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わたくしたちを乗せた馬車は静かに夜道を走り続けた。
殿下はお話の合間、合間にわたくしの額や頬にキスの雨を降らせる。
その行為のせいなのか、殿下の昔話のせいなのか、はたまたその両方か、わたくしは顔を真っ赤にして殿下の腕にしがみ付いていた。

「あの時の『ご令嬢』が殿下だったなんて…」
「ほら、また忘れてる。今度殿下と呼んだら、レミティから口付けを貰おうかな」
「そんなことっ!…っ……そんなはしたないこと、わたくしには出来ません…!」
「ふふふ。レミティにも出来ないことがあるんだね。それじゃあ出来ないことを克服するためにも、僕とたくさん練習しなくちゃね?」
「…ハルト様がこんなに意地悪だったなんて、今まで気付きませんでしたわ……」
「ごめんね?理想の王子様像を壊してしまったかな?」
「……いえ、今日、あの場に登場したハルト様は、本当に王子様そのものでしたわ。わたくし、本当は倒れてしまいそうなくらいに怖くて、悲しくて、情けなくて…。こんな風にわたくしを連れ去ってくれたハルト様は、間違いなくわたくしの王子様です」

あんなに大勢の前で婚約破棄の断罪を受けるなんて、わたくしでも酷く心を痛めることだった。
それでも侯爵令嬢として、ひいては未来の公爵夫人として、倒れるわけにはいかない。人前で涙を流すことも出来ない。動揺してもダメ。ましてやヒステリックに相手を非難するなんて言語道断。
あの場でわたくしに赦された行為は、ただ悠然と冷静に貴族令嬢としての素養を持って受け答えをするだけ。
政略結婚で恋慕の情はなかったとしても、幼い頃からの仲であるグレゴリオに酷い言葉で詰られても、わたくしは悲しむことも許されなかった。
それが情けなくて、情けなくてどうしようもなかったのだ。
ラミア男爵令嬢のように男性に甘えるのが上手ければ、あの場で糾弾される事態にはならなかったのだろうか。

「すまないね、本当はもっと早くあの場を収めたかった。けれど、誓約破棄状の条件が揃うことを優先してしまったんだ。あの男からの婚約破棄通告があった事実を、多くの証人の前で成さなければいけなかったから…。それが君を傷付ける結果になったとしても、どうしても君とあの男との婚約期間を『無効』にしたかった」
「ハルト様…」
「醜いよね?君が絡むと僕は手が付けられない怪物になってしまうんだ。昔から言うだろう、怒りの赤、憂鬱の蒼、そして嫉妬の緑…。僕の瞳の色は、嫉妬にかられる怪物の色さ」
「…ハルト様、そんな…」
「本来なら君の婚約者は僕だったのに、遊学を終えて帰国したときには君の家の事業は傾いていて、ずる賢い公爵の策略で君はあの男と婚約を結んでいた。まだ第二王子としての力も盤石ではなかったから、君を迎えるまでこんなに時間がかかってしまった…。本当にごめん」

わたくしに深々と頭を下げる殿下は、心の底からわたくしに懺悔をしているようだった。
胸がきゅん、と音を立てる。

わたくしのことをこんなに欲してくださっているのだわ。
国中の誰からも愛されるこの方が、わたくしと他の男が婚約していた事実も許せないくらい、わたくしのことを愛してくださっている…。
あの場から攫ってくださっただけでも嬉しいのに、こんなに真摯な愛の囁きまで頂けるなんて、わたくしはなんて果報者なのでしょう。

「ハルト様、今のハルト様のお言葉で、わたくしの傷は癒えました。これからは、ハルト様のお役に立つため、精進して参ります。至らないわたくしですが、どうぞよろしくお願い致します」

ペコリと頭を下げると殿下の柔らかな唇がわたくしの頭に降ってくる。
ハッと顔を上げると、艶めいた微笑を浮かべる殿下と目が合った。

「これからは、君が嫌と言うほど傍にいるよ。王族に嫁ぐ者として望まれることは多い。けれど、僕のレミティならきっと乗り越えられると信じている。僕の隣で、僕の行いをしっかり見張っていてくれ」
「…えぇ、きっと、乗り越えますわ。そして、第二王子のハルト様をしっかりと支えて参ります」
「それでこそ僕のレミティだ。君の気高さは僕の誉れだ」

ゆっくりと近付いて来た殿下の唇を今のわたくしには避ける必要がない。
当たり前のように受け入れて、その感触を味わう。
そうこうしているうちに馬車はするりと停車した。

「残念、時間切れだ」

殿下が唇を離してため息交じりにそう呟く。

「まぁ、でも、今夜から時間はたっぷりあるのだし、何度でも君の唇を味わえるはずだね」
「っ!!」

悪戯な笑みを送られて、わたくしはどう答えたら良いのか分からなくなった。
しかし殿下は言葉を続ける。

「…あのずる賢い公爵家と、ついでに傲慢な男爵家に痛い目を見せる策略でも練りながら、レミティとの仲を深めるとしようかな」

そう言った殿下の目は、月明かりに照らされて鈍く光った。

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