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第一章
英雄・高雅を創った男(??視点)
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「若様、『あの男』を上手く宥めてくださっただろうか」
高雅の城を辞した家来たち三人が、声を潜めて話し合う。
「何言ってる。宥めてくれねば困る。これまでの若様の手柄のほとんどは、あの男の助けあってのことではないか」
「あの男がおらねば、我らはとっくの昔に死んでおる」
あの男……月丸が彼らに声をかけてきたのは、今から九年前。
偶々伊吹の本城に一時戻る機会があり、その際、高雅から「弟の様子を見て来てくれないか」と頼まれた。
――元気に暮らしていると父から聞いてはいるんだが、やはり気になってな。
ひどく心配そうな顔をしていた。
当然だ。可愛がっていた幼い弟を一人残してきたのだから。
高雅が月丸を可愛がるさまは時折見ていたので、皆自然とそう思った。
そして、いざ本城に戻り、月丸の様子を見に行き、驚愕した。
高雅に可愛がられ、あどけない笑みを浮かべていた童の姿はどこにもなかった。
いたのは、感情の色も生気も完全に抜け落ちた青白い顔の童だけ。おまけに、黒い瞳はどこまでも静かに闇が広がるばかりで、もはや……ただの洞だ。
あまりにも異様な光景に、全員立ち尽くしてしまった。
これは、どう考えてもただ事ではない。
高雅にどう報告したらいい? と、三人で話し合っていると、
――お前たち。兄上の家来だろう?
不意に、抑揚のない無機質な声に呼びかけられて、はっとした。
振り返ってみると、光のない虚ろな目でこちらを見やる、青白い顔の童、月丸が立っていた。
目が合うと、両端の口角をつぅっと持ち上げ、にたりと……実に薄気味悪い笑みを浮かべるものだからぞっとした。
何か用かと震える声で尋ねると、
――いいこと教えてあげる。
それ以降、月丸は様々なことを教えてくれるようになった。
今、高雅が置かれている状況、高雅に忍び寄っている脅威。そして、それらの打開策。
何から何まで教えてくれた。
しかも、自分が教えたことは誰にも言うなという言葉まで添えて。
どうしてこんなことをしてくれるのか。
不思議に思って尋ねてみると、
――兄上が死ねば、今度は弟の俺が標的にされる。俺が助言したと知れば、兄上は必ず「これは月丸の策だ」と騒ぎ立てる。すると、俺が矢面に立たねばならなくなって……それはごめんだ。
薄気味悪い笑みを浮かべたまま、月丸は悪びれず言った。
確かに、世継ぎ候補の山吹たちの目は今、戦で手柄を立てた高雅にのみ向いている。
その高雅がいなくなれば、今度はその弟をと思うだろうし、高雅は人の手柄を自分の手柄だとは口が裂けても言えない男だ。
自分を安全圏に置き、好き勝手できるようにするためには、こっそりと兄を助け、兄を矢面に立たせ続ける。それが一番いい手だ。
さらには、世継ぎ候補たちがいつの間にか一人二人と消えていった。
月丸は何も言わなかったが、高雅を囮にして、月丸が一人ずつ潰していったに違いない。
そして、悠々と、自分の過ごしやすい環境を作っていく。
まだ年端も行かぬ童が。それに、高雅は弟のことを何より案じているというのに。
戦慄することしきりだったが、高雅に付き従う自分たちにとっても悪い話ではない。
月丸の策はどれもこれも自分たちでは到底思いつくことができない上策ばかりだったし、月丸の言うとおりにすれば……それがたとえ、どんなにえげつなくて、あくどい手であっても、何もかも上手くいく。
だから……高雅には「月丸様は健やかにお過ごしです」と虚偽の報告をしつつ、月丸の言うことを聞き続けた。
