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第三章
甘い言葉(家房視点)
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そう思っている間に、青い顔をした雅次が部屋に飛び込んできた。
「家房様。大事ございませぬか? ああ、なんと酷いお顔」
「おお月丸。来てくれたのかい。お前に会いたいと思っていたから嬉しいよ。だが、なにゆえわしの容態を」
何とかいつもどおりのおべっかを使いつつ尋ねると、雅次は「あの男、高雅に聞いたのです」と、忌々しげに吐き捨てた。
「あの男、どうやら父上から家房様と月丸のことを聞いたようで、『幼気な童を犯して弄ぶとは何事か』と激昂いたしまして。月丸が何度誤解だと言うても『もう我慢しなくてよい。俺がお前の仇を取ってやる』と聞いてくれず、月丸の大切な家房様をこのような」
芳雅の仕業か! あの文を読んで雅次を八つ裂きにするならまだしも、高雅を唆してこちらに危害を加えてくるとはどういう了見だ。
「あの男の所業を聞き、父上は大いにあの男を褒めまして、やはり伊吹家の次期当主は高雅しかおらぬと、ますます決意を固められたご様子」
(あの石ころめ! わしのことは、何があっても死ぬまで好きだと申したではないか)
そんな腐った性根だから、醜い石ころになるのだ。
「あの男、己は正義を成したと固く信じております」
憤る家房の隣で、雅次がぼそりと呟く。
「色情狂から憐れなお前を救ってやった。この兄は死ぬまでお前の味方だなどと……俺が何を望んでいるか、何一つ分かっていないくせに……っ」
「つ、月丸……?」
馴染みのない陰鬱な声音にぎょっとしていると、雅次がゆっくりとこちらを向いた。
蜜が滴るような艶めいた笑みだ。
「お願いがございます。あの男が当主となること、許してはくださいませんか?」
「なんとっ。月丸、正気か。わしをかような目に遭わせた男をなにゆえ」
「まずは、そのほうが効率がよいからです」
声を上げる家房に、雅次は宥めるように言う。
「あの男に家督を継がせれば、父は満足してさっさと死んでくれます」
「……!」
「後ろ盾の父が死んだ後のほうが、あやつを容易く消すことができます。また、山吹の父が死んだすぐ後にあやつが殺されれば、皆こう思う。山吹の父親の後ろ盾がなくなった途端にこのざま。イロナシを世継ぎにしたのは間違いだった。やはり、山吹に継がせるべきであったと。これで、この月丸がすんなり家督を継ぐことができる」
「なるほど。しかし……」
確かに、雅次に伊吹を獲らせるなら有効手だ……が、自分は雅次に伊吹をやりたいのではない。我が手に伊吹を握りたいのだ!
なので、このまま雅次派と高雅派に分かれて殺し合い、破滅してくれたほうが……と、思っていた時だ。
「もう一つの狙いは……私事で申し訳ありませんが、高雅を地獄に叩き落としたいのです」
そろりと、雅次がそう囁いてきた。
「山吹の俺がイロナシのあやつに家督を譲ってみせれば、あやつは馬鹿みたいに感動する。我ら兄弟の絆はまことに素晴らしいと鼻高々になる。そこを、俺がこの手で殺してやるのです」
「……!」
「心臓を刺し貫いて、絶命の間際耳元で囁いてやります。『貴様を好きだったことなど、ただの一瞬たりとてなかった。地獄へ落ちろ』と……ふふ」
あの男、どんな顔をいたしましょうなあ?
楽しげに嗤う雅次。
その酷薄な笑みを見て、家房の口許にも歪んだ笑みが浮いた。
雅次の言うとおり、高雅は弟のことを心の底から信じている。
弟と力を合わせれば、家房の脅威を跳ねのけ、打ち克つことができると思っている。しかし。
「そうだ。あやつが大事にしておる龍王丸は犬として飼いましょう。生涯地べたを這いつくばらせ、四つん這いで飯を食わせる。素敵だと思いませんか?」
当の弟はこんなにも家房を愛し、高雅を息子ともどもこんなにも憎んでいると知りもしないで。
(あはは。やはり、所詮は低能なイロナシよ。ざまあみろ)
あまりにも滑稽で、嗤いが止まらない。そして、全身の血が滾った。
自分はしっかりと、あの男の一番大事なものを穢し、奪い取っていた。
そのことに、弟に殺されることで知らされるあの男の絶望はどれほどのものか。
想像しただけで――。
「ぎぃっ! がは……っ」
「家房様っ? 傷が痛みますのか。ああ、なんとお労しい」
「……と、き」
「え……?」
「高雅を、殺す時……こう、付け足しておくれ。『月丸は家房様のもの。家房様がこの世で一番愛おしい方』と」
またうっかり下肢が反応してしまい、悶絶しながらも息も絶え絶えに訴えると、
「……。勿論でございます」
愛しい愛しい家房様。
雅次はにこやかに微笑み、抱きついてきた。
瞬間、絶望に打ちひしがれる高雅の表情が脳裏に浮かぶとともに、激痛を凌駕する快感が走って、家房は射精した。
