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昼下がりの幽霊令嬢

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 支離滅裂な懺悔と哀願の言葉。そして、けたたましい悲鳴が、明るい日差しの中に轟いていた。

 凍りつく野次馬の一人であった私は、理性を忘れて狂乱する人間の姿より、むしろ怪訝そうに小首を傾げた令嬢の、場違いな平静さにこそ肝が冷えた。

 私は未だにあの体験を、どう認識すべきか、はかりかねている。

 □

 今から三十年ほど前になる。当時の私は、王都で設計を学ぼうと、地方から出てきた若造に過ぎなかった。

 その頃の王都では、奇妙な怪談話が流行していた。中央地区にあるアータム橋近辺へ、女の幽霊が出るというのだ。
 その幽霊の正体は若い貴族令嬢。結婚を誓った恋人に棄てられ、アータム橋から身投げして果てたという。かくして幽霊令嬢は、裏切り者の恋人を探して、さ迷い歩いているそうだ。

「ありがちな怪談話だな。いったいどこが面白いんだか」

 同郷の友人オレアンダー君が鼻を鳴らした。彼は現実主義者の豪胆な男で、怪談話を聞かせてやると、必ずケチをつけてくる。怪異譚を好む私は、せっかく披露した怪談をけなされて心外に思っていた。

「最後まで聞けよ、オレアンダー君。その幽霊なんだがね、なんと真昼に出没するらしいんだ」
「そりゃ、変わっているな」
「だろう? 最初は普通のご令嬢が、散歩でもしているように町中を歩いている。それで、彼女が自分の恋人を……まあ、実際は違うんだが。恋人に似た男を発見すると、いそいそと近付いていく」
「ははぁ、それで相手をとり殺すってわけだな」

 オレアンダー君の予想を聞いて、私は得意になった。彼の持論では、怪談には一種の法則性があるらしく、半分も聞けば大体の内容がわかってしまうという。自信たっぷりに公言するだけあって、彼の先読みは驚くほど当たるのだ。
 しかし、この時ばかりは彼の予想が外れていた。いつも悔しい思いをする私としては、嬉々として続きを話した。

「いいや、殺しはしないんだよ。かわりに、囁きかけるんだそうだ」
「へえ。それで?」
「囁かれた男は、自分が彼女を裏切ったと思いこんでしまう。恐怖にかられて逃げ出したり、自警団の詰所で保護を求めたり、反応は様々だ。正気付いた彼らへ事情を尋ねてみると、口を揃えて記憶に無いと答えるそうだ。きっと記憶が消されてしまうんだろうね」

 オレアンダー君は珍しく、私の怪談を面白がっていた。

「案外、被害者全員が、彼女の恋人だったりしてな」
「え!?」
「ほら、ディニッチの仕立屋の側に若い娘が時々立っているだろう?」
「えーと……、ああ、いるね。金髪の、ちょっと可愛いお嬢さんだ。お針子の娘が、友達と待ち合わせでもしてると思っていたが」
「いいや。彼女は、してるらしいぜ」

 オレアンダー君が癖のある笑みを見せた。

「きっと真相はさ、あの娘みたいな花売りの幽霊が、客たちを脅してたんだ。奥様にばらしますよー、ってな。それなら、経緯を質問されても、記憶にございませんと答えるだろうさ」
「オレアンダー君……」

 記憶が消える理由の筋は通るが、怪談としてはどうだろう。そこまでしたたかな娘なら、そもそもアータム橋から身投げなんてしそうにない。

「ははっ、今のは冗談さ。悪かったよ。ただ、作り話の中には、皮肉を入れたり、わざと内容を変えたりして、事実を誤魔化しているものがあるだろ」
「政治風刺の滑稽話とか?」
「そう、それだ。君の幽霊話も、元になる現実的な事象が、馬鹿げた怪談みたいな形に捻じ曲がっているだけかもしれないぞ。政治風刺とは違って意図的なものじゃなく、伝聞が広がるうちに自然に変化したのさ」

 昼間に出歩く幽霊令嬢。オレアンダー君の説を踏まえて、あの怪談の元になる事実を想像してみた。

 もしかしたら、令嬢は死んでないのかもしれない。体が透けていたとか、煙みたいに消えたなんて描写がどこにもないからだ。入水自殺した幽霊のくせに、濡れてもいない。

 昼間、普通に歩いてくる令嬢は、生きているほうが自然だ。だが、幽霊でないとすると、女性が話しかけただけで複数の男が恐慌状態に陥る点が、腑に落ちなくなる。
 相手が生きている令嬢だったなら、大多数の男性は『人違いですよ、お嬢さん』とでも言って立ち去るのではないだろうか。

 そんな調子で悶々と、私は頭を悩ませた。

「うーん、彼女にはパニックを誘発する、超能力でもあるのかな?」
「またオカルトかっ! 君って奴は、すぐそれだ。強引に理由をこじつけるにしても、せめて情動操作魔法くらいにしておけよ」
「禁忌魔法の使用だって? さすがにないよ。せっかくの怪談を、王家と魔法省が出てくる胡散臭い陰謀論にしないでくれ」
「念力なんか空想だろ。これだから、オカルト好きってやつは……」

 中央地区の大通りをぶらついていた私たちが、ちょうどアータム橋の近辺に差し掛かった時だ。出し抜けに、悲壮な声が往来へ響きわたった。

「ゆるしてくれぇっ!」

 午後の明るい空気を、引き裂くような悲鳴だった。顔を見合わせた私たちは、声をたよりに駆け出した。すでに野次馬が人垣をつくっており、私とオレアンダー君もその一員へと加わっていく。

「わたしが悪かった! ゆ、ゆるしてください、シスルさまあぁぁ!!」

 輪を作った人垣の中央で、一人の老人が悲鳴をあげていた。身なりから察するに上流階級の男だろう。おそらく貴族だ。貴族の老人が地べたへ腰を抜かし、ぶるぶる震えて泣きじゃくっていた。

「ああぁぁ、わたしも強要されていたんです、信じてください望んでいたことはないんだ無理強いされてしかたなかったんですおゆるしをゆるしてぁぁ!」

 ひたすら許しを乞う老人。その正面には、一人の少女が立っていた。鮮やかな紫の髪が美しかったのを憶えている。
 地方郷紳の子に過ぎない私だが、彼女に備わった洗練された優美さや、上品な服装から、代を重ねた高貴な血筋だと簡単に察せられた。

「同じにしただけなのに、どうして怖がるの?」

 令嬢はポツリと言った。小首を傾げて、怪訝そうな様子だった。だからこその異様さに、私はたじろいだ。

 正気を失った老人が泣きわめき、支離滅裂な懺悔と哀願を、怒涛のようにまくしたてている。距離を置いた私からさえ、老人の姿は気味が悪かった。
 にもかかわらず、あれほど至近距離にいる令嬢が、ただ平然としていたのだ。普通ではないと、私は老人より、令嬢へ怯えた。

 私だけではない、傍らのオレアンダー君も、野次馬たちも、この異様さに戦慄して棒立ちになっていた。

「おい、君! 祖父に何をした!」

 沈黙を破ったのは青年だった。彼は老人と令嬢の間へ割って入り、彼女と対峙する。この青年だけではなく、人垣の輪のやや内側に、数人の貴族たちが踏み入ってきた。けれど、青年を除いた貴族たちは、それ以上、接近する様子はなかった。
 不安そうな面持ちの貴族たちには、若い女性も一人混じっている。心配そうに青年を見守る真剣さから、婚約者かと推測した。

 何かの祝い事で、両家の親族が集い、食事会でもしていたのだろうか。そういえば、私たちがいたのは、高級レストランの正面だった。

「君が祖父へ話しかけたのを見たぞ! 祖父はな、品行方正で誰もが尊敬する正義の人なんだ! 言いがかりの類いなら、やめてもらおうか!」

 老人の盾となり、勇敢に声を上げて抗議する青年。彼の勇姿を認識した令嬢の紫の髪が、一瞬、淡い光を帯びて見えたのは、私の気のせいだろうか。

 驚くべきことが起こった。令嬢の表情や態度が、ガラリと変わったのだ。

 表情を欠いていた端正な顔が、弱者をいたぶる陰湿な笑みでニタリと歪む。暗い悦びを浮かべた目付きの、なんと浅ましいことか。
 青年をじっとりと観察する無遠慮な視線。肩を怒らせる立ち姿。先ほどとは、まるで別人だ。

 人差し指を青年の顔へ突きつけて、令嬢がニタニタと話しかける。

「おい、誰に向かって口をきいている、ジニア・ヒール。子爵令嬢風情が、俺の邪魔をするとはいい度胸だなぁ?」

 令嬢は彼を嘲り、せせら笑った。どこかの女性の名前を、青年に向かって呼びかけている。そういえば、彼女の態度や振る舞いは、自分より身分が低い女性をいたぶる残忍な男のように見えた。

「それとも、わざと煽っているのか? 妾狙いで抱いて欲しいなら、もっと可愛げをみせてみろよ。 ……おい、くそっ! 清楚ぶって泣き真似はやめろ、アバズレが。チッ、もういい、どけよ。いいか、他言したら殺すぞ」

