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90話

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「ルーカス、どうした?こちらへおいで」
優しいシルフェ様の声。
「シルフェ様」
「悪かったね、何も教えなくて。もしかしたら出来ずにガッカリさせるよりは良いかなって思って」
差し出された手に手を重ねて広間の中心に二人並び立った。
用意された机を飾るのは今が盛りの白く小さな可愛らしい花。
「ルーカス」
「お父様、お兄様……」
声を掛けられヴェールで視界がはっきりしないながらもその声で誰かわかった。
「アーデルハイド侯爵にも来て貰ったよ」
シルフェ様と繋ぐ手に少し力が込められた。
「ありがとうございます」
「さぁ、先に書かせてもらうよ?」
テーブルの上に置かれているのは婚姻証書。
名前を書き、所定の機関に提出をすれば、婚姻が認められる。
サラサラとシルフェ様が名前を綴り、俺に振り向くと差し出してきたのはあのペンだった。
「ルーカス、名前を書いてくれ」
「はい……」
「ルーカスに貰ったが、今日初めて使う。インクの色も知らなかったが綺麗な青だな」
ペンを持つ手が震える。
此処に自分が名前を書いてしまって良いのだろうか。
ちらりとシルフェ様を見上げると、シルフェ様の目が細められた。
シルフェ様の名前の下に自分の名前を書いた後に手が止まる。
え?
俺の手からするりとシルフェ様がペンを抜き取り、自分の胸ポケットに戻す。
「これで、婚姻は成立した。王族であるディートリヒ・シュテルンハイムの名において立会とする」
そう高らかに宣言したのは、先程までそこには居なかった人物。
だが、この国の名を冠するのは王族のみ。
顔を上げると、何処かで見た事のある風貌だった。
「兄上、おめでとうございます」
ディートリヒと名乗った男は婚姻届を手に、シルフェ様に笑みを向ける。
思い出した。
あの、花街で俺を買おうとした人だった。
「ルーカス嬢……いや、姉上も幸せに。兄上の物だったらそりゃ駄目だな。残念」
最後の方は俺達にしか聞こえないくらいの声で囁く。
「シルフェ様」
「悪い……後でたくさん叱られるからな?今夜は一緒にいよう」
低く甘い声で囁かれ、俺は目眩をおこしそうになる。
沢山の情報が入ってきて追い付かない。
「歩けるか?」
その言葉にこくりと頷くが、足が前に出ない。
すると、シルフェ様が俺を抱き上げた。
「式は後日盛大に行うつもりだが、先に籍だけ形にしてしまいたかったんだ……すまないなルーカス」
「謝らないでください、俺……良かったんですか?」
「ルーカスをアーサー等にやるつもりはないし、アーサーよりは地位は低いが同じ家名なら文句は無いだろう?」
クスクスと笑うシルフェ様に俺は無言で抱きついた。
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