4 / 35
4
しおりを挟む
「君はもう僕のものだよ、レミティ。そこの元婚約者の不始末に、君が代わりに頭を下げる必要はない」
殿下の鋭いグリーンアイは、しなだれかかる男爵令嬢をいやらしい手付きで介抱するグレゴリオに向けられている。
ダンスホールで成り行きを見守っている貴族たちも、公爵家長男のあまりの不出来さに暗く囁き合っていた。
「しかし、婚約は家同士での誓約でございます。この場で一方的に通告されたとしても両家の承諾がない限り、わたくしは…」
「その両家の承諾は僕が持っているよ」
そう言うと殿下は胸元から用紙を取り出す。
それは、わたくしの侯爵家の家紋と、グレゴリオの公爵家の家紋が入った誓約破棄書だった。
「そこの元婚約者が訴状を読み上げる以前から、君は公爵家の婚約者でも何でもなかったんだよ、レミティ」
「…わたくしは、公爵夫人となるために、あれだけの時間を費やしましたのに……」
あまりのことに呆然としてしまう。
わたくしのあの努力は、なんだったのでしょう…。
「可愛げがなくなるくらい、必死でお勉強なさったのに、ほぉんとに、可哀そうなレミエット様♡」
「こらこら、ラミア。本当のことを言ってはダメじゃないか。余計に惨めになるだろう?」
きゃははは、とお互いの顔を見合わせながら笑い合う二人がいっそのこと羨ましい。
彼らのように何も考えず、他を顧みない生活がしてみたい。
自分のしでかした粗相にも、自分を揶揄する非難の目にも、自分の置かれた立場にも…
そのいずれにも気付かない愚鈍な心がいっそのこと清々しい。
「レミティ…。君は公爵夫人に収まる器じゃない。君に相応しいのは僕の隣だけだよ」
「ラインハルト殿下…」
「誰よりも聡明で、思慮深いレミティにしか、僕の背中を託せない。僕は僕の背中に隠れて安穏と生きるだけの令嬢は要らない。僕の背中を一人で追って来れるだけの実力がないと、僕の愛は捧げられない」
そう言いながら、殿下はわたくしの手首にその熱い唇を押し付けて来る。
手首へのキスは、その恋慕の深さを表す…。
「お前が欲しい」と言われているようで、わたくしの心臓が早鐘を打つのを止められない。
殿下の双眼に宿るエメラルドのような煌めきは、慈しみ深くわたくしを包み込むようだった。
「僕と結婚してくれるね?レミティ」
そう言って、ラインハルト殿下はもう一度わたくしの手首にキスを落とした。
わたくしの呼吸が胸の律動と一緒に早くなる。
新緑の瞳に囚われたわたくしは、瞬きも出来ずに鼓動を抑えるために背筋を丸めた。
「いけませんわ、ラインハルト殿下…。わたくしは、婚約破棄を言い渡された身、そんな令嬢を娶るなんて殿下の名に傷が付きます」
いまだ殿下の口元に捕らえられた手を、そっと引き抜こうと力をこめる。
しかし、殿下の腕がそれを許さない。
わたくしは逆にラインハルト殿下の腕に引かれ、その胸に飛び込むようにして抱き締められた。
「で…殿下…!御戯れを…」
「君を迎え入れるこの時を、僕はどれだけ待ちわびたことか…。もう離さないよ、僕のレミティ」
「…っ!」
殿下はそのままわたくしの唇を奪う。
瞬く間の出来事に、わたくしは近付く殿下の瞳を見つめたまま、初めての感触を受け入れた。
「これを婚約の儀と代え、お二人のご婚約が成されたことを証明いたします」
いつの間にかわたくしたちの傍に殿下の補佐官が立っていて、殿下とわたくしの婚約宣言を高らかに述べる。
一呼吸を置いて、ダンスホールに集まる夜会の招待客たちから、割れんばかりの拍手を送られた。
「…!殿下!!その性悪女を正室に迎えるなど正気の沙汰ではございません!!!」
「そうですよぉ!ラインハルト様もレミエット様に虐められちゃいますよぉ」
歓声に答えるように、わたくしの腰を抱くのとは逆の手をダンスホールの面前に振る殿下が、ピクリと眉根を動かす。
わたくしを強く抱き留めたまま、ラインハルト殿下は恭しく口を開いた。
