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本編

P15 どろぼう猫

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 朝あれだけ腹立たしい事があったというのに、旦那様は帰宅されてからも執務室にこもりきり。お仕事がたくさん残っているからと、夕食も簡単なものを執務室に運ばせて、あの方とお二人で済ませてしまわれました。
 せめてわたくしもご一緒に執務室でいただくと申し上げたのですが、お仕事の邪魔だとおっしゃられ、すげなく断られてしまいました。

 あまりの悔しさになかなか熟睡できず、夜中に目が覚めてしまいました。今宵もやはり旦那様は寝室にいらっしゃらないようです。
 すっかり目が冴えてしまって寝付けずに、風にでもあたろうとテラスに向かっておりますと、今夜もまた執務室からかすかな話し声が。

「またこんな無理をして……少しは心配する俺の身になってくれ」

「……」

「いいからもう今日はさっさと休め。明日からまたこき使ってやるから覚悟しておけよ」

 話し声の主は一人は旦那様、もうお一人はよく聞こえませんが、どうせあのお方でしょう。旦那様はご自身を除いてはあのお方しか執務室に入る事を許しません。
 近頃では使用人を入れずに、清掃までお二人でしてしまうほどの徹底ぶり。これ見よがしに旦那様と親密に振舞うあの方と、いったい二人で何をコソコソしているのでしょうか。
 わたくしは猛烈に腹が立って参りました。

「ごめん、それじゃ先に休ませてもらうね」

 柔らかなアルトの声がして執務室の扉が開きました。
 わたくしは咄嗟に物陰に隠れますと、疲れた様子で隣の自室に戻るあの方の後ろから部屋に押し入りました。

「パトリツァ夫人……っ!!おやめください。こんな時間にどうしたのです?」

 あの方が珍しく動揺をあらわにしている姿を見てわたくしは少しだけ溜飲の下がる思いがしました。
 露骨に部屋から出てほしいという素振りを見せますが、大声を出して人を呼ぶと脅すとおとなしくなりました。
 よく見ると目の下にうっすらと隈ができていて肌もややカサついており、あの優雅な美貌に陰りが見えます。わたくしがプルクラ様との交流で充実した日々を送っていて、肌も髪もツヤツヤと輝いているのとは対照的で、わたくしは更に気分が良くなりました。

「いつもいつも旦那様にべったりと、一体何様のつもりです?いい加減、自分の立場を弁えなさい」

「パトリツァ夫人、一体何を……??」

 毅然と叱りつけ、あの泥棒猫の本性をあらわにしてやろうとつかみかかりました。

 あの方がお召しになっていたシャツのボタンが弾け、上半身があらわになります。シミ一つない滑らかな真珠のように輝く白い肌の美しさは目もくらむよう。
 あのお方の端正なお顔が嫌悪と恐怖に歪み、わたくしの心をこの上なく昂らせました。

「いやっ……エリィ!!」

「ディディ!?」

 しかし、あの方が悲鳴ともいえぬ小さな声で旦那様に助けを求められますと、執務室にいたはずの旦那様が鬼のような形相で部屋に入っていらっしゃったのです。
 そのままわたくしを強く押しのけ、あの方の肩をしっかりと抱いて、わたくしを鋭い眼で睨みつけます。

「これはいったいどういう事かな?」

 今までに聞いたこともないような低い声で問いただされました。
 決して大きな声ではないものの、旦那様の怒りがビリビリと空気を震わせているような迫力がございます。
 旦那様がわたくしに投げかける、侮蔑と憎悪の籠った冷たいまなざしに、わたくしは底知れぬ恐怖を覚えてただ震えるしかできませんでした。

「これはいったいどういう事か訊いているのです。それとも答えられないような事をしていたのですか?」

 旦那様が再度静かに問いただされました。
わたくしは何とかして自分の正義をお話しようと口を開こうとするのですが、あまりの恐怖にぶるぶると唇が震えるだけで、まともに声が出てきません。
 せめて視線だけでも旦那様に訴えようと目を上げますと、あの方の怯えて蒼ざめた、美しくはあるが弱々しい姿が目に入り、少しだけ気分が良くなりました。

「エリィ、今はいったんおさめて。明日おちついてから話しあおう?夫人も今は混乱しておられるみたいだし」

 あまりの旦那様の怒りの強さに見かねたあの方が、か細く震える声でとりなそうとします。もっとも、自分の肩を抱く旦那様の胸にすがるようにしがみついたまま、瞳を潤ませて上目遣いで申していては、とても説得力がございませんが。
 むしろ旦那様の怒りを煽ってわたくしを貶め、悪者にしたてあげるつもりにしか見えないではありませんか。あまりの卑劣さに眩暈がして、わたくしが涙を零しながら口を開こうと致しますと、旦那様が深々と嘆息しておっしゃいました。

「ディディがそう言うなら仕方ない。君は自室に戻ってもうやすみなさい。明日ゆっくり話し合いましょう」

「で……でも旦那様……」

「いいから下がりなさい。今すぐに」

 旦那様は取り付く島もなくおっしゃいました。
 わたくしは怒りと屈辱に塗れたまま、涙を流してあの方の自室を立ち去るほかはございませんでした。 
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