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古都の追憶は夏空の彼方へ(学園入学前、ヴォーレ達が13歳の5~6月の出来事です)
腹黒王弟と未熟な子供(コニー視点)
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ヴィゴーレの見舞いから帰宅した俺は、思わぬ来客を告げられて仰天した。
「王弟殿下……」
なんと、応接室では王弟マリウス殿下が俺を待ち構えていたのだ。
「行ってくれたんだって?白薔薇ちゃんのお見舞い」
「はい。この間の様子を見て心配だったので」
案の定、用件はヴィゴーレのことらしい。
「どうだった?」
「傷はだいぶよくなったようで、元気そうにしていました」
「何か言ってなかった?」
「来てくれて嬉しいと」
「それだけ?本当に?」
念を押されて内心途方に暮れた。
まさか言えるわけがない。あなたに飼い殺しにされそうだと脅えてました、なんて。
「そっか。率直に訊くけど、仲良くなれそう?彼と」
「これから五年間、ともにクセルクセス殿下の側近候補として励むのです。良好な関係を築くよう心がけます」
正直、よくわからない。
彼は俺たちとは見てきた世界が違いすぎる。
未来の同僚として当たり障りなく接する事はできそうだが、友人として親身に接することができるのか。俺にその資格があるのか。
「そういう建前上の事じゃなくて。あの子が言ってたんだよね、セルセの無茶ぶりに君が本気で怒ってくれたって。初めて会った時も、血で汚れてるのを怖がりながらも受け容れてくれたって。とても嬉しかったそうだよ」
「……」
彼が俺の事をそんな風に言っていたなんて。俺はただ、事情も知らずに自分の感情の赴くままに振舞ったにすぎないのに。
「あの子はつい最近まで地獄にいたから。君たちみたいな普通に生きていた子にどう接したらいいかわからないみたいでさ、ずっと戸惑ってたんだよね」
「確かに、今まで見てきた世界が違うと思いました。率直に言えば、私もどう接したら良いのかわかりません」
うわべだけ取り繕っても見透かされる。そのくらいならむしろ率直にお話した方が良いかもしれない。
そう思って俺は彼と話した時の正直な印象を口にした。
「それで良いんだよ。むしろ仲良くします、絶対友達になれますって即答される方が信用できない」
「……そう仰っていただけると気が楽になります」
「でもさ、接し方がわからないなりに距離を詰めてみたいと思う? やっぱり立場上の付き合いだけにしておきたい?」
慎重に俺の感情を伺うように問うマリウス殿下。
おそらくここで「嫌だ」と言ったとしても、殿下は怒ったり俺への評価を下げたりはしないのだろう。何故か確信があった。
それでも。
「もし縮められるなら、縮めてみたいです」
綺麗な瞳を潤ませ、無理をして微笑む姿が痛々しかった。
俺と同い年の子供なのに、俺には想像もつかないものを背負っているのだろう。
もし何かしてやれることがあるなら、ごくわずかでも助けになってやりたい。
「ありがとう。あの子はね、期待を裏切るのが怖いんだ。期待に応えられなかったら見放されるんじゃないか、嫌われるんじゃないかってどこか不安なんだろうね。自分には価値がないって思い込んでるから。しかも、なまじ頑張れば大抵のことは出来てしまうから、身を削ってでも期待に応えてしまう。それでますます期待される……悪循環だよ」
「そんな……」
確かに彼はどこか張りつめた印象で、任務に固執しているようだった。
それは責任感だけでなく、見放されたくない、居場所を失いたくないと言う怯えにも由来するのかもしれない。
「我が身を削って、他人のために差し出し続けて……そんな生き方をしていれば、行き着く先がどうなるか。君ならわかるよね?」
「はい」
「あの子、ぱっと見た目にはとても君と同い年には見えないでしょ? もちろんシュチパリア系だから小柄な人が多い家系ではあるんだけど、それだけじゃない。成長期だと言うのに生命を削って魔法を使いすぎたんだ」
「どういう事ですか?」
俺だって簡単な魔法は使えるが、それで生命を削るなんて聞いたことがない。
「あの子が使う魔法は特殊でね。人体に直接はたらきかけて、怪我や病気を治療したり、筋力などの能力を増強することができる。現代の医学では到底治せないはずの怪我や病気も彼ならば元通りの健康な身体に帰る事ができるんだ」
