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第五章 復活のはじまり

第六十一話 邪悪な復活

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 一方、トゥルゴヴィシュテのオクタヴィアンの城に到着したグリゴアとテスラの一行。

 棺桶で眠っているヤコブはローラも眠っている連絡通路に、瀕死のヴラド公はテスラの指示のもと、礼拝堂へ運んだ。

 礼拝堂は城の二階、大広間の奥の塔の部分にある。

 塔と言っても形だけで、礼拝堂の奥の祭壇の部分だけが天井が高くなっており、小窓がいくつか付いているが、あまりに高い場所なので、普通ならそこからの出入りはできない。

 そしてその礼拝堂に行くには、大広間の前を通るか、地下から最上階へ行く階段を使う二択しかない。

 礼拝堂の大きな机に運ばれたヴラド公は、辛うじて意識を取り戻していた。
 そして自分を運んできたグリゴアを耳元に呼んだ。

「何ですか? ヴラド公」

「…………」

「え?」

「く……く、びを……は、はねろ……」

 ヴラド公はこう言うと、自分の首を指差した。
 グリゴアは驚いた。

「ば、馬鹿な事、言わないで下さいっっ!」

「く……くび、を…………」

 この言葉を最期に、ヴラド公は息を引き取った。

 グリゴアはその場でひざをついて泣いた。

 礼拝堂の入口の横でこれを聞いていたテスラは、泣き崩れているグリゴアを呼び出した。

「公の遺言だ。首をはねてやるんだ」

「そ、そんな……」

 グリゴアはどうしていいか分からず、そして誰よりも慕っていたヴラド公の首を切るという行為を出来るはずもなく、結局そのままにして、テスラの目の前から去って行ってしまった。

「困ったもんだ……」

 テスラは、もう朝日の危険から逃れないといけないので、ちゃっかり自分の棺桶を置いた屋敷の連絡通路に向かった。

 城の階段を地下まで降りて屋敷へ抜ける連絡通路の入口の部屋まで来たテスラは、その空間の隅っこに、屍食鬼の死骸がそのまま放置されてある事に気がついた。

 その死骸の上には、使い古しの布が何枚も被せられて、死骸はいっさい見えないようにしてある。
 だが、とにかく臭いがキツい。
 腐った肉のツンとする臭いがこの空間を埋め尽くしており、この場所に長い時間いるのは普通なら無理である。

 しかしテスラは気にもとめずに屋敷側に通じる連絡通路へ入って行った。

 そこには細い通路に沿って棺桶が三つキレイに並んでいる。
 一つはローラ、一つはヤコブ、そしてもう一つはテスラの棺桶。
 そして屋敷側の出口辺りの階段に、アンドレアスは困り顔で座っていた。

「ダンナ~。臭くてヤコブとローラの近くに行けないです~っっ」

「ふむ。来なくていい。おまえは外で寝ていなさい」

「ヘイ、ダンナ~」

 アンドレアスはテスラの言う事を聞いて、通路の外へ出ていった。
 テスラは何事もなかったかのように、自分の棺桶に入るとすぐに意識を失った。



 一方グリゴアは、ヴラド公の遺体を立派な棺に収め、テスラの言いつけ通り、胸には十字架、身体中にニンニクを遺体の上から被せ、人の大きさほどある十字架のある礼拝堂に安置された。

 十字架の前には机があり、そこに一メートルはあるローソクが何本も立ち並び、聖水とパンが置かれ、ローソクの灯火で礼拝堂はオレンジ色に染まった。

 そして礼拝堂の入り口には、誰も入れないように、見張りを一人立たせた。

 それと何事かあるといけないというテスラの指示のもと、城にはごくわずかな人間しか残らず、グリゴアの妻子や使用人などを含む大多数の城の住人が別の場所に避難した。

 こうして城の書斎でグリゴアは眠りに着いた。


 しかしグリゴアはまる二日寝ていなかったにも関わらず、二、三時間で目が覚めてしまった。

 本当にこれでよかったんだろうか? やはりテスラの言うとおり、首を切った方が良かったんじゃないか? ヴラド公の遺言どおり、首をはねるのも部下の役割だったんじゃないのか?

 グリゴアはヴラド公の事が心配で精神がたかぶっていたのだった。

「ええ~い! くそっっ!」

 グリゴアはベッドから起きると、寝室から出て剣を持って礼拝堂へ向かった。

 寝室から大広間へ向かうと、各窓から差し込む光の弱さや角度から、すでに日が傾いている事に気がついた。
 中途半端に寝て頭が若干クラクラするし、まだ身体中の傷も痛い。
 しかしグリゴアはそんな事も気にせずに、夕日の差し込む大広間を抜け、その先の礼拝堂へ向かった。

 しかし何かがおかしい。
 見張りがいない代わりに誰かいる。
 ……誰だ?

