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第三章

兄を穢す(雅次視点)

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「そうよ。さっさと働きに行って。もうすぐお花の会があるのに、今のままじゃ恥ずかしくて行けない」

 居丈高に命じてくる女を完全に無視して部屋を出た。

 汚した下着ともども着替えると、朝餉も摂らず馬に乗る。
 そのまま、供も連れずに家を出た。

 家房によく似たあの女から、少しでも離れるために。

 今殺したら面倒なことになる。そう考え自制するくらいの理性はあった。
 けれど、兄上の顔を思い浮かべるともう駄目だ。

 三日連続、兄上に抱かれる夢を見てしまうような現況では。

 どうして、こんなことになるのか……いや。

 違う。
 本当は、分かっている。

 知ってしまったからだ。
 兄上との行為がどれだけ、俺にとって無上の悦楽であるかを。

 今は、兄上のことを考えるだけで、全身がいいようもなく火照って……ああ。

 これまで、誰に対しても欲情したことなどなかった。
 家房しか知らぬ俺にとって、房事などおぞましい拷問以外の何物でもなくて……他者に体を触られることさえ駄目だった。

 兄上と龍王丸だけは別だが……かと言って、兄上とそういう行為に及びたいなどと考えたこともない。
 そもそも、そんな発想さえなかった。

 血の繋がった実の兄相手に、どうしてそんなことが考えられる。

 しかし、兄上に抱かれる自分を家房に吹き込まれた直後に、

 ――お前、俺のことが好きだろう?

 そんな言葉とともに頬を撫でられた刹那、いまだかつてない快感が全身を貫いて、目の前が真っ白になった。

 最初は何が起こったのか分からなかった。
 だが、すぐに下肢に感じた感触にはっとした。

 生暖かくて、ぬめっとした感触。
 じわじわと広がっていく、強烈な悦楽の波。

 適当な言い訳をして、慌てて兄上の前から逃げ出した。
 一人になり、恐る恐る下肢に触れてみると、ぐっしょりと濡れていて……。

 

 兄上にはこれまで数え切れないほど触れられてきたが、欲情したことなどただの一度だってなかったのだ。
 これはたった一回の間違いのはず。

 だが、その夜。
 兄上に抱かれる夢を見て、知ってしまった。

 擦られて強制的に射精させられるのではなく、触れ合っただけで胸の内から優しい熱がとめどなく溢れ、体が蕩けていくあの感覚。

 こんなにも甘くて気持ち良いものが、この世にあるなんて知らなかった。

 どうして、兄上だとこんなふうに体が反応するのか分からず、心は戸惑うばかりだったが、体は……素敵な宝物を見つけた童のように無邪気に悦んだ。

 そして、その快感を求め、毎夜俺に淫らな夢を見せる。

 夢の中の俺もその状況を馬鹿みたいに喜び、浅ましいほどに兄上に溺れている。
 兄上と二人きり。兄上が俺だけを見てくれる。ただただ幸せ。

 けれど、夢から醒めて現実に引き戻されてしまえば、その幸せは地獄に変わる。

 武将が妻以外の誰かと肌を重ねることは禁忌ではない。
 男色だって普通のこと。

 しかし、血を分けた実の弟が相手となると、犬畜生にも劣る唾棄すべき行為となる。

 つまり、

 倫理観。愛する妻子。己が正義。弟に胸を張れる立派な兄になるという誇り。
 それら全てを裏切り、振り捨てて、ただただ俺だけを見て、にこにこ笑いながら俺を抱く。

 それはもはや、
 

 そんな兄上を夢の中でも手に入れることができて、俺は馬鹿みたいに悦んでいるのか。
 肉欲さえ満たされれば、兄上の心がどうであろうと知ったことではないと?

 これでは、

 俺の兄上への想いは、こんなにもおぞましく、下卑たものだったのか。

 そんなことは断じて違うと否定したかった。
 それなのに、三夜も続けて兄上に抱かれる夢を見て……回を重ねるごとに、夢の中の自分はどんどん浅ましく、淫らになっていく一方だ。

 いまだかつてないほどに、家房に犯されている気がする。

 菊座どころか心まで貫かれ、ぐちゃぐちゃに穢されて、あの男のような、醜くて薄汚い化け物に作り替えられていくような――。

 自分が自分でなくなっていく感覚。
 怖くてしかたない。

 いつもなら、こういう時は兄上の許に飛んで行っている。
 兄上の笑顔を見れば、この笑顔を守るために頑張らねばと己を奮い立たせることができる。

 だが今は、兄上と逢うのが怖い。
 あの澄んだ目で見つめられ、触れられでもしたら、自分がどうなってしまうか分からない。

 一体、どうしたらいい。

 兄上と昔よく遊んだ楠の下に座り込み、一人途方に暮れていると、

「ああっ」
 不意に耳に届いた叫び声に、はっと我に返る。

 それと同時に、楠の近くを通る道を歩いていたらしい龍王丸と目が合い、ぎしりと心臓が軋んだ。
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