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古都の追憶は夏空の彼方へ(学園入学前、ヴォーレ達が13歳の5~6月の出来事です)

本と買い食いと贈り物

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 しばらく本を選んでから待ち合わせにしていた閲覧席に向かうと、ヴィゴーレはすでに山のような本を机の上に積み上げてご満悦だった。

「見てみて、イヴ・スィーナの『医学概論』第六版だよ。こっちはリリーローズ・エテレクシィの『解剖の手引き』第七版。読んでみたいけど高くて手が出なかったんだよね」

 どうやら高価で貴重な医学書を前に興奮を隠せないようだ。
 瞳は陽光をはらんだようにキラキラと輝き、頬もバラ色に染まっている。
 他にも医学書や解剖学書はもちろん、軍学、地政学、経済学と、さまざまなジャンルの本がうずたかく積み上げられており、興味の赴くまま片端から持ってきたことがうかがえる。

「それ、演習に向かう前に全部読み切れるのか?」

「う……読むだけならともかく、全部頭に入れるのは無理かも……」

 つい指摘すると、少し目を泳がせながらも未練がましく本の山を見ている。

「せっかく王都にいるんだ。またすぐ来られるんだから読める分だけにしておけ。持ち歩くのも大変だろう」

「うん、そうだね」

 「また近いうちに一緒に来よう」と誘えば、曇りかけていた表情もまた元の明るさを取り戻した。

 以前はどうだったか知らないが、これからは学園中心の生活になるのだから、図書館にも頻繁に来られるようになる。
 焦って一度にすべて読もうとしなくても良いはずだ。

 二人で貸し出し手続きを済ませると、港近くの広場にあるバザールを冷やかすことにした。
 衣服や工芸品、港からあがったばかりの魚介類や近郊の村で採れた野菜など、雑多なものを扱っている。

 屋台では串焼きの肉や魚のフライ、パイやスープの類が売られていて、広場のあちこちにもうけられたベンチで食べられるようになっていた。
 そこかしこで食べ物のいいにおいがする。
 肉の焼けるにおいにこんがり揚がったフライのにおい、バターのきいたパイのにおい……

「ね、何か食べていかない?」

 くい、と袖を引かれて驚いた。庶民でごった返す屋台で買い食い?
 衛生的にも不安だし、何より貴族の子弟がはしたないのではなかろうか。

「ここの屋台、どれもとっても美味しいんだよ。ね、ちょうどお腹もすいてきたし食べていこうよ」

 大きな瞳を期待で輝かせ、わくわくと俺の返事を待っているヴィゴーレは、断られるとは微塵も思っていない様子だ。
 どうやらちょくちょく利用しているらしい。

「あれ? もしかしてこういうところで食べるの嫌だった?」

 なかなか返事がないのに焦れたのか、不思議そうに瞬いてかくん、と小首をかしげられた。上目遣いにじっと見つめられるとなぜかどぎまぎしてくる。

「あ、いや……慣れていないのでどうすれば良いか迷っていただけだ。何がおすすめなんだ?」

 キラキラした笑顔がみるみるうちに不安に曇っていくのを見ていられなくて、気が付くと俺は慌てて言い訳していた。

 買い食いがなんだ。父上だって、たまには領内の貧しいものたちと同じものを食べて彼らの暮らしを考えろとおっしゃってるではないか。
 王都のごく普通の労務者と同じことをして、彼らの暮らしの一端だけでも垣間見るのも良いだろう。

「えっとね、こっちの屋台のブレクチーズパイがほうれん草たっぷり入ってて美味しいんだ。あとあっちのサムサミートパイはスパイスが効いてて美味しいし」

「あそこのスープを売ってる屋台も良いにおいがするな。あれは?」

 笑顔を取り戻したヴィゴーレに引っ張られて屋台の立ち並ぶ中を行くうち、気になるものを見つけた。

「あ、あれはタルハナっていうヨーグルトベースのシチューだよ。ヨーグルトを小麦粉で練って作ったルゥと干したお野菜をじっくり煮込んで作るんだ。もともとは北部の遊牧民チュルカから伝わったお料理らしいよ」

「なるほど。チュルカと付き合いがない訳ではないが、彼らの食事は食べたことがないんだ。ちょっと試して」

 二人でベンチに並んで木の椀に盛ってもらったスープを飲む。
 爽やかな酸味と香味が夏の暑さにバテ気味の身体にしみわたる。あとからじんわりと広がる野菜のうま味も良い。

「美味い! 今日は暑くて少し食欲がなかったんだが、これならいくらでも入りそうだ」

「うん。ヨーグルトの酸味のおかげで身体がシャキッとするよね。スパイスも効いてて元気が出るし」

「野菜もいつも食べてるものと味わいが違うな。決して柔らかくはないんだが、旨味と甘みが濃い気がする」

「ああ、庶民は生野菜なんてそうそう手に入らないからね。トマトやパプリカは干して使うんだ。キノコやカボチャもね。日持ちもするし、旨味も凝縮されるから一石二鳥」

「なるほど、生野菜はいたむのも早いからな」

 いたみやすい食材を新鮮なまま生で食べられるのは貴族や富裕層の特権だ。
 一般庶民は採れたてをそのまま食べるのではなく、干して保存食にしているらしい。

「肉が入っていないのに腹にたまるな。むしろ脂っこくないから胃にもたれないし」

「ヨーグルトも豆も肉と同じように滋養があるからね。どちらも保存がきくし、真夏の食べ物がいたみやすい季節にも、冬の食べ物がとれない季節にもありがたいよね」

「これはいいな。家でもたまに作ってもらいたいくらいだ」

「ふふ、よっぽど気に入ったんだね。次に図書館に行く時もまた寄ろうよ」

「ああ、約束だ」

 結局、タルハナシチューはさらに二杯おかわりした。ヴィゴーレはその間にブレクチーズパイサムサミートパイを平らげ、食後のバクラヴァ蜂蜜クルミパイにかぶりついている。

「その身体によくそれだけ入るな」

「だって育ち盛りだし、お仕事がら身体は資本だし」

「食べ過ぎると太って身動き取れなくなるんじゃないのか?」

「食べた分、しっかり訓練して消費してるから平気だもん」

 ついからかうと、むぅ、と唇をとがらせて抗議してきたが、手にしたバクラヴァ蜂蜜クルミパイはきれいに平らげた。

 ひとしきり腹がふくれると、またざっとバザールを回った。
 とはいえ、庶民向けの市なのであまり高級なものはない。俺は使用人たちに差し入れるクラビエデスアーモンドクッキーをかご一杯買っただけだ。
 ヴィゴーレは色とりどりの組みひもを買い込んでいた。魔石を編み込んで護符を兼ねた飾りひもにするそうだ。
 ブレズに絡ませた飾り紐を見せてもらったが、ビーズを編み込んだ繊細な組みひもはそれだけでも美しく、彼が自作したと聞いて驚いた。

「すごいな、職人の作品だとばかり思っていた」

「頑張って作ったからそう言ってくれるとちょっと嬉しい。そうだ、コニーにも今度お守り作ってあげるね」

 忙しい彼にそこまでしてもらっては申し訳ないと遠慮したのだが、「今日送り迎えしてもらったからそのお礼」と言われては固辞するのも失礼にあたる。それに、本音を言えば彼が手ずから作った護符を身に着けるのは悪い気はしないはずだ。
 結局は言葉に甘えて時間のある時に作ってもらうことにした。

「お返しは何にしよう……」

 笑顔で手を振る彼を連隊本部の前で馬車から降ろし、タウンハウスに戻る道すがら、俺はひと月以上先の再会にもう思いを馳せていた。
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