上 下
47 / 70
第三章 思惑

第四十七話 大丈夫、大丈夫

しおりを挟む
「遅いわ……」

 ローラは一人、ブカレストのモゴシュの屋敷の客間で、夫ラドゥの帰りを待っていた。
 ラドゥは戦争の準備をすると親衛隊を引き連れて出ていったまま、一向に帰ってくる気配がない。
 屋敷に残っているバサラブやその部下達もどんちゃん騒ぎを終えて、すでに寝入ってしまった。

 ローラ自身も退屈という事もあったが、ベルキが気がかりで仕方がなかったので、数時間前に、使用人の小屋にベルキと彼を引き取ってくれたおじさんに話をしに行ってきていた。



「なるほど、そもそも招かねば奴らは入って来ないんだな? 変な連中だな」

「でもこれは建物じゃなくて、敷地で区切られてるから、この建物にラドゥやラドゥの親衛隊達も入ってこれるの」

「何だかややこしいな」

 おじさんは手に十字架を眺めながら関心していた。

「おじさん、私もそれ、ダメなんだけどっっ」

「ああ、すまんすまん」

 おじさんは慌てて十字架をズボンのポケットに入れた。それを見てベルキが笑っている。

「いい? ベルキ、おじさん。今は私がいるから襲って来ないけど、あいつらは用が済んだと思ったら、絶対に襲ってくるわ。だから、その時はこの屋敷から逃げて! お願いよ。奴ら、ジプシーの事なんてどうでもいいって思ってるから」

「ねえローラあ。これ他の人にも話した方がよくない?」

 子供のベルキがローラに寄り添いながら聞いてきた。ローラもベルキがかわいいので、頭を撫でて返事を返した。

「ダメ。他の人の中に、ラドゥの味方がいると思うから」

「おじさんはいいの?」

 ベルキはおじさんを指さした。

「指さすな!」

「おじさんはねえ。多分大丈夫。だってこの人、口は悪いけど、あなたをかくまってくれたし、今だってあなたを守ろうとしてるのが分かるから」

「へん! 俺はただ生き延びてえだけだ」

 三人はハハハと笑いあった。ローラは新しい家族ができたような、そんな気持ちになっていた。

「ねえでもローラあ。ぼくたちはこうするけど、ローラはどうするの? いっしょに逃げれる?」

 ベルキが真っ直ぐな眼でローラを見つめた。

「私はねえ……大丈夫。私は何とかなるの」

 ベルキとおじさんはその返事を聞いて少し心配になった。

「じゃあ私、そろそろ行くね。いい? 戦争が始まってバサラブの軍がここを出発したら、それ以降は危ないから逃げるのよ! じゃあね。お休み」

 ローラはそう言い残すと窓から出て部屋に帰った。



 こうして部屋に帰って来てから、ずいぶん時間が経った気がする。
 しかしラドゥ達は全く帰ってこない。

 もうラドゥの所へ行っちゃおうかしら……。でも邪魔になりそうだけど……でも行っちゃお♪

 こうしてローラはラドゥ達がどこにいるのかも分からなかったが、意識を目、耳、鼻と集中させて上空に飛び立った。

 ブカレストの町の上空から首都トゥルゴヴィシュテの方角を見ると、手前に広大な森が広がっており、所々に灯りを確認できる。

 ローラはその灯りがとても美しく幻想的に見えた。しかし同時にこれがモゴシュがヴラドを討つ為に配置させた私兵団という事も分かっていた。

 ローラはラドゥを捜す為にもう一度、眼、耳、鼻に意識を集中させた。

 どうやら少し距離はあるが、トゥルゴヴィシュテ方面の森の上空にラドゥ達の気配を感じた。

 何をしてるか分かんないけど、そっちに向かって……あれ? 他に誰かいる! オクタヴィアン様?

 ローラは本能でラドゥ達に気づかれないように気配を消し、森の中に潜った。そして意識を集中した。
 すると何かが刺さり、肉片が飛び散る音と共に、オクタヴィアンの叫び声がかすかに聞こえた。

 オ、オクタヴィアンを殺そうとしてるっっ!

 ローラはすぐに助けに行こうと思った。

 しかし今助けに行っても、周りに止められるか、自分も殺されるかもという考えが頭をかすめ、今はとにかく気づかれないようにしようと、気配を消した。

 こうしてどのくらいの時間が経つだろう。
 ラドゥと親衛隊四人は自分には気づかずブカレストの屋敷に戻って行った。
 しかし今すぐに動くと勘づかれるかもしれない。

 ローラは最新の注意を払った。

 しばらくの時が経ち、もう大丈夫と思ったローラは恐る恐るオクタヴィアンの気配に近づいて行った。
 しかしローラはオクタヴィアンのあまりにも悲惨な状態と分かるや否や、大慌てでオクタヴィアンに近づいた。

 そしてオクタヴィアンの恐ろしい惨状を目の当たりにして、身体は震え、目からは涙が溢れだした。

「オ、オクタヴィアン……」

 オクタヴィアンは大きな木の先端に背中から腹を二メートルぐらい貫かれ内臓もその木に持っていかれ、血を大量に血を流している。

 ローラはどうしていいのか分からなくなった。

 い、生きてるの? もう死んでしまったの? ど、どうしたらいいの? 

 ローラの震えは止まらない。
 しかしこのまま放っておけば、朝日を浴びて消滅していまう。
 何とかしなければ!

