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本編

P3 思いがけない再会

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 大夜会の翌々日のこと。
 朝目覚めると、あの方がテラスで日光浴をするアナトリオの揺りかごの傍らで絵本を読みあげておられました。

「まだ字を読むどころか、口もきけないのに絵本の読み聞かせなど馬鹿馬鹿しい。すぐにおやめなさい」

 無意味な真似はすぐやめるように叱りつけると、おとなしいあの方にしては珍しく口答えをしました。

「お言葉ですが夫人、赤子というものは産まれてすぐ……いえ母の胎内にいるうちから耳は聞こえていて、家族の言葉を必死に覚えようとしているのです。産まれ出ることができたらできるだけ多く語り掛け、良い言葉を聞かせて心と言葉を育ててさしあげなければなりません」

「やかましい。お前ごときが何を知っていると申すのです。身の程を知りなさい!!」

 訳知り顔でどうでも良い事を並べ立てるあの方に思わず言葉を荒げてしまうと、驚いたアナトリオが激しくむずかり始めました。
 ぎゃあぎゃあと耳障みみざわりな泣き声に、耳をおおいたくなります。

 赤子というものはどうしてこう、臭くて汚くてうるさいものなのでしょうか。好き好んでこんな気持ちの悪いものを構いたがるあのお方の気が知れません。
 頭がおかしいのではないでしょうか。それとも嫡子のアナトリオに今から取り入っておいて、いずれお家を乗っ取るつもりでいるのでしょうか。

 うんざりしているわたくしをよそに、あの方は素早くアナトリオを抱き上げると優しくなだめ、子守唄を唄い始めました。

 あの方がゆったりした歌のリズムに合わせて身体をゆすり、穏やかに微笑みかけると、火のついたように泣いていたアナトリオは徐々に静かになり、きゃっきゃと笑い始めたではありませんか。あの方の腕の中で楽し気に声を立てるアナトリオの笑顔は輝くような愛らしさで、まるでわたくしではなく、あの方の子のようです。
 思わず我が子を奪い返そうと手を伸ばしたところ、アナトリオは恐怖に引きつった顔でぎゅっとあの方にしがみついてしまいました。そしてあの方に甘えるように頬を摺り寄せたまま、わたくしには怯えた目を向けてきたのです。
 苦しい思いをしながら1年近くも腹の中で育て上げ、我が身が裂けんばかりの激痛に耐えて、命がけで産んでやったのはこのわたくしだというのに。わたくしは屈辱に震えながらその場を立ち去るしかありませんでした。

 むしゃくしゃしながら食堂に行くと、旦那様はとうに朝食を済ませた後でした。
 わたくしも簡単に朝食をとると、気分転換に出かけます。

 一般に公開されている外宮の庭園で、咲き誇る季節の花々を眺めながら散策し、木陰のベンチで今話題の恋愛小説を読みます。陽が高く昇ってきて喉が渇いたので、巷で評判のカフェに赴き、午前のお茶を楽しむことにしました。
 テラス席でお茶を楽しみながら、人気のカスタードを添えたスコーンを味わっておりますと、なんとエスピーア様が声をかけてこられました。

「おはようございます、タシトゥルヌ夫人。朝の散策をしていたらすっかり喉が渇いてしまいました。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「ええ、喜んで」

 エスピーア様の話題は、流行りの芝居に恋愛小説、素敵なお菓子に高貴な方々の秘密のお話と、どれも楽しいものばかり。
 やれ税率がどうの、冬の蓄えがどうのと、下々の者の辛気臭い事ばかり気にしている旦那様の下らない話とは大違いです。
 旦那様は官吏としては優秀かもしれませんが、人として全く面白みに欠けており、わたくしは退屈きわまりない結婚生活に絶望しているのです。

 この間など、せっかくマリウス殿下がいらっしゃっているにも関わらず、あのお方と三人で「最近バッタの色が黒っぽくなって翅が伸びてきた」などと気色の悪い話をしておられたのです。そんな汚らしい虫の話など、わたくしども高貴な身の上の者が口にして良いものではございませんのに。

 エスピーア様はわたくしの苦悩をご理解下さり、旦那様がいつもどのようなお話をされているのか丁寧かつこと細かに聞いてくださいます。
 ですからわたくしも誠心誠意、旦那様がおっしゃっていた事をひとつひとつエスピーア様にお教えしました。そして、そんなつまらない話に付き合わさる憐れなわたくしを心から労わり、その知性と忍耐を称賛してくださったのです。

 エスピーア様と愉しい時間を過ごし、朝の不愉快な気分をきれいさっぱり忘れる事のできたわたくしは、またお目にかかれるようお約束をして彼とお別れしました。
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