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よそよそしい家
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中本氏と別れてから、またのろのろと坂道を上る。そろそろ息も切れようかというところで、ようやく見慣れた家が見えてきた。裏山にそびえる桜の巨木。
重厚といえば聞こえがいいが、 古めかしく重い門扉を押し開けると、ぎしぎしと錆付いたような音がした。
薄暗い玄関の片隅に、引きずってきたトランクを置く。四年ぶりの実家だというのに、どこかよそよそしい。
「ただいま。帰ったわよ」
声をあげると、廊下の奥から軽い足音。
「遅かったじゃない、待ってたのよ」
軽く拗ねながらも笑顔を見せたのは私とそっくりの顔の年配の女性だ。
「もう、母さんったら。私、三時の列車で帰るって言ったよね?」
「そう? その割に遅かったじゃない、もう四時近いわよ」
軽く首を傾げながらあっけらかんと言い放つその表情は、言葉の割にはそっけない。
……やっぱり帰って来るんじゃなかった。
そんな後悔は胸に押し込めて、わざと拗ねた表情を作ってみせた。
「仕方ないでしょ、荷物が重かったのよ 。駅からの坂道、大変だったんだから」
歓迎されないのはわかっていた。こんなことでいちいち傷ついたりなんてするもんか。それでも声に出来なかった言葉たちが、胸の中に澱のように溜まっていく。
「あら、東京にいる間に随分と体がなまったのね。運動不足じゃない?」
「余計なお世話よ。遠路はるばる久々に帰ってきたんだから、迎えに来てくれても良かったのに」
からかうように笑う母。それでも目は笑っていないことに、私は気が付いている。
「あら、拗ねてるの? もう大学も卒業したっていうのに、まだまだ子供ね」
「なによ、私だって来月からは先生なんですからね」
「そう言えば、美幸ちゃんが産休に入るんだっけ?」
「そうなのよ。それで私にお鉢が回ってきたわけ」
「何言ってんの。採用試験に落ちて凹んでる時に美幸ちゃんが声掛けてくれたんでしょ」
美幸は母方の従姉で、七年前から地元の小学校で教師として働いている。
去年めでたく結婚し、順調に子宝も授かった。今年の五月に出産予定。
なかなか産休中に教鞭をとる講師が見つからず、東京都の教職員採用試験に不合格となった私に声をかけてきた。
「それはそうだけど」
本当は東京か埼玉あたりで働きたかった。いや、他県でもいい。
非常勤講師なら、どこの自治体でも募集している。この町に帰らないで済むならば、どこでだって構わなかった。
そんな本音を黙って飲み干しても、母には何か感じるところがあるのだろう。
「あんたって子は……そんなに帰って来るのが嫌だったの?」
「そんなつもりは……」
「いいのよ、誤魔化さなくって。あんた、お兄ちゃんの命日にも顔を出さないじゃない」
ため息とともに吐き出された言葉が私を責める。
兄の命日は三月末。兄が小三、私が小一の春休みだった。
桜の花の散る頃に行方不明となった兄は、数日後、町から五キロほど離れた河川敷で変わり果てた姿で発見されたのだ。
一人で川で遊んでいて足を滑らせたのだろう。そう言われている。
あまりに幼かった私は、兄の顔もろくに覚えていない。
「それは……年度の境目で忙しい時期だから、つい」
「それでも春休みでしょ。ちょっとくらい顔を出したって」
「ごめん。その、課題とかサークルが忙しくて」
本当は気まずくて帰れなかった。
顔も覚えていない兄を悼んで涙を流す大人たち。
――どうしてあんなにいい子が。
賢く愛らしかった兄を悼む彼らの視線は、いつも私を責めているように感じられた。
――どうしてお前じゃなかったんだ? 出来の良いあの子が死んだのに、出来損ないのお前が何故のうのうと生きている?
