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本編

ヴィゴーレ・ヤシュチェ

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 親友のコノシェンツァ・スキエンティア侯爵令息に縁談を断られたご令嬢が、奇行に走るようになった。
 その話を最初に耳にした時はあまり気にも留めなかった。

 その……ちょっと言いにくいのだけど、もともと思い通りにならないことがあると暴れる喚くは日常茶飯事の方だったから。まぁ、いつものことかと。

 人目もはばからずに使用人や領民たちに当たり散らす彼女の粗暴さを嫌ってコニーはお断りしたんだけど、なぜか彼女は僕のせいで自分が選ばれなかったと思い込んだらしい。

 ちびで童顔のせいかよく間違われるけど、僕は男だ。
 騎士としてそれなりに実績を積んできたし、警邏隊の中でもかなり腕の立つ方だ。よほど多勢に無勢でなければたいていの敵は何とかあしらえる自信がある。
 その僕が、何が悲しくてご令嬢に恋敵だと思い込まれなければならないのだろう。
 納得が行かん。実に不本意だ。

 とんだとばっちりだけど、どうせ大したことはできまいと放置しておいた。

 これはシャレにならないと思ったのは、彼女が領地で長い赤毛の女性を片端からさらって顔を傷つけているという話を聞いてから。実際に被害者にお会いしたけれど、髪を切られたり顔をナイフで切り付けられたり……ひどい人は目をえぐり取られてあやうく生命を落とすところだった。
 あまりのむごさに、僕は思わず自分の消耗も考えずにみんな治療してしまった。打撲や骨折はすぐに治療し、痕が残りそうな傷は皮膚組織や眼球を生成して傷ついたものと置き換える。

 コニーにはめちゃくちゃ怒られたけど、目の前に大怪我をした女の子がいて、自分にそれを治す力があったら誰だってできる限りの治療をするものだろう?ましてその子は僕にちょっと似てるってだけで被害に遭ったんだよ?放っておけと言う方が無理というものだ。

 そうして被害者が元の姿と生活を取り戻せたところで、僕は凶行に走ったご令嬢について調べる事にした。
 不思議な事に、彼女は自らを「パトリツァ・タシトゥルヌ」だと主張しているらしい。「自分は何一つ悪くないのに、クラウディオ・ケラヴノスに陥れられて不当に虐げられている」と。赤毛の女性を襲うのは「人を惑わす泥棒猫を罰しただけ」と開き直っているそうだ。

 クラウディオさんは僕の同門の大先輩にあたる人で、僕に治癒魔法を仕込んでくれた師匠の話によれば、かなり昔に事件に巻き込まれて亡くなった……はず。何で今さら名前が出てくるんだろう?
 不審に思って調べてみたのだけど、困ったことに事件の調書すら所在不明で、実際に何があったのかがさっぱりわからない。
 仕方なく親しい人たちに話を聞いてみると、皆さん話がおかしなところでずれていって肝心の事件については語らない……いや、語れないようだ。あたかもその事件に関する情報だけ正しく認識できないように。
 さすがに鈍い僕でも気が付いた。クラウディオさんと彼が巻き込まれた事件については誰かが認識阻害魔法を使って隠蔽いんぺいしたのだろう、と。

 彼は不思議な魅力のある人だったらしく、男女問わず盲目的に崇拝して執着する人は多かった。彼の兄弟子だった僕の師匠もその一人で、おかげで僕はさんざん彼と比べられては出来損ないだとなじられたものだ。なまじ容姿が似ているだけに、かえって違いが鼻についたらしい。
 彼の信奉者の誰かが彼の死を受け容れられずに事件そのものをなかったことにしたくなったのかもしれない。

 クラウディオさんについてはこの状況でいくら調べても仕方がないので、今度はパトリツァ・タシトゥルヌについて調べる事にした。

 彼女も同じ時期に病気療養で領地に向かう途中、事件に巻き込まれて亡くなっている。犯人もすぐに捕まっており、物盗りの犯行だと結論付けられていた。
 現場がちょうどご令嬢が滞在している領地の中で、彼女が今パトリツァだと名乗っている事と何らかの関係があるのだろう。

 気になるのは、パトリツァ夫人をよく知る人にお話を伺うと判で押したように悪評ばかりなこと。いわく男癖が悪く三日とあけずに愛人と密会していた、いわく粗暴で使用人に暴力をふるったり、性的な関係を強要したりした、いわく我が子を臭くて汚いと疎んじてことあるごとに怒鳴ったり叩いたりした……ろくな話が出てこない。

 挙句の果てに、いかがわしい連中と通じて犯罪に手を染めていたと言う。たしかに彼女の夫が取り締まった犯罪の記録を見るに、彼女自身も人にそそのかされて様々な犯罪に関わってしまった形跡がある。
 特に孤児院を装った娼館での児童買春を頻繁に行っていて、保護された子供たちの証言に「たびたび無茶な奉仕を強要された」と名前が出ていた。
 日頃ためこんでいたうっ憤を、立場の弱い孤児たちにぶつけていたのだろう。人として、決して赦されない行為だ。
 