 豹変した令嬢に、青年は威勢を失い、立ち尽くしていた。もしかしたら、彼女の言動に心当たりがあったのかもしれない。呼びかけられた女性の名前を知っていたのだろうか。

 煩わしそうな手つきで、令嬢は青年を脇へ押し退けた。青年はふらついただけで済んだが、もし、あの乱暴さで女性の体を押していたら、相手は転んでいたに違いない。
 足元で震える老人を見下ろして、令嬢は陰険な笑みを深めた。怯える姿を堪能する、醜悪な表情だ。

「ごきげんよう、シスル様。今日こそ、良いお返事をお聞かせ願えませんか? 貴女からのご希望で、ご婚約を白紙に戻して下されば、全て穏便に解決できるのですよ。はぁ? 王妃の資質ですかぁ? 麗しいコロンビーナ嬢には備わっておりますからご安心を。何の役にも立たない妹殿下しか、お味方がいない貴女より、ずっとね。ははは!」

 老人は絶叫した。耐え難い恥を、隠し続けた醜悪さを、白日の元に晒されたかのような、絶望の咆哮だった。
 間延びした悲鳴が、ふつりと切れる。老人が白目を剥いて失神したのだ。私は気の毒に思うより先に、安堵していた。あのまま叫び続けたら、老人の心臓がもたない気がしていたからだ。

 青年が慌てて老人へ駆け寄り、脈をとっていた。他の親族とおぼしき数人も、老人を介抱し始めた。令嬢は元の様子に戻り、静かに、そして平然と佇んでいる。

「お姉様、お探し致しましたわ!」

 じっと老人を見つめる令嬢へ、弾んだ声が投げかけられた。ようやく十代にさしかかった程度の幼い少女が、優雅な足取りで令嬢へ歩み寄っていく。彼女もまた、高貴な血筋を感じさせる貴族娘だ。護衛や使用人を大勢引き連れているあたり、相当高位の貴族かもしれない。

「皆様、ごめんなさいね。お姉様ったら、昨夜の観劇が楽しくていらっしゃって、真似されたかったみたいなの」

 演劇の真似だと少女は言った。確か、アータム橋を渡ってすぐに劇場がある。だが、私には先程見た光景が、素人芝居とは思えなかった。おそらく納得した者は一人もいなかっただろう。

 けれど、他の貴族たち、あの老人の身内すら少女へ抗議しなかった。それどころか、お気になさらず、こちらこそお騒がせしました、などと弱々しく頷く始末だ。

 力で屈服させられる者の無念さは感じられない。あの愁嘆場を、自分たちの恥と認識している、バツの悪さが漂っていた。
 令嬢が行った野卑な振る舞いに、彼らを黙らせるだけの意味があったのか、行きずりの私にはわからなかった。

「カトレア」
「さ、帰りましょう、お姉様」

 奇妙な姉妹は、その場から歩きだした。自然に人垣が割れて、道が出来あがる。

「おい、コリウス君、俺たちもどいたほうがいい」

 強張った表情のオレアンダー君に声をかけられて、私も一歩、ぎこちなく脇へ退いた。
 ぼんやり立っている私たちの側を二人が通り過ぎていく。すれ違いざまに、令嬢がそっと零した言葉が微かに聞こえた。

「こうなる筈じゃなかった」

 私はハッと胸を突かれた。途方に暮れた子供のような呟きだと、そう思ったのだ。



 それから、幽霊令嬢の怪談話は徐々に下火になり、いつの間にか消えていった。揉み消されたというより、みんな飽きてしまったのだと思う。
 当時の王都では、歌う首無し騎士だとか、遠泳してきたローレライだとか、愉快な怪談話がたくさんあったのだ。

 オレアンダー君と話し合ったが、あの令嬢が幽霊の正体だという結論で、意見が一致した。我々平民には知りようのない貴族同士の揉め事が裏側にあるのだ。貴族しか知らない醜聞を令嬢があげつらい、男たちを怯えさせたのだと思っている。
 幽霊令嬢の怪談は、たまたま異様な光景を目撃した野次馬の恐れが、一人歩きした結果ではないだろうか。人から人へ伝えられるうち、『怖い令嬢』が『幽霊令嬢』へと、いつの間にか変わっていったのだ。

 謎ばかり残した、煮え切らない幕引きだ。けれど、あの令嬢の残した言葉が私へもたらした不思議な心の動きは、鮮烈な記憶として残っている。

 私は彼女が怖かった。異常さに寒気がした。けれど、あの途方に暮れた呟きを聞いた途端、私は彼女を怖がるどころか、慰めの一つもいってやりたい心境になっていた。

 あの令嬢の本質は善悪のどちらだったのだろう?

 ただ居合わせただけの私が悩んでも、仕方ないのは知っている。しかし、幽霊令嬢の怪談を思い出すたび、誰かの醜態をあげつらって人を苦しめる行為は、本当に彼女自身の意思だったのかと、考えずにはいられないのだ。
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