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古都の追憶は夏空の彼方へ(学園入学前、ヴォーレ達が13歳の5~6月の出来事です)
四方山話と民族衣装(挿絵あり)
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二日後。
ヴィゴーレの仕事が休みだということで、さっそく出かけることにした。
約束の時間に迎えに行くと、山岳地帯の民族衣装を着て現れた。
白いゆったりとした麻のシャツと真っ白な綿のプリーツスカートの上に金糸刺繍が鮮やかな瑠璃色のショートベストを着こみ、赤地に黒と金の刺繍がほどこされた太めの帯を締めている。帯にはおととい渡したばかりの極東の短刀が刺さっていて、大切にしている様子がうかがえる。
いつもきっちりと三つ編みにしている髪を下ろし、サイドの髪だけを編み込んでベストとおそろいの瑠璃色のターバンでまとめた姿は、確かに我が国の伝統的な武人のいでたちではあるのだが……
「似合う? かっこいいでしょ」
弾むような足取りで駆け寄ってくると、実に嬉しそうにくるりと回って見せた。動きに合わせて真っ白なプリーツスカートがひらりとひるがえり、一緒にふわりと広がった深紅の髪が夏の陽射しにキラキラとルビーのように輝いている。
確かに大変よく似合う。実によく似合うのだが……
どこからどう見ても、かっこいいと言うよりは可愛らしい。いや、むしろ愛くるしいと言っても良さそうだ。
「フスタネーラは一人前の戦士にならないと着られないから、叙任したらこれ着てお出かけしたかったんだ」
「……一人前の戦士……」
ご満悦の当人にはきわめて申し訳ないのだが、子供が芝居の舞台で大人の装束を着ているようで、実に可愛らしく微笑ましくはあるが、間違っても屈強な戦士には見えない。
いや、むしろこの装束が男性のものだと知らない外国人が見たら、美少女が着飾っていると思うのではなかろうか。
「ちゃんと叙任も受けて、騎士爵もいただいたんだもの。もう一人前だよね? これでもうちの部隊でもけっこう強い方なんだよ?」
どうやら微妙な間が開いたのを彼の戦士としての資質に疑問を持っているのだと解釈したらしい。
ふっくらした頬をふくらませ、少しだけ口をとがらせて抗議してきたのだが……そんな拗ねた表情がますます愛らしく見えるだけだという事は、おそらく全く自覚していないだろう。
「いや、お前の実力はこの間よく分かった。近衛の皆さんが手を出しかねるような相手に、たった一人で全く引けをとっていなかったもんな。あれはすさまじかった……」
さすがに俺も馬鹿正直に「技量や態度ではなく容姿が戦士らしくない」などと言って怒らせたくはないので、慌ててフォローする。
彼が極めて優れた武人であることはよく理解しているつもりだし、そこに敬意を抱いているのも事実なので、そこは誤解されたくない。
ほとんど半円に近いような異様な形の彎曲剣は重心が安定しないので、熟達した剣士でも扱いが難しいと聞く。それを二刀流で自在にあやつるような怪物と大型ナイフひとつで渡り合ったのだ。
そんな使い手はシュチパリア全土を探してもそうそういないだろう。
「それにしても、あの時にフレベリャノが着ていたものと似たような衣装のはずなのに、全く印象が違うな」
奴はいかにも戦士らしい野趣あふれるいでたちで、とても俺たちと大差ない年齢には見えない貫禄があった。もっとも、野性味があふれすぎていて山賊にしか見えなかった気もするが。
身長も180センチ近くて大人顔負けの体格だった。
それに対して目の前のヴィゴーレはただひたすらに可愛らしい。
丸い頬と瞳が際立つ童顔も、小柄で引き締まりすぎて華奢に見える身体も、繊細で可憐な印象こそあれ、力強さや豪放さとは無縁である。
先日の獅子奮迅の戦いぶりなど微塵たりともうかがえない。
学者たちが言うには山間部での野戦に適しているからこそ発達した衣装だとの事だが……彼が着ているととてもそうは見えない。
「そりゃそうだよ。エルダでもフスタネーラは着るけど、丈は短いし上に着てるベストはつづれ織りで丈も長めだし、靴も先がすごく尖っててでっかい房飾りがついてるし……全然違うでしょ。シャツの形だって全然違うし」
一緒にされては困る、とばかりに頬を膨らませているが……違う、多分そこじゃない。
