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ドキドキ同棲編

雨とランチと幼馴染

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紫陽花の葉に次から次へと雫が落ちる。
今日も雨、明日も雨。
毎年のことながら、梅雨明けが待ち遠しくて仕方がない。
けれど、とも思う。
梅雨が明けると夏が来る。
夏が来たら、私はまた一つ歳をとる。
あいにくの天気模様だし、日曜日の昼下がりだし、隣に愛しの彼氏は居ないし…。
私の気持ちを上向けてくれる要素が一つもない。
どうにも憂鬱な感情を拭い切れないまま、私は歩き慣れた路地を傘を片手に進んだ。


チリン、チリーン


いつでも快適な温度で出迎えてくれる店内に一歩足を踏み入れると、夜とはまた違った雰囲気にホッと息を吐く。

「おや、いらっしゃい。ランチは久しぶりだね、希帆ちゃん」

私が入店する前にすれ違いで出たカップルの残したものだろうカップを下げながら、幼馴染でこの店の主人マスターである三富ミトミくんが優しく出迎えてくれる。
私は指定席であるカウンターの奥から2番目に座り、「ほんと、久しぶりだぁ」と声を上げた。
週末のみランチ営業する三富くんのお店に、基本的に土日に営業行脚をさせられる私が来たのは何カ月前だろう。
ここ最近の土日休みは全て大輔くんとのデートにあてていたし、大輔くんとお休みが被った日に限って三富くんがランチ営業を休んでしまうものだからタイミングが合わなかった。

「今日はどうしたの?」

この質問には『会社は休みなの?』と『大輔くんは一緒じゃないの?』の二つの疑問が含まれているはずだ。
私は三富くんがお冷を注いでくれるのを眺めながら答える。

「弊社、そろそろ本格的に倒産の危機かも。社長に突然『全員休め!』って言われちゃってさ…。ま、表向きはシステムの入れ替えだかなんだかになってるけど…。私たち営業には社内システムが入れ替わるからって関係ないし…」
「おやおや、それは穏やかじゃないね」
「そ。前々から噂にはなってたけど、どうなることやら…。大輔くんは予定があるらしくって朝から出掛けちゃった。てゆか、最近忙しそうなんだよねぇ」
「そっか。忘れそうになるけど彼も学生だから色々と付き合いがあるんだろうね」
「ん。私ばっかりに構ってないで、学生の内にしか出来ないこともして欲しいからさ。…まぁ、さ?今日、ようやく三富くんのたまごサンド一緒に食べれる~!って思った分、ちょびっと寂しいけど」

ランチ限定のたまごサンドは、三富くんオリジナルの一品で、卵好きな私垂涎のものだ。
燻製玉子が良いアクセントになっていて、ペロリと食べてしまえるから恐ろしい。

「お土産に持って帰れば良いじゃん。大輔くんのことだから、急いで用事を終わらせて、帰ったら希帆ちゃんが嫌ってくらい構ってくれるんじゃない?」
「…ん。じゃあ、たまごサンド持ち帰りで2つ……」
「かしこまりました。ランチは食べてく?それとも飲み物だけ?」
「ん~。久々だし、ローストビーフ丼食べる!」

私の元気の良いオーダーに、三富くんは眼鏡を人差し指で上げる仕草で答える。
スマフォの画面を確かめると13時45分と表示された。
ランチ営業は14時までだからか、店内には私しか居ない。
幼馴染と言う立場に甘えて、こんなギリギリの時間に滑り込む自分の行いを反省しながら、穏やかな時間を楽しむ。
三富くんがキッチンで奏でるカチャカチャと言う食器の音と、夜とは違う曲調のJAZZ、雨のせいで陽射しを感じることは出来ないけれど、時折窓にあたる雨音が小気味良い。
外を一人歩いていた時は、傘を打つ雨音が邪魔臭くて仕方なかったのに、誰かと過ごす雨の日は悪くないものだと思えてしまう。

「でも意外だったな」

カトラリーBOXとスープを持って三富くんがカウンターに戻って来る。
今日はじゃが芋の冷製ポタージュだ。
雨で湿った空気が纏わりついて少し汗ばんでいたので嬉しい。
優雅な手さばきで私の手元に音も立てずに配膳しながら、三富くんが口を開いた。

「昔の希帆ちゃんなら、彼氏が自分を置いて朝から出掛けようものなら『浮気?浮気でしょ?アンタ殺して、私も死ぬーーーー!』くらいは言ってそうだもん」

意地悪そうな顔をする三富くんは、私のジト目などお構いなしに言葉を続ける。

「彼氏がいくら否定したって追いかけて、追いかけて…。結局それが原因で破局したりしてたよね。それを考えたら今の希帆ちゃんは随分と落ち着いたもんだよ。歳を取るって、悪い事ばっかりじゃないのかもね」

言いたいことだけ言って、三富くんはキッチンに引っ込んで行った。
反論してやろうと思ったが、以前の私を思い返すと何も言えなくなってしまう。
事実、私の過去を遡ると、三富くんが言った通りのセリフを何度か口にしたことがある。
そして、それが原因で当時の彼に別れを告げられたこともある。
当時の私は自分の彼氏の言うことも信じていなかったのだ。
私を好きだと言う彼らの言葉を信じられなかった。
だから縛って、繋いで、私だけのものにしようとしていた。
結局、そんな私に愛想を尽かした彼らは私の前から去って行ったのだ。
私は怖かった。
自分の傍に居てくれるはずの『恋人』と言う存在が私の元から消えてしまうのが怖かった。
それに小さい頃の刷り込みと言うのだろうか、実の母親の呪詛によって『結婚』に対して変なプレッシャーがあったのだろう。
成人前から付き合う彼、付き合う彼みんなに『結婚しようね!』と迫っていた。
押し掛け女房よろしく強引に半同棲を始めたこともあった。
今考えると元カレたちには悪いことをしたものだ。
妻帯者だったり、お金目当てだったり、酷い男も多かったけれど、それでも何人かは私を本当に好きでいてくれた。
私が、それを信じられなかったんだ。
じゃあ、今は?
どうしてこんなに穏やかな気持ちで居れるんだろう。
やっぱり、私が疑念を持つ隙を与えないほど、大輔くんが満たしてくれているからに他ならない。
うん。私は大輔くんの言葉だけ信じよう。
胸の中の重苦しい猜疑心を、溜息として放出する。
少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
スープを可愛らしいスプーンで掬って胃に収めると、更に気持ちが和らいだ。
もう一口、もう二口…、と食べ進めていると、トレーを抱えた三富くんがキッチンから姿を現す。

「そう言えば、最近あの人が良く店に来るよ」

幼馴染の口にした『あの人』と言う言葉に私は手を止めた。
まさか、あの美女のこと…?
体外に放り投げたはずの黒い感情が、再びズシリと胸に巣食う。
窓を打つ粒の音がやけに大きく感じた。
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