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第三章

失望(高雅視点)

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 顔を上げると、こちらに向かって駆けてくる龍王丸と目が合った。
 満面の笑みを浮かべるその顔は、墨が塗り手繰られている。

「父上、見てください。父上と叔父上とおれを描いたの!」
「本当か! ありがとう。見せてくれ」

 早速見せてもらった。
 そこには、丁字の……これは、竹とんぼだろうか? を、持った三人の人物が描かれていた。

「これ、この前三人で竹とんぼした時の絵か? すごいぞ、龍王丸。とっても良く描けてる」

「わあ。本当?」

「勿論だ。大きくなったら絵師になればいい」
 そう言って高い高いしてやると、龍王丸はおかしそうに笑い出した。

「あはは。父上、おれ伊吹家の当主さまにならなくていいの?」

「え? ああ、そうか。あはは。お前の絵が上手過ぎてすっかり忘れていた」
 笑って抱き締めると、龍王丸も楽しそうに笑ったが、すぐに俺の袖を掴んで引っ張ってきた。

「父上、叔父上は今度いつ来てくれますか? この絵、叔父上にも見せたいな」

「そう、だな。叔父上は……うん?」
 顔についた墨を拭いてやっていた俺は、その手を止めた。

 龍王丸の頬に、殴られたような痣を見つめたのだ。

「龍王丸、この頬の痣は」

「これ? これは……」
 龍王丸はあたりを見回し、誰もいないことを確認してから、

「虎千代にやられました」
 そう、耳打ちしてきた。と訊き返すと、

「でもね、おれもちゃんと殴り返しました!」
 悪びれずそう言って胸を張ってきた。

 龍王丸は従兄弟の虎千代とよく喧嘩をする。
 喧嘩するほど仲がいい……なら、いいのだが。

「今日は、何で喧嘩したんだ?」

「うんとね、おれが叔父上に作ってもらった竹とんぼで遊んでたらあいつ、『そんな汚い棒きれで遊んで馬鹿みたい』って言ってきたの」

「……っ」

「おれね。『煩い。汚くも棒きれでもない。叔父上が一生懸命作ってくれた竹とんぼだもん』って言い返したんです。そしたら、『そんな棒きれしか遊ぶものがない貧乏人め』って殴ってきたから、『だから、棒きれじゃないって言ってるだろう!』って殴り返して」

 そこまで言って、龍王丸は口を閉じた。それから口をへの字に曲げて首を捻るので、どうかしたのかと尋ねてみると、

「叔父上。虎千代にも竹とんぼ、作ったのかな?」
 悲しそうな顔でこちらを見上げてくる。

「そしたら虎千代の奴、絶対こんな棒きれいらないって言うよね? 虎千代のために一生懸命作ったのにそんなこと言われたら、叔父上、悲しい気持ちになっちゃうよね」

「っ……大丈夫だ」
 大きな目をうるうるとさせる龍王丸の頭を撫でながら、俺は励ますように言った。

「叔父上は、虎千代の好きな物を知っているから、虎千代が喜ぶおもちゃをあげている。お前が心配するようなことになってない。大丈夫だ」

「本当? よかったあ」
 嬉しそうに笑う龍王丸に俺も笑顔で応えたが、本当は胸がざわついてしょうがない。

 龍王丸の話を聞くにつけ、雅次と虎千代の親子仲はどう考えても良好とは思えない。
 それに、俺の家を馬鹿にするような言い草。

 雅次はそんなこと、口が裂けても言うわけがないから
 このような状況だというのに、俺が妻子のことを訊けば、雅次は自分たちはいかに仲睦まじい家族か力説してくる。

 
 そして、黙っていることもできない。

 雅次がこのことを知っていたら、必ずや正そうとするはず。
 それなのに、長らく放置し続けている。

 知らないのだ。自分の息子が、龍王丸に日頃なんと言っているのか……いや、そもそも誰と遊んでいるのかさえ把握していない。

 それだけ、家族と関わりを持っていない。

 つまり、

 あんな大恋愛の末に築いた家庭なのに。
 ともに暮らすうち、熱が冷めたのか。それとも。

 ――此度嫁をもらえることになって嬉しかった。これで、兄上と同じ立場になれる。今度こそ、兄上の言葉を信じられるようになれるかもしれない。そう思うて。

「……」

「あ。そうだ、父上」
 考え込む俺に、龍王丸はさらにこう言った。



「……。……勿論、分かっているよ」

「よかった。母上、虎千代のことを話すと怖いんだあ。 遊んでないよ。殴ってくるから殴り返してるだけだよって言っても、言い訳しないのって怒ってきて」

 頬を膨らませる龍王丸に、俺は顔に笑顔を貼り付けたまま頷いてみせる。

 龍王丸から偶然、と聞き出したのは、三カ月ほど前の話。

 なぜそんなことを龍王丸に言いつけたのか。
 尋ねようとしたが、

 ――そうそう。今日は蔦様にお会いして参りました。雅次様との惚気話を聞かされて大変でしたわ。
 訊くより早くそう言われて、言葉が引っ込んだ。

 乃絵はとても聡明な人だ。
 人を見る目も十二分にある。

 自分に悪意を持っている人間くらい、いとも簡単に見抜くことができる。

 だから、乃絵が「あのような姫を妻に出来て雅次は幸せ者だ」「妬けるほど二人は仲睦まじい」という言葉を聞いて……家庭円満だという雅次の言葉を信じてきた。

 

 だが、龍王丸が話す、虎千代とのこと。そして、そのことは決して俺に言うなと龍王丸に戒めていたこと。これらを思うと……っ。

 乃絵が、俺に嘘を吐いていた。

 

 なぜそんな嘘を吐いたっ。
 

 問い詰めたくてしかたなかった。
 だが、このことが分かったのは出陣前夜。問える状況ではなかった。

 結局、誰にも何も訊けぬままに出陣して、そのまま三カ月が過ぎた。

 あの時に比べれば、気持ちはだいぶ落ち着いた。
 これで冷静に話すことができると思った矢先に、今度は作左の件。

 乃絵に続いて、作左までも……っ!
 どうしてだ。どうして、こんな――。

「父上? どうかした……」

「申し上げます」
 また、新たな声がかかった。今度は家臣の声だ。

「ただいま本城より使者が参り、ただちに登城せよとのこと」
 その言葉に、俺は振り返った。

「ただちに? 戦か」

「いえ、戦とは別儀とのこと」
 戦でもないのにすぐさま来い? 何の用だろう。

 思いつかないが、なぜだろう。ひどく嫌な予感がする。
 それも、なぜか雅次のことが頭に浮かぶ。

 つい先ほどまで雅次のことを考えていたせいか? それとも。

「……父上?」
 不安げな呼び声で我に返る。下を向くと、龍王丸がこちらを見上げていて、

「叔父上、何かあったの?」
 そう訊いてくるものだからどきりとした。

「どうしてそう思うんだ?」と、笑顔で訊き返してみると、

「父上、叔父上を心配する時のお顔してる」
 そんなことを言う。

 龍王丸はこの歳にして、人をよく見ていて、ずばりと心中を言い当ててくる。
 まるで、人の胸の内が透けて見えているのではないかと思うほど。

 我が息子ながら将来が楽しみではあるが、同時に心配でもある。
 人の心が見え過ぎて、龍王丸の温かくて優しい心が傷ついたりしないかと。けれど。

「……なあ、龍王丸。お前、叔父上が好きか?」

「うん。大好き!」
 即答だった。

 どこまでも真っ直ぐで純粋な笑顔に破顔し、龍王丸の頭を撫でた。

「うん、俺も好きだ。だから、辛い思いも悲しい思いもさせない」

「本当?」
「本当だ」と、きっぱり言い切ると、龍王丸は嬉しそうに笑った。

「父上、おれにできることがあったら言ってください! おれ、叔父上のためならいっぱい頑張る……っ」

「……ありがとう。ありがとう、龍王丸」
 思わず抱き締めて礼を言っていた。

 ともに弟の幸せを願ってくれていたはずの妻だけでなく、家臣からも欺かれていたと知った直後なだけに、ただ純粋に雅次を慕い、雅次のためなら力を尽くしたいと即答する龍王丸の存在に、救われる思いがしたのだ。

 そして、乱れていた心が凪ぐ。

 ……そうだ。どんなに嘘を吐かれ、陰で好き勝手されていたとしても、俺も龍王丸も雅次のことが好きで、雅次が辛い思いをするのは耐えられない。

 だから、やるべきことはいつだって一つだけだ。

 俺は身を離し、龍王丸の頭をもう一度撫でると、本城へ向かった。
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