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第三章

健気な月丸(家房視点)

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「……ふむ」

 かりそめの夫への恨みつらみが書き殴られた娘からの文を読み終え、高垣家房は眉間に皺を寄せた。

(月丸め。

 普通、国主の……しかも訳ありの娘を嫁にしたら舞い上がり、それを使っていかにのし上がってやろうかと野心を燃やすものだ。

 当主の父親に冷遇されているなら、なおのこと。

 月丸こと雅次も必ずや動く。
 そう思って、身重の蔦を宛がった。

 上手くいけば、伊吹家を乗っ取ることができるし、、ある程度伊吹家中をかき乱すことができれば、伊吹を容易く攻め落とす糸口となってくれるはずで……と、どちらに転んでも悪くない。そう踏んだのだ。

 だが、雅次はその読みを見事に裏切った。

 蔦と虎千代、さらにはその父親さえも手厚く扱いつつ、出世など望むべくもない地味な雑務に励み続けた。

 ――家房様のお気持ち、嬉しゅうございます。これで、月丸は死ぬまで家房様だけのもの。もう寂しくありません。姫も生まれてくる子も、家房様と思うて大切にいたします。

 あの言葉のとおりに。

 あの時は口先だけだと思っていたが、まさか本心だったとは。

 ――……月丸には、家房さまだけ。
 雅次がよく口にしていた言葉が思い起こされる。

 初めて出会った頃、雅次は独りぼっちだった。

 山吹の世継ぎしか望まぬ家中から見捨てられ、誰にも相手にされず、一人寂しげに蹲っていた。

 その憐れで痛々しげな風情に何ともそそられ、芳雅に所望した。
 息子を稚児として差し出せだなんて家来に対してのそれだが、笑顔でしれっと言ってやった。

 芳雅はあからさまな難色を示した。ごつごつした石ころ顔を真っ赤にさせ、恥辱と怒りで震えていた。
 滑稽で面白かった。なので、つい。

 ――わしの言うとおりにしてくれたら、ご褒美をやるぞ? なあ? お前はいい子であろう?
 おどけた口調でそう言って、扇で頬を軽く叩いてやった。

 表面上偉ぶってはいるが、
 ゆえに、どんな扱いをしてやろうが構わない。と、知っていたから。

 案の定、芳雅はあっさり息子を差し出してきて……家房は難なく雅次を手に入れた。

 関係を持ち始めた頃、雅次の幼気な体は家房を拒否して何度も嘔吐したが、雅次は「嫌じゃないの。嫌いにならないで」と震えながらしがみついてきた。

 たまらなく可愛かった。

 それに、こうも言うのだ。

 ――月丸には、家房さまだけなの。
 何年経っても、そう言っていた。

 その言葉どおり、
 家房以外は誰もいらぬと言わんばかりに。

 そこまで慕われたことなどなかったから、夢中になって可愛がった。

 色々買い与えてやったし、雅次を襲おうとした輩は伊吹家の養子候補であろうと斬り殺した。

 それくらい、愛していた。
 だが、それも

 雅次がごつくて硬い男の体になった瞬間、愛情は一気に冷めた。

 自分が見捨てたら、この男は誰にも相手にされない独りぼっちに逆戻りするが、知ったことではない。

 こんな可愛げのないいかつい体にいくら想われても、心も体も全く感じない。
 うっとうしいだけだ。

 さっさと関係を絶ち、次を探した。

 そして、一欠片も思い出すことはなかったのだが、一年後。娘の蔦が乳兄弟との間に子を孕んだと聞いた刹那、即座に雅次の顔が脳裏に浮かんだ。

 そうだ。鹿

 さらに……あわよくば、「自分には家房様がついている!」と調子に乗って、伊吹家をかき乱し、この手に差し出してくれればと。

 そんな打算しかなかった。

 だが、雅次のほうはといえば、この嫁をもらえば自身は生涯日陰者とならざるをえないという覚悟を持って、蔦をもらい受けた。

 ――月丸を誰にも渡したくないという家房様のお心、嬉しゅうございます。

 「……」

 ここまでひたむきに想われると、体は駄目でも、心は多少動くというものだ。
 いや、多少どころか……苦しくてしかたない。



 永遠にあの愛らしい童の体であったら、未来永劫愛し合うことができたのに、なぜあんな……可愛さも柔らかさもの欠片もない硬い体に!

 なんと、口惜しいことか。

 とはいえ、家房に対するこの絶対的愛情と、下手に動けば潰されるからと目立たぬよう振舞う、冷静な判断力と実行力。

 このまま埋もれさせるのは惜しい。
 力をつけさせ、やる気を出させれば必ずや良き駒となり、伊吹家を傾けさせてくれるはず。

 芳雅が無能なのをいいことに、現在、伊吹を隷属に近い状態にまで持っていけてはいるが、代替わりしてしまったら、この状態がどうなるか分からない。

 漏れ聞くところによると、最近芳雅は山吹のくせにイロナシごときに頼り切っている腰抜けとして、家中からの人望を急速に失いつつあると聞く。これでは、いつ失脚するか分かったものではない。

 忠実な僕である雅次はいまだ下っ端だし、そろそろ何らかの手を打っておくべきだ。

 伊吹が治める静谷は、大きな港を有した豊かな土地。
 逃す手はない。

(さて。どこから攻めてみるか)

 娘からの文に何の気なしに目を走らせながら考える。
 そして、ある文言を捉えた時、視線がぴたりと止まった。

 よし。試しに、ここを攻めてみよう。

「意外に、面白いことになるかもしれん」


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