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第一章

俺のお月様(前編)(高雅視点)

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 月を見ている。柔らかく輝くまん丸い月を。
 空を覆い隠す分厚い雲の谷間から覗き、空を照らしている。

 そのさまに両の目を細め、俺は空を羨ましく思った。
 あんなに綺麗な月がいてくれたら、きっと……分厚い雲で全てを覆い尽くされても、他に何もなくても寂しくないし、幸せな気持ちになれるはず。
 自然とそう思えるくらい、今夜の月は……いや、その月を抱く空は綺麗だ。

「……いいなあ」
 届くはずもないのに月へと、青痣と擦り傷だらけの手を伸ばし、ぽつりと独り言ちた時だ。

『何っ? また「イロナシ」だとっ?』
 突然、男の怒声が聞こえてきてはっとした。この声、父の声か?

『しかと確かめたのかっ? 山吹色の瞳はしていなかったか? 黒い瞳なのか? ……くそっ、くそ! 六年ぶりに授かった子だというに、またしてもイロナシとはっ。あれほど「山吹」誕生の祈祷をしたというに、なにゆえ』
 何かが壊れる音がした。

『と、殿。お鎮まりくださいませ』
『お子はまた産まれます。その時こそは必ずや「山吹」の男児が』

『黙れ。気休めを申すなっ。ああなにゆえ、浅葱は「白銀」の分際でイロナシしか産めぬのか』

 浅葱とは父の正室。俺を産んだ人の名前だ。
 あの人、また子どもを産んだのか。さらに、生まれてきたのは、俺と同じ――。

『役立たずのイロナシなどいらぬ。山吹でなければ意味がないっ』
「……っ」

 この世には、「山吹やまぶき」と呼ばれる人種がいる。

 数百人に一人の確率で生まれてくる特殊変異にして、黒目の常人と異なり、その名のとおり山吹色の瞳で生まれてくる。
 知力、腕力、感性全てが常人の数倍秀でた素質を持って生まれてくる、約束された傑物。と、言われている。
 現に、政治、戦、芸術……と、あらゆる分野において、第一線の活躍をしているのはいずれも山吹であり、普通の人間である「イロナシ」は足元にも及ばない。

 ゆえに、何においても山吹が優先され、誰もが山吹を欲しがる。
 戦国大名などは、その筆頭。
 この乱世を生き残り、更なる領土拡大を狙うためには、どうしても山吹の世継ぎがいる。有力大名の大半が山吹ゆえになおさら、大名たちは山吹の子のみを渇望し、それを得るためならば、どんな手段も厭わない。
 我が家のような、代々この静谷国を統べる国主にして、歴代当主全員が山吹である伊吹いぶき家も、その例外ではない。
 ゆえに、父は「白銀」である母を娶った。

白銀はくぎん」とは数千人に一人の確率で生まれてくる、これまた特殊変異で、山吹、イロナシの黒髪と違い、白銀の髪色で生まれてくる。
 体は華奢で、力も弱い。けれど、繁殖能力に特化しており、同性同士であろうと子を成すことができる。
 また、山吹と交わると、高確率で山吹を産むことができる。
 そのため、大名たちは白銀獲得に余念がない。山吹の子を産ませるため。白銀を独占することで、他家に山吹の子を産ませぬため。
 母は、当家が苦労してようやく手に入れた白銀だ。

 山吹の子しかいらない。イロナシなど不要。
 そんな家に、俺は……当主芳雅よしまさの長男として生まれてきた。

 誰一人、俺の誕生を歓ばなかったと聞く。
 俺が山吹ではなく、イロナシだったから。

『どうなさいます? 和子様にご対面なさいますか……』

『たわけっ。「龍王丸」を見てみろ。まがいなりにも伊吹の血を引いておるゆえ、山吹と同じように育ててみたが、まるでものにならん。弟もどうせ駄目だ。会う価値もない』

 突如、自分のことをやり玉に挙げられつつそんなことを言われて、息を呑んだ。

 確かに、俺は出来損ないだ。
 長子ということで一応、伊吹家の長子が代々つけられる「龍王丸りゅうおうまる」の名を賜り、物心ついた時から山吹たちの群れに放り込まれ、彼らとともに修練に励んできたが、何をやってもびりっけつ。
 どんなに頑張っても、山吹たちからは頭の悪さを馬鹿にされ、稽古と称してボコボコにされ、それを見た周囲も……俺のことを助けてくれないどころか、ごみを見るような、冷ややかな視線を向け、「やっぱりイロナシは駄目だ」「どうしてイロナシなどが生まれてきたのか」と、陰口を叩くばかり。

 哀しくてたまらない。でも……!
 俺は立ち上がり、駆け出した。

「も、申し上げますっ」
 俺は父の前に転がり出て、震える声を張った。

「お、お願いです。まだ、その子を……駄目とは、言わないであげてください」

「……何だと?」
 俺を見下ろす、冷え冷えとした山吹の瞳にぎろりと睨まれる。
 背筋がぞっとしたが、それでも俺は震える口を動かした。

「俺は、いくら努力しても全然駄目だから、皆に駄目と思われてもしかたないです。でも、その子は生まれたばかりです。まだ、何の機会ももらっていません。駄目な俺の弟だから、イロナシだから、きっと駄目だなんて、最初から決めつけるのは可哀想……がはっ」

 地面に額を擦りつけて必死に訴えていると、無造作に蹴り飛ばされた。

「ごみごときが、わしに指図するな」
 俺は蹴られた箇所を抑えて悶絶したが、周囲にいた家臣たちは誰も助けてくれない。「かような無礼を許してしまい、申し訳ありません」と、平謝りしている。

