お飾りの私を愛することのなかった貴方と、不器用な貴方を見ることのなかった私

歌川ピロシキ

文字の大きさ
上 下
49 / 94
本編

E20 もう許せない

しおりを挟む
 かすかにディディが俺を呼ぶ声がして、慌てて隣室に飛び込んだ俺の眼に映ったのは、シャツを剥ぎ取られて上半身をあらわにされたディディと、彼にのしかかって白く滑らかな肌にいやらしい顔で舌を這わせているパトリツァだった。 
 ディディは蒼白になった額にびっしりと脂汗を浮かべていて、潤んだ夕陽色の瞳は焦点が合っていない。まずい、フラッシュバックによる過呼吸発作を起こしかけているようだ。

 青ざめるディディとは対照的に、パトリツァは征服欲と嗜虐心しぎゃくしんをむき出しにして瞳をギラギラと輝かせ、興奮に肌を紅潮させている。
 勝ち誇ったような顔は伝説に出てくる妖魔のように淫靡いんび醜悪しゅうあくで、あまりの気色悪さに寒気がした。これが自分が妻としてきた人間なのかと思うと怖気おぞけが走る。

 俺はあわててあの女をディディから引き離し、小さく震える身体をしっかり抱きしめた。完全に俺の認識が甘かった。
 まさか、こんな夜中に起き出してきて彼に襲い掛かるなんて夢にも思っていなかった。

「これはいったいどういう事かな?」

 大声を出して、パニックを起こしかけているディディを刺激したくない。殴りつけて罵りたいのを必死にこらえ、ふつふつと湧き上がる怒りを無理やり抑え込み、できるだけ冷静な声で問いただす。
 小さく震えて浅い呼吸を繰り返す背中をゆっくりとさすって落ち着かせる一方で、じりじりとしながらあの女の返事を待った。

 しらを切るつもりなのか、いつまで経っても黙りこくっているヤツにいい加減しびれが切れる。まるで自分が被害者であるかのように涙目で震えるだけの女を睨み据え、しかし声だけは辛うじて平静を保つようにして再度問いただした。

「これはいったいどういう事か訊いているのです。それとも答えられないような事をしていたのですか?」

 それでもあの女は口をはくはくと動かすだけで、何も答えようとしない。まあ、「体調を崩して休んでいる未婚の男性を襲って無理矢理性的関係を持とうとしていた」なんて、いくら厚顔無恥なパトリツァであってもさすがに答えられないかもしれないが。
 それにしたって、せめて謝罪の一言くらいあっても良いのではないだろうか。そろそろ我慢の限界に達しようという頃、腕の中のディディが見かねたようにとりなした。

「エリィ、今はいったんおさめて。明日おちついてから話しあおう? 夫人も今は混乱しておられるみたいだし」

 俺を見上げる深いオレンジ色の瞳はいっぱいに涙をたたえて潤み、揺れている。パニックを起こしかけているのを必死にこらえているのだろう。ぎゅっと俺の胸にすがりつく手の震えに、かあっと熱くなっていた頭が急速に冷えてきた。
 今はあの女を問いただすより、一秒でも早くディディから引き離し、安全を確保して彼をゆっくり休ませることが先決だ。

「ディディがそう言うなら仕方ない。君は自室に戻ってもうやすみなさい。明日ゆっくり話し合いましょう」

 俺は深々と嘆息しつつ、できるだけ穏やかに言って退室を促した。

 ディディの頬を伝った涙を指ですくいとると、こわばっていた身体から少しだけ緊張がとけて脱力した。少しでも安心させようとそっと背を撫でて抱き寄せるとそのまま身体を預けてきた。
 よほど参っているのだろう。

「で……でも旦那様……」

「いいから下がりなさい。今すぐに」

 この期に及んで何か言い出したあの女を黙らせて多少強引に下がらせた。
 あの女が醜く歪んだ悪鬼のごとき形相で、ドスドスと淑女らしからぬ荒々しい足音を立てて悔し気に去っていく。温厚篤実おんこうとくじつなマシューの妹とは思えぬ傲慢さと凶悪さだ。

 その足音が完全に聞こえなくなってから、未だに震えが止まらないディディをベッドに誘導して座らせた。そして少年時代と同様、しっかり抱きしめて互いの体温と心音を感じながら、彼の呼吸に合わせてゆっくり背中を撫でる。
 しばらくすると浅かった呼吸も落ち着いて、ディディは俺の胸にずっとうずめていた顔をようやく上げた。

「ごめん、それといつもありがとう」

 桜色の唇から出た柔らかなアルトはもう震えていなかった。彼を一人にしておくのはもうやめよう。
 パトリツァには少しでも良い方向に代わるならと思って好きにさせてやった面もあるが、もうそれも限界だ。奴らとの関わり合いを終わりにして、早々にとどめをさすことにしなければ。 
 そしてパトリツァ自身にも、自らの行いの責任を取ってもらおう。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々
恋愛
 姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。  残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。    サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。  誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。  けれど私の心は晴れやかだった。  だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。  ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...