20 / 29
本編ー総受けエディションー
19:ゆゆ島よぞらは至冬くんと小さきを愛でる
しおりを挟む
ドアを開けて、顔を出す。
――今日は、珍しく雨が降っていない。
「……しとしと、しとらんがな」
いや、知らんがな。
◇ ◇
「…………いやいや、ちょっと待って、やっぱりさっきの超恥ずい、無し」
冒頭の独り言に早くも後悔していた。セルフツッコミもあわせてるよね、コレ。
「一人で親父ギャグとか言い出したら終わりだよな……」
今度から気をつけないと。……いや、もしかしてもう遅かったりするのだろうか。
「……、もう直る見込みなさそ」
しかも、持って出た傘は手持ち無沙汰になってしまったし。
恥ずかしさを消し去りながら振り回し、ある程度満足したら、俺は傘の柄を持ち直してバイト先へと向かった。
気付かなかったのには訳がある。だって、ダラダラと直前までカーテンを閉め切って寝ていたんだから。てっきり、いつもの空模様だと思い込んでいたんだ。……まあ現実は、めためたに晴れてたけど。
外の通りは柔い陽の光が降り注ぎ、肌がいつもより鮮明に輪郭を持つ。気持ちワントーン明るく見えるような気がした。
「こないだの荒れた天気とは大違い」
そいでもって、ぽっかぽか。
ピーカンまでとはいかないが、晴れ空に羊雲が駆けている。とめどない集団の、あの大きな塊を見ていたら雲の隙間からさっき聞いたばかりのせーくんの声がまた降ってきそうだった。
ぼけた頭の俺は、ふぁ、と間伸びした嘆息と共に項垂れる。
先に謝っておこう。――あーめん、ごめん、折角早めに起こしてくれたのに二度寝してすまん。
この地域は日中雨が降りやすい。普段薄曇りの空を見ることが多い分、気温は低く涼しいくらいで安定しているのが唯一のメリット……とは大袈裟だが、どちらかと言うと暑がりな俺は恩恵が大きかった。だが、今日は珍しく天気が良くて暑いし、明るい。
歩いていると、一房、また一房と髪が垂れ視界に入る。皮膚に当たると、擽ったい。元に戻さなければと思うものの不器用だし、こんな気分じゃあ……、と面倒が勝ってきて手が止まり考え込む。
別に髪型に拘りがある訳でも無いのだ。童顔に見えなければ、――耳元と、そこそこおでこが見えれば問題ない。
だから切ってしえば早い話……ではあるが、実のところそこまで簡単な話では無かった。誰かに言うと大概反対意見をくらってしまうのだ。今のところ、100パーセント勝ち目無しで。
「坊主なんかにした日にゃあ……」
泣かれるかも。
俺は明るい光で垂れ下がった少し癖のある髪がキラキラと反射するのをぼんやりと眺めていた。不思議だ。自分のなのに、生えてる、くっついているだけだなんて。勝手に伸びていくのを見て、おお、君、いつの間にかよく伸びたね……みたいな他人事に見える。
どうでもいいし、どうにもしようがない。
何度考えてもそこに帰着し、ハサミを入れようとする。でもその時。自分自身の存在意義としては無なのに、泣かれるかも知れない人物が目の裏に浮かぶ時がある。そして、それが何回か続くと、いつの間にか他人の目を通して見た光に愛着が湧いてきたりしていた。
幽霊みたいな希薄なテンションの割に、見え透いた、気付かれたい気持ちが燻ってくるのだ。惜しむ人がいるなら――切らないって選択肢を選んでしまうくらいに。
他人の意見に従う必要はなかったけれど。
それでも。
俺は片手を動かし、そっと後れ毛を髪を耳へかけた。
分かっていて、そこに認識が追いついていないからか、短絡的な迷いが浮かんでくる。でもいいんだ、それで。違っているものはやがて、同じになる。どう思っても俺は残念ながら正常で本当に、どうにもしようがなかった。
「まぶしー……」
暗がりの場所では眠くなるけど、この色の光も暖かくてすーっと意識が薄れていってしまいそうだ。つまり俺にとっては、どちらも眠い。
年中眠いが、最近またメーターが振り切って布団に包まり、みの虫状態だったので全体的になんかダメだ。むにゃむにゃと珍しい日中の晴れ間にふわふわ浮き足立ってしまう。
好物が頭の中で湯気を立てているような、ラーメンに卵が乗っていた時のような温かな丁度良い加減の喜びというか。想像だけで鳴る音に苦笑しながらお腹をさする。この体は欲望に忠実だ。全くもって……あぁ……全くもって。
冒頭のくだりはどこへ行ったのか、平日の日中から1人、電波曲の話をしたくなってしまった。
「……残念すぎるけど、しょうがないね」
――しようか(うん!)
