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1話
しおりを挟む ゼーウェンが幼い頃より育ち、また魔術師として修行を積んできた賢神の森を出てから一月余り。
今朝岩山の大きな風穴の影で簡単に朝食を済ませ、再び飛行を続ける。
飛竜の疲れを見ながらの旅だ。
ゼーウェンの飛竜――騎乗用として用いられるグルガンのような竜種は、ある程度体に脂肪を溜め込むと、そのまま飲まず食わず2週間は持つ。
竜の代謝経路は本当に良く出来ていて、脂肪からエネルギーと水分を無駄なく取り入れられる。腎臓も、かなりの尿の濃縮に耐えられる。
このような死の大地では欠かすことの出来ない交通手段となるのだ。
竜が環境に耐えられるとはいえ、万が一病気にでも罹られれば即ち死を意味する。その上、こんなところで盗賊にでも襲われたらたまったものではない、とゼーウェンは思う。
――早く目当ての物を得て死の大地を出なければ。
厳しい環境だからこそ、希少価値の高い飛竜を狙う賊もいない訳ではないのだから。
「――! 見えた」
前方に遠く小さく見える岩山より少し左。
一段と高いそこは、ゼーウェンが目指す死の大地の頂である。
ゼーウェンは、すぐさま意識を静め、周囲の場を探った。
間違いない、かの頂のそれはとてつもない諸力の高まりを見せている。意識下で意識が眩む程の強い光を感じた。
辿り着くまで後2クロー(約1時間半)程だろうか。
***
意識下で見る光の渦はどんどんその強さを増してゆく。飛竜を着地させるために、その頂の周りを旋回し、首を返して上方から下降しようとした、その時。
ゼーウェンの魔術師としての目に、頂に奇妙な靄がかかっているのが映った。
「なんだ、あれは」
近づくにつれ、その形が何かに似ている、と思い。
人影だ、と直感した瞬間突然そこが眩い光に包まれた。
「グルガン、しっかりしろ!」
ゼーウェンはすばやく呪文を唱え、目を眩まされた飛竜を回復させる。同時に体勢を立て直すと再び上昇した。頂上の光はもはやなく、意識の目にも暗黒の穴が周囲の場を引き込んでいるのが分かる。
不安と焦りと絶望が入り混じったような感情が彼の心を支配しはじめた。
――誰かいる!
先ほどまでは人の気配が感じられなかったのに。あの人影だろうか。
もしや、花を先に奪われてしまったのだろうか。
ゼーウェンは今度は下方から真っ直ぐ飛ぶようにグルガンに指示した。
湧き上がる、自分自身への怒り。
――油断した、何たる失態だ!
母の形見だという指輪をした手をぎゅっと握り締めた。
――奪われたのなら取り戻す――我が師の恩に報いる為にも、何としてでも『花』を持ち帰らなければ!
***
この大陸にあるグノディウス王国とアリア皇国の南方に接するフォルディナ公国。その辺境、カーリア地方に、かつて、暗黒森と呼ばれていた広大な森が広がっている。
そこは昔から入ると必ず迷い、二度と出て来る事は出来なかった。故に、人々は、その森には魔物が棲んでいて、入ったものは魅入られ喰われてしまう、と噂しあった。
いつしかそこは暗黒森と恐れられ、忌み嫌われるようになったのである。
18年前、一人の男がこの地にやって来た。
男は魔術に長けており、この森にある種の結界が施されている事に気が付いた。男がその結界を解いて結びなおした事で、人々は森に入って歩き彷徨っても必ず出口に辿り着けるようになったのである。
後に、暗黒森であったそこは、魔術師の男に畏怖と敬意を表してセルヴェイの森もしくは賢神の森と呼ばれる様になった。
セルヴェイとは魔術師の男の名。賢神とは風の神フォーンを指し、フォーンは魔術と知恵の神でもあった。
セルヴェイは森の中央に庵を結んだ。そして、ゼーウェンの師となったのである。
ゼーウェンが物心ついた時には師であるセルヴェイと共に暮らしていた。
自分自身、養い親でもある師について知ることはあまりなかった。近くの村に買出しに行ったついでに村人達から色々師について聞かれることがあった。
しかしゼーウェンが知っているのは、かつて師が北方のグノディウス王国に仕えていたということと、偶に身分の高そうな人物が尋ねて来ること位だった。
そんな時、いつも心なしか師が暗い表情をしていたのを覚えている。
何者であるかは兎も角、セルヴェイ師は森を安全にした功労者として村人達に歓迎されていた。ただ一人、村のウルグ教の神官を除いてだが。
治療の知識や珍しい薬草を持っているセルヴェイ師は、医者がいない辺境の小さな村では貴重な人物である。ウルグ教会の説くところの魔術は禁忌であるとか、邪術であるとかいう思想はここではあまり意味を成さなかったとも言える。
彼はまたよき教師、親であり、ゼーウェンはそんな師のもとだからこそ魔法の才能を最大限に発揮できたと思う。
一人前の魔術師になる為には、師から出された試練を乗り越えなければならなかった。
試練はそれぞれの導師によって、また弟子によって違う形式で与えられるが、概ね旅にでて、何かを証として持ち帰る――凡そ手に入れにくい物がその対象となったが――が一般的である。
よって、それは俗に『試練の旅』と言われていた。