 嫌われ者というよりは、関わりたくない、思い出したくないという人ばかりで、親兄弟ですらまともに思い出したがらない。
 確かに日頃の行いが酷すぎるのだが、自業自得とは言えさすがにこれは哀れになる。

 居場所がないというのは辛いものだ。
 しかもこの人の場合、見事なまでに自業自得。誰かのせいにできないからこそ、自分自身を変えない限り、事態は改善しない。

 そして自らの行いをかえりみて改められるような人ならば、ここまでの愚行に走る前に自ら行いを改めているだろう。
 出口の見えない孤独の中で、目先の快楽に流されていった結果があの不行状と犯罪なのだと思う。
 もちろん、だからと言ってやって良い事と悪いことがある訳で、彼女の言動の正当化は決してできないんだけど。

 こういった情報を得たうえで、僕はコニーと例のご令嬢に会いに行った。荒唐無稽な話ではあるが、クラウディオさんへの憎悪と嫉妬を抱えたまま死んだパトリツァ夫人の怨念が、彼と似た容姿の僕への憎悪と嫉妬を抱えた彼女と同調しているような気がしたからだ。

 怨念とか幽霊とか、非論理的な存在だと思うかもしれないが、僕自身が更に非論理的な存在……この世界の創世神や、彼女が目の敵にしている別の神に何度も出くわしている。今さら怨霊の一体や二体出てきたところでたいして驚きはしない。
 何なら僕自身が彼女たちの手によってもはや人外の存在になってしまっている……ということは、自分でも忘れがちなんだけど。

 対面してみると、例のご令嬢は僕の顔を見て逆上して襲い掛かって来た。
 とはいえ、何の心得もないご令嬢のすることだ。かわすまでもなく抱きかかえてしまえばもう何もできなかった。

 どうやら彼女の目には僕がクラウディオさんに見えていたようで、ということは彼女の意識はパトリツァ夫人の怨念が乗っ取っているような状態だったんだろう。
 恨みつらみを聞きながら、彼女の無念を受け止めているうちに少しずつ彼女の頑なな心がほどけていくのがわかった。

 よほど寂しかったんだろうな。親兄弟からも、我が子からも疎まれて避けられていたわけだし。まぁ、ご令嬢も家族の中で孤立気味だったから、そういうところも共鳴してしまったのかも。

 寂しさや悔しさを受け止めて、もうゆっくり休むように促すと、パトリツァ夫人は眠るようにして消えて行ってしまった。おそらくは長い年月で存在そのものが希薄になっていて、ごくわずかに残った恨みや寂しさだけでこの地にしがみついていたのだろう。

 彼女が消える間際に月蝕に照らされた世界樹があらわれたようだが、さすがに彼女の魂が楽園に迎えられることはないだろう。そのまままた新たな生を迎えるまで、どこかで眠り続けるのではないか。

 パトリツァ夫人の意識が消えたご令嬢は、文字通り憑き物が落ちたように心細げだった。取り憑かれている間の記憶も、そしてパトリツァ夫人自身の記憶もおぼろげではあるが残っていたらしい。蒼白な顔であんな人生を送るのだけは嫌だ、とぽつり呟いた。

 結局、彼女はしばらく修道院で見習い修道女として奉仕活動を行いつつ、これからどう生きるかを考え直すと言う。
 完全に出家するわけで無ければまた必要があれば還俗も結婚もできるし、しばらく自分を見つめ直すのも良いのではないだろうか。

「またえらい災難だったな。ヴォーレ、変なものに好かれる呪いでもかかってるんじゃないか?」

 全てが終わってご令嬢のもとを辞した帰り道、からかいまじりにコニーに言われてしまった。

「今回は誰のせいだと思ってるんだよ? まったく、何が悲しくて女の子に恋敵だなんて思いこまれなきゃいけないんだ。僕はれっきとした男だぞ」

 思わずぼやくと「その顔と声だから仕方ない」と笑われてしまった。

「好きでこういう顔してるわけじゃないよ。声だって声変りが済めばもっと低くなると思ったのに……」

 これでも女性にしたらかなり低めの声だと思うよ?そりゃまぁ、男性にしたらかなり高めだけどさ。

「何にせよ、それも含めてお前だからな。そのまま生きるしかないだろう」

 それはまぁ、その通りなんだけどね。

 尋常ではない魅力を持って生まれてしまったせいで他人の欲に流され振り回されるまま若くして亡くなったクラウディオさん。
 平凡な自分を受け容れることができず、自分をもてはやしてくれる人の手に縋って流されるまま犯罪に手を染めたパトリツァ夫人。

 周囲の欲に流されるまま生き急いだ二人はどちらも決して幸福な人生をまっとうしたとは言い難いだろう。本人はもとより、周囲の人々にとっても。

 人は一人では生きられない。その一方で、あくまでも自分は自分でしかなく、他の何者にも変われないし何者にも変わりに人生を背負ってもらう訳には行かない。
 だからこそ自分だけの譲れないものを抱えて流されずに立ち続けなければ。
 
 人に何を望まれているのかではなく、自分には何ができるのか、何をしたいのか。
 何があってもそれだけは見失わないようにしなければ、そう自らを戒めて、惨劇の地を後にしたのであった。
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