「さように肩を持つほど気に入ったのなら、貴様にやる。わしはいらん」

 そんな言葉を最後に吐き捨てて、父は行ってしまった。他の家臣たちも父に付き従い、俺は一人になった。
 涙が滲んできた。こんなに惨めで駄目な自分が嫌で……自分のせいで生まれたばかりの赤ん坊の不幸を確定させてしまったことが辛くて、その子に悪くてしかたない。

 もう、消えてなくなりたい。でも。

 ――貴様にやる。わしはいらん。
 その言葉を思い出した時、体が勝手に動いた。

 軋む体を引きずり、とぼとぼ歩いて程なく、その子がいる部屋を見つけた。
 見せてほしいと頼むと、応対した侍女は、生まれたばかりの赤子に近づけさせるわけには……と、難色を示したが、

「いいじゃない。龍王丸様はあの子の兄君だし、どうせ、あの子イロナシだし」
 誰かがそう言ったため、部屋に入れてもらった。

 そこで初めて、俺はその子を見た。

 びっくりするほど小さくて、丸っこい。
 恐る恐る近づけた俺の指をきゅっと掴んで、いつまでも離そうとしない。
 そのさまを見て……この世には、こんなに可愛くて尊い生き物がいるのかと驚嘆していると、

「そういえば、この子名前は何になったの?」
「『月丸つきまる』ですって。今夜が満月だからかしら」

 不意に聞こえてきたその言葉にどきっとした。
 月丸。俺がさっき欲しいと思った満月と同じ名前。
 そのことに、さらに心臓を高鳴らせていると、

「なんだ。またイロナシか」
「イロナシなどいらぬのに」
 今度は、そんな言葉が聞こえてきた。

 いつも自分が言われていること。そして、いつもの自分なら「そうだよね。イロナシだもんね」と、俯いたことだろう。だが、この時の俺は違った。

「イロナシだからなんだっ? こんなに可愛いのに!」
 思わず怒鳴りつけていた。

 いつも言われっぱなしで俯くばかりだった俺に怒鳴られて、皆驚いた顔をしていたが、今はそんなことどうでもよかった。
 俺が大声を出したものだから、月丸が泣き出してしまったのだ。

「ああすまん。いきなりでびっくりしたな、月丸。怖かったな。おい。どうすれば泣き止んでくれるのだ」

「え? それは、まあ……抱っこするとか」

「だっこか! よし、月丸。今抱っこしてやるからな」

「ああ! 龍王丸様お待ちください。今から抱き方をお教えしますので」
 いらぬとは言っても、死なれるのは困るらしい。

 やり方を教えてもらい、早速抱いてみる。
 はじめに感じたのはずっしりとした重さ。けれど、首も座っていないその体はひどく不安定で、俺が支えてやらなきゃまるで自分を保てない。
 赤ん坊とはこんなにも脆く儚いものなのかと驚いた。
 でも、何やら甘くていい匂いがするし、腕に感じる温もりはとても心地いい。
 そして、俺が抱っこするとすぐさま泣き止んで、一生懸命俺に小さな手を伸ばし、俺が笑いかければ笑い返してくれる……ように見えた。

 全部が、夢のように可愛くて綺麗だ。
 心の奥底に、温かな灯がぽっと点くような。
 その感覚にまた衝撃を受けて、俺は確信した。この子は、神様か何かが与えてくださった俺のお月様なのだと。

 だから、決めた。この子は俺がもらう。
 俺が何をしても駄目な役立たずだろうが、そんなこと知るか。

 俺がこの子を守って、いっぱいいっぱい可愛がってやるんだ! 今夜の満月のように、美しく光り輝くくらい。
 そしたらきっと、俺もあの空のように幸せになれる。

 子ども心に、そう思ったのだ――。





 翌日から、俺は稽古以外の時間は全て月丸に費やした。

 時間の許す限り、月丸のそばにいた。世話もたくさん焼いた。
 年端も行かぬ童がする世話だから、拙いことこの上なかったと思う。それでも、月丸はいつもにこにこ笑っていた。俺が抱き締めると、小さな手でぎゅっと抱き締め返してくれる。
 だから、汚い便の始末だって夜泣きだって苦ではなかったし、おしめを替えていたら顔に小便を引っ掛けられ、悲鳴を上げたら笑われても、「可愛い笑顔!」と思うばかりだった。

 幸い、大きな病もなくすくすくと育った月丸は歩けるようになると、いつも俺の後をよちよちとついて来るようになった。
 言葉が言えるようになると、

「あにうえ、だいすき!」
 真っ先にその言葉を覚えて、俺の胸に飛び込んでくるようになった。

 小さな体で、今できること全部で、俺のことを求めてくれる。大好きだと笑ってくれる。
 可愛くてしかたなかった。
 そして、あの時感じたことは間違いではなかったのだと実感する。 

「あにうえ、お空でひかってるあれはなあに?」

「あれか? あれは、お前だよ。月丸の『月』」

「ええ? つきまるのつきは、あのまるいのなの? すごい!」

「はは。そうだぞ? 月丸はすごいんだ。可愛くて綺麗な、俺のお月様」

「うーん? よく分かんない。でも、あにうえがうれしいなら、おれもうれしいよ!」

 そう言って浮かべてくれた笑顔は、月丸が生まれた日に見たあの月よりもずっとずっと、輝いて見えた。

 月丸。俺のお月様。
 にこにこ笑う月丸さえそばでいてくれたら、他に何もいらない。
 
 俺はとても幸せだ。
 
 だが、そんな幸せな日々は、ある日突然終わってしまった。
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