ゼーウェンに試練の旅として与えられた課題、それは。
死の大地の中心、術場の高まる瞬間に現れる『花』を持ち帰ること、だった。
今朝岩山の大きな風穴の影で簡単に朝食を済ませ、再び飛行を続ける。
飛竜の疲れを見ながらの旅だ。
ゼーウェンの飛竜――騎乗用として用いられるグルガンのような竜種は、ある程度体に脂肪を溜め込むと、そのまま飲まず食わず2週間は持つ。
竜の代謝経路は本当に良く出来ていて、脂肪からエネルギーと水分を無駄なく取り入れられる。腎臓も、かなりの尿の濃縮に耐えられる。
このような死の大地では欠かすことの出来ない交通手段となるのだ。
竜が環境に耐えられるとはいえ、万が一病気にでも罹られれば即ち死を意味する。その上、こんなところで盗賊にでも襲われたらたまったものではない、とゼーウェンは思う。
――早く目当ての物を得て死の大地を出なければ。
厳しい環境だからこそ、希少価値の高い飛竜を狙う賊もいない訳ではないのだから。
「――! 見えた」
前方に遠く小さく見える岩山より少し左。
一段と高いそこは、ゼーウェンが目指す死の大地の頂である。
ゼーウェンは、すぐさま意識を静め、周囲の場を探った。
間違いない、かの頂のそれはとてつもない諸力の高まりを見せている。意識下で意識が眩む程の強い光を感じた。
辿り着くまで後2クロー(約1時間半)程だろうか。
***
意識下で見る光の渦はどんどんその強さを増してゆく。飛竜を着地させるために、その頂の周りを旋回し、首を返して上方から下降しようとした、その時。
ゼーウェンの魔術師としての目に、頂に奇妙な靄がかかっているのが映った。
「なんだ、あれは」
近づくにつれ、その形が何かに似ている、と思い。
人影だ、と直感した瞬間突然そこが眩い光に包まれた。
「グルガン、しっかりしろ!」
ゼーウェンはすばやく呪文を唱え、目を眩まされた飛竜を回復させる。同時に体勢を立て直すと再び上昇した。頂上の光はもはやなく、意識の目にも暗黒の穴が周囲の場を引き込んでいるのが分かる。
不安と焦りと絶望が入り混じったような感情が彼の心を支配しはじめた。
――誰かいる!
先ほどまでは人の気配が感じられなかったのに。あの人影だろうか。
もしや、花を先に奪われてしまったのだろうか。
ゼーウェンは今度は下方から真っ直ぐ飛ぶようにグルガンに指示した。
湧き上がる、自分自身への怒り。
――油断した、何たる失態だ!
母の形見だという指輪をした手をぎゅっと握り締めた。
――奪われたのなら取り戻す――我が師の恩に報いる為にも、何としてでも『花』を持ち帰らなければ!
***
この大陸にあるグノディウス王国とアリア皇国の南方に接するフォルディナ公国。その辺境、カーリア地方に、かつて、暗黒森と呼ばれていた広大な森が広がっている。
そこは昔から入ると必ず迷い、二度と出て来る事は出来なかった。故に、人々は、その森には魔物が棲んでいて、入ったものは魅入られ喰われてしまう、と噂しあった。
いつしかそこは暗黒森と恐れられ、忌み嫌われるようになったのである。
18年前、一人の男がこの地にやって来た。
男は魔術に長けており、この森にある種の結界が施されている事に気が付いた。男がその結界を解いて結びなおした事で、人々は森に入って歩き彷徨っても必ず出口に辿り着けるようになったのである。
後に、暗黒森であったそこは、魔術師の男に畏怖と敬意を表してセルヴェイの森もしくは賢神の森と呼ばれる様になった。
セルヴェイとは魔術師の男の名。賢神とは風の神フォーンを指し、フォーンは魔術と知恵の神でもあった。
セルヴェイは森の中央に庵を結んだ。そして、ゼーウェンの師となったのである。
ゼーウェンが物心ついた時には師であるセルヴェイと共に暮らしていた。
自分自身、養い親でもある師について知ることはあまりなかった。近くの村に買出しに行ったついでに村人達から色々師について聞かれることがあった。
しかしゼーウェンが知っているのは、かつて師が北方のグノディウス王国に仕えていたということと、偶に身分の高そうな人物が尋ねて来ること位だった。
そんな時、いつも心なしか師が暗い表情をしていたのを覚えている。
何者であるかは兎も角、セルヴェイ師は森を安全にした功労者として村人達に歓迎されていた。ただ一人、村のウルグ教の神官を除いてだが。
治療の知識や珍しい薬草を持っているセルヴェイ師は、医者がいない辺境の小さな村では貴重な人物である。ウルグ教会の説くところの魔術は禁忌であるとか、邪術であるとかいう思想はここではあまり意味を成さなかったとも言える。
彼はまたよき教師、親であり、ゼーウェンはそんな師のもとだからこそ魔法の才能を最大限に発揮できたと思う。
一人前の魔術師になる為には、師から出された試練を乗り越えなければならなかった。
試練はそれぞれの導師によって、また弟子によって違う形式で与えられるが、概ね旅にでて、何かを証として持ち帰る――凡そ手に入れにくい物がその対象となったが――が一般的である。
よって、それは俗に『試練の旅』と言われていた。
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