本当のことを話して、高雅に今の状態を邪魔されては困る。
さらには月丸に対しても、高雅がいつも月丸のことを気にかけていることは伏せた。
この悪魔がそんなことを知ったら、またどんな悪巧みを考えつくか分かったものではない。
それくらい、月丸のことは信用してはいない。
だが、月丸なくして今の高雅はない……いや。
月丸が、「英雄・高雅」を創り上げたと言っても過言ではない。
全てが上手くいっていた。
だが、高雅が喜勢家の令嬢・乃絵姫と恋に落ちたことで、歯車が狂い始めた。
名門喜勢家にいい顔をしたい芳雅が、高雅を世継ぎに据えただけでなく、城まで作って静谷国に呼び戻してしまったのだ。
高雅の地位が盤石なものとなってしまっては、もう風よけには使えない。
それどころか、こんなに近くに居られては……兄はこんなにも立派になったのに、弟のお前はどうしてそんなに駄目なのかと、月丸がやり玉に挙げられ、糾弾されることになる。
というか、現時点ですでに、月丸の居場所はこの静谷国のどこにもない。
芳雅に完全に愛想を尽かされ、見放されているのだから。
兄を矢面に立たせて遊び惚けようとした罰と言えばそれまでだが、「ここらが潮時。出奔しよう」などと思われたら、非常に困る。
世継ぎとなってこの地に戻ってきたとはいえ、高雅にはこれからも……いや、今まで以上に月丸の力が必要なのだ。
月丸がいなくなってしまっては、高雅は瞬く間に破滅する。
そして、それは……高雅に付き従う自分たちの破滅を意味する。
嫌だ。ようやく、「山吹よりも優れたイロナシの名将を支える優れた家臣」となって、皆から認められたのだ。
今更、「いらない子」に逆戻りしてたまるものか!
だから、月丸のことを色々と脚色して高雅に知らせた。
高雅は月丸のことをこの上なく想っているし、どこまでも信じている。
そのさまを見せれば、高雅をただの駒としか思っていないあの男はこう思うはずだ。
ここまで自分のことを信じ込んでいるのなら、まだまだ使える。
いい傀儡になってくれるに違いないと。
そうすれば、出奔しようなどとは思わなくなるはず。
それはつまり、あの男に自分の主を供物に捧げることと同義ではあるが、構うものか。
「わしはもう、『いらない子』になど戻りとうない」
「わしもじゃ」
「わしもじゃ」
そのためならば、どんな手でも使う。
主も差し出す。悪魔に魂も売る。
たとえ、まがい物であろうと、皆に認められる立派な者でいたい。
褒められ続けていたいのだ。
高雅の城を辞した家来たち三人が、声を潜めて話し合う。
「何言ってる。宥めてくれねば困る。これまでの若様の手柄のほとんどは、あの男の助けあってのことではないか」
「あの男がおらねば、我らはとっくの昔に死んでおる」
あの男……月丸が彼らに声をかけてきたのは、今から九年前。
偶々伊吹の本城に一時戻る機会があり、その際、高雅から「弟の様子を見て来てくれないか」と頼まれた。
――元気に暮らしていると父から聞いてはいるんだが、やはり気になってな。
ひどく心配そうな顔をしていた。
当然だ。可愛がっていた幼い弟を一人残してきたのだから。
高雅が月丸を可愛がるさまは時折見ていたので、皆自然とそう思った。
そして、いざ本城に戻り、月丸の様子を見に行き、驚愕した。
高雅に可愛がられ、あどけない笑みを浮かべていた童の姿はどこにもなかった。
いたのは、感情の色も生気も完全に抜け落ちた青白い顔の童だけ。おまけに、黒い瞳はどこまでも静かに闇が広がるばかりで、もはや……ただの洞だ。
あまりにも異様な光景に、全員立ち尽くしてしまった。
これは、どう考えてもただ事ではない。
高雅にどう報告したらいい? と、三人で話し合っていると、
――お前たち。兄上の家来だろう?
