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閑話
輝く峰(2)
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エリィの実家の領地で過ごす大晦日の日。
僕たちは湖でのスケートを楽しんだ後、街で復活祭のマーケットを覗いて楽しむことにした。
シュチパリアでは冬至を祝う復活祭から大みそかにかけてマーケットが行われる。
そこではリンゴやザクロなどの果物やクラビエデスなどの季節のお菓子が売られていることが通例だ。
「うわ、美味しそうなものがいっぱい」
「食べ物だけじゃないぞ」
「ほんとだ、あっちの長靴下あったかそう」
市場には日持ちのするチーズやお菓子などの食品の他にも暖かそうなウールの長靴下や内側が毛皮張りになった革靴などが並んでいる。
「イリュリアと違ってこっちは寒いからな。毛皮も多く扱っているぞ」
僕は帽子のかわりに暖かそうな房付きのウールのターバンを一つ買った。厚手の靴下と革靴も買っておこう。
「どう?似合う?」
さっそく着てみるとエリィは良く似合うよ、と笑ってくれて、自分も色違いのものを買っていた。
一通りマーケットを回って、広場の隅のテーブル席でペイスと呼ばれる豚の頭と野菜をトロトロになるまで煮込んだシチューを頂いていると、不審な男が目に入った。
視線が定まらず、きょろきょろと落ち着きなくあちこちを見回しているし、妙に緊張した汗の臭いを漂わせている。それに、かすかだけど硫黄くさい。
「ね、エリィ。この辺、火山も温泉もないはずだよね?」
頭の中のシュチパリア南部の地図と照合して、この辺りで自然に硫黄の臭いがこびりつくような場所がないことを確認する。
「どうした?」
「あの男、やけに緊張してキョロキョロしてる。それに硫黄くさい」
「どういうことだ?」
「火薬を使った何かを企んでるのかも」
それを聞いたエリィの目が鋭くなった。
「なるほど、顔立ちからしてエルダ系だな。帰属派武装組織かもしれん」
エルダはシュチパリアの南隣にある古い歴史を誇る都市連合国家だ。
かつては優れた文化と技術を誇った国だけに国民のプライドも高いが、三百年ほど砂漠大国オスロエネの支配下にある。
ここ十数年ほどは独立運動も盛んになってきて、そのあおりでシュチパリア国内のエルダ系住人の間でもエルダへの回帰運動がちらほらと現れるようになってきた。
中には過激な武装組織もあるので、エルダ系住人の多いここタシトゥルヌ領は警戒を怠ることができないのだ。
「しばらく観察して、後をつけてみようか。とりあえずこのペイス食べてからね」
「食べるのが先なんだな」
「うん、せっかく美味しいんだもの。感謝して全部いただかなきゃ」
食べかけのペイスをゆっくり味わって食べる。
煮崩れるまでしっかりと煮込んだシチューはお肉もお野菜もホロホロとととろけて脂の香りと素材の甘みや旨味が口いっぱいに広がってくる。
美味しいだけじゃない。スパイスが利いているので身体もぽかぽか温まってとってもいい感じ。
別に僕が食いしん坊なわけじゃないよ? いきなり慌てて食べ始めたら監視対象に怪しまれちゃうでしょ。
だから、僕が特別に食いしん坊なわけじゃない……もう一杯お代わりしようかな?