とんこつ色の脳内をピンク色に変える。電波を受信した、それかアルミホイルを巻き忘れたせいにでもしてほしい。浮き足だった気持ちに電波曲を口ずさむ。
CHUというかわいい歌詞の大洪水と耳馴染みの良いメロディー。さくらんぼなアレや巫女的なソレと並ぶお馴染みの曲だ。
息の長い老舗ブランドと某サウンドクリエイター集団のタッグはハズレが無い。電波曲の中でも最古参に近いこの曲は、デュオの掛け合いとセリフで絶妙に脳がとろけるのを感じる。シンプルなメロディーラインはかなり頭に残って、つい口ずさんでしまう。個人的にはパラパラリミックスがオススメなので興味があれば聞いて欲しいところだ。
そんな主題歌から始まるゲームも内容が中々斬新で、当時まだ珍しいであろう男装ヒロインが軸の恋愛アドベンチャー、オーソドックスな純愛とブランド初期特有の陵辱系ルートも存在する。主題歌とのギャップを感じる凌辱の気配はシナリオライターの担当作品を見れば納得のラインナップ。はい。作画も愛らしさの中に何処か少年らしさを感じるヒロインが描かれていて非常にいいというか、本当、あの時代の原画はなんでこんなに胸がときめくのだろうか……実に不思議だ。
「……あ、」
俺は、ふと思い出す。
男装のヒロインといえば、――虎賀雨(とらがめ)さんだ。
……いや、全くもって彼は正真正銘男だけど。
そういえばこないだ、店長との会話でも聞いたが元気にしてるかな。
「――知ってたけど、俺、虎賀雨さんは店長と仲良いくらいしか知らないんだよな」
ふらっとやってきては俺を構い倒し、店長とダラダラ冷やかして世間話に興じる彼。
顔がいいと何しても許されるのかと思うが……うん、俺は許してしまうだろうな。そんな、セクハラされるのを差し引いても、虎賀雨さんとしこたまエロゲトークをするのは、非常に楽しかった。
店長曰くツケがまわってきたんだとか言っていたが、確かに最近パタリと姿を見せなくなった。
うーん、と店長の含み笑いを脳裏に浮かべながら伸びを1つ。何をしている人なのか、未だに分からないままだ。
「そういや、暁くんも色々忙しそうだしなあ……」
前に彼が俺の部屋に来た時のエロゲバレ事件。
片づけを怠っていたツケで弟の暁にコソコソ隠していた趣味がバレ。ドン引かれたついでに折角だからと帰り際俺のオススメを一本暁の手に握らせたアレだが――、
「とうとう弟ともこの話ができるようになってしまうとは」
感慨深くこないだ連絡が来たのを振り返った。
貸したゲームをプレイしたらしい弟に、俺はどうだった? と訊くと正直、恋って難しい。とのことだった。さっきの電波曲の歌詞に当てはめると頭も心もめいっぱいになってしまう。という奴か。イケメンでも恋愛ゲームでは形無しなのかもしれない。
[……よぞ兄のだし早く返したいんだけど、しばらく学校が忙しくて]
そんな返事が返ってきて、ううん全然いいよ、むしろあげちゃうよと思いながら忙しいの? と訊いてみたら、どうやら先生が休職するらしく、バタついているようだった。
[その人風紀の顧問でさ、引き継ぎできてないみたいだし――、]
風紀の文字に俺は懐かしさが込み上げる。
「――暁くんも風紀だっけ。立派になったなあ」
生徒たちのまとめ役として存在していた生徒会とそれを補佐する風紀。人生の長さから言えば短い、けれど経験という点からいえば非常に深いその役職につけるのは一種の憧れであったが……まあ、所謂体のいい雑用だ。できることは何でも押し付けられてしまう。暁も立派に、大変だ。
ふぅ、と空気を漏らして天を仰ぐ。
いつの間にか道端で立ち止まっていたのか、体の芯が冷えるような感覚で我にかえる。さっきまで暑いくらいだったのに。
俺は、なんとなくズボンのポケットを確かめるようにポンポンと叩く。――うん、カギはちゃんと持ってる。重みを感じる。
