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本編

D6 殿下からの依頼

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 エリィの屋敷で過ごす日の楽しみの一つは、エリィの長男であるアナトリオと遊ぶこと。
 綺麗な赤い髪にエリィそっくりのきりっとした顔立ちと、透き通った森の中の泉みたいに綺麗な蒼い瞳。そりゃもう天使か妖精かってくらいにめちゃくちゃ可愛い。

 一歳になりたてのトリオは僕たちの顔を見ると嬉しそうにきゃっきゃと笑って抱っこをせがんでくる。「でぃ~」って僕の事を呼びながらぎゅうってしがみついてくる姿は可愛くてたまらない。
 だから僕はこちらの家で過ごすときは、早めに朝の鍛錬を済ませて軽く身を清め、朝食を食べたらトリオと遊ぶ事にしている。

 そんな僕たちを幸せそうに見守るエリィと三人で過ごしていると、どんなに仕事で疲れていてもいくらでも活力が湧いてくる気がする。
 本当の母親であるはずのパトリツァ夫人がこの輪の中にいないのは申し訳ないような気もするんだけど、彼女は子供が嫌い……というより生理的に受け付けないみたい。
 少しでもトリオがぐずったり涎が垂れたりするだけで逆上して喚き散らして……
 酷い時はトリオが吹き飛ぶくらいの力で叩いたり、乳母から奪い取って地面にたたきつけようとする。
 僕が近くにいる時ならば最悪の事態になるまえに止められるし治療もできるけど、いない時に何かあったらと思うと恐ろしい。
 トリオも彼女を母親として認識していないらしく、姿を見るだけでぐずる事も多いんだし、彼女自身が望まないなら無理に接触させない方が良いような気もするな。

 今朝はトリオを揺りかごにねかせて絵本を読んでいたのだけど、パトリツァ夫人に見つかって怒らせてしまった。
 まだ言葉もしゃべれない赤子に絵本は早いって。

 赤ちゃんって産まれる前から骨盤こつばんの振動を通して親や周囲の人の言葉を聞いて、そこから色んなことを学んでいるのにね。特に母親の声はずっと聞こえているんだよ。
 つい蘊蓄うんちくを語りかけて、夫人をよけいに怒らせちゃった。僕の悪い癖だ。

 エリィやマシューみたいに好奇心の強い人は面白がってくれて楽しい会話になるんだけど、夫人みたいに勉強が苦手なだけじゃなく、大嫌いな人にやっちゃうと、馬鹿にされてると感じるらしい。

 人間誰もが好奇心が強くて勉強が好きってわけじゃないんだよね。今日は朝から失敗したなぁ……。
 唯一ありがたかったのは、今朝は夫人がトリオに手をあげなかったこと。僕のうっかりのせいでトリオに怪我なんかさせたら、トリオにもエリィにも申し訳が立たない。

 役所でせっせと書類と格闘していたら、マリウス殿下の侍従のお一人が扉の陰から僕を手招きしていた。
 書類に夢中のエリィに気付かれないようこっそり近寄ると、殿下からの伝言が。また神殿に行って重病人に治癒魔法をかけてほしいのだそう。
 重い慢性腎不全だから、今の医学ではもう手の打ちようがない。唯一の望みは僕の魔法で損傷した腎臓を再構築して健康なものにすり替える事。

 慢性腎不全ってしんどいんだよね……
 僕が魔法を使えば治せるし、使わなければ手の打ちようがなく苦しみぬいて亡くなるのを待つだけだ。
 ここで断ったらその人が亡くなってから、ずっと僕のせいだって思う羽目になるんだろうな。遺族からも恨まれたりして。そう思うとすごく気が重くなる。
 かなりの大技になるから、僕の体力と生命力が足りるか心配だけど、寝覚めの悪い思いをするよりはましだよね。仕方がないので引き受ける事にする。どうせきっとすごいお金持ちか有力貴族で、殿下はこうやって教会とその人の親類縁者に恩を売りたいんだろうな。
 利用されているとは思うけど、色々と便宜も図ってもらっているから持ちつ持たれつだよね。エリィの説得が大変そうだけど……

 夜、エリィの屋敷で一緒に仕事をしながら話をしてみた。

「来週ちょっとお休みをいただいて良いかな?神殿の方に行かなくちゃいけなくて」

「また泣きつかれたのか?神の奇跡を演じたかったら毎度まいど他人様ひとさまをあてにしてないで、自分たちでまともに使える術者を育てるべきだろうに」

「使う人がすごく少ない魔法だから、教えられる人もほとんどいないし、なかなか習得できないのも仕方ないよ。習得するのもけっこう難しいみたいだし」

「しかしだな……」


「今回はだいぶ腎臓をやられてるみたいで、大きく損傷した臓器の再構築ができる人じゃないと役に立たないみたい。腎不全はここまで悪化しちゃうとすごくしんどいんだよ。全身むくむし、あちこち痛いし、息苦しいし。そのくせすぐに死ねるわけじゃないし……マリウス殿下たってのお願いだし、神殿にも貸しを作れるし……ね? お願い?」

「……仕方ないな。絶対に、無理はするなよ」

 すごく渋々だけど、患者さんが辛そうだからと押し切ると、エリィも認めてくれた。
 今からちゃんと食べて体力つけておいて、今回は倒れないようにしておかなくちゃ。
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