「どうやら移動するようだな」
残念、お代わりはまたの機会にしよう。
例の男は周囲を露骨に警戒しながら街の外れに向かっているようだ。
もっとも、ビクビクしている割には注意が散漫で、無造作に後をつけている僕たちには全く気付いていない様子だが。
「あっちには何があるの?」
「たしかもう使われなくなった古い神殿の跡があるはずだ。
もう二百年くらい放置されてるんじゃないのか?」
「そんな遺跡があるのか。いつの時代の?」
「千年くらい前だったはずだ。城に戻れば文献があるはずだ」
それはとても興味深いけど、今は不審者の後をつけることが先決だろう。
こんなやりとりをしている間にも、男はどんどん街外れのさびれた界隈に向かっている。
見失わないように、そして気付かれないように。僕たちは無駄口を叩かないように心がけながら追跡を続け、どんどんと街の中心から外れて行った。
古い胸壁近くまで来ると、今にも崩れ落ちそうな古い神殿が見えてくる。
あちこち壁が崩れてしまったり、柱が折れてしまったりしていて今は見る影もないが、元々は白亜で造られた壮麗な神殿だったようだ。
ところどころに残った金色の装飾の痕が物悲しい。
男が迷わず神殿跡のかろうじて形の残っている建物に入っていく。
うっかり瓦礫を踏んで音を立てないように細心の注意を払いながら建物に近づくと、大きな柱の影に隠れて様子をうかがった。
ほどなくしてやって来たのは目深にフードを下ろしたローブ姿の人物だった。体型が完全に隠れているので性別も年齢層もわからない。
「それで、材料の手配はどうなってるんだ?」
「硝石は肥料に偽装して既に何回かに分けて王都に搬入済みだ。問題は硫黄だが、さすがに警戒が厳しい。必要な量は用意できたが」
「まだ搬入できてはいないと」
「新年三日の一般参賀の時には何とか間に合わせたいが、今からでは馬を飛ばしてもギリギリだ」
なるほど。毎年一月三日には王族が全員揃って王宮のバルコニーで国民に向かって挨拶する一般参賀が行われる。その日はいつも一般に公開されている外宮だけでなく、王宮の庭園まで市民が立ち入ることができるのだ。
そんな日に爆破テロなどを行えば、とんでもない数の市民の犠牲が出るだろう。
馬車で快適に移動するならここから王都イリュリアまで三日はかかるが、馬を替えながら最大スピードを出せば二日もかからない。今から出発すれば二日の午後には王都に搬入が可能だ。
「ならばなぜすぐに出発しない」
「運んでくれる業者が見つからない。さすがに臭いで中身が知れるからな」
硫黄は爆薬に使えるのは周知の事実だから、流通は政府によって管理されている。臭いが特徴的で露見しやすいから、違法薬物を平気で運ぶようなもぐりの運送業者だって引き受けてはくれないだろう。
「臭いの強い香辛料か食品……例えば背高茴香の荷の中に紛れ込ませれば、関所の役人もいちいち調べないだろう」
なるほど、よく考えたものだ。
背高茴香は別名「悪魔の糞」とも呼ばれるすさまじく匂いのきついスパイスで、硫黄分を多く含む。よく加熱すると玉ねぎに似た芳香を放つようになり、抗炎症剤や気鬱の薬としても使えるようになるが、根茎から抽出した樹脂のままではあまりの硫黄臭さに気分が悪くなる人も少なくない。
背高茴香の荷に紛れ込ませれば、少々……いや、かなり硫黄臭くても、誰も気にしないだろう。
「なるほど。偽装用の荷はすぐ用意できるのか?」
「ああ、木箱四つ分はあるから、同じ木箱に硫黄も入れればまず気付かれることはあるまい」
事態はかなり切迫しているようだ。
黒色火薬の原料のうち、硝石は既に搬入済みだと言っていた。
