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転生編

5話【代わりにはなれなくても】

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 重い空気が漂う。
 いつもなら私はここで、逃げていた。何も言う気力もなく。

 今は踏ん張れる。どうしてかは、わかっている。
 ずっと助けてもらっていたから。渇ききっていた心を、満たしてもらったから。

 死に物狂いで何かをしなくても、普通に暮らせる居場所を与えてもらった。
 それがとても嬉しい。

 ――だから、中身が大人だと知って、捨てられる結果になったとしても。

「すみません、ずっと怖くて……黙っていました。本当は、私――前世の記憶が、あるんです」
「……は?」
「エレナという人の記憶は、ないんですけど……」

 なぜあのとき、前世の記憶が蘇ったのか理解できた。
 初対面のときからヴァルターさんに抱いていた安心感も、今は何もかもがしっくりとくる。
 この人を“知っていた”のなら。

 呪紋だけでは確固たる証拠にならないかもしれないけど、前世より前の記憶も蘇る保証はないけど……それでも。

 前世の私がいた世界、その頃からアザだと思っていた呪紋があったこと――すべてを、話した。
 少し前に、エレノアとしての記憶を全部取り戻したことも。

 彼はその話をずっと、黙って聞いていた。

「もしかしたら……前世より前に、私は――」
「そうだとして、あんたはどうしたいんだ」

 彼から発せられた言葉は、いつにもまして冷めていた。
 意表を突かれ、開いた口が塞がらない。

「オレはエレナを知ってるけど、お前はオレのことを知らないし、オレもエレノアのことはよく知らない」

 それは……そう、だ。
 でも私がエレナだとしたら、また逢えたと喜んでくれるのではないかと……勝手に、予想していた。

「仮に魂が同じだとしても、他は何もかもが違う。所詮しょせん、赤の他人だろ」

 冷たく言い放つ言葉とは裏腹に、ヴァルターさんの表情はどこか寂しそうに見えた。
 ……もしかするとそう見えるのも、私の思い込みなのかもしれない。

***

 ――眠れない。

 余計なことを、言ってしまったか。私は、失敗したのか。
 何も言わなければ、よかったんだろうか。

 ヴァルターさんは、眠れているのかな……。

 様子が気になった私は、思いきって部屋から出た。
 居間に出てすぐ右側に位置する部屋のカーテンをそっと開け、中を窺う。

 枕元の小さな明かり以外は消えていて、かろうじてベッドで横になっている姿だけが確認できた。

「――何?」

 不意に声をかけられ、ビクッと震える。

 お、起きてたんだ。どうしよう。
 様子を見に来るだけのつもりだったから、何を言おうかなんて考えていなかった。
 詰めが甘いというか、ダメだなこういうところ……。

 彼はゆっくりと半身を起こしながら、こちらをじっと見つめる。

「わざわざ深夜に来るなんて、夜這いか?」
「よば……!?」
「冗談だよ。子供に手を出す趣味ねぇし」

 くすくすと笑う彼に、ホッと胸を撫でおろす。

「で、何の用?」
「その……今朝、嫌な思いさせてしまったかと……気に、なって」
「よく知らないオレのこと、心配してくれんだ」
「もう、まったく知らないわけじゃ……ないです」

 3ヶ月、ここにいる。
 ヴァルターさんの人となりは、短くてもそれなりに見てきたつもりだった。

 前世ではずっと仕事漬けで、恋愛をする余裕なんてなかった。
 だから今抱いている感情も、そういう類いなのかわからない。

 エレナのように恋慕れんぼの情を抱いていないのだとしても、このまま放っておいたら後悔する。そんな気がとても、している。

「私、エレナさんの代わりには、なれないんだと思います……でも、できれば、ヴァルターさんと一緒にいたい、です」
「……エレノア」
「助けてくれて、感謝してます、とても。今すぐには難しくても、いつかそのお返しもしたいし、それに、もっとあなたのこと知りたいし、それから――」

 上手くまとまらない言葉を繋げていく。いつの間にか溜まっていたなみだが、一粒落ちた。
 それに構わず続けようとすると、ポスッと頭の上に大きな手のひらが乗せられる。

「わかった。もういいよ」

 おずおずと見上げると、ヴァルターさんはこれまでよりも穏やかな笑みを浮かべていた。

「前世の記憶があっても、実年齢に合う言動になるのか? 全然大人っぽくないな、お前。言いたいこともまとまってないし」
「そ、それはちょっと……失礼です」
「事実だろ。ま、25なんてオレからすればどのみち青臭いけど」

 それを言ったら、人間みんな青臭くなるのでは。
 渋面じゅうめんでいると、髪をわしゃわしゃと掻き乱された。

「ヴァルターさん、やりすぎです」
「悪い悪い」

 絶対悪いと思っていない。にっこりしすぎだ。

「まぁ、その……これからもよろしくな、エレノア」

 どこか心苦しそうにも感じる物言いとともに、片手を差し出される。
 まだ彼の中には、迷いがあるんだろう。それでも手を取ろうとしてくれている。

「はい……!」

 その大きな手を両手で握り、目一杯に頷く。
 私に今できることは、もらった元気を彼に返すことだ。

 すると私の背に腕がまわされ、グイっと抱き寄せられる。
 突然のことにパニックを起こした私は、声も発せず口をパクパクとさせていた。

「んー、やっぱ子供は可愛いなぁ。このまま成長止めてもいいぞ?」
「むむ、無理でしょう……!」

 どうにか言えたのは、ツッコミだけだった。
 いったい私を子供と大人、どっちに見ているんだろう……。


 飛び出してきた教会のこと、聖女のお役目。考えなければいけないことは、まだある。
 それでもこのあたたかさと懐かしさに、心はとても安らいでいた。
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