2 / 94
本編
E1 始まりは勘違い
しおりを挟む
それは紛れもない政略結婚だった。
由緒正しき侯爵家のご令嬢とは思えない激しい男性遍歴。子爵家や男爵家と、見事なまでに下位貴族の次男三男ばかり、次から次へと誘われるままに関係を持っている。
常に男性に誉めそやされ、傅かれ、激しく求められていなければ気が済まないらしい。
そんな彼女にまともな縁談があるはずもなく。
ついに二十二歳と、この国の貴族令嬢にしては適齢期を過ぎつつある年齢になってしまった。
そんな彼女は当然のことながら家格が釣り合う様な高位貴族からの縁談は全くないのだが、本人は自分が社交界の華で誰もが婚姻を望んでいると思い込んでいるらしい。
自分に持ち込まれる裕福な下位貴族からの縁談を鼻で笑いながら、一日も早く自分にふさわしい縁談を持ってこいと父親や兄にわめきたてているのだそうだ。
俺に王命によるその縁談が持ち込まれたのは、彼女と家格と年齢が釣り合いそうな高位貴族の独身男性が他にほとんどいなかったせいだろう。
家格に合わない結婚は、ご令嬢とそのご実家に何らかの欠陥があると知らしめるようなもの。財務大臣を輩出してきた王党派の由緒正しきコンタビリタ侯爵家の名誉が失墜すれば、王党派そのものの勢力が縮小しかねない。
何とかしてうわべだけでも体裁の整った結婚を一度はさせる必要があったのだ。王命とあらば俺に拒むすべはない。
それに、第二王子殿下のお気に入りを強引に俺の手元に置いている負い目もある。どうせ、誰を娶ったところで本気で恋愛感情を抱く事などできないのだ。色々と諦めた上で、せめて穏やかな家庭を築くために精一杯努力することにした。
顔合わせの日、未婚の侯爵令嬢とは思えないような、派手で露出の高い装いの彼女に対し、頭痛をこらえながら何とか笑顔を作ってこう言ったことを、今でも昨日の事のように覚えている。
「パトリツィア嬢、これは政略結婚です。お互いに恋愛感情を抱くのは難しいでしょう。
それでも、双方が協力して努力すれば、家族として温かな愛情のある夫婦になることはできるかもしれません。
私とともに歩む努力をしていただけますか?」
「もちろんですわ」
傲慢な笑みを浮かべ、軽く鼻を鳴らして即答した彼女の表情を見て、ああこれは勘違いしているだろうな、と思った。
彼女の頭の中では俺が一方的に彼女に惚れ込んでいて、彼女が愛を返せないとわかっていても、せめて家族としてやっていくことを望んでいる事になっているのだろう。
しかし、時間はたっぷりある。少しずつ歩み寄りながら誤解を解いていけば良い。あの時はそう思ってしまった。
思えばあの時ちゃんと何らかの手を打っておけば良かったのだ。
しかし俺は高位貴族の男性なら誰も相手にしようとしない、いわくつきの女性を王家から強引に押し付けられた形で娶る事にある意味安堵していた。
彼女は高位貴族の妻としてあからさまに不適格な人物だ。ここまで不行状で悪名の高い女性であれば、俺が彼女に愛情を抱けなかったとしても、ほとんどの人間は彼女のせいだと考えて、俺に問題があるとは思わないだろう。
侯爵夫人として尊重し、家族としての情だけを育むように努めれば、夫としては充分に務めを果たしたことになるのではないか。
自分でもクズだとは思うが、当時の俺は何の愛情も抱けない相手を口説かなくてすむ立場になれた事への喜びでいっぱいだった。それが彼女の目には、彼女との婚約そのものを喜んでいるように見えてしまったのかもしれない。
数少ない親交のある人には「わたくしはついにあの氷の貴公子の心すら射止めたのですわ。これでわたくしも名実ともに社交界の女王ですわね」と自慢していたそうだ。
冗談ではない。あんな阿婆擦れに絆されてたまるか。
どうせ俺の事は財布兼アクセサリー程度にしか思っていないくせに。
婚約後も正式な婚姻まで毎日のように男を咥えこむ彼女を、内心では激しく罵り嫌悪しながら、腹黒い俺は表面だけ穏やかな笑みを浮かべ、彼女を尊重している振りをした。
本当は自分でもわかっている。
あの女が妻として、あるいは家族として愛情を抱くことが難しい人物であることと、俺があの女を愛する事ができないのは別の問題だ。
たとえ王命で婚姻させられる相手がまともな女性であったとしても、今さら恋愛感情を抱くことなど到底できないのは、俺自身の問題だ。
それなのに、俺が彼女を愛せないのは彼女自身の不行状のせいだと、自分で自分に言い聞かせて、俺は悪くないと思い込んでいた。そんな心理状態で、彼女と家族としての信頼関係や愛情など築きようがないというのに。
だから彼女は俺にとって何よりも大切な、俺自身の生命よりもずっとかけがえのないものを容赦なく奪って行ったのだろう。
由緒正しき侯爵家のご令嬢とは思えない激しい男性遍歴。子爵家や男爵家と、見事なまでに下位貴族の次男三男ばかり、次から次へと誘われるままに関係を持っている。
常に男性に誉めそやされ、傅かれ、激しく求められていなければ気が済まないらしい。
そんな彼女にまともな縁談があるはずもなく。
ついに二十二歳と、この国の貴族令嬢にしては適齢期を過ぎつつある年齢になってしまった。
そんな彼女は当然のことながら家格が釣り合う様な高位貴族からの縁談は全くないのだが、本人は自分が社交界の華で誰もが婚姻を望んでいると思い込んでいるらしい。
自分に持ち込まれる裕福な下位貴族からの縁談を鼻で笑いながら、一日も早く自分にふさわしい縁談を持ってこいと父親や兄にわめきたてているのだそうだ。
俺に王命によるその縁談が持ち込まれたのは、彼女と家格と年齢が釣り合いそうな高位貴族の独身男性が他にほとんどいなかったせいだろう。
家格に合わない結婚は、ご令嬢とそのご実家に何らかの欠陥があると知らしめるようなもの。財務大臣を輩出してきた王党派の由緒正しきコンタビリタ侯爵家の名誉が失墜すれば、王党派そのものの勢力が縮小しかねない。
何とかしてうわべだけでも体裁の整った結婚を一度はさせる必要があったのだ。王命とあらば俺に拒むすべはない。
それに、第二王子殿下のお気に入りを強引に俺の手元に置いている負い目もある。どうせ、誰を娶ったところで本気で恋愛感情を抱く事などできないのだ。色々と諦めた上で、せめて穏やかな家庭を築くために精一杯努力することにした。
顔合わせの日、未婚の侯爵令嬢とは思えないような、派手で露出の高い装いの彼女に対し、頭痛をこらえながら何とか笑顔を作ってこう言ったことを、今でも昨日の事のように覚えている。
「パトリツィア嬢、これは政略結婚です。お互いに恋愛感情を抱くのは難しいでしょう。
それでも、双方が協力して努力すれば、家族として温かな愛情のある夫婦になることはできるかもしれません。
私とともに歩む努力をしていただけますか?」
「もちろんですわ」
傲慢な笑みを浮かべ、軽く鼻を鳴らして即答した彼女の表情を見て、ああこれは勘違いしているだろうな、と思った。
彼女の頭の中では俺が一方的に彼女に惚れ込んでいて、彼女が愛を返せないとわかっていても、せめて家族としてやっていくことを望んでいる事になっているのだろう。
しかし、時間はたっぷりある。少しずつ歩み寄りながら誤解を解いていけば良い。あの時はそう思ってしまった。
思えばあの時ちゃんと何らかの手を打っておけば良かったのだ。
しかし俺は高位貴族の男性なら誰も相手にしようとしない、いわくつきの女性を王家から強引に押し付けられた形で娶る事にある意味安堵していた。
彼女は高位貴族の妻としてあからさまに不適格な人物だ。ここまで不行状で悪名の高い女性であれば、俺が彼女に愛情を抱けなかったとしても、ほとんどの人間は彼女のせいだと考えて、俺に問題があるとは思わないだろう。
侯爵夫人として尊重し、家族としての情だけを育むように努めれば、夫としては充分に務めを果たしたことになるのではないか。
自分でもクズだとは思うが、当時の俺は何の愛情も抱けない相手を口説かなくてすむ立場になれた事への喜びでいっぱいだった。それが彼女の目には、彼女との婚約そのものを喜んでいるように見えてしまったのかもしれない。
数少ない親交のある人には「わたくしはついにあの氷の貴公子の心すら射止めたのですわ。これでわたくしも名実ともに社交界の女王ですわね」と自慢していたそうだ。
冗談ではない。あんな阿婆擦れに絆されてたまるか。
どうせ俺の事は財布兼アクセサリー程度にしか思っていないくせに。
婚約後も正式な婚姻まで毎日のように男を咥えこむ彼女を、内心では激しく罵り嫌悪しながら、腹黒い俺は表面だけ穏やかな笑みを浮かべ、彼女を尊重している振りをした。
本当は自分でもわかっている。
あの女が妻として、あるいは家族として愛情を抱くことが難しい人物であることと、俺があの女を愛する事ができないのは別の問題だ。
たとえ王命で婚姻させられる相手がまともな女性であったとしても、今さら恋愛感情を抱くことなど到底できないのは、俺自身の問題だ。
それなのに、俺が彼女を愛せないのは彼女自身の不行状のせいだと、自分で自分に言い聞かせて、俺は悪くないと思い込んでいた。そんな心理状態で、彼女と家族としての信頼関係や愛情など築きようがないというのに。
だから彼女は俺にとって何よりも大切な、俺自身の生命よりもずっとかけがえのないものを容赦なく奪って行ったのだろう。
0
お気に入りに追加
332
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる