お飾りの私を愛することのなかった貴方と、不器用な貴方を見ることのなかった私

歌川ピロシキ

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本編

P8 素晴らしい出会い

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 自室に戻ったわたくしが暇を持て余しておりますと、侍女が声をかけてまいりました。

「奥様、今日はとても気持ちの良いお天気です。こんな日には外宮のお庭を散策されるのも素敵でしょうね。ちょうどアイリスが見頃でございます。軽食を持ってピクニックなどはいかがでしょうか?」

「あら、悪くないわね」

「アナトリオ様をお連れになれば、きっとお喜びになりますわ」

 完璧な笑顔でこんな提案をしてきました。
 たしかに外宮のお庭はいつも季節のお花が咲き誇り、貴賤を問わずこのイリュリアの人々の憩いの場となっております。
 まだ一歳を迎えたばかりのアナトリオを連れて行くのは気が進みませんが、散策にはちょうど良いかもしれません。

「そうね。これから軽く散策してきましょう。何かあるといけないからアナトリオは連れて行かないわ。外宮に行くだけだから供も不要です。カフェテリアで食べてくるから昼食は不要よ」

 このように申し付けて、日傘だけ持って馬車に乗ります。御者に迎えに来る時間を告げて庭園に向かいました。

 庭園につきますと、たしかに侍女の申した通り、アイリスの花が美しく咲き乱れておりました。
 うららかな初夏の陽気に誘われて、そこここに談笑する人々の姿が見えます。わたくしは日傘を片手に、何をするともなく美しく整えられた庭園の小径をそぞろ歩いておりました。

「ああ、なんとお美しい」

 半刻ほど散策を楽しんだ頃でしょうか?
 とても艶っぽい女性の声がして、わたくしは振り向きました。

 感極まったような声を出したのはティコス男爵家の三女、プルクラ嬢。
 十七歳というお歳に似合わぬ妖艶な魅力の持ち主で、緩いウェーブのかかった艶やかな黒髪と、潤んだようなヘイゼルの瞳が、豊満な肉体とあいまって何ともいえぬ色香を漂わせていらっしゃいます。
 その美貌に嫉妬したものたちが憶測で好き勝手に申すものですから、数々の貴公子との噂がございますが、ご本人はいたって素直で人懐こいご令嬢。
 わたくしのことも”緋牡丹ひぼたんの君”と呼んで慕ってくれています。

「ごきげんよう、プルクラ嬢。先日の夜会以来ですわね」

「ごきげんよう、タシトゥルヌ侯爵夫人。お邪魔をしてしまい、申し訳ございません」

「とんでもないわ。こんな素敵な日ですもの、一緒にお散歩を楽しみましょう」

「お美しいだけでなくお優しいのですね。皆さま憧れの貴婦人、緋牡丹ひぼたんの君とご一緒できるなんて、今日はなんとすばらしい日でしょう」

 
 わたくしは木陰のベンチに腰掛けて、しばしの間プルクラ嬢とのおしゃべりを楽しみました。
 聡明で機知にとんだプルクラ嬢とのお話は実に面白く、いくらお話しても話題がつきません。
 陽が高くのぼってもまだまだおしゃべりが足りないと感じたわたくしは、彼女を近ごろ人気のカフェにお誘いしました。

「まあ、わたくしがご一緒でよろしいのですか?」

 目を輝かせて喜んでくれた彼女のなんと愛らしいこと。
 わたくしたちはカフェで美味しいコーヒーとお菓子を楽しみながら、時が経つのを忘れていろいろなお話をしました。

 プルクラ嬢のお話では、イオニアから来た劇団がとても気の利いた芝居をしているとか。

「ぜひ一度見てみたいわ」

「まぁ、それではわたくしとご一緒しませんか?」

 わたくしの思わず漏らした言葉に、プルクラ嬢がすかさず答えます。
 こうした気の利いたところもこのご令嬢の美点ですわね。

「それは嬉しいけれども……人気のある劇団ですもの、チケットを取るのは大変でしょう?」

「いえ、わたくしの親戚が劇団の後援者なのです。そちらから手配すれば、特等席で観られましてよ」

「まあ、なんて素敵なんでしょう」

 わたくしはすっかり嬉しくなって、「ぜひ我が屋敷にも遊びにいらしてください」と、彼女をご招待してしまいました。

 大がかりな茶会ならばともかく、ご令嬢お一人でしたら旦那様も否やはおっしゃいませんでしょう。
 あの方が何か言いがかりをつけるかもしれませんが、その時は身の程を思い知らせてやれば良いのです。

 プルクラ嬢との愉しい時間のおかげで、わたくしの沈んだ心もすっかり明るくなりました。
 屋敷に帰りついた頃には、朝の不愉快なできごとなど、きれいさっぱり記憶の彼方へと飛び去ったのでございます。


 屋敷に戻ったわたくしは、さっそく侍女に近日中にプルクラ嬢をお招きする旨を伝えました。

 侍女たちはわたくしが散策を楽しんできた様子に喜んでくれたようです。
 朝はわたくしがふさぎこんだ様子だったので、とても心配していたのだとか。

 この家に居場所がないというのは、わたくしの思い過ごしかもしれません。

 使用人たちはいつだってわたくしを侯爵夫人として尊重し、きめ細やかに配慮して従順に振舞っています。
 今日だってわたくしが沈んだ様子なのを気遣って、散歩に出るよう提案してくれたのです。
 その忠誠を疑い、勝手に疎外感を覚えていた自分のひがみ根性が恥ずかしゅうございます。

 あたりが暗くなった頃、旦那様がお帰りになりました。珍しくあのお方はご一緒ではない様子。わたくしの心はますます軽くなりました。

「お帰りなさいませ、旦那様。今日は良い一日でしたか?」

「わざわざありがとう、パトリツァ。今日も仕事ははかどりましたよ。
 このところ政務漬けで一緒に食事もできず、すみませんでした。今日の夕飯はもう済ませましたか?」

  旦那様はわたくしと夕食を召し上がるおつもりのようです。なんという素晴らしい日でございましょう。朝の些細な出来事が下らなく感じられて参りました。

「まだいただいておりませんわ。旦那様もご一緒にいかが?」

「よろこんでお相伴にあずかります。では後ほど食堂で」

 夕飯は、久しぶりに夫婦二人きりでした。わたくし一人でもなく、あの方とご一緒の三人でもなく。
 わたくしは嬉しくて、今日あった出来事をお話しました。
 プルクラ様と芝居を見に行くお約束をしたこと、彼女をこの屋敷にお招きするようお約束したこと。
 旦那様は少しだけ考えこまれたご様子でしたが、笑顔でどちらもお許しくださいました。

「貴女がわざわざお一人だけ屋敷にご招待するということは、よほど親しいお友達なのですね。丁重におもてなしするよう、皆に申し付けておきましょう。ぜひ楽しい一日をお過ごしください」

 旦那様はまるで神殿の彫刻のように神々しいまでの美しい笑顔でそうおっしゃいました。
 わたくしはなぜこのお方の愛情と真心を疑ったりしたのでしょうか。このようにわたくしを尊重し、わたくしの希望を叶えて下さる旦那様が、わたくしを疎んじている筈がございません。

 あのお方は本当にただの部下、お友達なのでしょう。この日は本当に久しぶりに夫婦の寝室で揃って朝を迎えたのでございます。
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