 グリゴアは剣を構えて、静かに礼拝堂の入り口に近づいた。

「モゴシュっっ!」

 グリゴアはつい声が出た。昨日、モルダヴィアの兵士二百人を死に追いやった張本人、モゴシュがここにいる!

 モゴシュは周りを全く気にする余裕がなかったのか、グリゴアの声にかなり驚いた。

 そして足元には矢が胸を貫き、絶命している見張りの兵が横たわっていた。

「き、貴様……ここで何をしてる?」

 グリゴアはいつでもモゴシュを斬れる体勢に入った。
 モゴシュもそれは分かっている。

「ま、待て! 僕はブルーノに言われてここに来ただけだ! 僕だってここになんか来たくなかったさ。ここに来るのは自分の命も危ないって……分かるだろ?」

「じゃあ何で来た?」

「だ、だからブルーノに連れられてっっ。ヴラド公の首を持って帰るのを手伝ってほしいと言われて……」

「え? ヴラド公の首を獲る?」

 グリゴアは慌ててモゴシュをどかすと、礼拝堂の中を見た。

 するといきなり矢が一本飛んできた。

 その矢はグリゴアの左肩を貫き、グリゴアはその勢いで床に倒れ込んだ。

「ん? やったか? 外した気がするんだけどな」

 礼拝堂の中央にあるヴラド公の入った棺の横でブルーノは弓を背中に戻しながらグリゴアの様子を伺っている。
 しかしグリゴアが肩の痛みで動けなくなったのを確認すると、

「おお、グリゴア。いい所に来た。今からおまえが必死になって守ってきたおまえの大将の首をかき切ってやるからな。よく見とけよ」

と、笑ってヴラド公の顔を見た。

 しかしブルーノはそこで動きを止めた。

「ヴ、ヴラド公……」

「…………。どうしたブルーノ。やるのなら今だぞ?」

 死んだはずのヴラド公は目を開けて、ニヤリと微笑んだのだ。
 その低い声は矢を受けて倒れているグリゴアと、礼拝堂の入り口にいるモゴシュにもかすかに届いた。

 ブルーノはすぐにヴラド公が吸血鬼になった事を悟った。
 そしてまだ自分の手にナイフがない事に焦った。どうにかして会話を伸ばして……

「ヴ、ヴラド公……。俺はあなたが亡くなったとばかり……」

「そうだな。亡くなった。死んだよ。でも意識がなぜかあるんだ。しかもなぜかとても清々しいんだ。それよりも、ブルーノ。その右手のナイフで私の首を斬るんじゃないのか? スルタンから指令を受けてきたのだろ?」

 この会話の間にブルーノはナイフに手をかけていたのだ。それを悟られたブルーノは、顔中に汗を出した。

「そうです。私があなたの首をかっ切るんですよ! こうやって!」

 ブルーノは思いっきりナイフを垂直にヴラド公の首に突き立てた。更にそのナイフを九十度倒し、ヴラド公の首を半分以上切断した。

 しかしその時、ヴラド公はにこやかに微笑んだ。

 と、次の瞬間、ナイフを持った手にヴラド公が噛みついた。
 ブルーノは焦った。

 す、吸われるっっ!

 ブルーノは一瞬のうちにミイラに変わった。

 あまりな急な出来事に、礼拝堂の外で見ていたモゴシュとグリゴアは、何が起こったか分からなかった。

 ヴラド公はミイラになったブルーノの手を噛んだまま、部屋の奥にある大きな十字架を見た。
 その十字架のせいか、身体中から少し煙が上がっている。

「ん~。眩しいな」

 ヴラド公はミイラと化したブルーノを、そのまま礼拝堂の奥に設置されている十字架に勢いよく投げつけた。
 十字架はブルーノによって叩き壊され、手前のローソクや聖水、パンの上に崩れ落ち、机も壊れて全て床に落ちて、ローソクの火がついて部屋の奥で炎が上がった。

「ん~……、ニンニクも邪魔だな。それにこの十字架、熱いな」

 ヴラド公は首にナイフが刺さったまま起き上がった。
 身体にかぶさっていたニンニクを手を火傷しながらも棺桶から全て落とし、そのまま立ち上がって十字架も床に投げ、戦闘の時に巻いていたニンニクも全て床に落とした。
 そして首のナイフがまるで押し出されるように、床にカラーンと、音を立てて落ちた。

「ん~……吸血鬼とは、こんなに清々しいものなのか。まだ日が出ているのが残念だ。なあ、モゴシュ。グリゴア」

 二人はギョっとした。
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