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本編

E13 侮れない小娘

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 ティコス家の娘が来ると言う日、少し早めに帰宅すると、ちょうど客人がお帰りになるところだった。
 見事な黒髪の妖艶な娘。
 なるほど、あれがパトリツァが今入れあげているというプルクラ・ティコスか。とても十七とは思えぬ大人びた娘で、堂々とした立ち居振る舞いや強い意志を感じさせる眼差しは、パトリツァよりもよほど貴婦人らしい威厳に満ちている。
 服装は決して華美ではないが、上質な絹を幾重にも重ねた凝ったデザインで、趣味は良いが一介の男爵令嬢にはいささか分不相応な品だろう。

「旦那様、こちらはティコス男爵家のプルクラ様ですわ。ちょうど今お帰りになるところですの」

「ごきげんよう、ティコス令嬢。今日はお楽しみいただけましたか?」

「本日はお招きありがとうございます。とても楽しい時間を過ごさせていただきましたわ。
 次はぜひ我が家にお越しくださいと、奥様にお願い申し上げたところですのよ」

「それは良かった。これからも妻をよろしくお願いいたします」

 お互いにこやかに社交辞令を交わしながら、目は全く笑っていない。
 いやむしろ、十七の小娘とは思えぬほどの冷たい敵意と殺気が入り混じった視線に、これは捜査の手が自分たちの間近に迫っているのを察してこちらの手の内に探りに来たのだと悟る。

 その晩は持ち帰った政務をディディに任せ、またパトリツァと二人で夕食をとりながら、彼女のとりとめもない話を聞くことになった。
 プルクラ嬢とどんな話をしたか、どんなものに誘われたか。
 あの小娘はなかなかに人の心をつかむ術に長けているらしく、パトリツァの自己顕示欲をうまく満たすように持ち上げながら、自分の懐に入れようとしているようだった。次はティコス家に招待されているらしい。
 是非楽しんでおいで、と許可を出すと上機嫌で食事を終えてくれた。

 数日後、今度はティコス男爵家に招かれたというパトリツァとまた食事をとった。彼女のまとまりのない話に相槌を打ちながら、「妻の新しい友人がどんな人物なのか気になる」という口実で、どんな話題が出たのか、屋敷の様子はどうだったのか、根掘り葉掘り聞いてしまった。
 さすがに屋敷の調度や使用人の様子などを聞いた時はいぶかしがられたが、

「屋敷に普段から飾っているものは、その屋敷の住人の好みをそのまま反映するからね。あらかじめわかっていれば、手土産やおりおりの贈り物を選ぶ参考になるんですよ」

 と答えると疑問を抱くことなく納得してくれてほっとする。
 この時ばかりは単純で深く物事を考える事のない彼女の気性に助けられた。

 話を聞くに、ティコス家やイプノティスモ家ゆかりの商会で扱う品だけでなく、南部の下位貴族たちゆかりの品も多数所持しているようだ。こいつらは同じ穴のムジナとみて良さそうなので、警邏から密偵を送って内情を探る事にしよう。
 南部の大物教会派貴族ゆかりの品とおぼしきものもあるようだが……はたして、どの程度の関りなのか。こちらは注意深く探らねばなるまい。うかつにちょっかいをかけて逃げられては元も子もないからな。

 パトリツァは芝居見物に誘われてただけではなく、彼女が頻繁に訪れている教会のバザーや炊き出しなどの活動にも参加しないかと誘われたらしい。あまり深入りするのは剣呑だとは思うが、バザーや炊き出しならば他の人間の目も少なからずあることだし、おかしな事も起きないかもしれない。
 日頃「モテない偽善者のいい子ぶりっ子」と疎んじている奉仕活動に参加することでやりがいを感じられれば、少しは貴族の務めノブリスオブリージュというものも理解できるかもしれない。貧民街の実態を知って、少しは領地経営に関心を持とうという気になってくれれば儲けものだ。

「わかりました。その代わり、必ず侍女と護衛は連れて行ってください。貧民街は貴女が思うより治安が悪いものなのです」

 しばしの思案の後に承諾すると、実に嬉しそうに慈善事業に積極的に取り組むプルクラ嬢がいかに美しい心の持ち主か力説し、彼女の美貌はその内面の美しさの現れなのだと主張しだしたので反応に困った。
 無論まだ容疑の裏付けが取れていないので万に一つくらいは彼女が本当に心優しき慈善家である可能性も否定できないが、おそらくあの小娘は本気で慈善事業に取り組んでいる訳ではなかろう。
 パトリツァが真実を知ったらさぞ落胆するだろうと思うと複雑な心境だ。

 それにしても、あのティコス家の娘はこの短期間によほどしっかりとパトリツァの心を掴んだらしい。その人心掌握術に内心舌を巻くとともに、こうやって相手の心を取り込んで洗脳していくのだろうと納得もした。
 伊達に兄や父親をさしおいて犯行の重要な部分を担っているわけではなさそうだ。これだけの手腕の持ち主をただの十七歳の小娘だと思ってなめてかかれば、痛い目を見るのはこちらの方だろう。

 当分の間、パトリツァが彼女と出かけるたびによくよく様子を聞いて、もし道を踏み外しそうならば何をおいても諫めるしかないだろう。 
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