「まさか……少々大げさなのでは? 回復を早めたり、体力を補う事のできる術者がごく稀にいますが、魔法でそこまでの効果を得るのは不可能だと聞きます。昔、聖女と名乗る人物がむりやり治癒しようとして悲惨な事故を起こした事がありましたよね?」
今から五十年ほど前、大陸の西端に位置する古い大国カロリング王国で起きた悲劇だ。
「聖女」を自称する女性が公衆の面前で腕を斬り落とされたり不治の病とされた人々を「治癒」するパフォーマンスを行って民心を掌握し、王家に食い込んで権力をほしいままにした。実際には一時的に治ったように見せかけただけで、被験者は悲惨な最期を遂げたのだが。
魔法は起こしたい現象の機序を正しく理解して行わないと、狙った現象の「似て非なるもの」が引き起こされ思わぬ事故の原因となる例として教えられる。
「そう言われてるみたいだけど、実際には少し違う。正確な医学や魔法の知識と高度な魔力の操作技術、特殊な共感能力があれば理論上は可能だ」
「あくまで理論上、ですよね」
「それが、実際にできてしまう人物もいる。自分の傷や病気の治り方を早くしたり、体力を回復させたり、少しだけ筋力を増強させるのが精一杯の人がほとんどだし、それでも本当に滅多にいない希少な存在なんだけど、ごくごく稀に他人の怪我や病気……それも失った四肢や臓器を再生できるほどの術者がいるんだ」
「……」
「オクシデント地方全体で見ても十人いるかいないか、だけどね。そしてこのシュチパリアにもたった一人だけ、自分の血肉や生命と引き換えに他人を癒すことのできる術者がいる。つい最近まで熟達した術師である老獪な騎士がいたけれども戦死して、技術と知識の全てを受け継いだ幼い弟子が一人だけ、何の後ろ盾もないままに残された」
殿下の言葉が意味することを悟り、俺は我知らず息を飲んだ。
「もうわかるね、あの子がどれほど危うい立場にいるか。あの子が次期王太子の側近と言う立場から逃げたがっているのも、王家がそれを逃がすわけにはいかないのも」
「……はい」
「だからさ、できればストッパーになってあげて欲しいんだ。あの子が自分で自分の価値を認められるようになるまで。今の部隊にいる時は新しい師匠もあの子を家族同然に想っている仲間もいるから大丈夫だけど、学園内ではそうはいかないから」
何とも重大な事を頼まれた気がするが、はたして俺に務まるのだろうか。
そもそも、いかに優秀とはいえ一介の騎士のことを殿下はここまで気にかけるのだろうか。いちど疑問に思ったらそのままにはできなかった。
「なぜ彼をそこまで気にかけるのか、伺っても構いませんか?」
「そうだな、罪滅ぼしかな」
「つみほろぼし……」
少し哀しそうに微笑んで思わぬことをおっしゃった、殿下の表情に目を奪われた。いつも自信に満ちて堂々としたマリウス殿下が、こんなに苦く心細げな顔をされるとは。
「昔ね、俺にもああいう友達がいたんだ。ちょうど白薔薇ちゃんの師匠の弟弟子にあたる人でね。彼も身体操作魔法の達人だった」
「友達だった、ですか」
過去形、という事に嫌な予感がひしひしとする。
「何でもできて、聡明で、どんな無茶でもちょっと困ったように微笑んで引き受けてくれて。優しくて、綺麗で、自慢の友だったよ」
殿下は少しだけ遠い目をしていた。かつての友を懐かしんでいるのだろう。
「あの頃はね、兄上が立太子していてもまだ俺を推す連中の声も大きくて、ちょっと気を抜くと足元をすくわれかねない状況だった。だから、いつも気を張ってばかりでね」
「想像がつきません」
俺が知るマリウス殿下はいつも泰然自若として、周囲の思惑など平気で跳ねのけるだけの余裕と存在感があった。周囲の思惑に怯えて気を張っている姿など、見当もつかない。
「ちょうど教会派の連中が幅を利かせていて王室の立場が弱くなっている時期だったしね。王党派も教会派も、何とかして俺を失脚させようと手ぐすね引いていたんだ。いつも必死だったけど、本当に信頼して重要な事を任せられる奴はほとんどいなくて。あの頃は本当にきつかったなぁ……」
有能で、いつも堂々としていて余裕があって、失礼ながら国王陛下以上に王者らしい威厳に満ちたマリウス殿下にもそんな時代があったとは。
「だからね、学生の頃からの気の置けない友人につい頼ってしまってね。特に彼は人には真似できない能力があったから……彼が絶対に断れない性格だとわかっていて、つい甘えてしまっていた」
「何か、あったんですね」
「うん。俺が無茶をお願いしたせいで、事件に巻き込まれてね。亡くなった、という事になっている」
