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目覚めの証 3
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モリスの言葉通り、明くる朝、王都から兵士の一行が訪ねてきた。
扉がノックされる音に、顔を引きつらせながら、アモルが応対する。
「早朝より申し訳ありません。クルトゥラ近衛兵団司令官フェリクスと申します。国王オルトス陛下の王命により、貴殿の御子を王都へお招きしたい。登城のご準備をお願いします」
フェリクスと名乗る男は、アッシュグレーの髪を肩で切り揃えた三十代前半の物腰の柔らかい印象の男だった。
爵位を持たない一般の民であるアモルにも、敬語を使っているのが嫌味に聞こえないのは、フェリクスは元からそういった性質なのだろう。
「……娘は、七つになったばかりです。王都までの移動は、負担となりますので――」
「心得ております。こまめに休憩をとる場所も確保しておりますご安心を」
アモルのせめてもの抵抗も笑顔で返され唇を噛む。
「アモル……」
「カーラ! 部屋にいろと言っただろう?」
呼ばれて振り返ると、カーラが不安そうに顔をのぞかせている。
フェリクスは、カーラへ目礼だけに留めた。平民相手とは言え、夫であるアモルの紹介なく、声をかけるなどという無粋な真似はしなかった。
「……すみません」
「いえ、ご息女を送り出す不安なお気持ちはわかります。陛下の早急にとのご希望のため、本日の馬車は一台のみの手配ですが、折り返しご両親もお迎えに伺います」
単に子どもと離れることが心配な、娘思いの父親と思われたのか、フェリクスの声色は優しいものだった。アモルの拳は、血がにじむ程、握られていたことなど気付く様子もない。
「……っ、わかりました。少しお待ちください」
「馬車は、広場に留めています。私はモリス卿にご挨拶してきますので、お先に準備がお済みでしたら、申し訳ないですが、広場でお待ちください」
「……領主様を、ご存知なのですか」
通常、人間の貴族同士が呼び合う際は、家名に爵位を付けて呼ぶのが一般的な呼び方で、ファーストネームで呼ぶのは、かなり親しい間柄であった。
近衛兵団司令官といえば、侯爵だ。伯爵であるモリスとは、家柄が随分と違う。
「私の、剣の師なのですよ。プリムスへお戻りになってからは失礼をしておりますが。若い頃、随分と世話になりました」
懐かしそうにフェリクスは笑う。モリスを本心で慕っているようだった。
「あの方、あんなに怖い顔をなさっているのに、パンケーキがお好きなんですよねえ。それも生クリームたっぷり」
「ベリージャムたっぷり」
思わずアモルが付け足すと、フェリクスは吹き出した。
「そう! こっちが胸焼けするから他所向いて食べてくれと、どれだけ思ったことか……。あ、今の、内緒にしておいてくださいね?」
アモルが苦笑して頷くと、フェリクスは一礼をして立ち去っていく。その後ろ姿を見送り扉を閉める。
深く長い溜息を吐いて、イアンナを起こすために、寝室へ戻ろうと踵を返すと、両目に涙を浮かべたカーラが立っていた。
「……どうにも、ならないの?」
彼女の涙声に、力なく首を振る。
「王命じゃ、俺達にはどうしようもない……。下手したら村のみんなにも迷惑がかかる」
「……」
「けど……。領主様は、陛下に進言してくださると……」
そして、フェリクスという司令官も、もしかしたら、イアンナの力になってくれるのではないか――。
期待してはいけないと思いつつも、期待せずにはいられない。
「今は、信じよう」
寝室へ向かう途中、娘にねだられて用意した、イアンナの一人部屋の前で立ち止まる。
扉を撫でれば、部屋を欲しがって駄々をこねていた可愛い顔が思い出される。
もう少し大きくなれば、今度はもっと広い部屋がいいと、ねだられるかもしれない未来を思いながら用意した部屋だった。
イアンナが産まれたこの村に、彼女が戻ってくるとき、彼女はこの部屋で何を思うのだろうか。
