出陣は叶いませぬ。であれば、柴田様が動けぬ間の策を講じる必要があるかと。例えば、殿下が春までご油断遊ばされるように協定を結ぶといった策を柴田様は考えるべきかと。」
「施楽院よ、お主も中々の策士じゃの。事実、お主と同じことを将監も考え、権六に進言したようじゃ。そして権六もこの進言を尤もと考えた。権六は中村文荷斎、小嶋若狭守を、前田又左衛門尉(利家)、不破彦三、原彦次郎、金森五郎八(長近)の四人のもとに遣わした。その四人は余と昵懇の間柄であるから、上手く協定を結べるものと権六は踏んだのじゃ。」
「なるほど。その四名の方々からすれば、各々の真意はどうあれ、殿下と柴田様の対立は望まぬでしょうから、柴田様にご同意なされたのでございますな。」
「そのとおりじゃ。四人はすぐに北の庄に出向き、権六の真意を伺った。そこで権六は四人に向かって、筑前は万事、事を起こすのが早い。この冬に勢州に出陣し、三七殿、将監を討ち果たし、その勢いに任せて畿内でも勢力を拡大しようとするだろう。一方、わが方は霜月から三月までは雪で出陣できない。よって、何としても秀吉と協定を結ぶよう取り計らえ、と申し渡したのじゃ。」
「確かに、柴田様にとっては、この協定は死活問題と心得ます。ご自身が動けぬ冬の間、何とか殿下を牽制しなければならない。そのための時間稼ぎの協定かと存じます。ですがもし、殿下がこの協定を結んでしまえば、殿下の動きが制限され、柴田様や三七様から包囲される危険があるのではありませぬか?殿下は、この局面をいかに切り抜けられたのでございますか?」
「鋭いな。お主のいうとおりじゃ。権六どもの協定を額面通り結んでしまっては、余にとっては不利になる。実は、ここでも一芝居うったのじゃ。」
「お得意の”芝居”でございますか。」
「そうじゃ。天正十年十月二十八日、四人は北の庄を出立し、まず長浜に向かった。そこで四人は余と協定を結ぶ旨を伊賀守に伝えたところ、伊賀守は尤もであると納得し、四人に対して船を準備した。伊賀守は、本来であれば某も乗船し、共に上洛すべきであるが、殿(柴田勝家)と諸事協議した四人で上洛した方が事は進むであろうと四人に伝え、長浜に残ることにした。そして天正十年十一月二日、四人は山崎に到着し、余に謁見し、権六の意向を述べた。そこで余はこう答えた。”柴田殿は織田家において古くからの宿老であり、粗略に扱う気持ちなど毛頭ありません。柴田殿を後ろ盾として、若君をお守りする所存です。何事も柴田殿の指示に従います。柴田殿と協定を結ぶこと、我らにとっても誠に幸いであり、今後は柴田殿と水魚のごとく交わり、諸事相談いたしたく存じます”と。」
「なんと、柴田様の条件を丸呑みしたのでございますか!?使者の方々は大層お喜びになったことでしょうな。であれば、何とか証拠を残したいでしょうから、書状の取り交わしを望まれたのではありませぬか?」
「そこじゃよ。奴らとしては、何としても書状に残したい。さすれば、文字通り余は冬の間動けなくなるからの。じゃが、ここは駆け引きじゃ。余は奴らにこう答えた。”それは尤もなことであり、こちらからも望むべきところ。さりながら、右府様が取り立てられた宿老たちは、まだ数多く残っておられる。そこで来春、柴田殿、佐々殿、池田殿、滝川殿、丹羽殿、氏家殿達全ての宿老と誓詞を取り交わし、その方々と織田家を支えてゆきたい”とな。」
「ほう。するとその場での書状の取り交わしはしなかったのでございますな。しかし、それで四名の方々はご納得されたのでございますか?拙者などは、そのような大事な点は、しかと書状に残すのが肝要かと存じますが。」
「そこが結局のところ権六の詰めの甘さということであろう。そもそも、そういった大事の交渉を四人に分担させるのが間違いなのじゃ。」
「それは異なことを。そのような大事であるからこそ、柴田様は万全を期して、その四名の方々に託したのではございませぬか?もっと言えば、数の力で殿下を丸め込もうとされたのではありませぬか。」
「よいか。交渉事は戦とは違う。戦であれば、兵の数が物を言う。じゃが、交渉事で四人も遣わすのは逆効果じゃ。交渉事は胆の据わった者に全権を委任するのが定石じゃ。そうでなければ、正使の監視の意味も込めて副使を遣わす程度じゃ。逆に聞くが、ある病人を見てもらいたいとお主のところに依頼があったとする。その依頼を告げる者が四人もいたらどうなる?」
「むむ、確かにそうでございますな。拙者といたしましても、誰に向かって話していいかわかりませぬ。また、こちらの言うことを果たして得心しているのかも判断しづらいですな。つまり、その場にいる者が増えれば増えるほど、一人あたりの負荷は逆に減り、むしろ無責任になるということですな。」
「そうじゃ。仮に、又左(前田利家)一人で交渉に臨めば、その場で書状の取り交わしを要求したやも知れぬ。こちらから、権六に従うと言っている手前、書状を強要されると上手く切り返せぬ。じゃが、相手は四人じゃ。それぞれ思惑もある。ある者は書状は必須と考えたとしても、別の者は余の言質さえ取れればいいと考える者もいる。奴ら自身がお互い牽制し合う形になるのじゃ。結局、余の申し出にも一理あるとして、四人はそれ以上追求せず、十一月四日に右府様の墓所である大徳寺惣見院に向かい、そこで追善供養を行い、十一月八日には北の庄に帰っていった。聞くところによると、北の庄に戻った四人は、権六の申し出に余も賛同し、その心に偽りはないように感じたと報告したようじゃ。それを聞いた権六は、これで今年の冬は安らかに過ごすことができると大層ご満悦じゃったようじゃ。結局、権六は戦での決戦しか頭にないのじゃ。権六にとって領国を広げるということは、戦と同義なのじゃ。じゃから、余が戦をできないように仕向けてしまえば、それで目的は果たせたと考えておるのじゃ。じゃが、余からすれば、権六は冬の間動けないことくらいとうに知っておる。まして、向こうから停戦協定を結ぼうとするということは、冬の間、向こうは何もしないと言っているようなものじゃ。こちらとしては、それを利用せぬ手はない。ここで、清州での会談が利いてくるのじゃ。」
「如何に余が私心なく、織田家につくしているかを滔々と申し立てたのじゃ。ちと、長くなるが聞いておれ。」
「拙者と柴田殿との間柄をご懸念遊ばされていることにつきまして、まことに忝いことではありながら、心外であるとの思いも禁じえません。そもそも、清州での会談のみぎり、若君に名代を置かず、我ら宿老が合議により事を進め、それについて三七殿、三介殿、そして徳川殿が承認するということについて、各々誓詞も差出、血判まで押しております。この定めを違えるなど全くもって考えられぬことでございます。
三七殿におかれましては、若君を預かり、然るべき時に安土に移すという約束は未だ果されておりませぬ。
また、今更、名代について議論するのも迷惑至極に存じます。もし、ご兄弟で名代争いをするのであれば、当然、於次(羽柴秀勝)にも名代の権利があって然るべきであります。於次も十五になり、武者として決して人に後れを取るものではございませぬ。
右府様ご存命の折、拙者は播州、北近江を賜り、非才の身ではございますが、畏れ多くも西国討伐を任じられました。三木城の別所はもとより、謀叛人の荒木征伐にも加わり、右府様から感状、あまたの褒美を賜りました。そのお礼に参上仕った折り、右府様は拙者の額をお撫で遊ばし、”侍たるもの、筑前にあやかるべし”とのお言葉までおかけくださりました。このことは、生涯忘れるものではございませぬ。
その後、鳥取城を攻め落とし、備中高松城も落城寸前というところで、右府様は惟任の手にかかり敢え無いご最期を遂げられました。毛利ももはや風前の灯であり、一挙に決戦に
持ち込みたく存じましたが、逆賊である惟任を討つことが先決でございました。そこで、毛利家と講和を結び、一挙に惟任を撃破したことはご記憶に残っていることと存じます。もちろん、惟任討伐は偏に右府様のご無念を晴らさんがためであり、私心は露ほどもございませぬ。事実、清州での会談において、美濃は三七殿の領国とし、尾張は三介殿の領国となったことは周知のことでございます。また、柴田殿には北近江ならびに長浜城を差し上げ、拙者に私心がないことは十分に証明されたと考えております。もっとも、これでもまだ拙者の忠心を示したことにはなりませぬ。そこで、惟任の旧領、坂本は五郎左衛門の支配とすべきことまで考えております。
このように拙者は織田家の行く末のみをひたすら案じているばかりでございます。そして、僭越は重々承知しておりますが、三七殿、三介殿、柴田殿が仏事に関して全く相談に乗っていただけなかったため、拙者が取り仕切る運びとなったわけでございます。誠にもって情けない事態であり、右府様に顔向けできない有様でございます。拙者は、右府様の供養が無事済んだのちには、追腹切って、右府様の黄泉の旅路の先導となる心づもりでおった次第です。
拙者の織田家に対する心情、以上、申し上げます。」
「…恐れながら、その文面では火に油を注ぐ結果となりませなんだか?」
