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第三章
穢す(雅次視点)
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家房が兄上を召し出した。
そのことを父の使者から聞いた時、全身の血が凍りついた。
兄上は大人の男だから家房の触手は動かぬはず。
それなのにどうして……まさか、龍王丸に目をつけたのかっ?
考えてみれば、龍王丸は今年で六つ。
家房の好みに十分適う。
どこで嗅ぎつけたのか知らないが、可愛い龍王丸があの薄汚い豚に穢される? 冗談じゃない!
胸の内で吐き捨てていると使者は続けて、これから家房に会うよう言ってきた。
「家房の機嫌を取るように」とのことだった。
父としても、龍王丸を家房に差し出すのは本意ではないと見える。
当然だ。龍王丸は一応嫡流だし、差し出すとなると兄上を完全に敵に回すことになる。
伊吹家の軍事面の大半を兄上に押しつけているこの状況で、それは大いに困る。
かと言って、家房に旋毛を曲げられても困る。
だから何とかしろ。ということだろう。
童の体しか愛せない家房に、大人の自分を差し出したところでどうなるというのか。
相変わらず、頭の悪い男だ。
だが、泣き言を言っている場合ではない。
――叔父上、大好き!
あの可愛い龍王丸を、俺と同じ目に遭わせてたまるか!
何としてでも、家房に龍王丸を諦めさせなければならない。
それができるなら、何だってやる。何だって!
だが、そのためにはどうしたらいいか。
思案を巡らせながら登城し、一対一で家房に対峙した。
会うのは、身重の蔦を嫁にと押しつけられた七年ぶり。
もう五十路に入っているはずだが、相変わらずやたらと肌がつやつやしていて若々しい。
この七年の間も、幼気な童を欲望のままに食い散らかしていたのだろうか。
「おお月丸。久しぶりだね。息災にしていたかい?」
にたぁっと口角をつり上げる気持ち悪い笑い方も、ねばっこい猫撫で声も健在。
本当に、何もかも気持ち悪い。
反吐が出る。
とはいえ、それを表に出すわけにはいかない。
俺はこの男に心酔している。
その体で接しているからこそ、何かと便宜を図ってもらえているし、慢心による隙も生まれ、こちらの思惑通り動かすこともできるのだから。
とりあえず、いつものように媚びへつらいつつ、兄上を呼び出した意図を探らねば。
と、思っていた時だ。
「月丸。お前の兄上はまるで、何の穢れもない無垢な童のように綺麗だね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「不思議だね。姿かたちは立派な男のそれなのに、溌溂とした童と対峙している心地がした。お前の兄上の心は、よほど綺麗で清らかと見える」
「……え。あの、何を言って」
「ほしい」
「……!」
「あれがほしい。あのように美しい心はまたとない」
うっとりとした声音で紡がれていく言葉に、血の気が引いていく。
兄上の心がこの世で一番美しいのは、俺が誰よりも知っている。
だから、誰にも穢されぬよう、傷つけられぬよう、いつもそっと包み込み、愛で続けてきた。
この男も、その魅力に捕らえられてしまったのか。
童しか愛せない性癖さえも超越して。
それで、兄上を抱きたいと思って……冗談ではない!
誰が貴様のような薄汚い豚に兄上を穢させるものか。
断じて許さない……。
「とはいえ……なあ、月丸。どう思う?」
不意に向けられた問い。
とっさに何のことか分からず「え?」と声を漏らすと、
「あのように強き光、犯される程度で色が変わると思うか?」
続けて言われた、その言葉。
「力づくか、それとも薬を盛って快楽の海に沈めるか……とにかく、それであの男を穢し、堕とせると思うか?」
「! それ、は……」
「わしはそうは思わん」
きっぱりと、家房は断言した。
「どんなに外から圧をかけ、痛めつけて穢そうとも、あの眩い輝きは変わらない。変えることができない。そうとしか思えん」
お前なんかに兄上の何が分かる。
そう、言いたいところだが……確かに、言われてみればそうかもしれないと、思う自分がいた。
誰よりも心が綺麗な兄上。だが、決して弱いわけではない。
周囲からどんなに馬鹿にされようと折れない不屈の闘志を持っている。
子どもの頃もそうだったし、兄上の許に戻ったここ数年間でも、その姿を間近で何度も見てきた。
童の時ならいざ知らず今なら案外、家房に犯されても、多少傷つきはしてもけろっとしているかもしれない。
しかし、嫌なものは嫌だ。
だって、兄上は俺の大事な大事な……。
「だが、あの男が『犯される』のではなく、『犯す』となるとどうなる?」
「……え」
何だって……?
きょとんとする俺に、家房は笑顔でにじり寄ってきた。
「犯すのだよ、あの男が。しかも、決して手を出してはならぬ禁忌の相手を」
「禁忌の、相手……」
「お前だよ、月丸」
「……っ!」
心臓が、止まった気がした。
そのことを父の使者から聞いた時、全身の血が凍りついた。
兄上は大人の男だから家房の触手は動かぬはず。
それなのにどうして……まさか、龍王丸に目をつけたのかっ?
考えてみれば、龍王丸は今年で六つ。
家房の好みに十分適う。
どこで嗅ぎつけたのか知らないが、可愛い龍王丸があの薄汚い豚に穢される? 冗談じゃない!
胸の内で吐き捨てていると使者は続けて、これから家房に会うよう言ってきた。
「家房の機嫌を取るように」とのことだった。
父としても、龍王丸を家房に差し出すのは本意ではないと見える。
当然だ。龍王丸は一応嫡流だし、差し出すとなると兄上を完全に敵に回すことになる。
伊吹家の軍事面の大半を兄上に押しつけているこの状況で、それは大いに困る。
かと言って、家房に旋毛を曲げられても困る。
だから何とかしろ。ということだろう。
童の体しか愛せない家房に、大人の自分を差し出したところでどうなるというのか。
相変わらず、頭の悪い男だ。
だが、泣き言を言っている場合ではない。
――叔父上、大好き!
あの可愛い龍王丸を、俺と同じ目に遭わせてたまるか!
何としてでも、家房に龍王丸を諦めさせなければならない。
それができるなら、何だってやる。何だって!
だが、そのためにはどうしたらいいか。
思案を巡らせながら登城し、一対一で家房に対峙した。
会うのは、身重の蔦を嫁にと押しつけられた七年ぶり。
もう五十路に入っているはずだが、相変わらずやたらと肌がつやつやしていて若々しい。
この七年の間も、幼気な童を欲望のままに食い散らかしていたのだろうか。
「おお月丸。久しぶりだね。息災にしていたかい?」
にたぁっと口角をつり上げる気持ち悪い笑い方も、ねばっこい猫撫で声も健在。
本当に、何もかも気持ち悪い。
反吐が出る。
とはいえ、それを表に出すわけにはいかない。
俺はこの男に心酔している。
その体で接しているからこそ、何かと便宜を図ってもらえているし、慢心による隙も生まれ、こちらの思惑通り動かすこともできるのだから。
とりあえず、いつものように媚びへつらいつつ、兄上を呼び出した意図を探らねば。
と、思っていた時だ。
「月丸。お前の兄上はまるで、何の穢れもない無垢な童のように綺麗だね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「不思議だね。姿かたちは立派な男のそれなのに、溌溂とした童と対峙している心地がした。お前の兄上の心は、よほど綺麗で清らかと見える」
「……え。あの、何を言って」
「ほしい」
「……!」
「あれがほしい。あのように美しい心はまたとない」
うっとりとした声音で紡がれていく言葉に、血の気が引いていく。
兄上の心がこの世で一番美しいのは、俺が誰よりも知っている。
だから、誰にも穢されぬよう、傷つけられぬよう、いつもそっと包み込み、愛で続けてきた。
この男も、その魅力に捕らえられてしまったのか。
童しか愛せない性癖さえも超越して。
それで、兄上を抱きたいと思って……冗談ではない!
誰が貴様のような薄汚い豚に兄上を穢させるものか。
断じて許さない……。
「とはいえ……なあ、月丸。どう思う?」
不意に向けられた問い。
とっさに何のことか分からず「え?」と声を漏らすと、
「あのように強き光、犯される程度で色が変わると思うか?」
続けて言われた、その言葉。
「力づくか、それとも薬を盛って快楽の海に沈めるか……とにかく、それであの男を穢し、堕とせると思うか?」
「! それ、は……」
「わしはそうは思わん」
きっぱりと、家房は断言した。
「どんなに外から圧をかけ、痛めつけて穢そうとも、あの眩い輝きは変わらない。変えることができない。そうとしか思えん」
お前なんかに兄上の何が分かる。
そう、言いたいところだが……確かに、言われてみればそうかもしれないと、思う自分がいた。
誰よりも心が綺麗な兄上。だが、決して弱いわけではない。
周囲からどんなに馬鹿にされようと折れない不屈の闘志を持っている。
子どもの頃もそうだったし、兄上の許に戻ったここ数年間でも、その姿を間近で何度も見てきた。
童の時ならいざ知らず今なら案外、家房に犯されても、多少傷つきはしてもけろっとしているかもしれない。
しかし、嫌なものは嫌だ。
だって、兄上は俺の大事な大事な……。
「だが、あの男が『犯される』のではなく、『犯す』となるとどうなる?」
「……え」
何だって……?
きょとんとする俺に、家房は笑顔でにじり寄ってきた。
「犯すのだよ、あの男が。しかも、決して手を出してはならぬ禁忌の相手を」
「禁忌の、相手……」
「お前だよ、月丸」
「……っ!」
心臓が、止まった気がした。
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