不意に、抑揚のない無機質な声に呼びかけられて、はっとした。
振り返ってみると、光のない虚ろな目でこちらを見やる、青白い顔の童、月丸が立っていた。
目が合うと、両端の口角をつぅっと持ち上げ、にたりと……実に薄気味悪い笑みを浮かべるものだからぞっとした。
何か用かと震える声で尋ねると、
――いいこと教えてあげる。
それ以降、月丸は様々なことを教えてくれるようになった。
今、高雅が置かれている状況、高雅に忍び寄っている脅威。そして、それらの打開策。
何から何まで教えてくれた。
しかも、自分が教えたことは誰にも言うなという言葉まで添えて。
どうしてこんなことをしてくれるのか。
不思議に思って尋ねてみると、
――兄上が死ねば、今度は弟の俺が標的にされる。俺が助言したと知れば、兄上は必ず「これは月丸の策だ」と騒ぎ立てる。すると、俺が矢面に立たねばならなくなって……それはごめんだ。
薄気味悪い笑みを浮かべたまま、月丸は悪びれず言った。
確かに、世継ぎ候補の山吹たちの目は今、戦で手柄を立てた高雅にのみ向いている。
その高雅がいなくなれば、今度はその弟をと思うだろうし、高雅は人の手柄を自分の手柄だとは口が裂けても言えない男だ。
自分を安全圏に置き、好き勝手できるようにするためには、こっそりと兄を助け、兄を矢面に立たせ続ける。それが一番いい手だ。
さらには、世継ぎ候補たちがいつの間にか一人二人と消えていった。
月丸は何も言わなかったが、高雅を囮にして、月丸が一人ずつ潰していったに違いない。
そして、悠々と、自分の過ごしやすい環境を作っていく。
まだ年端も行かぬ童が。それに、高雅は弟のことを何より案じているというのに。
戦慄することしきりだったが、高雅に付き従う自分たちにとっても悪い話ではない。
月丸の策はどれもこれも自分たちでは到底思いつくことができない上策ばかりだったし、月丸の言うとおりにすれば……それがたとえ、どんなにえげつなくて、あくどい手であっても、何もかも上手くいく。
だから……高雅には「月丸様は健やかにお過ごしです」と虚偽の報告をしつつ、月丸の言うことを聞き続けた。
本当のことを話して、高雅に今の状態を邪魔されては困る。
さらには月丸に対しても、高雅がいつも月丸のことを気にかけていることは伏せた。
この悪魔がそんなことを知ったら、またどんな悪巧みを考えつくか分かったものではない。
それくらい、月丸のことは信用してはいない。
だが、月丸なくして今の高雅はない……いや。
月丸が、「英雄・高雅」を創り上げたと言っても過言ではない。
全てが上手くいっていた。
だが、高雅が喜勢家の令嬢・乃絵姫と恋に落ちたことで、歯車が狂い始めた。
名門喜勢家にいい顔をしたい芳雅が、高雅を世継ぎに据えただけでなく、城まで作って静谷国に呼び戻してしまったのだ。
高雅の地位が盤石なものとなってしまっては、もう風よけには使えない。
それどころか、こんなに近くに居られては……兄はこんなにも立派になったのに、弟のお前はどうしてそんなに駄目なのかと、月丸がやり玉に挙げられ、糾弾されることになる。
というか、現時点ですでに、月丸の居場所はこの静谷国のどこにもない。
芳雅に完全に愛想を尽かされ、見放されているのだから。
兄を矢面に立たせて遊び惚けようとした罰と言えばそれまでだが、「ここらが潮時。出奔しよう」などと思われたら、非常に困る。
世継ぎとなってこの地に戻ってきたとはいえ、高雅にはこれからも……いや、今まで以上に月丸の力が必要なのだ。
月丸がいなくなってしまっては、高雅は瞬く間に破滅する。
そして、それは……高雅に付き従う自分たちの破滅を意味する。
嫌だ。ようやく、「山吹よりも優れたイロナシの名将を支える優れた家臣」となって、皆から認められたのだ。
今更、「いらない子」に逆戻りしてたまるものか!
だから、月丸のことを色々と脚色して高雅に知らせた。
高雅は月丸のことをこの上なく想っているし、どこまでも信じている。
そのさまを見せれば、高雅をただの駒としか思っていないあの男はこう思うはずだ。
ここまで自分のことを信じ込んでいるのなら、まだまだ使える。
いい傀儡になってくれるに違いないと。
そうすれば、出奔しようなどとは思わなくなるはず。
それはつまり、あの男に自分の主を供物に捧げることと同義ではあるが、構うものか。
「わしはもう、『いらない子』になど戻りとうない」
「わしもじゃ」
「わしもじゃ」
そのためならば、どんな手でも使う。
主も差し出す。悪魔に魂も売る。
たとえ、まがい物であろうと、皆に認められる立派な者でいたい。
褒められ続けていたいのだ。
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