「ログを追うのはエロゲで十分」
晴れの日は本当、意識がどこかに飛んでいってしまうし、眠くていけない。考えるのに向かない日だと気怠い欠伸を漏らした。
◇ ◇
表の通りからは少しだけ外れた所に佇む雑居ビルへ辿り着く。昼を幾ばくか過ぎ、色んな客や従業員が出入りしている所へ、俺も紛れて中に入った。
綺麗なビルのテナントとエロゲ屋の客層の違いってわかりやすい。ほら、あれ。独時の空気感があるじゃない。バカな俺でもエレベーターですれ違う顔は大体覚えており、お店関係の人とは時折挨拶を交わしていた。
「お」
奥のエレベーターのドアはタイミングよく開いている。ラッキーと口笛を吹きそうになるが、近寄ると、残念ながらそこまでの幸運ではなかった。
中には既に人が乗っていたのだ。サブカルの波動を感じないところを見ると他のテナントの人か……?
密室空間で他人と居る時の沈黙って割と痛い。
こう、どうにもできない空気がチクチクと刺さる気がする。その痛みを想像して俺は乗るのを止めようと足を止めたが、中の人物はどうやら開のボタンを押して待ってくれているようだった。どうにも扉の閉まる気配がない。
……こうなると、どうぞ俺に構わず締めちゃってください、と言う勇気もなく。観念して俺はペコリとお辞儀だけして無言で乗り込んだ。
何階ですか、と訊かれる前に自ら目的地のボタンを押す。すると狭い箱の中だからか、俺はボタン側に立っていたその人の腕に少しぶつかってしまった。びくりと、俺は驚きのあまり、体を震わせてしまう。
「……、」
すみません。と言ったつもりだったが、きちんと音にならず吐息だけ吐き出され、反響もせず消えてしまった。何となく気まずくて言い直せず、俺は目線を足元へ向け黙り込んで到着を待つ。
うーん。見られている様な気がする。
もしかして知ってる人なのかな……と気になるものの恥の上塗りは出来ないし。ぐるぐる思考をかき混ぜていると、艶やかな革靴の、爪先の光のサインが目に留まった。
そこに気を取られている内に軽い音が鳴り目的の階に着く。最初の時の様にどうぞとサインを送られたので、軽くお辞儀だけをし、俺はエレベーターの敷居溝を跨いだ。
一足進めるとフロアの色が変わる。着いた着いたと気を抜い瞬間、背後で何か――手を振られたような気がして振り返るが、既に扉は閉まった後だった。
◇ ◇
「ひええ可愛いの暴力」
「……っす」
――エロゲ屋の入り口を抜けるとそこには、うさみみの店員さんがいました。
「おはゆゆ島~」
「ゆゆ島先輩おはようございます」
名護月の緩い挨拶に続いて声をかけてくれたのは同じバイトの至冬茜(しとう あかね)くんだ。
彼は晴朗と同じ大学に通っている一個下の年下くんで、近くでバイトできるところを探してココに辿り着いたらしい。こないだまでのお休み期間は終わって復帰したのか久々に元気な姿を見た。
「おはざす……てか、どったの至冬くんそれ。……いや、もしかしなくても前に俺が着けてた何時ぞやのうさみみでは」
はえ~と至冬を見上げる。
彼は店で1番若いが、1番背が高い。近づくにつれ頭上近くのうさみみを確認するのも一苦労になってくる。首をグキグキ反らしていたら、うっかり、ポキリと骨を鳴らしてしまった。
見覚えのあるそれは、確かに販促か何かで俺だけ強制的につけたヤツだ。でも新作自体はこの間発売して販促期間も終了したと思ったが。
「……罰ゲーム」
「そういうことっす」
手短に至冬が呟き、名護月が頷いた。
「どういうことよ……」
俺は端折られた説明で眉間に皺が寄りそうになる。どちらも言葉足らずでわけがわからんが、――兎に角。
「君たち仕事中に遊んでるんじゃあ無い」
「あでっ」
「……」
腰に手を当てメッと2人を順に小突いた。特に名護月は強めに叱る。至冬(しとう)くんはまだしも、名護くんは年上だ。先輩が1番ふざけてどうする。
「って~……でも、ゆゆ島もコレ可愛いと思ったでしょ」
意にも介さず名護月は、ニイと子憎たらしい顔で至冬の頭を指さした。
「……いやそりゃあ、もう。
…………――ええ、とっても」
「ブイ」
うさみみ男子大学生最高。
俺は悔しさに震えながら全肯定すると、至冬くんがVサインをした。なんぞい、可愛いDKだな。
「でしょでしょー」
悶える俺に名護月が満足そうに頷く。罰ゲームか何か知らないが今回ばかりは名護月に感謝しなければならない。
至冬はそんな俺たちのやり取りを特に表情を変えずに見ていたが、
「でもコレ……色々当たって邪魔ですね」
不意に何を思ったのか、そういってうさみみをバシン、と無遠慮に投げ捨てた。
「あー!」
あまりにあっさりした至冬の行動に名護月は数秒体が固まった後、悲鳴のような声を上げる。どうやらツッコミが追いつかない内に罰ゲームは強制終了したみたいだ。
「じゃあ俺、休憩行ってきます」
「……いってらっしゃい。至冬くん、あんま名護くんのおバカに付き合っちゃダメだよ」
「っす」
「ゆゆ島ひどっ」
泣き真似をする名護月を無視して俺は至冬と交代に入った。おバカな彼に構い始めると終わる話が終わらなくなる。
「――俺はゆゆ島先輩の方が似合うと思います」
「え?」
至冬は短い言葉を呟きながら横を通り過ぎていく。俺はよく分からず聞き返したが答えはなく、彼は控室へと消えて行った。
首を傾げながら、俺は床に落ちたうさみみを拾い上げる。やれやれ。みょん、と耳を引っ張りながらこのまま名護月につけてやろうかと悪ふざけが浮かんだが、また騒ぎ出すのは目に見えていたのでやめておいた。備品入れへと戻す。
「あれ、ゆゆ島着けないの? うさみみ」
「つけねーよ……何でつけると思ったの」
「だってそれ似合ってたし~、大好評だったじゃん」
「あーね……」
俺はモヤモヤを飲み込み、深々とため息をついた。確かに新作ゲームの前評判が良かったのか、もしくは笑いになったのか知らないが名護月の言う通り、その格好は思ったよりウケた……――ウケたのだが。
「けどなぁ、なんかそれから妙に声かけられることが増えたというか何というか」
前にもあった、この感じ。バイトに入って間もない頃、何かの気の迷いでネコミミを着けた時もそうだった。何故かこういう事があるとしばらく話しかけてくる客が増えるのだ。体感的にそう思うだけで別に増えてはいないのかもしれないけど。
「まあクレームとかじゃ無いからいいんだけどね」
その内おさまるし、無駄に難癖つけられるよりはマシだ。理不尽な接客よりフレンドリーな方が良いのは明らかなので、全部ひっくるめて弱弱しく微笑うと名護月が肩を軽く叩いた。
「ゆゆ島は変に雰囲気あるからなー分かるわ。ふらあっといっちゃう気持ち」
「それって褒めてる?」
「おにいさんは褒めまくってるよ~キャンキャンなバニーも真っ青! ほら~ゆゆ島らびゅー」
むちゅちゅ~と怪しい擬音で近づいてくる名護月に一種のホラー味を感じながら全力で遠慮した。
「とんでもないものを引き合いに出さないでください! あ、残~念。名護くんの愛は軽過ぎて流通に乗らなくて届きませんでした」
「やっべ俺の愛、何年後かにプレミア付いて高騰するパターンじゃん」
普段俺の言葉がキツいだなんだのと嘆くが気にしていないのが丸わかりだ。次の瞬間にはケロリとしている。この軽さが名護月の良いところというか、タフというか。
「……名護くんありがとね」
「ま、なんかあったら言いなー」
「じゃあ虎賀雨さんのセクハラなんとかしてもらおっかな」
「あはは~それは無理」
即却下されてしまった。どうやら彼では太刀打ちできないらしく渋い顔をしている。
「虎賀雨さん、俺のことなんか眼中にないって感じで相手にもされないんだぜ。あの顔で凄まれてみ……、ほらみてこの鳥肌」
名護月の捲った腕を見ると、見事な鳥肌が立っていた。
「んーいうほど怖いかなあの人」
「……知らぬが仏だねえ」
首をひねる俺に、あの人こそ最たる例じゃん、と名護月は目を細めて言った。
「ゆゆ島も罪な男よの」
「……ワハハ」
俺は含みを言うほど理解出来ず、乾いた笑いで誤魔化した。えーい、もうどうにでもなれ。
◇ ◇
そろそろ上りだ、と名護月は店内の時計を見やり、そして――
「――ゆゆ、……ゆゆ島?」
「ぬあっ、っ、はい」
名護月の声で見えない鼻提灯が割れ、目を瞬かせ前を向く。いっけね、ウトウトしてた。明るい日差しに、つい微睡んでしまった。
「……聞いてましたが」
「キリ、じゃあないが」
何事も無かったかのように真面目な顔をしたら怒られてしまった。ツンツンと名護月から頬をつつかれてしまう。
「痛い痛い」
「話聞いてない罰。俺もうすぐ上がりだから。んで、これ。今日届いた分の検品と請求書――」
「あのーすみません」
じゃれあっていたら遠くの方から呼び声がかかり、名護月の台詞が遮られた。俺はすぐさま、はいと返事をすると、どうやら客からの問いかけみたいだった。
「――ん、分かった名護くんありがとう。後やっとく」
「おーう」
名護月を見ると、心得たという風に首を縦に振っていたので、俺は棚の方へ向かった。
「すみません、お待たせしました」
「あ、コレなんですけど……」
呼ばれた先には男性が1人佇んで待っていて、声を掛けると所在なさげな雰囲気からパッと明るくなり、話し出した。どうやら初回限定版を探していて、在庫を訊ねてきたみたいだ。俺は合点がいくとそばに寄って対応し始めた。
「ああ、これ初回版にも何種類かあって。パッケージが似てて少し分かりにくいんですけど……えっとBバージョン……たしかあったはず」
曲芸商法……迄とはいかないが、少しずつ内容や特典を変えて発売するブランドも結構ある。店側としては棚面積と商品数の関係で馬鹿デカい箱を並べることは出来ず、予約数の多い商品に絞って陳列しているのだが、今回は出してないものがお目当てだったみたいだ。
「Aバージョン買ったんですけどプレイしたら他のも揃えたくなっちゃって」
あははと恥ずかしそうに笑う男性に、俺もその気持ち大いに分かりますと深く頷く。
「わかります、俺も特典揃えたくなるし」
「中古にあれば安く買えるんですけどね、でも買い支える意味では新品買う方がいいですから」
――なんぞこの客、良い客じゃないか。
ぐうの音も出ないくらい、完璧だ。在庫置き場でもある下の引き出しを見るために座り込んでいた俺は、感動のあまり笑顔で見上げる。
「やっぱそうですよね」
心清きユーザーに、こっちまで気分が良くなる。俺はるんるん気分で目当ての品を取り出すと立ち上がり、
「こちらでよろしいですか」
彼へと手渡したが――。
「あ、ありがとうございます」
「っ、……」
お礼の言葉と共に商品を渡した手ごとぎゅっと握られてしまう。
人知れず感じた温もりに、俺は驚愕と困惑で握られたまま思案していたが、その内すっと手は離れていった。陰で光が届かない空間に、ぬるい気配が残る。
「――いえ、では失礼しますね」
……特に悪意も故意もない。こういうのは俺もあまり気にしない方がいいだろうとニコと笑いかけるに留めた。
「あれ、名護くん。上がってくれて良かったのに」
レジに戻ると、もう帰ったと思っていた名護月が立っているではないか。彼は、おかえりと手をヒラヒラ振る。
「ゆゆ島とあのまま別れて、生き別れてしまったら……なんて考えたら悲しくて、待ってた」
「名護くんのその口達者なところ、すんごく尊敬する」
「惚れんなよ? ――あの客のレジ終わったら上がるから他行って」
「? う、うん」
さっきのお客さんのことだろうか。確かに、すぐにこっちへ来て会計をすると思うので待っていても時間はかからないが、――名護くんがそう言うなら、いっか。珍しく仕事をしてくれる名護月にそこを任せて、俺は一度至冬くんの様子を見に向かった。
「しーとうーくーん」
彼は拭き掃除をしている最中だったので、大きな背中に呼びかける。ビルの窓ガラスなどあまり吹けるところはないが、ポスターの貼り直しや埃の溜りなど周辺は汚れやすい。
振り返った至冬に、俺は顔を綻ばせる。背伸びをして顔へ指を伸ばした。
「埃、ついている」
「…………っす」
鼻の頭に埃が着いてるのを取ってあげていると、彼は珍しくキョトンとしたまま指が離れていくのを見つめていた。
「ふ、」
寄り目がちになっている彼がなんだか可笑しくて自然と口元が緩んでしまう。子供かわいい、そんな表情が俺は好きでつい構ってしまうのがクセになっていた。
「掃除ありがとね」
手足の長い至冬には高かったり、届きにくい場所の掃除をお願いすることが多い。俺がお礼を言うと寡黙な年下くんは、擽ったそうに微笑んだ。
「エロゲ屋にデュエルスペースで作ろうかな……なんて言った奴出てこい」
「ゆゆ島先輩、それ、店長っす」
「………………」
本人おらんがな。俺は顔をうぐぐと歪めた。
この店【プラムフィールド】は男性向けアダルトPCゲームショップだ。基本的には新作中心だが、中古品や関連商品も扱っている。中古に関して新古品はほぼ無く、看板もしくは、ある種ネタになりそうなプレミアのついた作品、それに加えて懐かしい古めのタイトルが豊富だ。店では買取りをしてないのにいつの間にか珍しいのが増えてたりするから俺はいつも驚いている。
新作は予約が主だし、中古品を整理すれば机1、2台くらいなら置けそうだけど……何でまたTCG(トレーディングカードゲーム)なんか。
「まあ俺もカードゲーム好きだけど」
なんせ、エロゲにハマる前は美少女TCGにハマっていたからガッツリ否定は出来ない。
「店長のことだから単に話す場所が欲しかっただけなのかもしれないですね」
「ありえる……」
建前でトレカ置いて、ちゃっかり暗黙の休憩スペースにしそう。腕を組んで置き場を考えていた俺は唸る。
「うーん最近はブランドごとにエキスパンション展開したトレカもあるし、置いたら華やかには、なるかなぁ……はぁ~、どうすっかなあ。ここら辺退けて机入れるスペース作る?」
「俺退けますよ」
「あ、あんがと。じゃあ、ちょいそこだけ、退けてみよっか」
ガタガタと物音が響く。……この店、狭いのか広いのか分からんな。至冬に物を退けてもらうと、窓ガラスから光芒と共に隙間に挟まったグッズがポロリと落ちてきた。俺は救い出し汚れを払うと、横から埃と背焼けで傷んだパッケージも見え、反射する光に目を眇めた。
動かしたからか、塵がキラキラと辺りを漂う。物の風化がそこにはいくつもあった。
「そういや、もう夕焼けの時間かあ」
西日のきつい時間は、進む全てが色褪せやすい。箱を手に取り赤い陽から隠した。
「ブラインド……下ろしますか?」
「あー……、」
今日は晴れていたのに、落ちる色彩が重くて目蓋が潰れそうだ。俺はぎゅう、と強く目を瞑った。
「至冬くんは眩しくない?」
「普通っす」
「そっか」
「ゆゆ島先輩は眩しいですか」
眩しい、そう訊かれて口籠る。ふと、この言葉は月をさす指なのだろうか。それとも月なのかと疑問に感じてしまった。
「眩しいね」
括弧の中に入れて、口に含んでみると意外と淡白で。やはり指は、ものを言わない。
色づきが無いものに目を伏せ、潰れた箱の角をなぞり、這っている小さな虫を払った。
◇ ◇
とりあえず、ある程度片付けてから「やっぱり店長居ないと分からないな」と2人の意見は一致し、スペース作りは一旦保留となった。
通常業務に戻り、長い影を2つ伸ばしながら俺は至冬が居るからこそ話せる根強い売れ行きのジャンルを口にする。
「小さきは、良いよね」
小さいが何に係るかは人それぞれだが、この場合は年齢の話で、見た目が幼いのを好む話を意味する。
実は至冬くん、小さい子が登場する所謂ロリ系作品がストライクゾーンの後輩紳士だったりする。彼は俺の言葉にこくりと相槌を打った。
「こんなに良いのに世の中は何と世知辛いことか」
世は幼児への劣情は悪だと、ゴキブリを嫌う目でみるが、それはゴキブリも同じではないだろうか。
虫側から見ればこんなの人間の方が異常だし、異端だ。実際犯罪を犯す奴は論外だが、イエスロリコンノータッチを遵守する民まで非難される謂れはないと思う。
「どう思うかね至冬くん」
「ゲームはやっぱりインピオ系が難しいのが……残念っす」
「あーね……ギリ同人ソフトなら、くらいだもんねえ。かわいい主人公はオッケーでも、幼すぎるのはアウトだし」
残念ながらエロゲに関しては大人の事情で登場人物が全員18歳以上、となっている。
こんな創作物を規制したところで抑止力にはならないと思うが、エッチなのはいけないと思います勢力は脅威だ。でも、ランドセルにモザイクとか逆に……いや、これ以上はやめておこう。
「先輩のやってたやつ、良かったです」
「ん? ああ、あれか。ほんと? それは嬉しい」
さくらをむすんだあれ。血縁の方に気を取られていたけど、絵柄の方向性的にはガッツリペドいので至冬くんにオススメしていた。へにゃりと顔が緩む。
「良いよねえ……俺あれから黄金水がセットじゃないとそわそわするようになっちゃったわ」
世のロリゲーは何故放尿させたがるのか。業の深いジャンルだ。それに関して至冬と話が弾む。
俺はたまたまやった作品にロリキャラがいた、というのはあるがガッツリターゲットにした作品をやるまでには至っていない。彼との話はいつも新鮮な気持ちになれて勉強になる。
「でも……やっぱり規制がきついですね」
「……祖父倫め」
その一言に今度は恨めしげに顔が歪む。情緒が不安定なのかもしれないが、憎むのも許して欲しい。だってあれのせいでスチル修正やら何やらで発売延期になったんだから。
そもそも、引き金になった沙織事件からどれだけ枷になっているのか。良い結果をもたらした可能性も万が一にあるかもしれないが、それを知っても俺は到底納得できそうにない。
「禁止することはトラブル以外何も生まないって偉くて悪い人も言ってたのに」
規制は裏で悪い人が悪いことをしてよく無いものが蔓延るきっかけになると思うのだが。まあそれさえも思う壺なのかもしれないけども。
「ほんと、少女は狂ったくらいが気持ちいいのにね」
「……先輩、あの少女は狂いすぎな気がします」
「あれはあれでいいのだよ、しとーくん。ぶっ飛び過ぎたのを浴びてる内に段々いいのでは……って洗脳されて、良くねーよ! って現実に戻されるこの感じがね」
「なるほど」
年代的にはぐんと古くなるが、妖精ブランドの某作品。エロより何より猟奇的な意味で18禁扱いの有名なメインヒロインは、キャッチコピーが言わしめる通り小学四年生の美少女だ。そこだけでも至冬くんのセンサーに引っかかるかなと思ったが、彼的にはストライクゾーンでは無かったらしい。曰く、少女には幼さの淡い性的魅力が少ない、とのこと。うーん深い。
他にも妹と少女性には親和性が高いように見えるか訊いたが、それもやはり年齢がぐっと引き上がるため妹要素だけでは弱いみたいだった。