「…お前たちは先ほどから何を言っている?性悪女?それは誰のことを言っているのだ?まさか、私の婚約者ではあるまいな?」
わたくしに語り掛けていたのとは全く別の声色で、喚き散らす二人を静かに制す。
二人を冷たくねめつけるそのグリーンアイは、底冷えするほどに美しかった。
殿下の鋭いグリーンアイは、しなだれかかる男爵令嬢をいやらしい手付きで介抱するグレゴリオに向けられている。
ダンスホールで成り行きを見守っている貴族たちも、公爵家長男のあまりの不出来さに暗く囁き合っていた。
「しかし、婚約は家同士での誓約でございます。この場で一方的に通告されたとしても両家の承諾がない限り、わたくしは…」
「その両家の承諾は僕が持っているよ」
そう言うと殿下は胸元から用紙を取り出す。
それは、わたくしの侯爵家の家紋と、グレゴリオの公爵家の家紋が入った誓約破棄書だった。
「そこの元婚約者が訴状を読み上げる以前から、君は公爵家の婚約者でも何でもなかったんだよ、レミティ」
「…わたくしは、公爵夫人となるために、あれだけの時間を費やしましたのに……」
あまりのことに呆然としてしまう。
わたくしのあの努力は、なんだったのでしょう…。
「可愛げがなくなるくらい、必死でお勉強なさったのに、ほぉんとに、可哀そうなレミエット様♡」
「こらこら、ラミア。本当のことを言ってはダメじゃないか。余計に惨めになるだろう?」
きゃははは、とお互いの顔を見合わせながら笑い合う二人がいっそのこと羨ましい。
彼らのように何も考えず、他を顧みない生活がしてみたい。
自分のしでかした粗相にも、自分を揶揄する非難の目にも、自分の置かれた立場にも…
そのいずれにも気付かない愚鈍な心がいっそのこと清々しい。
「レミティ…。君は公爵夫人に収まる器じゃない。君に相応しいのは僕の隣だけだよ」
「ラインハルト殿下…」
「誰よりも聡明で、思慮深いレミティにしか、僕の背中を託せない。僕は僕の背中に隠れて安穏と生きるだけの令嬢は要らない。僕の背中を一人で追って来れるだけの実力がないと、僕の愛は捧げられない」
そう言いながら、殿下はわたくしの手首にその熱い唇を押し付けて来る。
手首へのキスは、その恋慕の深さを表す…。
「お前が欲しい」と言われているようで、わたくしの心臓が早鐘を打つのを止められない。
殿下の双眼に宿るエメラルドのような煌めきは、慈しみ深くわたくしを包み込むようだった。
「僕と結婚してくれるね?レミティ」
そう言って、ラインハルト殿下はもう一度わたくしの手首にキスを落とした。
わたくしの呼吸が胸の律動と一緒に早くなる。
新緑の瞳に囚われたわたくしは、瞬きも出来ずに鼓動を抑えるために背筋を丸めた。
「いけませんわ、ラインハルト殿下…。わたくしは、婚約破棄を言い渡された身、そんな令嬢を娶るなんて殿下の名に傷が付きます」
いまだ殿下の口元に捕らえられた手を、そっと引き抜こうと力をこめる。
しかし、殿下の腕がそれを許さない。
わたくしは逆にラインハルト殿下の腕に引かれ、その胸に飛び込むようにして抱き締められた。
「で…殿下…!御戯れを…」
「君を迎え入れるこの時を、僕はどれだけ待ちわびたことか…。もう離さないよ、僕のレミティ」
「…っ!」
殿下はそのままわたくしの唇を奪う。
瞬く間の出来事に、わたくしは近付く殿下の瞳を見つめたまま、初めての感触を受け入れた。
「これを婚約の儀と代え、お二人のご婚約が成されたことを証明いたします」
いつの間にかわたくしたちの傍に殿下の補佐官が立っていて、殿下とわたくしの婚約宣言を高らかに述べる。
一呼吸を置いて、ダンスホールに集まる夜会の招待客たちから、割れんばかりの拍手を送られた。
「…!殿下!!その性悪女を正室に迎えるなど正気の沙汰ではございません!!!」
「そうですよぉ!ラインハルト様もレミエット様に虐められちゃいますよぉ」
