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「君はもう僕のものだよ、レミティ。そこの元婚約者の不始末に、君が代わりに頭を下げる必要はない」

殿下の鋭いグリーンアイは、しなだれかかる男爵令嬢をいやらしい手付きで介抱するグレゴリオに向けられている。
ダンスホールで成り行きを見守っている貴族たちも、公爵家長男のあまりの不出来さに暗く囁き合っていた。

「しかし、婚約は家同士での誓約でございます。この場で一方的に通告されたとしても両家の承諾がない限り、わたくしは…」
「その両家の承諾は僕が持っているよ」

そう言うと殿下は胸元から用紙を取り出す。
それは、わたくしの侯爵家の家紋と、グレゴリオの公爵家の家紋が入った誓約破棄書だった。

「そこの元婚約者が訴状を読み上げる以前から、君は公爵家の婚約者でも何でもなかったんだよ、レミティ」
「…わたくしは、公爵夫人となるために、あれだけの時間を費やしましたのに……」

あまりのことに呆然としてしまう。
わたくしのあの努力は、なんだったのでしょう…。

「可愛げがなくなるくらい、必死でお勉強なさったのに、ほぉんとに、可哀そうなレミエット様♡」
「こらこら、ラミア。本当のことを言ってはダメじゃないか。余計に惨めになるだろう?」

きゃははは、とお互いの顔を見合わせながら笑い合う二人がいっそのこと羨ましい。
彼らのように何も考えず、他を顧みない生活がしてみたい。
自分のしでかした粗相にも、自分を揶揄やゆする非難の目にも、自分の置かれた立場にも…
そのいずれにも気付かない愚鈍ぐどんな心がいっそのこと清々しい。

「レミティ…。君は公爵夫人に収まる器じゃない。君に相応しいのは僕の隣だけだよ」
「ラインハルト殿下…」
「誰よりも聡明で、思慮深いレミティにしか、僕の背中を託せない。僕は僕の背中に隠れて安穏と生きるだけの令嬢は要らない。僕の背中を一人で追って来れるだけの実力がないと、僕の愛は捧げられない」

そう言いながら、殿下はわたくしの手首にその熱い唇を押し付けて来る。

手首へのキスは、その恋慕の深さを表す…。
「お前が欲しい」と言われているようで、わたくしの心臓が早鐘を打つのを止められない。
殿下の双眼に宿るエメラルドのような煌めきは、慈しみ深くわたくしを包み込むようだった。

「僕と結婚してくれるね?レミティ」

そう言って、ラインハルト殿下はもう一度わたくしの手首にキスを落とした。
わたくしの呼吸が胸の律動と一緒に早くなる。
新緑の瞳に囚われたわたくしは、瞬きも出来ずに鼓動を抑えるために背筋を丸めた。

「いけませんわ、ラインハルト殿下…。わたくしは、婚約破棄を言い渡された身、そんな令嬢を娶るなんて殿下の名に傷が付きます」

いまだ殿下の口元に捕らえられた手を、そっと引き抜こうと力をこめる。
しかし、殿下の腕がそれを許さない。
わたくしは逆にラインハルト殿下の腕に引かれ、その胸に飛び込むようにして抱き締められた。

「で…殿下…!御戯れを…」
「君を迎え入れるこの時を、僕はどれだけ待ちわびたことか…。もう離さないよ、僕のレミティ」
「…っ!」

殿下はそのままわたくしの唇を奪う。
瞬く間の出来事に、わたくしは近付く殿下の瞳を見つめたまま、初めての感触を受け入れた。

「これを婚約の儀と代え、お二人のご婚約が成されたことを証明いたします」

いつの間にかわたくしたちの傍に殿下の補佐官が立っていて、殿下とわたくしの婚約宣言を高らかに述べる。
一呼吸を置いて、ダンスホールに集まる夜会の招待客たちから、割れんばかりの拍手を送られた。

「…!殿下!!その性悪女を正室に迎えるなど正気の沙汰ではございません!!!」
「そうですよぉ!ラインハルト様もレミエット様に虐められちゃいますよぉ」

歓声に答えるように、わたくしの腰を抱くのとは逆の手をダンスホールの面前に振る殿下が、ピクリと眉根を動かす。
わたくしを強く抱き留めたまま、ラインハルト殿下は恭しく口を開いた。

「…お前たちは先ほどから何を言っている?性悪女?それは誰のことを言っているのだ?まさか、私の婚約者ではあるまいな?」

わたくしに語り掛けていたのとは全く別の声色で、喚き散らす二人を静かに制す。
二人を冷たくねめつけるそのグリーンアイは、底冷えするほどに美しかった。

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