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転生編

4話【呪紋の正体】

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 ただひとり、すすり泣いていた。

 何も見えない暗闇から『聖女様』『聖女様』と、喝采のようにも聞こえる呼び声。

 声は私の全身をむしばんでいった。
 ――みんながほしいのは、“聖女”であって、私ではない。

 代わりなんていくらでもいる。
 なのに私は、私しかこの役割をこなせないのだと自身に思い込ませながら、黙然もくぜんと役目を全うする。

 そういえば……前世でも、こんな感じだったな。
 仕事ができなければ、私はいらない。そんなのは当然だ。
 身を滅ぼす結果になったのも、自己管理ができなかった私の自業自得だ。

 家族とも不仲ではなかった。
 けど本音はいつも言えないし、どこにいっても落ち着かない。

 今度こそ何か言おうと思っても、断ろうとしても、嫌だと言いたくても、それは想像以上に気力を使うようで、日常に疲れれば疲れるほど何も言えなくなっていった。

 ……本当に私は、何がしたかったんだろう。
 世界が変わっても、境遇が変わっても、私は変われない。

***

 ヴァルターさんに拾われてから、3ヶ月が経過した。

 森の外には出られないけれど、中なら散歩できるし、彼のおかげで生活に不自由さを感じることはほとんどなかった。
 ただあの日から夢を見るようになって、内容は暗いものばかりだったけれど、それがトリガーとなりエレノアとして生きてきた記憶を取り戻した。

 私は聖女として生まれ、この世界で生きてきた。
 両親が健在なのかはわからない。引き離されたのか、それとも亡くなっているのか……顔も覚えていない。

 あれだけエレノアを別人ではないかと疑っていたのに、今はパズルのピースが揃ったかのように、何もかもがしっくりとくる。

 王都アロガズを飛び出したあの日、私は誰にも見つからないよう神術を使い、迷いの森と呼ばれ人が近づくことのないヤーデをさまよっていた。
 何も食べずに過ごしていた私の身体は限界を迎え、木の根につまづいた拍子に、幹へ額を打ちつけた。

 精神的苦痛も大きかった私は、その衝撃で聖女として過ごした記憶を失くし――なぜか同時に、前世の記憶が蘇った。

 ……こういうのって、思い出せるものだろうか。
 うーん、ここだけはに落ちない。

 不意に、ポスッと手のひらが頭上に置かれる。

「相変わらずくれぇ顔してるな、お前」
「い、いつの間に部屋に……!」
「ノックしても反応ないから、倒れてんじゃねぇかと思ったけど、大丈夫そうだな」

 ヴァルターさんはよく気にかけてくれる。
 最初はクールな人なのかと思っていたけど、いつも私を励まそうとしてくれて笑顔も多く、面倒見もいい。

「飯できた。食えそうか?」

 頷くと座っていたベッドから立ち上がって、居間へ移動する。

 ――今日も散らかってる。昨日、片づけたんだけどな……。

 ヴァルターさんは器用だし料理も上手だけど、掃除と片づけが絶望的だ。
 いくら私が整理整頓しても、翌日には元に戻ってるくらいにはひどい。

 幸い今日は、テーブルの上に器具が散らばっているだけだった。

「先に、片づけます。このままじゃ食べれないです」
「あー……悪い」

 ヴァルターさんが頭を掻きながら謝る。
 でも私は少し、安心していた。何もすることがないと、それはそれでつらくなる。手伝えることがちょっとでもあるのは嬉しい。


 卓上を片づけている最中、ふと彼の手が視界に入る。

 前からずっと、気になっていたことがある――ヴァルターさんの左手の薬指のアザ。
 私のそれと酷似こくじしている……呪紋、なんだろうか。でも同じところにどうして。

 食事中もぼんやりと彼の方を眺めていると、「どうした?」と怪訝けげんな顔つきで尋ねられた。

「その、指の……呪紋、ですよね」
「あぁ、これが気になるのか」

 彼は自らのそれをしばらく見つめると、深く長く、息を吐く。ためらうように。

 聞いてはいけないのかもしれない。それでも私のと関係があるのではないかと、気になって仕方がない。
 前世からあったこれの正体が、知りたい。

 しばらく、沈黙が続く。

 長考ちょうこうの果て、ヴァルターさんは跳ねる横髪を耳に掛け、普段覆い隠された箇所をあらわにする。
 それは人間と同じくらいのサイズではあるもの、上部の先が尖っていて、明らかにヒトのものではない耳。

「……オレが、ハーフエルフだって話はしたよな」

 こくり、と頷く。
 私の前世を足しても遠く及ばない――200年以上の時を、彼は生きている。

「とっくの昔に滅びたけど――エルフの国の王族だったんだよ、オレ」
「え……」
「私生児の上に混血だからな、王族らしい生活なんて送ったことねぇけど。それでも野放しにするより、目の届く範囲に置いて、利用できるときに利用しようと思ったんだろ。ずっと監禁生活だった」

 目を見張りながら、黙って聞き続けた。

「こんな国滅べばいいって思ってた。でも、ひとりだけ味方してくれた侍女じじょがいたんだ。オレに文字の読み方を教えてくれて、本を与えてくれた。外のことも、その人から聞いた」

 いきどおりを宿していたヴァルターさんの表情は、次第に穏やかさをたたえる。
 私は心のどこかが冷えるような感覚を覚え、思わず目を背けた。

「その人のこと……好きだったんですか?」
「……あぁ。その人――エレナも、オレを愛してくれた。でもずっと一緒にいられないことは、わかってた。あっちには見合いの話もきてたし、オレだっていつまで無事に生きていられるかわからない。だから、そうなる前に決めたんだ」

 決めた。つまりそれは――

「駆け落ち……」
「いや、心中」
「し、しんじゅう……!?」
「エルフの寿命は長いからな。当時のオレは非力だったし、一生逃げるのは無理だと判断した」

 前世でも昔は恋人同士の心中があったようだけど、私の生きていた時代では聞いたことがなかった。
 この世界はどうなんだろう、今もよくあるのかな。

「な、なるほど……で、でも指の呪紋は、どう関係あるんですか……?」

 口に出した後も、何と言えばいいのかわからない迷いから、言葉がつっかえてしまう。

「……おまじない、みたいなものだ。神術の中に、そういう類いのがあってな。生まれ変わっても、また逢えるように。――結局、決行前に魔獣の軍勢に攻め入られて、国は滅んでエレナも死んだ。運悪くオレだけ生き残って、今日まで生きてるってわけだ」

 語られる酷烈こくれつな話に、ただただ唖然としていた。
 私の様子を見たヴァルターさんが、困ったように眉尻を下げて笑う。

「オレには、エレノアがはわからない。可能性の話しかできない。だから――忘れてくれて、いい」

 呪紋の正体は、思っていたものとまったく違った。
 哀しみと諦念ていねんを宿したまじないでも、決して悪い意味でかけられたものではなかった。

 目を伏せ、それ以上はもう語らないヴァルターさんに、私は多分、伝えないといけない。
 3ヶ月前はまだ言うべきではないと、思っていたことを。

 “忘れてくれていい”なんて、きっと思っていない。
 本当にそう思うなら、徹底的に隠していたはず。

「その可能性が……あるかも、しれません」
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