いや、長年いさかいのある隣国の文化との違いはことさらに強調したくなるのはわからなくもない。この衣装はそれぞれの社会で一人前の戦士として認められた者だけが着用を許される特別なものなので、武門の出であるヴィゴーレにとってはとても大切なこだわりなのだろう。
しかし、武人とは縁遠く、そういった衣装を着る環境に育っていない俺の目には、細かな素材や意匠の違いは当人たちほどには気にならない。むしろ言われなければ気が付かなかったかもしれない。
「ほら、このベストの刺繍、きれいでしょ。叙任の時に母上が刺してくださったんだよ。警邏の制服と同じ色のベルベットで仕立てたんだ」
にこにこと嬉しそうに見せてくるヴィゴーレは、早くに家を出てしまった分、肉親の情が感じられるこの衣装にとても強い思い入れがあるのだろう。
間違っても「ベストまできっちり着込んでて暑くないのか?」なんて訊いてはいけないし、「可愛い」と言ってもいけない気がする。
「ああ、素晴らしい刺繍だ」
「ほんと? かっこいい?」
「とてもよく似合っている。さあ、せっかくの休日だからゆっくりしたいだろう?早く行こう」
瞳を黄金のように輝かせた嬉しそうな顔に軽くうなずいてから、うちの馬車に一緒に乗るように促すと、またまた微妙な顔をされた。
「迎えに来てくれた馬車に一緒に乗るって、なんだかご令嬢みたいだね」
「一緒に乗っていけば中で話ができるだろう。というか、乗っていかないならどうやって行くつもりだったんだ?」
「えっと……徒歩か馬?」
「巡回の時はいつも徒歩だし」と当たり前のような顔をする彼を「いいからさっさと乗れ」と馬車に押し込んで出発した。
まったく、仮にも高位貴族の令息が街中を徒歩でうろつくとは。
やはり幼いころから軍にいるせいか、そのあたりの常識が俺たちとは少々違うようだ。
馬車に押し込んだ時には渋い顔をしていたヴィゴーレだが、座って話し始めるとまたうきうきと楽し気な顔になった。
このところ無理をして微笑んでいる哀しげな姿ばかり見ていた気がするが、本来は朗らかで人懐っこい奴なのかもしれない。
道中では北部の人々の暮らしについて教えてほしいとせがまれて、農地や放牧の様子、家の造りから日々の食事まで、さまざまなものに話題が及んだ。
「それじゃ、君の実家の方では粥にトウモロコシだけじゃなくて微塵麦を入れるの?」
「ああ、あっちでは粥を山羊乳のヨーグルトで煮るんだ。ほとんど味をつけずに作るから、俺はジャムか蜂蜜を混ぜて食べてる。よそではあまり見たことがないな」
好奇心旺盛な彼は俺の話に目を輝かせて聞き入りながら、気になることがあると次々に質問してくる。
一つ一つ答えていくたびにまた新しい疑問がわいてくるようで、話が尽きることがない。
「うん。僕もカストリオティ辺境伯領なら行ったことがあるけどそんな食べ方初めて聞いた。もっとも、ずっと師匠に同行していて現地の人とじかに話す機会がなかったから、あちらでも村の人は食べてるのかもしれないけど」
「どうだろう?微塵麦は基本的に家畜の餌だからな。粒が小さすぎて脱穀できないし、人間が食べてるのはうちの領地でも特に山の貧しい集落だけじゃないかと」
「そっか、あちらでもあまり一般的ではないんだね。コニーは高位貴族なのに、わざわざ貧しい人たちと同じものも食べるの? ちょっと意外」
大きな目を瞬かせて不思議そうに小首をかしげられた。よほど意外だったらしい。
「さすがに毎食ではないぞ。せいぜいが月に数回だ。やはり我々が様々な特権を与えられているのも、つきつめれば社会の秩序を守るためだろう? だったらその根幹である人々の暮らしを知らなければ」
「さすが、お父上が法相を務めておられるだけのことはあるね」
「ああ。法は社会秩序を守るためのものだからな。国のあり方、ひいては国民の暮らしの上に初めて成り立つものだと思っている。間違っても法のために国や国民が在るわけではない」
「それはその通りなんだけど……領内でも一番貧しい集落の人と同じものを食べるんでしょ? 高位貴族がそこまでするって話はあまり聞かないもの。領民に寄り添おうって気持ちがあるのはとても素敵なことだと思う」
ただの父の受け売りに、彼はしきりに感心してくれた。