「……という事になっている?」
「その事件の詳細を思い出そうとしてもできないんだ。なぜかその事を思い出そうとすると思考がわき道にそれてしまってね。認識を無理やり捻じ曲げられている感じなんだ」
「どういう事ですか?」
「彼の得意とする身体操作魔法の一つに、人間の精神に働きかけて、特定の情報に対する認知を歪めるものがあった」
「認知を、歪める」
「指定したものを正しく認識できなくする魔法だよ」
「……」
「クロードの……彼の事件について思い出そうとすると、どうしても意識がねじまげられてその事を考え続ける事が出来ないんだ。戸籍の上では事件に巻き込まれて死亡したことになってるけど、職場には何故かまだ籍があるし、事件そのものの記録もどこにあるのかわからない」
「そんな、無茶苦茶な……」
「しかも、エルンに……彼の親友に頼むと、なぜか手紙を届けてくれて返事も返って来る。紛れもなく彼の筆跡でね」
「どういう事ですか?」
「きっと事件に巻き込まれて瀕死になったのは事実なんだと思う。それで、社会と接するのが嫌になったんだろうね。だからエルンしか知らないどこかに隠遁してしまった。それでも職場で彼が処理すべき書類はきちんと完璧に処理されているんだから大したものだ」
「……」
あまりに荒唐無稽で、なんと返答したら良いか見当がつかない。
「まぁ……見捨てられたんだよ、俺たちは。それだけのことをしてしまった自覚はある。だからね、彼によく似た同門のあの子には、できる限り力になってやりたい」
なるほど、だから「罪滅ぼし」なのか。
何となく得心の行った表情の俺に満足されたらしい。
「でもね、俺だと立場上表立ってあの子の力になるのは難しいから。一緒にいられる時間が長い君に、あの子の力になってやって欲しい」
「……殿下のお気持ちはわかりました。私にできる事をしたいという気持ちもあります」
しかし、それだけの重いものを背負い、人にはない力を抱えてしまったヴィゴーレに、平々凡々な俺がいったいどれほどの事ができるだろうか?
「しかし、俺が何をできるのか、どうしたいのか、今すぐにはわかりません。結論を出すまでしばらくお時間をいただけますか?」
「ありがとう。即答されるより、そうやってきちんと向き合ってくれる方が安心だよ。できれば引き受けてもらえるとうれしいが、じっくり考えてくれ」
マリウス殿下は少しだけ肩の荷が下りたような表情でお帰りになった。
未だに戸惑いの拭い去れない俺をそのままにして。
「王弟殿下……」
なんと、応接室では王弟マリウス殿下が俺を待ち構えていたのだ。
「行ってくれたんだって?白薔薇ちゃんのお見舞い」
「はい。この間の様子を見て心配だったので」
案の定、用件はヴィゴーレのことらしい。
「どうだった?」
「傷はだいぶよくなったようで、元気そうにしていました」
「何か言ってなかった?」
「来てくれて嬉しいと」
「それだけ?本当に?」
念を押されて内心途方に暮れた。
まさか言えるわけがない。あなたに飼い殺しにされそうだと脅えてました、なんて。
「そっか。率直に訊くけど、仲良くなれそう?彼と」
「これから五年間、ともにクセルクセス殿下の側近候補として励むのです。良好な関係を築くよう心がけます」
正直、よくわからない。
彼は俺たちとは見てきた世界が違いすぎる。
未来の同僚として当たり障りなく接する事はできそうだが、友人として親身に接することができるのか。俺にその資格があるのか。
「そういう建前上の事じゃなくて。あの子が言ってたんだよね、セルセの無茶ぶりに君が本気で怒ってくれたって。初めて会った時も、血で汚れてるのを怖がりながらも受け容れてくれたって。とても嬉しかったそうだよ」
「……」
彼が俺の事をそんな風に言っていたなんて。俺はただ、事情も知らずに自分の感情の赴くままに振舞ったにすぎないのに。
「あの子はつい最近まで地獄にいたから。君たちみたいな普通に生きていた子にどう接したらいいかわからないみたいでさ、ずっと戸惑ってたんだよね」
「確かに、今まで見てきた世界が違うと思いました。率直に言えば、私もどう接したら良いのかわかりません」
うわべだけ取り繕っても見透かされる。そのくらいならむしろ率直にお話した方が良いかもしれない。
そう思って俺は彼と話した時の正直な印象を口にした。
「それで良いんだよ。むしろ仲良くします、絶対友達になれますって即答される方が信用できない」
「……そう仰っていただけると気が楽になります」
