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第二章 溺愛が加速する

犬はうさぎを心配する

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 午前中の会合を終え、冋 花月ケイ ホワユエ留 王龍ル ワンロンの二人は町へと出掛けた。
 すると、後宮の門前には華麗な馬車が待ち構えている。あかい傘を屋根にし、とても大きな車輪が左右に一つずつついた、解放感全快の馬車だ。
 解放感の理由は、窓も壁もないから。座ったら外、そして中からも丸見えだった。

「……は、初めて見る馬車だ。これ、本当に馬車なの?」

 先頭には一頭の馬と、それを引く従者がいる。

「ん? ああ、小兎シャオトゥは、この馬車を見たことがないのか?」

「うん」

「そうか。この馬車は、廃棄処分される寸前のものだった。それを私が買い取り、業務とは関係ない……遊びのときに使っているのだよ」 

 後宮の前にある大通りを通過する馬車たちには壁があり、中が見えない。他人の目を気にすることなく、自分の時間を過ごせる。そういった理由から、普通は壁のある馬車を選ぶのだけれど……

 ──どうやらこの人は、その普通というものには当てはまらないようだ。むしろ、皇帝だから堂々とするだけの度胸があるってことかな?

 自慢げに、やれ安売りされていただの、冋 花月ケイ ホワユエとの仲を民に見せつけることができるだの。私利私欲に溢れている。
 それでもないよりはマシで、あえてそこは目を瞑った。

「……町を偵察するんじゃなかったの? これを持ち出したってことは遠出?」

「ふっ。さすがは小兎シャオトゥ、察しがいいな」

 ──何でこの人、こんなに自慢げかんだろうか? 胸をはるとか、それをするのは僕の役目じゃないの?
 
 留 王龍ル ワンロンの自慢どころがわからなかった。それでも余計なことを口にするのはやめようと、さっさと馬車へと乗る。

 ガラガラと、車輪の音が町の活気に紛れていった。山茶花さざんかなどの花を売る商人もいれば、枇杷びわや豆を求める人々がいる。酒蔵にはつねに客が並び、昼間から呑んだくれていた。
 櫛屋をはじめとした、数々の小物店もある。そこには女性と肩を並べて歩く男がいて、ほいほいと財布の紐を緩めていた。
 名も知らない寺院もたくさんあり、細長い線香を持って参拝する人たちもいる。
 
 そんな賑やかな大通りを抜けた先に門があった。旅人や商人など、数多くの人が門番の査定を受けて出入りしている。

「この門は、町を守るために作られたものだ。昔ここは、仙道たちがたくさんいたそうだ。妖怪の襲撃に幾度となく遭遇し、結果として、この門が建てられと聞く」

 古い文献を漁っても、それ以上のことは出てこなかった。留 王龍ル ワンロンは知的好奇心を隠すことなく、細々と語る。

「……ふーん。あっ、ということは、この國には仙人たちがいたってことになるよかな? 今は?」

「ふっ。さてな。今もどこかで、潜んでいるのやもしれぬが」

 隣に座る冋 花月ケイ ホワユエの肩を抱きよせた。そうこうしていると、彼らが門を通る番が回ってくる。
 門番は留 王龍ル ワンロンの姿を見るなり、背筋を伸ばして「陛下、行ってらっしゃいませ」と、拱手した。近くで仕事をしている他の兵たち、官僚の者たちまでもが、留 王龍ル ワンロン小兎シャオトゥへ敬意を払う。

 ──そういえば、僕らが乗る馬車。これを守るように、前後にいくつもの馬車が走っているな。もしかして、大所帯で行かなければならいところなのかな?

「……ねえ留然ルラン、どこに向かっているの? 町でお散歩……ってわけじゃあ、ないよね?」

 振り向いた先にあるのは、後宮が見えた。けれど、どんどん小さくなっていく。

「あっ、 瑶容イャォロンだ」

 ふと、後方の馬車に、侍女でもある 瑶容イャォロンの姿を発見した。窓から顔を出して、冋 花月ケイ ホワユエに手をふっている。
 冋 花月ケイ ホワユエは笑顔でふり返し、席へと戻った。

「町から出るってことは、それ相応の何かがあるんだよね?」

 隣に座る留 王龍ル ワンロンを凝視する。
 彼は冋 花月ケイ ホワユエの手を易しく握ってきた。

「どう、伝ええるべきか。少し悩むな……」

 罰が悪そうに頬を掻く。すぐに真剣な面持ちになり、冋 花月ケイ ホワユエを見つめた。

「三日後、香港で、とある國の王を出迎えることになっている」

「香港って……ここから、かなり離れてるよね? 馬車でも二日ぐらいかかるって、聞いたことあるけど」

「ああ、そのとおりだ。念のため、余裕をもって一日早く着くようにはしている」

 着いたら話そう。彼は、少しだけ困ったように眉をよせた。
 そして両目を瞑り、冋 花月ケイ ホワユエの膝に頭を乗せる。びっくりした冋 花月ケイ ホワユエは、彼にどうしたのと尋ねた。けれど……