キラキラと尊敬するような眼差しを真っすぐに向けられると、こそばゆくて仕方がない。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、きちんと寄り添えているかどうか。平野部にある暖かで頑丈な館でしか暮らしたことがないんだ。木の枝を積み上げて、それを漆喰で固めただけの土間の家で、暖炉の灰の中で身を寄せ合って眠ったりしているわけではないのに、たまに同じものを食べるだけで理解した気になってしまうのは傲慢だ」
学園入学を控えて大人ぶりたくて仕方のなかった俺は、今年の春に父の代官が領内を見回るときに同行させてもらったのだ。
そこで目にした人々の暮らしに目を疑った。
険しい山の斜面に張り付くようにして小枝を積み上げ漆喰で無理やり固めて上に石を並べただけの家とも呼べぬ掘っ立て小屋。雪の深い季節はろくに食べるものもなく、木の根や皮までもが貴重な食料となる。
冬には家の中にいても凍死する者が後を絶たないのだという。
父にならってごくたまに同じものを食べているだけで彼らの暮らしを理解した気になっていた俺は、あまりの貧しさに呆然とした。
賢しらに偉そうなことを言っていた自分が恥ずかしい。
「すごいね、ちゃんとそこまで考えてて。とても同い年とは思えないや」
「なにを言うか。お前だって騎士としての技量も医学や魔術の知識も大人顔負けじゃないか。ただ大人たちに守られて言いつけに従っているだけの俺とはとても同い年の子供に見えない」
「そんな、買い被りだよ。僕はずっと師匠にべったりだったから常識もないし、ずっと軍隊暮らしだったから貴族としてよりも軍人としてふるまう方が楽だし……学園に入ってからちゃんとやっていけるか不安」
少し困ったように笑って肩を落とす彼は、確かにどこか不安そうだ。
そういえば、ヴィゴーレはいつも妙に落ち着いている反面、人との距離感が少しおかしいところがある。突飛な行動に仰天したことも一度や二度ではない。
「たしかに相手の健康状態を診るためとはいえ、いきなり臭いをかいだり舐めたりするのはやめた方が良いな」
苦笑しながら言うと、「それはちゃんと反省したからもう言わないで」と口を尖らせた。
「すまん。後でバクラヴァをおごるから、そう拗ねるな」
「ほんと?」
ぱっと目を輝かせた笑顔は年相応。
いつも軍人として確固とした自分を保っているように見える彼も、内心は俺と同じように誇りや責任感と不安や迷いの間で揺れているのかもしれない。
また少し彼に近付けた気がしたところで馬車が図書館に着いた。
ヴィゴーレの仕事が休みだということで、さっそく出かけることにした。
約束の時間に迎えに行くと、山岳地帯の民族衣装を着て現れた。
白いゆったりとした麻のシャツと真っ白な綿のプリーツスカートの上に金糸刺繍が鮮やかな瑠璃色のショートベストを着こみ、赤地に黒と金の刺繍がほどこされた太めの帯を締めている。帯にはおととい渡したばかりの極東の短刀が刺さっていて、大切にしている様子がうかがえる。
いつもきっちりと三つ編みにしている髪を下ろし、サイドの髪だけを編み込んでベストとおそろいの瑠璃色のターバンでまとめた姿は、確かに我が国の伝統的な武人のいでたちではあるのだが……
「似合う? かっこいいでしょ」
弾むような足取りで駆け寄ってくると、実に嬉しそうにくるりと回って見せた。動きに合わせて真っ白なプリーツスカートがひらりとひるがえり、一緒にふわりと広がった深紅の髪が夏の陽射しにキラキラとルビーのように輝いている。
確かに大変よく似合う。実によく似合うのだが……
どこからどう見ても、かっこいいと言うよりは可愛らしい。いや、むしろ愛くるしいと言っても良さそうだ。
「フスタネーラは一人前の戦士にならないと着られないから、叙任したらこれ着てお出かけしたかったんだ」
「……一人前の戦士……」
ご満悦の当人にはきわめて申し訳ないのだが、子供が芝居の舞台で大人の装束を着ているようで、実に可愛らしく微笑ましくはあるが、間違っても屈強な戦士には見えない。
いや、むしろこの装束が男性のものだと知らない外国人が見たら、美少女が着飾っていると思うのではなかろうか。
「ちゃんと叙任も受けて、騎士爵もいただいたんだもの。もう一人前だよね? これでもうちの部隊でもけっこう強い方なんだよ?」
どうやら微妙な間が開いたのを彼の戦士としての資質に疑問を持っているのだと解釈したらしい。
ふっくらした頬をふくらませ、少しだけ口をとがらせて抗議してきたのだが……そんな拗ねた表情がますます愛らしく見えるだけだという事は、おそらく全く自覚していないだろう。