「でもさ、接し方がわからないなりに距離を詰めてみたいと思う? やっぱり立場上の付き合いだけにしておきたい?」
慎重に俺の感情を伺うように問うマリウス殿下。
おそらくここで「嫌だ」と言ったとしても、殿下は怒ったり俺への評価を下げたりはしないのだろう。何故か確信があった。
それでも。
「もし縮められるなら、縮めてみたいです」
綺麗な瞳を潤ませ、無理をして微笑む姿が痛々しかった。
俺と同い年の子供なのに、俺には想像もつかないものを背負っているのだろう。
もし何かしてやれることがあるなら、ごくわずかでも助けになってやりたい。
「ありがとう。あの子はね、期待を裏切るのが怖いんだ。期待に応えられなかったら見放されるんじゃないか、嫌われるんじゃないかってどこか不安なんだろうね。自分には価値がないって思い込んでるから。しかも、なまじ頑張れば大抵のことは出来てしまうから、身を削ってでも期待に応えてしまう。それでますます期待される……悪循環だよ」
「そんな……」
確かに彼はどこか張りつめた印象で、任務に固執しているようだった。
それは責任感だけでなく、見放されたくない、居場所を失いたくないと言う怯えにも由来するのかもしれない。
「我が身を削って、他人のために差し出し続けて……そんな生き方をしていれば、行き着く先がどうなるか。君ならわかるよね?」
「はい」
「あの子、ぱっと見た目にはとても君と同い年には見えないでしょ? もちろんシュチパリア系だから小柄な人が多い家系ではあるんだけど、それだけじゃない。成長期だと言うのに生命を削って魔法を使いすぎたんだ」
「どういう事ですか?」
俺だって簡単な魔法は使えるが、それで生命を削るなんて聞いたことがない。
「あの子が使う魔法は特殊でね。人体に直接はたらきかけて、怪我や病気を治療したり、筋力などの能力を増強することができる。現代の医学では到底治せないはずの怪我や病気も彼ならば元通りの健康な身体に帰る事ができるんだ」
「まさか……少々大げさなのでは? 回復を早めたり、体力を補う事のできる術者がごく稀にいますが、魔法でそこまでの効果を得るのは不可能だと聞きます。昔、聖女と名乗る人物がむりやり治癒しようとして悲惨な事故を起こした事がありましたよね?」
今から五十年ほど前、大陸の西端に位置する古い大国カロリング王国で起きた悲劇だ。
「聖女」を自称する女性が公衆の面前で腕を斬り落とされたり不治の病とされた人々を「治癒」するパフォーマンスを行って民心を掌握し、王家に食い込んで権力をほしいままにした。実際には一時的に治ったように見せかけただけで、被験者は悲惨な最期を遂げたのだが。
魔法は起こしたい現象の機序を正しく理解して行わないと、狙った現象の「似て非なるもの」が引き起こされ思わぬ事故の原因となる例として教えられる。
「そう言われてるみたいだけど、実際には少し違う。正確な医学や魔法の知識と高度な魔力の操作技術、特殊な共感能力があれば理論上は可能だ」
「あくまで理論上、ですよね」
「それが、実際にできてしまう人物もいる。自分の傷や病気の治り方を早くしたり、体力を回復させたり、少しだけ筋力を増強させるのが精一杯の人がほとんどだし、それでも本当に滅多にいない希少な存在なんだけど、ごくごく稀に他人の怪我や病気……それも失った四肢や臓器を再生できるほどの術者がいるんだ」
「……」
「オクシデント地方全体で見ても十人いるかいないか、だけどね。そしてこのシュチパリアにもたった一人だけ、自分の血肉や生命と引き換えに他人を癒すことのできる術者がいる。つい最近まで熟達した術師である老獪な騎士がいたけれども戦死して、技術と知識の全てを受け継いだ幼い弟子が一人だけ、何の後ろ盾もないままに残された」
殿下の言葉が意味することを悟り、俺は我知らず息を飲んだ。
「もうわかるね、あの子がどれほど危うい立場にいるか。あの子が次期王太子の側近と言う立場から逃げたがっているのも、王家がそれを逃がすわけにはいかないのも」
「……はい」
「だからさ、できればストッパーになってあげて欲しいんだ。あの子が自分で自分の価値を認められるようになるまで。今の部隊にいる時は新しい師匠もあの子を家族同然に想っている仲間もいるから大丈夫だけど、学園内ではそうはいかないから」
何とも重大な事を頼まれた気がするが、はたして俺に務まるのだろうか。
そもそも、いかに優秀とはいえ一介の騎士のことを殿下はここまで気にかけるのだろうか。いちど疑問に思ったらそのままにはできなかった。