安寧をもたらすと言い伝えられる『イシュタル』
その魂を持つイアンナの心も、穏やかで平穏なものであってほしい。
扉がノックされる音に、顔を引きつらせながら、アモルが応対する。
「早朝より申し訳ありません。クルトゥラ近衛兵団司令官フェリクスと申します。国王オルトス陛下の王命により、貴殿の御子を王都へお招きしたい。登城のご準備をお願いします」
フェリクスと名乗る男は、アッシュグレーの髪を肩で切り揃えた三十代前半の物腰の柔らかい印象の男だった。
爵位を持たない一般の民であるアモルにも、敬語を使っているのが嫌味に聞こえないのは、フェリクスは元からそういった性質なのだろう。
「……娘は、七つになったばかりです。王都までの移動は、負担となりますので――」
「心得ております。こまめに休憩をとる場所も確保しておりますご安心を」
アモルのせめてもの抵抗も笑顔で返され唇を噛む。
「アモル……」
「カーラ! 部屋にいろと言っただろう?」
呼ばれて振り返ると、カーラが不安そうに顔をのぞかせている。
フェリクスは、カーラへ目礼だけに留めた。平民相手とは言え、夫であるアモルの紹介なく、声をかけるなどという無粋な真似はしなかった。
「……すみません」
「いえ、ご息女を送り出す不安なお気持ちはわかります。陛下の早急にとのご希望のため、本日の馬車は一台のみの手配ですが、折り返しご両親もお迎えに伺います」
単に子どもと離れることが心配な、娘思いの父親と思われたのか、フェリクスの声色は優しいものだった。アモルの拳は、血がにじむ程、握られていたことなど気付く様子もない。
「……っ、わかりました。少しお待ちください」
「馬車は、広場に留めています。私はモリス卿にご挨拶してきますので、お先に準備がお済みでしたら、申し訳ないですが、広場でお待ちください」
「……領主様を、ご存知なのですか」
通常、人間の貴族同士が呼び合う際は、家名に爵位を付けて呼ぶのが一般的な呼び方で、ファーストネームで呼ぶのは、かなり親しい間柄であった。
近衛兵団司令官といえば、侯爵だ。伯爵であるモリスとは、家柄が随分と違う。
「私の、剣の師なのですよ。プリムスへお戻りになってからは失礼をしておりますが。若い頃、随分と世話になりました」
懐かしそうにフェリクスは笑う。モリスを本心で慕っているようだった。
「あの方、あんなに怖い顔をなさっているのに、パンケーキがお好きなんですよねえ。それも生クリームたっぷり」
「ベリージャムたっぷり」
思わずアモルが付け足すと、フェリクスは吹き出した。
「そう! こっちが胸焼けするから他所向いて食べてくれと、どれだけ思ったことか……。あ、今の、内緒にしておいてくださいね?」
アモルが苦笑して頷くと、フェリクスは一礼をして立ち去っていく。その後ろ姿を見送り扉を閉める。
深く長い溜息を吐いて、イアンナを起こすために、寝室へ戻ろうと踵を返すと、両目に涙を浮かべたカーラが立っていた。
「……どうにも、ならないの?」
彼女の涙声に、力なく首を振る。
「王命じゃ、俺達にはどうしようもない……。下手したら村のみんなにも迷惑がかかる」
「……」
「けど……。領主様は、陛下に進言してくださると……」
そして、フェリクスという司令官も、もしかしたら、イアンナの力になってくれるのではないか――。
期待してはいけないと思いつつも、期待せずにはいられない。
「今は、信じよう」
寝室へ向かう途中、娘にねだられて用意した、イアンナの一人部屋の前で立ち止まる。
扉を撫でれば、部屋を欲しがって駄々をこねていた可愛い顔が思い出される。
もう少し大きくなれば、今度はもっと広い部屋がいいと、ねだられるかもしれない未来を思いながら用意した部屋だった。
イアンナが産まれたこの村に、彼女が戻ってくるとき、彼女はこの部屋で何を思うのだろうか。
安寧をもたらすと言い伝えられる『イシュタル』
その魂を持つイアンナの心も、穏やかで平穏なものであってほしい。
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