「いや、お前の実力はこの間よく分かった。近衛の皆さんが手を出しかねるような相手に、たった一人で全く引けをとっていなかったもんな。あれはすさまじかった……」
さすがに俺も馬鹿正直に「技量や態度ではなく容姿が戦士らしくない」などと言って怒らせたくはないので、慌ててフォローする。
彼が極めて優れた武人であることはよく理解しているつもりだし、そこに敬意を抱いているのも事実なので、そこは誤解されたくない。
ほとんど半円に近いような異様な形の彎曲剣は重心が安定しないので、熟達した剣士でも扱いが難しいと聞く。それを二刀流で自在にあやつるような怪物と大型ナイフひとつで渡り合ったのだ。
そんな使い手はシュチパリア全土を探してもそうそういないだろう。
「それにしても、あの時にフレベリャノが着ていたものと似たような衣装のはずなのに、全く印象が違うな」
奴はいかにも戦士らしい野趣あふれるいでたちで、とても俺たちと大差ない年齢には見えない貫禄があった。もっとも、野性味があふれすぎていて山賊にしか見えなかった気もするが。
身長も180センチ近くて大人顔負けの体格だった。
それに対して目の前のヴィゴーレはただひたすらに可愛らしい。
丸い頬と瞳が際立つ童顔も、小柄で引き締まりすぎて華奢に見える身体も、繊細で可憐な印象こそあれ、力強さや豪放さとは無縁である。
先日の獅子奮迅の戦いぶりなど微塵たりともうかがえない。
学者たちが言うには山間部での野戦に適しているからこそ発達した衣装だとの事だが……彼が着ているととてもそうは見えない。
「そりゃそうだよ。エルダでもフスタネーラは着るけど、丈は短いし上に着てるベストはつづれ織りで丈も長めだし、靴も先がすごく尖っててでっかい房飾りがついてるし……全然違うでしょ。シャツの形だって全然違うし」
一緒にされては困る、とばかりに頬を膨らませているが……違う、多分そこじゃない。
いや、長年いさかいのある隣国の文化との違いはことさらに強調したくなるのはわからなくもない。この衣装はそれぞれの社会で一人前の戦士として認められた者だけが着用を許される特別なものなので、武門の出であるヴィゴーレにとってはとても大切なこだわりなのだろう。
しかし、武人とは縁遠く、そういった衣装を着る環境に育っていない俺の目には、細かな素材や意匠の違いは当人たちほどには気にならない。むしろ言われなければ気が付かなかったかもしれない。
「ほら、このベストの刺繍、きれいでしょ。叙任の時に母上が刺してくださったんだよ。警邏の制服と同じ色のベルベットで仕立てたんだ」
にこにこと嬉しそうに見せてくるヴィゴーレは、早くに家を出てしまった分、肉親の情が感じられるこの衣装にとても強い思い入れがあるのだろう。
間違っても「ベストまできっちり着込んでて暑くないのか?」なんて訊いてはいけないし、「可愛い」と言ってもいけない気がする。
「ああ、素晴らしい刺繍だ」
「ほんと? かっこいい?」
「とてもよく似合っている。さあ、せっかくの休日だからゆっくりしたいだろう?早く行こう」
瞳を黄金のように輝かせた嬉しそうな顔に軽くうなずいてから、うちの馬車に一緒に乗るように促すと、またまた微妙な顔をされた。
「迎えに来てくれた馬車に一緒に乗るって、なんだかご令嬢みたいだね」
「一緒に乗っていけば中で話ができるだろう。というか、乗っていかないならどうやって行くつもりだったんだ?」
「えっと……徒歩か馬?」
「巡回の時はいつも徒歩だし」と当たり前のような顔をする彼を「いいからさっさと乗れ」と馬車に押し込んで出発した。
まったく、仮にも高位貴族の令息が街中を徒歩でうろつくとは。
やはり幼いころから軍にいるせいか、そのあたりの常識が俺たちとは少々違うようだ。
馬車に押し込んだ時には渋い顔をしていたヴィゴーレだが、座って話し始めるとまたうきうきと楽し気な顔になった。
このところ無理をして微笑んでいる哀しげな姿ばかり見ていた気がするが、本来は朗らかで人懐っこい奴なのかもしれない。
道中では北部の人々の暮らしについて教えてほしいとせがまれて、農地や放牧の様子、家の造りから日々の食事まで、さまざまなものに話題が及んだ。
「それじゃ、君の実家の方では粥にトウモロコシだけじゃなくて微塵麦を入れるの?」
「ああ、あっちでは粥を山羊乳のヨーグルトで煮るんだ。ほとんど味をつけずに作るから、俺はジャムか蜂蜜を混ぜて食べてる。よそではあまり見たことがないな」