歓声に答えるように、わたくしの腰を抱くのとは逆の手をダンスホールの面前に振る殿下が、ピクリと眉根を動かす。
わたくしを強く抱き留めたまま、ラインハルト殿下は恭しく口を開いた。
「…お前たちは先ほどから何を言っている?性悪女?それは誰のことを言っているのだ?まさか、私の婚約者ではあるまいな?」
わたくしに語り掛けていたのとは全く別の声色で、喚き散らす二人を静かに制す。
二人を冷たくねめつけるそのグリーンアイは、底冷えするほどに美しかった。
0
お気に入りに追加
1,005
あなたにおすすめの小説
【完結】思い込みの激しい方ですね
仲村 嘉高
恋愛
私の婚約者は、なぜか私を「貧乏人」と言います。
私は子爵家で、彼は伯爵家なので、爵位は彼の家の方が上ですが、商売だけに限れば、彼の家はうちの子会社的取引相手です。
家の方針で清廉な生活を心掛けているからでしょうか?
タウンハウスが小さいからでしょうか?
うちの領地のカントリーハウスを、彼は見た事ありません。
それどころか、「田舎なんて行ってもつまらない」と領地に来た事もありません。
この方、大丈夫なのでしょうか?
※HOT最高4位!ありがとうございます!
【完結】君の世界に僕はいない…
春野オカリナ
恋愛
アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。
それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。
薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
【完結】無能に何か用ですか?
凛 伊緒
恋愛
「お前との婚約を破棄するッ!我が国の未来に、無能な王妃は不要だ!」
とある日のパーティーにて……
セイラン王国王太子ヴィアルス・ディア・セイランは、婚約者のレイシア・ユシェナート侯爵令嬢に向かってそう言い放った。
隣にはレイシアの妹ミフェラが、哀れみの目を向けている。
だがレイシアはヴィアルスには見えない角度にて笑みを浮かべていた。
ヴィアルスとミフェラの行動は、全てレイシアの思惑通りの行動に過ぎなかったのだ……
主人公レイシアが、自身を貶めてきた人々にざまぁする物語──
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
今夜で忘れる。
豆狸
恋愛
「……今夜で忘れます」
そう言って、私はジョアキン殿下を見つめました。
黄金の髪に緑色の瞳、鼻筋の通った端正な顔を持つ、我がソアレス王国の第二王子。大陸最大の図書館がそびえる学術都市として名高いソアレスの王都にある大学を卒業するまでは、侯爵令嬢の私の婚約者だった方です。
今はお互いに別の方と婚約しています。
「忘れると誓います。ですから、幼いころからの想いに決着をつけるため、どうか私にジョアキン殿下との一夜をくださいませ」
なろう様でも公開中です。
一体だれが悪いのか?それはわたしと言いました
LIN
恋愛
ある日、国民を苦しめて来たという悪女が処刑された。身分を笠に着て、好き勝手にしてきた第一王子の婚約者だった。理不尽に虐げられることもなくなり、ようやく平和が戻ったのだと、人々は喜んだ。
その後、第一王子は自分を支えてくれる優しい聖女と呼ばれる女性と結ばれ、国王になった。二人の優秀な側近に支えられて、三人の子供達にも恵まれ、幸せしか無いはずだった。
しかし、息子である第一王子が嘗ての悪女のように不正に金を使って豪遊していると報告を受けた国王は、王族からの追放を決めた。命を取らない事が温情だった。
追放されて何もかもを失った元第一王子は、王都から離れた。そして、その時の出会いが、彼の人生を大きく変えていくことになる…
※いきなり処刑から始まりますのでご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる