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⑫紗雪の決意
しおりを挟む異世界の人間を拉致する術があるのだから、還す術もあると思っていた。
いや、もしかしたら、それは自分の心を守る為に無意識にそう思い込んでいたのかも知れない。
日本神話のイザナミ然り、ギリシア神話のペルセポネ然り、黄泉の国の食べ物を口にした者は、その国の住人になってしまうという掟があったではないか。
しかも、紗雪にとってフリューリングは、自分が住んでいる世界とは異なる世界だ。
フリューリングが死者の住む世界とは言わないが、それでもそれに近い感覚で行動をするべきだった。
「紗雪殿・・・?」
「・・・・・・一人で考えたい事があるの」
(・・・・・・・・・・・・)
キルシュブリューテ王国とロードクロイツ家の人達に罪はない。
だが、このままここに居ては己の迂闊さを棚に上げて彼等に当たってしまいそうな気がした紗雪は、頭を冷やす為にロードクロイツ家の者が居並んでいるリビングダイニングを出て行くのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
寄り道をすれば見えなかったものが見えてくる
(レイモンドさん・・・)
屋根に腰を下ろしながら空を眺めている紗雪は、以前にレイモンドが言っていた言葉の意味を改めて考える。
回り道は無駄かも知れない。
だが、何時かはそれが自分の糧となり、人間として一回りも二回りも成長させるのだ。
レイモンドが言いたい事は分かる。
(でも、私は何をすればいいの・・・?)
元の世界に戻れないのであれば、フリューリングで生きて行くしかない。
これは自分を見直す機会だと頭では分かっているのだが、巫女としての生き方しか知らない紗雪は、本当の意味で自分が何をしたいのかが見つからないでいた。
「紗雪殿!」
「レイモンドさん?」
自分を呼ぶ声が耳に入った紗雪は、屋根の上からレイモンドを見下ろす。
「紗雪殿?!どうやって屋根に」
登ったのか?と聞こうとしたレイモンドであったが、元の世界ではアンデッド系の魔物や怪物を狩っていたのだから、それくらい出来る身体能力があっても不思議ではないと思い直していた。
「紗雪殿、貴女と話をしたい」
「え?私と話を?」
紗雪本人の了承を得る前にレイモンドは彼女の隣に座る。
「ああ。今の紗雪殿は昔の俺を、生きる目標がなく虚ろな俺を見ているような気がして放っておけないんだ」
レイモンドは話す。
長兄のグスタフと違って跡取りでもない自分には人生の選択肢が幾つもあったが、何をやりたいか?が見つからなかった事
成人を迎えたと同時に冒険者になったのだが、それは消去法として選択した道だった事
今でこそAランクの冒険者だが、果たしてそれは自分にとって正解だったのかと悩んでいる事
「自分で選んだ道を後悔するなどおかしな話かも知れないが、それが俺の本音なんだ」
(・・・・・・・・・・・・)
自分の人生を自分の思うように歩める者などそういないだろう。
だからこそ悩んだり、苦しんだり、足掻いたりしながらも日々を生きて行く。
それが人間という生き物が背負う業ではないだろうか?
レイモンドの言葉に紗雪は何も言えないでいた。
「これといってやりたい事が見つからなかった俺にも、ようやく生きる目標が見つかったんだ。紗雪殿、貴女のおかげでな」
「私の、おかげ・・・?」
「ああ。俺は紗雪殿が住んでいた国の料理をキルシュブリューテ王国に広めたい・・・」
レイモンド曰く
紗雪が自分の手料理を食べて笑顔を浮かべている姿を見ている内に、自然とそのような思いが芽生えたとの事だ。
「それにだ。元の世界に戻れなくなった紗雪殿が生きる目標を持てれば・・・少しでも故郷を感じてくれたら──・・・」
「ありがとう、レイモンドさん・・・」
篁の使命を果たせなくなり落ち込んでいる自分に新たな道標を示してくれたレイモンドに、紗雪は素直に感謝の言葉を口にする。
「それにしても、レイモンドさんの夢は随分と大きいと言えばいいのか・・・無謀と言えばいいのか・・・」
ネットショップで購入した調味料と食材を使えば、和食・洋食・中華のみならずフレンチやイタリアン、エスニックなど再現できるだろう。
だが、キルシュブリューテ王国に存在する食材で、それ等が再現できるだろうか?
洋食やフレンチ、イタリアンは可能だと思うが、和食と中華、エスニックは無理だと思う。
キルシュブリューテ王国と近隣諸国には大豆がないからだ。
仮に大豆、或いは大豆に似た豆があったとしても、キルシュブリューテ王国の気候や風土が味噌と醤油作りに最適なのかどうかも分からない。
(それに、この世界には米があるのかしらね?)
レイモンドの夢は荒唐無稽だと思う。
しかし、それはキルシュブリューテ王国の食文化と産業を発展させるのかも知れないとも思える。
「レイモンドさん、貴方の夢に協力するわ」
日本の食文化が広まるのは時間がかかるだろうし、思うように進まず途中で挫けてしまうかも知れない。
だが、それはやりがいのある仕事のように感じるのだ。
「紗雪殿、感謝する」
レイモンドの一言が、後にカフェ・ユグドラシルを誕生させる事となる。
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