木炭は燃料として使うほか、畑に鋤きこんだり水のろ過に使ったりと、生活の中のあらゆる場面で様々な使い方がされているのでいくらでも持ち込み可能だろう。
残るは硫黄だが……それを彼らは王都に持ち込む算段を立てているところ。
気付いているのは僕たちだけだろうから、ここでうまく立ち回って犯行を阻止せねばなるまい。
「それならすぐに出荷できそうだ。俺は馬車の手配をするからお前は荷造りを頼む。硫黄は例の場所だ」
「わかった。手配が出来たらお前も例の場所に来てくれ」
話がついたところで二人はそれぞれ遺跡を後にした。それぞれの持ち場に向かうようだ。
エリィと僕は互いに目配せをしあってフードを被ったローブの男をつけることにした。
僕たちは湖でのスケートを楽しんだ後、街で復活祭のマーケットを覗いて楽しむことにした。
シュチパリアでは冬至を祝う復活祭から大みそかにかけてマーケットが行われる。
そこではリンゴやザクロなどの果物やクラビエデスなどの季節のお菓子が売られていることが通例だ。
「うわ、美味しそうなものがいっぱい」
「食べ物だけじゃないぞ」
「ほんとだ、あっちの長靴下あったかそう」
市場には日持ちのするチーズやお菓子などの食品の他にも暖かそうなウールの長靴下や内側が毛皮張りになった革靴などが並んでいる。
「イリュリアと違ってこっちは寒いからな。毛皮も多く扱っているぞ」
僕は帽子のかわりに暖かそうな房付きのウールのターバンを一つ買った。厚手の靴下と革靴も買っておこう。
「どう?似合う?」
さっそく着てみるとエリィは良く似合うよ、と笑ってくれて、自分も色違いのものを買っていた。
一通りマーケットを回って、広場の隅のテーブル席でペイスと呼ばれる豚の頭と野菜をトロトロになるまで煮込んだシチューを頂いていると、不審な男が目に入った。
視線が定まらず、きょろきょろと落ち着きなくあちこちを見回しているし、妙に緊張した汗の臭いを漂わせている。それに、かすかだけど硫黄くさい。
「ね、エリィ。この辺、火山も温泉もないはずだよね?」
頭の中のシュチパリア南部の地図と照合して、この辺りで自然に硫黄の臭いがこびりつくような場所がないことを確認する。
「どうした?」
「あの男、やけに緊張してキョロキョロしてる。それに硫黄くさい」
「どういうことだ?」
「火薬を使った何かを企んでるのかも」
それを聞いたエリィの目が鋭くなった。
「なるほど、顔立ちからしてエルダ系だな。帰属派武装組織かもしれん」
エルダはシュチパリアの南隣にある古い歴史を誇る都市連合国家だ。
かつては優れた文化と技術を誇った国だけに国民のプライドも高いが、三百年ほど砂漠大国オスロエネの支配下にある。
ここ十数年ほどは独立運動も盛んになってきて、そのあおりでシュチパリア国内のエルダ系住人の間でもエルダへの回帰運動がちらほらと現れるようになってきた。
中には過激な武装組織もあるので、エルダ系住人の多いここタシトゥルヌ領は警戒を怠ることができないのだ。
「しばらく観察して、後をつけてみようか。とりあえずこのペイス食べてからね」
「食べるのが先なんだな」
「うん、せっかく美味しいんだもの。感謝して全部いただかなきゃ」
食べかけのペイスをゆっくり味わって食べる。
煮崩れるまでしっかりと煮込んだシチューはお肉もお野菜もホロホロとととろけて脂の香りと素材の甘みや旨味が口いっぱいに広がってくる。
美味しいだけじゃない。スパイスが利いているので身体もぽかぽか温まってとってもいい感じ。
別に僕が食いしん坊なわけじゃないよ? いきなり慌てて食べ始めたら監視対象に怪しまれちゃうでしょ。
だから、僕が特別に食いしん坊なわけじゃない……もう一杯お代わりしようかな?