「これ以外、どう答えよと言うのじゃ?まさか、三七殿の調停を呑むわけにもいくまい。それに、余が述べたことに嘘はないからの。少々、味付けは濃すぎたかもしれんがな。ともあれ、余は織田家の忠臣としての立場を改めて宣言したわけじゃ。実際、この後よ、権六と余が不仲になったと、あちこちで噂が立ったのは。結果として、信州で辛酸を舐めた将監(滝川一益)も加わって、三七殿、権六の三者で同盟を結んだのじゃ。」
「いよいよ柴田様との対立が不可避となってしまわれたわけですな。」
「挑発してきたのは、あくまで向こうじゃからの。まして、余は織田家の忠臣として振舞っておる。その余に対して、敵対心を丸出しにするということは、織田家に楯突くと同じ事じゃ。であれば、奴らこそ織田家の敵となる。織田家を守るために、余としても手を打たねばならぬわけじゃ。」
「どのような策を講じられたのですか?」
「ここからは、政治力がものを言う。まずは、畿内近国の大名、小名に使者を遣わし、貢物も贈った。加えて、京都の役人、諸色人たちにも心づけを与え、ゆめゆめ権六の手先になることのないよう工作したのじゃ。そして安土城を改修し、若君(織田秀信)を入城させ、若君が十五歳になるまでの後見役として三介殿を任命したというわけじゃ。」
「なんと!?それでは、清州での会談で決まった若君に名代は置かないということを殿下が反故にしたことにはなりませぬか?」
「申したであろう。織田家に楯突いてきたのは、権六どもの方じゃと。清州での会談を無視したのは、奴らの方じゃ。実際、名代争いを持ち出したのは、三七殿じゃからの。じゃからこそ、織田家を守るために敢えて三介殿に名代を依頼したわけじゃ。」
「”貸し”を作ったわけでございますな。思い返せば当時、殿下は既に天下の大将にようになったと京都で噂されるようになっておりましたな。」
「本意ではないが、政治的に優位に立つにはそのような噂も余にとっては好都合じゃ。権六どもに心を寄せる者は、このとき、越前や伊勢に隠れるように向かい、余の有様を報告したようじゃからの。もっとも、権六はそれでも、余のことなど眼中になかったようじゃからの。漏れ聞くところによると、こんな大言を吐いていたらしい。”どこの馬の骨とも分からない武者どもが五人や七人束になってかかってこようとも何の痛痒も感じぬ”とな。」
「如何に柴田様とは言え、さすがにそれは相手を侮りすぎではございませぬか?柴田様も、殿下が近隣諸国の大名方に働きかけを行っていることは察知していると考えるのが筋かと存じます。まして、越前は、中冬から中春までは深雪が積もるので、柴田様の出陣は叶いませぬ。であれば、柴田様が動けぬ間の策を講じる必要があるかと。例えば、殿下が春までご油断遊ばされるように協定を結ぶといった策を柴田様は考えるべきかと。」
「施楽院よ、お主も中々の策士じゃの。事実、お主と同じことを将監も考え、権六に進言したようじゃ。そして権六もこの進言を尤もと考えた。権六は中村文荷斎、小嶋若狭守を、前田又左衛門尉(利家)、不破彦三、原彦次郎、金森五郎八(長近)の四人のもとに遣わした。その四人は余と昵懇の間柄であるから、上手く協定を結べるものと権六は踏んだのじゃ。」
「なるほど。その四名の方々からすれば、各々の真意はどうあれ、殿下と柴田様の対立は望まぬでしょうから、柴田様にご同意なされたのでございますな。」
「そのとおりじゃ。四人はすぐに北の庄に出向き、権六の真意を伺った。そこで権六は四人に向かって、筑前は万事、事を起こすのが早い。この冬に勢州に出陣し、三七殿、将監を討ち果たし、その勢いに任せて畿内でも勢力を拡大しようとするだろう。一方、わが方は霜月から三月までは雪で出陣できない。よって、何としても秀吉と協定を結ぶよう取り計らえ、と申し渡したのじゃ。」
「確かに、柴田様にとっては、この協定は死活問題と心得ます。ご自身が動けぬ冬の間、何とか殿下を牽制しなければならない。そのための時間稼ぎの協定かと存じます。ですがもし、殿下がこの協定を結んでしまえば、殿下の動きが制限され、柴田様や三七様から包囲される危険があるのではありませぬか?殿下は、この局面をいかに切り抜けられたのでございますか?」
「鋭いな。お主のいうとおりじゃ。権六どもの協定を額面通り結んでしまっては、余にとっては不利になる。実は、ここでも一芝居うったのじゃ。」
「お得意の”芝居”でございますか。」
