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第三章

分かったか?(雅次視点)

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 兄上の軍の背後を狙う桃井軍に突撃した時、俺は必死だった。

 兄上たちはこの敵襲に全く気がついていない。
 俺がここでこやつらを撃退しなければ、兄上は死ぬかもしれない。

 そう思ったら、なりふりなど構っていられなかった。
 結果、桃井軍を撃退することができたが、いささか派手にやり過ぎた。

「雅次様、此度の働きお見事でございました。それがし、感服いたしました」
「一体いつの間に、あのような武芸と兵法を身につけられました? やはり、高雅様の手ほどきで?」

 火に吸い寄せられる夏の虫のように人が群がってくる。

 俺が意に背いたことを怒っているだろう家房の対応をしなければならないというのに、これでは何もできない。
 何とか一人になりたいというのに、

「雅次! ありがとう。お前は命の恩人ですごい奴だ。お前に恐れをなして、桃井は皆逃げていってしまったぞ」

 兄上が俺のことを誰よりも馬鹿みたいに褒めそやすものだから、状況はどんどんひどくなるばかり。

 全く! 兄上は、どうしてこうも軽率なのか。

 俺の手柄を声高に褒めると言うことは、敵に背後を突かれた己の失態。さらには、ここまで戦の才がある俺を長年雑用としてしか使ってこなかった、己の見る目のなさを強調することになる。

 それはつまり、己の箔に傷をつける行為に外ならない。

 そんなことも分からず、無邪気に俺を褒め称えて……本当に、困った人だ。つくづく、危なかっしくて見ていられない。

 早急にお諫め申し上げねば。ただ。

 ――お前が皆に褒められると嬉しいなあ。
 あんなことを言ってにこにこ喜ぶ兄上に、なんと言えばいいのか。

「……全く。無邪気にも程がある」
 熱くなった頬を拭いつつも立ち上がり、兄上の陣所へ向かった。

 今宵、兄上の軍は静谷への帰路にあった寺社に宿を借りていた。
 その一室で、兄上は一人地図と睨めっこしていたが、俺が部屋に入るなり顔を上げて破顔した。

 その屈託のない、俺が昔から大好きな笑みにどきりとする。

「おお、よく来てくれたな。俺もちょうど、お前を呼ぼうと思っていたんだ。気が合うな」

「っ……は、はあ。それは、ようございました。ではまず、兄上のほうからどうぞ」
 兄上に対峙するように座しつつ促す。

「うん? 俺から話していいのか? 悪いな。では」

 この笑顔に苦言を呈するのはどうにも気が咎める。
 いったん、兄上の話を聞いてから気を取り直して……と、思ったところで、俺は固まった。

 兄上が懐からあるものを取り出し、軽くかざして見せた。

 それは文で、――!

「家房から文が来た。俺のことを大層気に入ったそうで、

「え。あ、あの……」

「近々

 全身の血が凍りついた。

 家房が、兄上に文を送っていた。
 しかも、二人きりで会いたいだと?

 兄上に何をするつもりでいるのか。
 考えたくもない。それなのに。

「だからな。行って来ようと思う」
「! な、なりませぬっ」

 とんでもないことを言い出した兄上に、俺は声を荒げた。

「兄上、行ってはなりませぬ。絶対にっ」

「? なにゆえだ。高垣は我が伊吹家最大の同盟相手にして有力大名。仲良くしておくに越したことはない……っ」
 暢気な顔でそんなことを言う兄上に詰め寄り、両肩を鷲掴む。

「あの男の『仲良くなりたい』とは、まぐわいたいということ。この前の、俺への所業を見れば分かりましょうっ。それなのになにゆえ」

 どうしてそんな簡単なことも分からない。鹿 
 と、本気で腹が立ったその時。

「そうなのだがなあ。

「……え」
 全身が固まった。

「あ、兄上。今、なんと」

「安心しろ、雅次」
 兄上がにっこりと微笑む。いつもの屈託のない笑みで。

お前を怖い目には絶対に遭わせない。大丈夫だから安心して」

「何を言っているのですっ」
 俺は思わず兄上を突き飛ばした。

「俺が守ってやる? 大丈夫? さようなことをされて俺が喜ぶと、本気で思うておられるのかっ。兄上が俺のせいであの豚に穢されるなんて、そんな……そんなことになったら、俺は……俺は」

「……何だ?」


 血を吐くような声で叫んだ。

「俺の兄上が、何よりも大事な兄上がさようなことになったら、俺は正気ではいられない。死んだほうがましですっ。その程度のこと、なにゆえ分からん。分かってくださらぬっ?」

「……」

「っ……兄上!」

 いくら言っても黙ったままでいる兄上に強烈な焦燥を覚え、俺はとうとう兄上に縋りついた。

「お願いでございます。俺のためとおっしゃるなら、そのようなこと、考えるのもやめてください。俺は兄上が大事なのです。大事で大事でたまらぬのです。ですから、どうか」


 懸命に懇願する俺に、不意に落ちてきたその言葉。

「え?」と、何の気なしに顔を上げると、兄上は手に持っていた文を広げ紙面に顔を向けて、


 そう言った。
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