「どうやら移動するようだな」
残念、お代わりはまたの機会にしよう。
例の男は周囲を露骨に警戒しながら街の外れに向かっているようだ。
もっとも、ビクビクしている割には注意が散漫で、無造作に後をつけている僕たちには全く気付いていない様子だが。
「あっちには何があるの?」
「たしかもう使われなくなった古い神殿の跡があるはずだ。
もう二百年くらい放置されてるんじゃないのか?」
「そんな遺跡があるのか。いつの時代の?」
「千年くらい前だったはずだ。城に戻れば文献があるはずだ」
それはとても興味深いけど、今は不審者の後をつけることが先決だろう。
こんなやりとりをしている間にも、男はどんどん街外れのさびれた界隈に向かっている。
見失わないように、そして気付かれないように。僕たちは無駄口を叩かないように心がけながら追跡を続け、どんどんと街の中心から外れて行った。
古い胸壁近くまで来ると、今にも崩れ落ちそうな古い神殿が見えてくる。
あちこち壁が崩れてしまったり、柱が折れてしまったりしていて今は見る影もないが、元々は白亜で造られた壮麗な神殿だったようだ。
ところどころに残った金色の装飾の痕が物悲しい。
男が迷わず神殿跡のかろうじて形の残っている建物に入っていく。
うっかり瓦礫を踏んで音を立てないように細心の注意を払いながら建物に近づくと、大きな柱の影に隠れて様子をうかがった。
ほどなくしてやって来たのは目深にフードを下ろしたローブ姿の人物だった。体型が完全に隠れているので性別も年齢層もわからない。
「それで、材料の手配はどうなってるんだ?」
「硝石は肥料に偽装して既に何回かに分けて王都に搬入済みだ。問題は硫黄だが、さすがに警戒が厳しい。必要な量は用意できたが」
「まだ搬入できてはいないと」
「新年三日の一般参賀の時には何とか間に合わせたいが、今からでは馬を飛ばしてもギリギリだ」
なるほど。毎年一月三日には王族が全員揃って王宮のバルコニーで国民に向かって挨拶する一般参賀が行われる。その日はいつも一般に公開されている外宮だけでなく、王宮の庭園まで市民が立ち入ることができるのだ。
そんな日に爆破テロなどを行えば、とんでもない数の市民の犠牲が出るだろう。
馬車で快適に移動するならここから王都イリュリアまで三日はかかるが、馬を替えながら最大スピードを出せば二日もかからない。今から出発すれば二日の午後には王都に搬入が可能だ。
「ならばなぜすぐに出発しない」
「運んでくれる業者が見つからない。さすがに臭いで中身が知れるからな」
硫黄は爆薬に使えるのは周知の事実だから、流通は政府によって管理されている。臭いが特徴的で露見しやすいから、違法薬物を平気で運ぶようなもぐりの運送業者だって引き受けてはくれないだろう。
「臭いの強い香辛料か食品……例えば背高茴香の荷の中に紛れ込ませれば、関所の役人もいちいち調べないだろう」
なるほど、よく考えたものだ。
背高茴香は別名「悪魔の糞」とも呼ばれるすさまじく匂いのきついスパイスで、硫黄分を多く含む。よく加熱すると玉ねぎに似た芳香を放つようになり、抗炎症剤や気鬱の薬としても使えるようになるが、根茎から抽出した樹脂のままではあまりの硫黄臭さに気分が悪くなる人も少なくない。
背高茴香の荷に紛れ込ませれば、少々……いや、かなり硫黄臭くても、誰も気にしないだろう。
「なるほど。偽装用の荷はすぐ用意できるのか?」
「ああ、木箱四つ分はあるから、同じ木箱に硫黄も入れればまず気付かれることはあるまい」
事態はかなり切迫しているようだ。
黒色火薬の原料のうち、硝石は既に搬入済みだと言っていた。
木炭は燃料として使うほか、畑に鋤きこんだり水のろ過に使ったりと、生活の中のあらゆる場面で様々な使い方がされているのでいくらでも持ち込み可能だろう。
残るは硫黄だが……それを彼らは王都に持ち込む算段を立てているところ。
気付いているのは僕たちだけだろうから、ここでうまく立ち回って犯行を阻止せねばなるまい。
「それならすぐに出荷できそうだ。俺は馬車の手配をするからお前は荷造りを頼む。硫黄は例の場所だ」
「わかった。手配が出来たらお前も例の場所に来てくれ」
話がついたところで二人はそれぞれ遺跡を後にした。それぞれの持ち場に向かうようだ。
エリィと僕は互いに目配せをしあってフードを被ったローブの男をつけることにした。
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