「そうじゃ。天正十年十月二十八日、四人は北の庄を出立し、まず長浜に向かった。そこで四人は余と協定を結ぶ旨を伊賀守に伝えたところ、伊賀守は尤もであると納得し、四人に対して船を準備した。伊賀守は、本来であれば某も乗船し、共に上洛すべきであるが、殿(柴田勝家)と諸事協議した四人で上洛した方が事は進むであろうと四人に伝え、長浜に残ることにした。そして天正十年十一月二日、四人は山崎に到着し、余に謁見し、権六の意向を述べた。そこで余はこう答えた。”柴田殿は織田家において古くからの宿老であり、粗略に扱う気持ちなど毛頭ありません。柴田殿を後ろ盾として、若君をお守りする所存です。何事も柴田殿の指示に従います。柴田殿と協定を結ぶこと、我らにとっても誠に幸いであり、今後は柴田殿と水魚のごとく交わり、諸事相談いたしたく存じます”と。」
「なんと、柴田様の条件を丸呑みしたのでございますか!?使者の方々は大層お喜びになったことでしょうな。であれば、何とか証拠を残したいでしょうから、書状の取り交わしを望まれたのではありませぬか?」
「そこじゃよ。奴らとしては、何としても書状に残したい。さすれば、文字通り余は冬の間動けなくなるからの。じゃが、ここは駆け引きじゃ。余は奴らにこう答えた。”それは尤もなことであり、こちらからも望むべきところ。さりながら、右府様が取り立てられた宿老たちは、まだ数多く残っておられる。そこで来春、柴田殿、佐々殿、池田殿、滝川殿、丹羽殿、氏家殿達全ての宿老と誓詞を取り交わし、その方々と織田家を支えてゆきたい”とな。」
「ほう。するとその場での書状の取り交わしはしなかったのでございますな。しかし、それで四名の方々はご納得されたのでございますか?拙者などは、そのような大事な点は、しかと書状に残すのが肝要かと存じますが。」
「そこが結局のところ権六の詰めの甘さということであろう。そもそも、そういった大事の交渉を四人に分担させるのが間違いなのじゃ。」
「それは異なことを。そのような大事であるからこそ、柴田様は万全を期して、その四名の方々に託したのではございませぬか?もっと言えば、数の力で殿下を丸め込もうとされたのではありませぬか。」
「よいか。交渉事は戦とは違う。戦であれば、兵の数が物を言う。じゃが、交渉事で四人も遣わすのは逆効果じゃ。交渉事は胆の据わった者に全権を委任するのが定石じゃ。そうでなければ、正使の監視の意味も込めて副使を遣わす程度じゃ。逆に聞くが、ある病人を見てもらいたいとお主のところに依頼があったとする。その依頼を告げる者が四人もいたらどうなる?」
「むむ、確かにそうでございますな。拙者といたしましても、誰に向かって話していいかわかりませぬ。また、こちらの言うことを果たして得心しているのかも判断しづらいですな。つまり、その場にいる者が増えれば増えるほど、一人あたりの負荷は逆に減り、むしろ無責任になるということですな。」
「そうじゃ。仮に、又左(前田利家)一人で交渉に臨めば、その場で書状の取り交わしを要求したやも知れぬ。こちらから、権六に従うと言っている手前、書状を強要されると上手く切り返せぬ。じゃが、相手は四人じゃ。それぞれ思惑もある。ある者は書状は必須と考えたとしても、別の者は余の言質さえ取れればいいと考える者もいる。奴ら自身がお互い牽制し合う形になるのじゃ。結局、余の申し出にも一理あるとして、四人はそれ以上追求せず、十一月四日に右府様の墓所である大徳寺惣見院に向かい、そこで追善供養を行い、十一月八日には北の庄に帰っていった。聞くところによると、北の庄に戻った四人は、権六の申し出に余も賛同し、その心に偽りはないように感じたと報告したようじゃ。それを聞いた権六は、これで今年の冬は安らかに過ごすことができると大層ご満悦じゃったようじゃ。結局、権六は戦での決戦しか頭にないのじゃ。権六にとって領国を広げるということは、戦と同義なのじゃ。じゃから、余が戦をできないように仕向けてしまえば、それで目的は果たせたと考えておるのじゃ。じゃが、余からすれば、権六は冬の間動けないことくらいとうに知っておる。まして、向こうから停戦協定を結ぼうとするということは、冬の間、向こうは何もしないと言っているようなものじゃ。こちらとしては、それを利用せぬ手はない。ここで、清州での会談が利いてくるのじゃ。」
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歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!
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