そんな声なき声がまとわりついて、どこにも居場所なんて見つからなかったのだ。
兄の面影が残るこの町では。
「誤魔化さなくていいって言ったでしょ。今日だって、本当に帰って来るとは思えなかったわ」
「それで迎えに来なかったんだ」
やはり歓迎されていない。その事実が改めて心にずしりとのしかかる。
覚悟はしていたつもりなのに、自然と顔がうつむいてしまった。
「まぁ、いいわ。こうやって帰ってきたんですもの。しばらくのんびりしなさい」
「そういうわけにはいかないわ。卒業式が終わってすぐ帰って来たけど、すぐに新年度ですもの。明日には学校に行ってご挨拶しなくっちゃ」
「あらあら、一人前の先生みたい」
「当然よ、生徒にとっては新米かどうかなんて関係ないもの。それより荷物片付けて来る」
「ええ。部屋はそのままにしてあるわよ」
母のからかいには作り笑いで答え、重いトランクを持ち上げて階段を上った。
重厚といえば聞こえがいいが、 古めかしく重い門扉を押し開けると、ぎしぎしと錆付いたような音がした。
薄暗い玄関の片隅に、引きずってきたトランクを置く。四年ぶりの実家だというのに、どこかよそよそしい。
「ただいま。帰ったわよ」
声をあげると、廊下の奥から軽い足音。
「遅かったじゃない、待ってたのよ」
軽く拗ねながらも笑顔を見せたのは私とそっくりの顔の年配の女性だ。
「もう、母さんったら。私、三時の列車で帰るって言ったよね?」
「そう? その割に遅かったじゃない、もう四時近いわよ」
軽く首を傾げながらあっけらかんと言い放つその表情は、言葉の割にはそっけない。
……やっぱり帰って来るんじゃなかった。
そんな後悔は胸に押し込めて、わざと拗ねた表情を作ってみせた。
「仕方ないでしょ、荷物が重かったのよ 。駅からの坂道、大変だったんだから」
歓迎されないのはわかっていた。こんなことでいちいち傷ついたりなんてするもんか。それでも声に出来なかった言葉たちが、胸の中に澱のように溜まっていく。
「あら、東京にいる間に随分と体がなまったのね。運動不足じゃない?」
「余計なお世話よ。遠路はるばる久々に帰ってきたんだから、迎えに来てくれても良かったのに」
からかうように笑う母。それでも目は笑っていないことに、私は気が付いている。
「あら、拗ねてるの? もう大学も卒業したっていうのに、まだまだ子供ね」
「なによ、私だって来月からは先生なんですからね」
「そう言えば、美幸ちゃんが産休に入るんだっけ?」
「そうなのよ。それで私にお鉢が回ってきたわけ」
「何言ってんの。採用試験に落ちて凹んでる時に美幸ちゃんが声掛けてくれたんでしょ」
美幸は母方の従姉で、七年前から地元の小学校で教師として働いている。
去年めでたく結婚し、順調に子宝も授かった。今年の五月に出産予定。
なかなか産休中に教鞭をとる講師が見つからず、東京都の教職員採用試験に不合格となった私に声をかけてきた。
「それはそうだけど」
本当は東京か埼玉あたりで働きたかった。いや、他県でもいい。
非常勤講師なら、どこの自治体でも募集している。この町に帰らないで済むならば、どこでだって構わなかった。
そんな本音を黙って飲み干しても、母には何か感じるところがあるのだろう。
「あんたって子は……そんなに帰って来るのが嫌だったの?」
「そんなつもりは……」
「いいのよ、誤魔化さなくって。あんた、お兄ちゃんの命日にも顔を出さないじゃない」
ため息とともに吐き出された言葉が私を責める。
兄の命日は三月末。兄が小三、私が小一の春休みだった。
桜の花の散る頃に行方不明となった兄は、数日後、町から五キロほど離れた河川敷で変わり果てた姿で発見されたのだ。
一人で川で遊んでいて足を滑らせたのだろう。そう言われている。
あまりに幼かった私は、兄の顔もろくに覚えていない。
「それは……年度の境目で忙しい時期だから、つい」
「それでも春休みでしょ。ちょっとくらい顔を出したって」
「ごめん。その、課題とかサークルが忙しくて」
本当は気まずくて帰れなかった。
顔も覚えていない兄を悼んで涙を流す大人たち。
――どうしてあんなにいい子が。
賢く愛らしかった兄を悼む彼らの視線は、いつも私を責めているように感じられた。
――どうしてお前じゃなかったんだ? 出来の良いあの子が死んだのに、出来損ないのお前が何故のうのうと生きている?
そんな声なき声がまとわりついて、どこにも居場所なんて見つからなかったのだ。
兄の面影が残るこの町では。
「誤魔化さなくていいって言ったでしょ。今日だって、本当に帰って来るとは思えなかったわ」
「それで迎えに来なかったんだ」
やはり歓迎されていない。その事実が改めて心にずしりとのしかかる。
覚悟はしていたつもりなのに、自然と顔がうつむいてしまった。
「まぁ、いいわ。こうやって帰ってきたんですもの。しばらくのんびりしなさい」
「そういうわけにはいかないわ。卒業式が終わってすぐ帰って来たけど、すぐに新年度ですもの。明日には学校に行ってご挨拶しなくっちゃ」
「あらあら、一人前の先生みたい」
「当然よ、生徒にとっては新米かどうかなんて関係ないもの。それより荷物片付けて来る」
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