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本編

E29 旅立ち

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 パトリツァが『療養』に旅立つ日、俺は最後の義理として見送りに行ってやった。曲がりなりにも婚姻関係にあった以上、最後まで最低限の責務は果たさねばなるまい。

 見送りがあるとは思っていなかったらしいパトリツァは、俺の顔を見て露骨に嬉しそうな、勝ち誇ったような顔になった。どうやら俺が来たことで、自分が無罪放免になると思ったようだ。
 やはりこの期に及んで何も反省していない。それどころか自分は何一つ悪い事をしていないと思っているのだな。ここまで愚かだでおめでたいと、いっそのこと羨ましくなってくる。

 そのまま黙って送り出しても良かったのだが、少しは自分の立場を理解してから出発して欲しかった。
 そこで我々の結婚が王命による政略結婚であったこと、お互い望んだ結婚でなくても家族として良好な関係を築こうと思っていた事を告げた。
 しかし、度重なる不貞や使用人への暴力、肉体関係の強要、不当解雇……再三再四、迷惑をかけられ家名にも瑕をつけられ、すっかり疲れてしまったのだと。
 さらに、トリオへの虐待。そんなの幼子が嫌いならばせめて関わらなければ良いものを、変にちょっかいをかけては思い通りにならないと逆上して一歳になるかならぬかの我が子にも平気で手を上げる。
 そんな日々の繰り返しにすっかり愛想がつきてしまったのだと伝えた。

 パトリツァは不当に責められていると思ったのか、「おっしゃっていただければそんなこと」と言い出したので、再三にわたって注意したが、泣き喚いて暴れて訊く耳を持たなかったと指摘すると押し黙り、恨みがましい上目遣いで涙ぐんだ。
 この女はいつもそうだ。少しでも自分の思い通りにならなかったり、気に入らないことがあるとすぐに泣きわめいて被害者ぶる。幼子のように地団太踏んで大声で喚き散らして、相手が根負けするまで一人で騒ぎ続けるのだ。
 本人は庇護欲をそそる美しく健気な姿だと信じているようだが、俺の目には実に歪んだ自己愛に満ちた、醜悪でおぞましい姿に見える。

 この期に及んで泣きわめかれても困るので、王命が下った経緯を話し、「自分も嫌々ながらに結んだ婚姻関係だったので、お互いに愛情を持てなかったのはお前だけの責任ではない」と告げたのだが、かえって彼女の自尊心を傷つけたようだ。まぁ、奴は俺が自分に一方的に惚れ込んでいると思い込んで侮っていたから、その大前提が否定されてショックだったのかもしれない。
 悲劇のヒロインよろしく「わたくし嫌われ者でしたのね」とわざとらしく涙ぐんでみせるのが鬱陶しくてたまらなかった。そういう姿を見て周囲が慌てて「そんなことはない」と否定して機嫌をとってくれると確信して演技しているのが見え透いている。

 だから、お望み通り「そんなことはない」と否定してやって、「わざわざ嫌うほど興味を持っている人はほとんどいない」「俺にとっても他の大半の人にとってもどうでも良い存在だっただけだ」と事実を告げてやったが、さらにショックを受けたようだ。

 それまでのわざとらしく他人の気を惹くための嘘泣きとは違って、黙ってボロボロと涙を流し始めたのは呆れてしまった。
 今さらどういうつもりだったのだろう。彼女は加害者で、泣きたいのは暴力や暴言に晒されたり、肉体関係を強要された使用人たちや、彼女からの性的虐待を受けた孤児院の子供たちではないか。
 ……そして俺の何よりも大事なディディは、もう泣くことすらできないのだ。

 まぁ、自分の立場は理解したようなので、馬車までエスコートしてやると、さすがに観念したのか大人しく馬車に乗り込んで座席におさまった。
 結婚してからこのかた二年間、毎日のように問題を起こされ、その都度振り回される俺の姿に優越感に満ちた厭らしい視線を送られて、神経をヤスリで削られるような日々だった。
 それももう終わりだ。もう二度とわずらわされることがないと思うと、晴れやかな心地すらしてくるのが不思議である。

 残念ながら、あの女の感傷には何の感慨も持つことができなかったが、ただ最期の最期で少しだけ役に立ってくれたのは、少しだけ感謝してやっても構わないような気もする。
 どこまでも、惨めで憐れな女だとは思うが、俺は決して同情はしない。
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