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第二章

二人目の住人(雅次視点)

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「おお。雅次、来てくれたのか」

「はい。居ても立っても居られなくて……兄上! 義姉上様のご容体、芳しくないのですか?」

「何だとっ。誰がそう申したっ?」

「い、いえ、兄上の顔がいやに青ざめてらっしゃるから」
 首を振りつつ答えると、兄上は深い深い溜息を吐いた。

「なんだ、びっくりした。驚かせるな」

「……兄上。お産は二度目なのでしょう? もっと、どっしり構えていただかないと困ります。そうじゃないと、俺の身が持たない」

 あの子がちゃんと生まれてこれるか、心配で心配で心臓が破裂しそうなのに。

「そ、そうは言うてもなあ。乃絵も腹の子も命をかけて気張っているのだと思うと、何度経験しても絶対慣れる気がしない……というか、お前も二回目だろう。それに、我が子の時よりは気が楽なんじゃないか?」

「! 何をおっしゃいますっ」
 あまりの言葉に、俺は声を荒げた。

「大事な大事な兄上のお子ですぞっ。しかも、俺を恋しいと想う兄上のお心で出来た子です。平静でいられるわけないでしょう!」

「っ……お、お前! なんてことを……ふっ」

 突然、兄上が噴き出した。
 何がおかしいのだと突っかかると、

「普通、あのようなことを言われたら引くばかりだと思うんだが……お前、本当に俺を好きなんだなあ」

 しみじみとそう言われたものだから、顔が真っ赤になった。
 しまった。動揺のあまり口が滑った。

「そ、そんな……当たり前ではないですか。兄上、なんだから……っ」

「うんうん。ありがとう。俺もお前が好きだよ」
 俺の頭をぽんぽん叩きながらさらりとそう言って、兄上はその場に腰を下ろした。

 そのさまに、俺の胸はぎゅっと詰まった。

 俺のこの想いを、兄上が柔らかく受け止めてくれたから?
 兄上も俺を好きだと言ってくれたから? 

 それもあるが一番の理由は、こんなにも愛おしい兄上が俺を想う心で出来た子が、これからこの世に生れ落ちること……と、思ったところで、兄上が改まったように俺の名を呼んだ。

「俺はこれから生まれてくる子は、男のような気がする」

「男……そうですね。義姉上様の腹を毎日元気よく蹴り続けておりましたし」

「もし男なら、その子は俺の次の当主ということになる」

「……」

「イロナシ同士の子だ。きっとイロナシで生まれてきて、皆からこう思われるんだ。『イロナシか。山吹がよかったのに』と。イロナシの俺を嫡男に据えた父上の手前、表立っては言わぬが、腹の中ではきっとそう思う」

 俺が無言で頷いてみせると、兄上は小さく息を吐いた。

「俺はそういう悪意に負けたくなくて、今まで精進を重ねてきた。だが、これから生まれてくる子には、その先を行ってほしい」

「その先……?」

「山吹、イロナシ、白銀。それら全てに囚われぬ男になってほしい。例えば、そうだな。白銀を登用するくらいにな」

「ええっ?」
 思わず声を上げてしまった。

 白銀は山吹を産むことしか存在意義がないとされる人種。それらを登用するだと? イロナシが山吹に勝つ以上にありえぬことだ。

 そう言うと、兄上はからから笑った。

「ああ。常識的に考えたら絶対にない。だが、とてもいいことだし、夢があっていいじゃないか」

「い、いや、そう申されましても」

「それに、お前とならできそうな気がするんだ」

「……!」

「お前がいなかったら、俺はとっくの昔に独り寂しく野垂れ死んでいたよ。でも、お前がいてくれたから、ここまで来れた。十年仲違いしててもな。だから、今の俺たちなら、もっと先に行けそうな気がするんだよ」

 目頭が熱くなった。

 兄上が俺のことをそんなふうに想ってくれていることもそうだが、確かに……俺たちはここまで来た。

 世界中から見放され、二人ぼっちだったあの頃から、兄上は暫定とはいえ伊吹家嫡男となり、城を持ち、家臣団を引き連れ、温かい家庭を持って二人目の子を授かろうとしている今へ。

 あの頃を思えば、夢のようだ。

 そして、この世は地獄。兄上がいなければ息をすることもできないと思うこの俺が……まだ会ったことはないが愛おしくてたまらない子が、この世に産まれてくることをこんなにも喜んでいることもそう。

 だったら今、到底叶わぬ夢だと思うことも、二人でなら……と、思った時だ。

 あたりに赤子の泣き声が響き渡った。
 これは……!

「申し上げます。ただいま、無事お生まれになられました! おかた様もお健やかにて」

「そうか! よかった……あ。ややは」

「はい。

 その言葉に、俺と兄上は顔を見合わせ、笑い合った。

 その後、兄上は一人義姉の許へ向かったのだが、しばらくして俺も呼ばれた。

 出産直後の女に夫以外の男が近づくなど聞いたことがないと言ったが、二人がぜひにということだったので、それならとお邪魔した。
 実を言えば、早く生まれた赤子を見たかったのだ。

 生まれたばかりの赤子を見るのは、これで二回目。

 だが、我が子とは名ばかりの赤子を見た時には全く覚えなかった感動が俺を貫いた。

 何もかもが小さな体。独特の甘やかな匂い。
 何もかもが可愛い! 

 そして、恐る恐る指先を近づけた時、驚くほど小さくて華奢な指が俺のそれを掴み、引き寄せて、吸ってきた。
 瞬間、いまだかつてない衝撃が全身を刺し貫いて――。


 


「兄上、この子の名は」

「うん。龍王丸にした」

「龍王丸! 兄上と同じ幼名ですね」

 可愛い可愛い甥っ子、兄上と同じ名前の龍王丸。
 会ったばかり。しかも、お前がどんな人間なのかも知らないのに、お前が愛おしくてしかたない。

「実は、我ながらいい名前だと思っていたんだ。でも、誰もこの名前で俺を呼んではくれなかった。そう思ったら、何だかこの名が可哀想でなあ。だから俺は、この名をいっぱい呼ぶ父親になりたい」

「……はい」
 大丈夫。兄上とお前だけは、俺が必ず幸せにしてみせる。

「雅次。どうかこの子を守ってやってくれ。俺の大事な宝だ」

「はい!」
 何をしても。どんな手を、使ってでも。

 そう思いながら、俺は……後に、
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