無上の悦楽に酔いしれる。ゆえに、気がつかなかった。
童のように抱きついてきた男が、腕の中でどんな表情を浮かべていたかを。
「家房様。大事ございませぬか? ああ、なんと酷いお顔」
「おお月丸。来てくれたのかい。お前に会いたいと思っていたから嬉しいよ。だが、なにゆえわしの容態を」
何とかいつもどおりのおべっかを使いつつ尋ねると、雅次は「あの男、高雅に聞いたのです」と、忌々しげに吐き捨てた。
「あの男、どうやら父上から家房様と月丸のことを聞いたようで、『幼気な童を犯して弄ぶとは何事か』と激昂いたしまして。月丸が何度誤解だと言うても『もう我慢しなくてよい。俺がお前の仇を取ってやる』と聞いてくれず、月丸の大切な家房様をこのような」
芳雅の仕業か! あの文を読んで雅次を八つ裂きにするならまだしも、高雅を唆してこちらに危害を加えてくるとはどういう了見だ。
「あの男の所業を聞き、父上は大いにあの男を褒めまして、やはり伊吹家の次期当主は高雅しかおらぬと、ますます決意を固められたご様子」
(あの石ころめ! わしのことは、何があっても死ぬまで好きだと申したではないか)
そんな腐った性根だから、醜い石ころになるのだ。
「あの男、己は正義を成したと固く信じております」
憤る家房の隣で、雅次がぼそりと呟く。
「色情狂から憐れなお前を救ってやった。この兄は死ぬまでお前の味方だなどと……俺が何を望んでいるか、何一つ分かっていないくせに……っ」
「つ、月丸……?」
馴染みのない陰鬱な声音にぎょっとしていると、雅次がゆっくりとこちらを向いた。
蜜が滴るような艶めいた笑みだ。
「お願いがございます。あの男が当主となること、許してはくださいませんか?」
「なんとっ。月丸、正気か。わしをかような目に遭わせた男をなにゆえ」
「まずは、そのほうが効率がよいからです」
声を上げる家房に、雅次は宥めるように言う。
「あの男に家督を継がせれば、父は満足してさっさと死んでくれます」
「……!」
「後ろ盾の父が死んだ後のほうが、あやつを容易く消すことができます。また、山吹の父が死んだすぐ後にあやつが殺されれば、皆こう思う。山吹の父親の後ろ盾がなくなった途端にこのざま。イロナシを世継ぎにしたのは間違いだった。やはり、山吹に継がせるべきであったと。これで、この月丸がすんなり家督を継ぐことができる」
「なるほど。しかし……」
確かに、雅次に伊吹を獲らせるなら有効手だ……が、自分は雅次に伊吹をやりたいのではない。我が手に伊吹を握りたいのだ!
なので、このまま雅次派と高雅派に分かれて殺し合い、破滅してくれたほうが……と、思っていた時だ。
「もう一つの狙いは……私事で申し訳ありませんが、高雅を地獄に叩き落としたいのです」
そろりと、雅次がそう囁いてきた。
「山吹の俺がイロナシのあやつに家督を譲ってみせれば、あやつは馬鹿みたいに感動する。我ら兄弟の絆はまことに素晴らしいと鼻高々になる。そこを、俺がこの手で殺してやるのです」
「……!」
「心臓を刺し貫いて、絶命の間際耳元で囁いてやります。『貴様を好きだったことなど、ただの一瞬たりとてなかった。地獄へ落ちろ』と……ふふ」
あの男、どんな顔をいたしましょうなあ?
楽しげに嗤う雅次。
その酷薄な笑みを見て、家房の口許にも歪んだ笑みが浮いた。
雅次の言うとおり、高雅は弟のことを心の底から信じている。
弟と力を合わせれば、家房の脅威を跳ねのけ、打ち克つことができると思っている。しかし。
「そうだ。あやつが大事にしておる龍王丸は犬として飼いましょう。生涯地べたを這いつくばらせ、四つん這いで飯を食わせる。素敵だと思いませんか?」
当の弟はこんなにも家房を愛し、高雅を息子ともどもこんなにも憎んでいると知りもしないで。
(あはは。やはり、所詮は低能なイロナシよ。ざまあみろ)
あまりにも滑稽で、嗤いが止まらない。そして、全身の血が滾った。
自分はしっかりと、あの男の一番大事なものを穢し、奪い取っていた。
そのことに、弟に殺されることで知らされるあの男の絶望はどれほどのものか。
想像しただけで――。
「ぎぃっ! がは……っ」
「家房様っ? 傷が痛みますのか。ああ、なんとお労しい」
「……と、き」
「え……?」
「高雅を、殺す時……こう、付け足しておくれ。『月丸は家房様のもの。家房様がこの世で一番愛おしい方』と」
またうっかり下肢が反応してしまい、悶絶しながらも息も絶え絶えに訴えると、
「……。勿論でございます」
愛しい愛しい家房様。
雅次はにこやかに微笑み、抱きついてきた。
瞬間、絶望に打ちひしがれる高雅の表情が脳裏に浮かぶとともに、激痛を凌駕する快感が走って、家房は射精した。
無上の悦楽に酔いしれる。ゆえに、気がつかなかった。
童のように抱きついてきた男が、腕の中でどんな表情を浮かべていたかを。
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