「……」

 疲れが溜まっているのだろうか。ものの数秒で、留 王龍ル ワンロンは眠りについてしまう。
 彼のきれいな髪の毛を弄ってみれば、けっこうふわふとしていた。サラサラとした髪の毛は、毛艶のいい大きな犬っぽさがある。寝顔には二十歳にも満たない、年相応のかわいらしさがあった。
 
「……まあ、いいか」
 
 ──僕は心が広いからね。膝枕ぐらい、いくつでも貸してあげよう。男の膝だから固いとは思うけど……

 ふふっと、見る人がいない馬車の中で、静かに微笑んだ。

 □ □ □ ■ ■ ■

 日が落ちきる前に、彼らは関所に到着した。本来なら夜営のはずだったのだが、留 王龍ル ワンロンが潔癖なまでに拒否してしまう。
  瑶容イャォロンや兵たちに苦笑いされながら、何とか中間地点の関所へたどり着いた。



「もう! 我が儘も、ほどほどにしなきゃ駄目じゃない!」

 冋 花月ケイ ホワユエ留 王龍ル ワンロンは関所の一部屋を宛がわれ、そこのショウに腰かける。
 留 王龍ル ワンロンは反省しているようで、しゅんってなっていた。あるはずのない犬耳が見えるぐらいには大人しく、小声で「すまない」と、謝罪を繰り返す。

「汚れるのが嫌だったの?」

 皇帝という立場だからか。それとも、もともと潔癖症なのか。それはわからないけれど、普段の易しい態度が嘘のように威圧的だった。有無を言わせないような圧をかけ、是が非でも関所まで進ませてしまった。

 ──強行突破するほどのことでもないだろうに……
 
 これには苦笑いと、あきれしか浮かばない。
 隣に腰かけている彼を見れば、左右の人差し指を合わせながらモジモジしている。

 ──いや。こんな大男がそれをやるのって、ちょっと引くよ。まあ僕がやっても、気持ち悪いだけだけど。

「言いたいことがあるならどうぞ?」


 冋 花月ケイ ホワユエの一言で、彼の表情は一気に明るくなる。顔を上げて、軽く頷いた。

「私は、野宿には慣れている。野良犬や野党など、そういった者たちの討伐をよくやるからな」

「え? そうなの!? じゃあ、何で?」

 予想外の答えに、冋 花月ケイ ホワユエの目は丸くなる。

 彼はスッ立ち上がり、冋 花月ケイ ホワユエに背を向けた。花形の飾り窓を凝視しながら、逞しい指先で縁をなぞっていく。
 長くてきれいな黒髪を揺らし、ふり向いた。

「……君が、寒いのが苦手と言っていたから」

「え?」

 彼の細くて切れ長の瞳は、ふわっと易しさを帯びていく。無表情に近かった唇は柔らかい微笑みを浮かべていた。
 驚いている冋 花月ケイ ホワユエの前に立ち、膝を曲げる。冋 花月ケイ ホワユエの手をそっと取り、骨太な指で撫でた。

小兎シャオトゥは、寒いのが苦手なのだろう? この國の冬は、昼間は暖かい。けれど夜から朝方にかけては、かなり冷える。そんな気温が低い外に、か弱い小兎シャオトゥを置けるはずがない」

「……」

 ここ最近の留 王龍ル ワンロンは前のように冷酷無比なままではなく、他者を思う気持ちを出した政治を始めてる。易しくなったという噂も流れてきていた。

 ──そんな彼が……易しい瞳を捨ててまで、暴君のようにふる舞ってしまう。それは、僕のことを思ってのことだったなんて……
 
「風邪をひいて苦しむ小兎シャオトゥの姿を、私は見たくないのだ」

「……っ!?」

 すべては愛する婚約者のため。冋 花月ケイ ホワユエだけのために、彼は自分が得た信頼を捨てた。

「そ、そんなことをされてしまったら、文句なんか言えなくなるじゃない」

 胸の奥が、カッと熱くなる。鼓動も早くなり、自分の体なのに上手く制御できなくなってしまった。
 留 王龍ル ワンロンの易しい瞳と心に絆され、冋 花月ケイ ホワユエ……

 不思議なほどの、心地よさを覚えていった。
 
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