「なぜ彼をそこまで気にかけるのか、伺っても構いませんか?」
「そうだな、罪滅ぼしかな」
「つみほろぼし……」
少し哀しそうに微笑んで思わぬことをおっしゃった、殿下の表情に目を奪われた。いつも自信に満ちて堂々としたマリウス殿下が、こんなに苦く心細げな顔をされるとは。
「昔ね、俺にもああいう友達がいたんだ。ちょうど白薔薇ちゃんの師匠の弟弟子にあたる人でね。彼も身体操作魔法の達人だった」
「友達だった、ですか」
過去形、という事に嫌な予感がひしひしとする。
「何でもできて、聡明で、どんな無茶でもちょっと困ったように微笑んで引き受けてくれて。優しくて、綺麗で、自慢の友だったよ」
殿下は少しだけ遠い目をしていた。かつての友を懐かしんでいるのだろう。
「あの頃はね、兄上が立太子していてもまだ俺を推す連中の声も大きくて、ちょっと気を抜くと足元をすくわれかねない状況だった。だから、いつも気を張ってばかりでね」
「想像がつきません」
俺が知るマリウス殿下はいつも泰然自若として、周囲の思惑など平気で跳ねのけるだけの余裕と存在感があった。周囲の思惑に怯えて気を張っている姿など、見当もつかない。
「ちょうど教会派の連中が幅を利かせていて王室の立場が弱くなっている時期だったしね。王党派も教会派も、何とかして俺を失脚させようと手ぐすね引いていたんだ。いつも必死だったけど、本当に信頼して重要な事を任せられる奴はほとんどいなくて。あの頃は本当にきつかったなぁ……」
有能で、いつも堂々としていて余裕があって、失礼ながら国王陛下以上に王者らしい威厳に満ちたマリウス殿下にもそんな時代があったとは。
「だからね、学生の頃からの気の置けない友人につい頼ってしまってね。特に彼は人には真似できない能力があったから……彼が絶対に断れない性格だとわかっていて、つい甘えてしまっていた」
「何か、あったんですね」
「うん。俺が無茶をお願いしたせいで、事件に巻き込まれてね。亡くなった、という事になっている」
「……という事になっている?」
「その事件の詳細を思い出そうとしてもできないんだ。なぜかその事を思い出そうとすると思考がわき道にそれてしまってね。認識を無理やり捻じ曲げられている感じなんだ」
「どういう事ですか?」
「彼の得意とする身体操作魔法の一つに、人間の精神に働きかけて、特定の情報に対する認知を歪めるものがあった」
「認知を、歪める」
「指定したものを正しく認識できなくする魔法だよ」
「……」
「クロードの……彼の事件について思い出そうとすると、どうしても意識がねじまげられてその事を考え続ける事が出来ないんだ。戸籍の上では事件に巻き込まれて死亡したことになってるけど、職場には何故かまだ籍があるし、事件そのものの記録もどこにあるのかわからない」
「そんな、無茶苦茶な……」
「しかも、エルンに……彼の親友に頼むと、なぜか手紙を届けてくれて返事も返って来る。紛れもなく彼の筆跡でね」
「どういう事ですか?」
「きっと事件に巻き込まれて瀕死になったのは事実なんだと思う。それで、社会と接するのが嫌になったんだろうね。だからエルンしか知らないどこかに隠遁してしまった。それでも職場で彼が処理すべき書類はきちんと完璧に処理されているんだから大したものだ」
「……」
あまりに荒唐無稽で、なんと返答したら良いか見当がつかない。
「まぁ……見捨てられたんだよ、俺たちは。それだけのことをしてしまった自覚はある。だからね、彼によく似た同門のあの子には、できる限り力になってやりたい」
なるほど、だから「罪滅ぼし」なのか。
何となく得心の行った表情の俺に満足されたらしい。
「でもね、俺だと立場上表立ってあの子の力になるのは難しいから。一緒にいられる時間が長い君に、あの子の力になってやって欲しい」
「……殿下のお気持ちはわかりました。私にできる事をしたいという気持ちもあります」
しかし、それだけの重いものを背負い、人にはない力を抱えてしまったヴィゴーレに、平々凡々な俺がいったいどれほどの事ができるだろうか?
「しかし、俺が何をできるのか、どうしたいのか、今すぐにはわかりません。結論を出すまでしばらくお時間をいただけますか?」
「ありがとう。即答されるより、そうやってきちんと向き合ってくれる方が安心だよ。できれば引き受けてもらえるとうれしいが、じっくり考えてくれ」
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