 ローラはとにかくこの木からオクタヴィアンを取り外す事にした。もうなりふり構っていられない。

 ローラはありったけの力を込めて、オクタヴィアンの腹から突き抜けている木の先端を腹の部分からナイフのような手で切りつけた。

 するとまるで切れ味のいい日本刀のようにバッサリとその木を切断する事に成功した。そしてその木の先端はバキバキバキバキ~! ズズーン! と、周りの枝を折りながら最後は轟音を立てて地面に向かって落ちた。

 この音に周りの鳥達は驚いて羽ばたき、動物達も鳴き始めた。
 当然、森に潜んでいるモゴシュの私兵団達も何事かと寝ていた者も飛び起きて、森中は騒ぎになった。

 しかしローラはそんな事は気にもせず、オクタヴィアンに抱きつくと木から引き抜いた。

 しかしオクタヴィアンは何の反応も示さない。
 
 お願い! 死なないで!

 ローラはゆっくりとオクタヴィアンを抱いたまま、森の中に下がっていき、なるべく木の先端の落ちた所から離れた真っ暗な場所へ降り立つと、オクタヴィアンを優しく地面に寝かせた。

 オクタヴィアンのお腹にはポッカリと拳が二つは入るぐらいの大きな穴がぐちゃぐちゃに汚く空いている。

 ローラはその傷をまじまじと見て、更に何とかしなければと思った。

 そして同時に、

 何で私はラドゥなどと結婚をしてしまったのだろう。あの人は殺す事を楽しんでいる。あんな人と結婚して浮かれてた私はバカだ!

と、思い返していた。
 
 ローラは周りを見渡した。少し遠くだけど、火の灯りがある。そしてそこにはモゴシュの私兵団が数人おり、先程の木の先端が落ちてきた事が気になったのか、音のした方角の様子を伺っている。

 これなら気づかれないで殺す事ができる……

 ローラは一瞬にしてそこに移動すると、すぐに火を消してモゴシュの私兵団を次々に殺した。
 あまりに一瞬の出来事に、そこにいた七人全員が何が起こったか分からないまま首を切断された。

 そしてオクタヴィアンをこの場所に移動させた。

 周りは血の臭いでプンプンしている。
 しかしオクタヴィアンは動かない。

 ローラは殺した私兵団の首なしの身体をオクタヴィアンの口元に持っていった。

 もう一人の首なしの死体の首元を、オクタヴィアンのポッカリ空いた穴に向けて置いた。
 オクタヴィアンの口を腹を、私兵団の血がどんどん赤く染めていく。

 ローラはオクタヴィアンを涙目で見つめながら呟いた。

「大丈夫、大丈夫。オクタヴィアンなら大丈夫。このくらいの事で参っちゃう人じゃない。大丈夫、大丈夫。またいつものグチを聞かせて、お願い! オクタヴィアン……」

 気がつけばローラはオクタヴィアンの頭をひざに置き、口元に死体の首をつけて血で染めさせて、お腹の部分も死体を置いて血で溢れんばかりにした。

 そしてその髪の毛の一本もないツルツルの頭をゆっくりと撫でながら、

「大丈夫、大丈夫。あなたなら大丈夫」

と、同じ言葉を呪文のように唱えた。

 こうして数時間が過ぎた。

 空も朝焼けが始まっても唱え続けた。
 何ならいっしょに灰になってもいいとさえ思った。

 そんな時、オクタヴィアンのお腹の穴が塞がり始めている事に気がついた。

「オ、オクタヴィアンっっ」

 ローラは思わず涙がまた溢れた。

 オクタヴィアンのお腹の穴は血で真っ赤に染まっていたので、回復している事に全く気がつかなかった。

「う……」

「オ、オクタヴィアン様!」

 ローラはホッとした。その時、

 ザシュ!

 ローラの胸元に木の杭が顔を出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

魔界コンサルタント【アスナト】

愛笑屋(うれしや)
ファンタジー
 俺が売るのは"流儀"だ  コンサルタント業を営むアスナトは従者のレヴィと魔都へとやって来る。そこでは魔界一の商人を決める大会、通称"MM-1グランプリ"の真っ只中。その最中に出会ったリザードマン店主の悩みを解決する。が、新規オープンした蛇族の女店主にお客を取られ、お店は閑散としてしまう。アスナトは店主に"流儀"を教え優勝へと導けるのか―――

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する

影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。 ※残酷な描写は予告なく出てきます。 ※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。 ※106話完結。

異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?

お子様
ファンタジー
机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。 飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい? 自重して目立たないようにする? 無理無理。快適な生活を送るにはお金が必要なんだよ! お金を稼ぎ目立っても、問題無く暮らす方法は? 主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。 (実践出来るかどうかは別だけど)

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

元勇者、魔王の娘を育てる~血の繋がらない父と娘が過ごす日々~

雪野湯
ファンタジー
勇者ジルドランは少年勇者に称号を奪われ、一介の戦士となり辺境へと飛ばされた。 新たな勤務地へ向かう途中、赤子を守り戦う女性と遭遇。 助けに入るのだが、女性は命を落としてしまう。 彼女の死の間際に、彼は赤子を託されて事情を知る。 『魔王は殺され、新たな魔王となった者が魔王の血筋を粛清している』と。 女性が守ろうとしていた赤子は魔王の血筋――魔王の娘。 この赤子に頼れるものはなく、守ってやれるのは元勇者のジルドランのみ。 だから彼は、赤子を守ると決めて娘として迎え入れた。 ジルドランは赤子を守るために、人間と魔族が共存する村があるという噂を頼ってそこへ向かう。 噂は本当であり両種族が共存する村はあったのだが――その村は村でありながら軍事力は一国家並みと異様。 その資金源も目的もわからない。 不審に思いつつも、頼る場所のない彼はこの村の一員となった。 その村で彼は子育てに苦労しながらも、それに楽しさを重ねて毎日を過ごす。 だが、ジルドランは人間。娘は魔族。 血が繋がっていないことは明白。 いずれ真実を娘に伝えなければならない、王族の血を引く魔王の娘であることを。

処理中です...