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 序章 「     」

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 東京都千代田区。



 白衣の男性がコンビニ袋を提げて、夜のビル街をのらりくらりと歩いている。



 頭はぼさぼさで癖毛混じりの赤毛であった。学生の頃は地毛なのに教師によく呼び止められて嫌いだったが、社会に出れば気にされることもなく、今では少しカッコいいとさえ思える。



 猫背にサンダル姿は日本の行政区間が立ち並ぶ霞が関では物珍しく、すれ違うサラリーマンと何度も目が合う。しかしサラリーマン達は我関せずとスグに先を急ぐことを男は知っていた。



 不審者でも人生に関係性のない人間へ興味を持たないのは当たり前だ。もしここで男が困っていたとしても、誰も助けはしないだろう。



 他者が困っていて助けるのはフィクションの世界のみだと彼は思う。現実は無関係の人間に手を差し伸べられない。何らかの裏がある者のみが手を差し伸べる。



 大人になれば更にそうだ。不要でも善意の押し売りをする奴もいる。



 しかし男はそれで良いと感じていた。



 打算的で偽善的、実に楽でいいじゃないか。



 助けてもらって下手に恩義を感じる必要もなく、助けて貰わなくても世の中そんなものだと割り切れる。



 それでいて人間は物語にありもしない無償の愛や献身的な行いを求め、感動し、心動かされるのが不思議だ。



 現実の自分の生活に求める映像がないからこそ、彼らはフィクションの世界に自分たちが求める正義や愛情を見出そうとしている。



 打算的で偽善的、それでいて偶像仮想に正義を求める。



 実に人間らしく、愛おしい。考えただけで無駄に何日も過ごせそうだ。



 もし何の理由もなく関連性のない人間を助けたり、守ろうとするのであれば、そいつは頭のネジがどこか外れた欠陥品だ。心の欠損を偽善で埋めようとしている。



 偽善で埋めようとした心の穴は時間が経てば砕け、更に大きな偽善が必要となり空虚だけが増える。そしていずれ利用されて死んでいく。



 人を無条件で助けるのが良い悪いということではない、その意思を利用するものが悪となるのだ。だが無条件で助けようという人間ほど、利用されて馬鹿を見て死んでいく。



 だから人は他者に手を差し伸べなくなり、打算的で現実的になる。



 その反面、心の何処かでは、物語の主人公のように手を差し伸べたい欲求も持ち合わせている。だが手を伸ばしても、何の意味もないという葛藤がある。



 近年そういった風潮があまりにも世間に浸透し過ぎた。



 ——世間という単語では表現できない。



 人間という概念の統合された意志、人類統合思念とでも呼ぼう。



 人類統合思念の現実と理想の葛藤により、個々の人間も諦めに支配されつつある。



 その結果、人々の多くは保守となり、自分の生活を維持するため、ただ生きるだけの生活を繰り返して死んでいく。どうだろう、なかなか悪くない考えだ、と男はほくそ笑んだ。



 人類が流されるままに生きるように進化すれば、間違いなく日本は滅びるだろう。



 まあ、国が滅んでも僕は研究さえできれば何でもいいけど、と心に注釈を加える。思考が脱線しそうになると彼は自分で心に語り掛ける癖がった。



 けれど、と彼は顎に手を当てる。



 往々にして国や文化、人類の統合思念を導き、変動を起こし、新世界を切り開いていく者は、どんな者だろうと。



 この答えを彼はもう得ている。



 それは頭のネジが外れた奴らが、人類統合思念と世界を次の世界へシフトアップさせるのだ。



 物語に出てくるようなヒーローを現実は求めている。人類の求める形を現実へ具現化させたのなら、諦めと怠惰に支配される人類史を変えることができるだろう。



 別に人類改革をしたいとは考えていないが、一つ上のランク上の人類というのは見てみたい。と思いながらエレベーターのボタンを規則性に合わせて何度か押す。



 今日はなんか気分が良い。昔の流行歌すら口ずさんでしまう。



 エレベーターの回数移動表示は消え、ぐおんぐおんと不安な音と流行歌が混ざり合いながら、地下へとエレベーターは下る。



 今の研究対象もネジが外れてくれてたら面白かったのにな。



 出来る事なら、こんな奴が見たかった。





 国から言われた任務を二つ返事で受けない奴。



 位の高い人間から受けた命令を疑いもせず、真面目に遂行しない奴。



 自分の感情と大人を秤にかけて、大人を選ばない奴。



 人生の失敗と儚さを知っても、再び自分を変えようと足掻く奴。





 要するに今の研究対象は、退屈この上ないってことでつまらんつまらん。



 途中で照明がオレンジから赤に変わり、生体認証システムが男を確認する。男は問題なかったのか、すぐさま照明はオレンジに戻った。



 エレベーターが開いてから真っ白な通路を通り、指紋認証、虹彩認証、掌形認証、顔認証、血管認証、体臭認証を全てクリアし、やっと研究施設の扉についた。



 コーヒー一本買いに行くだけでも一苦労だ。次からはまとめて買ってこようと思うが、その日は別のコーヒーが飲みたいかもだしなと思う。



 最後の扉は男が到着すると、すんなりと左右にスライドして開いた。



 研究所内には百名に満たない白衣の職員が慌ただしく走り回っている。



 男が軽く手を上げると、全職員は立ち止まり、自分たちの持ち場についた。



 室内の中央には一段高くなっている場所があり、スポットライトで照らされている人型のシルエットがある。



 大きさやフォルムは人間だが生物的な肌ではなく、機械的な装甲が人型の全身を構成していた。



 人型ロボットはアンドロイドにも見えたが、着心地を確かめるようにその場で軽くジャンプし、男に向かって片手をあげたので、人間が搭乗していることが分かる。



 男は片手をあげたロボット見て、準備完了の合図と悟った。



「これよりオペレーション、《Extreme coloring》を発動する。各員、しっかり働いてください!」



 男の声に合わせ、各職員たちが次々と指示に沿って行動を開始する。



 研究室中央の人型パワードスーツ《アトラス》は大小様々なコード類に接続されている。コード類は研究員たちが操る機材に接続されており、薄緑色の光がアトラスに注入されていく。



「第一アストラル剤、注入完了」



 男は頷き、眼鏡の研究員に目配せをする。



「賢者の石、起動します」



 賢者の石と呼ばれた武骨な巨岩は天井から生えるように存在している。賢者の石が起動すると、石は様々な色合いを表面に出現させて、まるで会話しているように色を変化させていく。



「色彩ハーモニクス正常」



「対概念浸食シールド、規定値ギリギリです」



「事象の地平突破に対する対応策をノルンから再計算、微調整しアトラスへ実装」



「了解、第一ノルンから第三ノルンによる協議の結果、賢者の石からパイロットへの概念浸食が強いようです」



「燃料はいくらあっても足りないが、仕方ありません。賢者の石からの供給を九十%に」



「了解——対概念浸食シールド規定値から一〇%上昇。生存可能値です」



 男はオペレーターからの報告に頷き、喉元に手を当て、小型マイクに語り掛ける。



「楽しんでといっても無理でしょうか? 帰ってきたらアイスくらいは奢ってあげます」



 緊張で喋れないのか、アトラスはコクっと頷く。



 賢者の石からアトラスへ降り注ぐのは、人類史で使用された言語から、これから生まれるであろうランダムな文字列。この姿はいつ見ても幻想的だ。この世界が神によって作られたプログラム言語で出来ていると錯覚すらしてしまう。



「アトラス、いってください!」



 降り注ぐ文字列の雨が強くなり、アトラスの姿は賢者の石の雨の中に消えていった。



 男はほっと胸をなでおろし、乱暴に椅子に崩れ落ちる。



 やれやれ人類で初めて月に行った人を、見守る気持ちが分かったような気がする。



 アイツは他人を疑わず、正義のために二つ返事で仕事を請け負う奴だから、このオペレーションを完遂できるかもしれない。



 だが問題はその先だ。



 その先を見据える者は、この研究所では僕しか存在しないだろう。



 アトラスが現実に帰還したその先。そこからが本当の始まりだ。



 それを解決できるのは、多分アイツじゃない。



 頭のネジが外れた最高の偽善者じゃないとダメだ。



 失敗に失敗を繰り返し、何物にもなれなかった人物の方が、アトラスを託せるはずだ。



 でももう遅い。全てが遅い。カウントダウンは始まり、アトラスは飛び立ってしまった。



 僕は変えることはできなかったし、しなかった。



 研究さえできればいいから。でも罪悪感もある。それは生命としての「もしかして良くないんじゃないか」という本能からのシグナルだ。



 今はそっと蓋をすると共に、もし可能なら——と、誰にともなく僕は願う。



 それは現代世界には存在しない代物だけど。



 成し遂げられなかった者の無責任な願いだけど。



 ——誰か正しき道筋を照らしてくれと。





 序章 「 無色 」
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