好奇心旺盛な彼は俺の話に目を輝かせて聞き入りながら、気になることがあると次々に質問してくる。
一つ一つ答えていくたびにまた新しい疑問がわいてくるようで、話が尽きることがない。
「うん。僕もカストリオティ辺境伯領なら行ったことがあるけどそんな食べ方初めて聞いた。もっとも、ずっと師匠に同行していて現地の人とじかに話す機会がなかったから、あちらでも村の人は食べてるのかもしれないけど」
「どうだろう?微塵麦は基本的に家畜の餌だからな。粒が小さすぎて脱穀できないし、人間が食べてるのはうちの領地でも特に山の貧しい集落だけじゃないかと」
「そっか、あちらでもあまり一般的ではないんだね。コニーは高位貴族なのに、わざわざ貧しい人たちと同じものも食べるの? ちょっと意外」
大きな目を瞬かせて不思議そうに小首をかしげられた。よほど意外だったらしい。
「さすがに毎食ではないぞ。せいぜいが月に数回だ。やはり我々が様々な特権を与えられているのも、つきつめれば社会の秩序を守るためだろう? だったらその根幹である人々の暮らしを知らなければ」
「さすが、お父上が法相を務めておられるだけのことはあるね」
「ああ。法は社会秩序を守るためのものだからな。国のあり方、ひいては国民の暮らしの上に初めて成り立つものだと思っている。間違っても法のために国や国民が在るわけではない」
「それはその通りなんだけど……領内でも一番貧しい集落の人と同じものを食べるんでしょ? 高位貴族がそこまでするって話はあまり聞かないもの。領民に寄り添おうって気持ちがあるのはとても素敵なことだと思う」
ただの父の受け売りに、彼はしきりに感心してくれた。
キラキラと尊敬するような眼差しを真っすぐに向けられると、こそばゆくて仕方がない。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、きちんと寄り添えているかどうか。平野部にある暖かで頑丈な館でしか暮らしたことがないんだ。木の枝を積み上げて、それを漆喰で固めただけの土間の家で、暖炉の灰の中で身を寄せ合って眠ったりしているわけではないのに、たまに同じものを食べるだけで理解した気になってしまうのは傲慢だ」
学園入学を控えて大人ぶりたくて仕方のなかった俺は、今年の春に父の代官が領内を見回るときに同行させてもらったのだ。
そこで目にした人々の暮らしに目を疑った。
険しい山の斜面に張り付くようにして小枝を積み上げ漆喰で無理やり固めて上に石を並べただけの家とも呼べぬ掘っ立て小屋。雪の深い季節はろくに食べるものもなく、木の根や皮までもが貴重な食料となる。
冬には家の中にいても凍死する者が後を絶たないのだという。
父にならってごくたまに同じものを食べているだけで彼らの暮らしを理解した気になっていた俺は、あまりの貧しさに呆然とした。
賢しらに偉そうなことを言っていた自分が恥ずかしい。
「すごいね、ちゃんとそこまで考えてて。とても同い年とは思えないや」
「なにを言うか。お前だって騎士としての技量も医学や魔術の知識も大人顔負けじゃないか。ただ大人たちに守られて言いつけに従っているだけの俺とはとても同い年の子供に見えない」
「そんな、買い被りだよ。僕はずっと師匠にべったりだったから常識もないし、ずっと軍隊暮らしだったから貴族としてよりも軍人としてふるまう方が楽だし……学園に入ってからちゃんとやっていけるか不安」
少し困ったように笑って肩を落とす彼は、確かにどこか不安そうだ。
そういえば、ヴィゴーレはいつも妙に落ち着いている反面、人との距離感が少しおかしいところがある。突飛な行動に仰天したことも一度や二度ではない。
「たしかに相手の健康状態を診るためとはいえ、いきなり臭いをかいだり舐めたりするのはやめた方が良いな」
苦笑しながら言うと、「それはちゃんと反省したからもう言わないで」と口を尖らせた。
「すまん。後でバクラヴァをおごるから、そう拗ねるな」
「ほんと?」
ぱっと目を輝かせた笑顔は年相応。
いつも軍人として確固とした自分を保っているように見える彼も、内心は俺と同じように誇りや責任感と不安や迷いの間で揺れているのかもしれない。
また少し彼に近付けた気がしたところで馬車が図書館に着いた。
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