「大きなカテゴリはあるけど、あとは個々の好みによりますから……あくまで、俺の場合です」
今度は俺が彼の言葉になるほどとなった。
「じゃあさ、至冬くんのオススメおせーて」
「俺の、ですか」
ふ、と俺の言葉を受け止めた後、静かに一つ瞬きをし、薄い唇を動かした。
知名度でいえば指折りのロリ系エロゲ。はじめてのごにょごにょ――といえば分かる人にはわかるだろう。ぜ~んぶ架空の世界で2人の双子とイチャイチャできる至高の一品は至冬くん一推しらしく彼から熱いレビューを聞いた。
「至冬くんは初めてに拘りはあるほう?」
この作品でも一時期ザワつかれた話題をはたと思い出す。ある意味センシティブなアレ。
「処女か非処女かなんて小さい話っす」
「かっこよ……じゃあ男の娘は?」
「チンコは要らないですね」
相変わらずスパッとキレのある回答だ。
俺もどうせ可愛いなら女の子とエッチしたい派ではある。紫色のロングヘア美少女のオカマちゃんみたいに、あれくらい確立されたキャラだったら全然ありなんだけど。
ちょっと脱線するが、このキャラは本当にすごい。主人公の親友としての立ち位置での良さは唯一無二なんじゃないだろうか。良い距離感や性差を感じさせない性別〇〇だと思わせる説得力の強さ。こういうのは、男性向けエロゲでないと出せない良さだと俺は思っている。
「あ、至冬くん的にロリババアはアリ?」
「俺の場合は……ありっすかね」
実際の年齢よりも見た目の幼さを優先すると言う意味ではありなのだという。
「フィクションならではの、色んなハードルが一気にクリア出来ちゃうロリババア……可愛いのに恐ろしい……」
「っす」
「しかも伝奇要素とか、ファンタジーにクトゥルー神話までネタの宝庫だもんなあ」
人外まで枠が広がると多種多様だ。
俺も世界最強魔導書の人外美少女に、「このうつけがー!」って罵られたい。
「田舎の幼女と妖怪の戯れ……ですかね俺的には」
「ふむ、至冬くんは堅実に、良いところを攻めるね……ロリと妖怪……非常に良いと思います」
親和性の高さが最高だと思います。抜きよし、ストーリー良しの良作に俺も納得の顔だ。大きいだけが全てじゃ無い。
小さきは可愛い。抜けて、更に可愛い。
◇ ◇
ダラダラ、とエロゲ話に興じていたら、気づけば長かった影は短くなり、外の暗さに吸収されていた。俺は急いで照明のスイッチがあるレジ裏に行き、外の看板の明かりを点ける。
「少しずつ夜が長くなってきましたね」
薄らと電気の光が足されていく。至冬の乾いた声に、俺も夜が来るのを眺めた。人差し指を照明スイッチから離し、見え始めたかもしれない月をゆび指すと、そこに至冬の顔が見えて、
「あ、」
と声をあげた。
「どうしました」
「そだそだ、最初に言わなきゃダメだったのに忘れてた」
「? わ、……」
「至冬くん、こないだまで勉強大変だったでしょ? おつかれ~」
俺は、えらいえらいと彼の頭を撫でる。真っ直ぐの黒髪は猫みたいに柔らかく、艶を追いかけるように手を滑らせた。
「しかも終わってすぐにバイトまで入って……偉すぎる」
至冬は表情を変えず、短く「っす」と言って腰を折ってくれた。目線が同じになる。墨色の瞳は興味を惹いたのか逸れずに、しんと真っ直ぐな眼差しでこちらへ向いていた。
「そんなに徳を積んでどうすんだよ至冬くん……」
俺だったらダラダラ休みたいと思うのに。年下なのに彼は俺と同じ人間なんだろうか。なんだか怖くなってくるんだが。
「いや、別に」
「無欲だねえ」
「いや、そう言うわけでも」
「え、なんか欲しいものとかあるの? 世界征服?」
「いえ、……いや、そうっすね、それに近いかも」
流石に子供過ぎたのか、否定に緩い笑いが混じり、そして逆に肯定した。
「マジかよ……至冬くんビッグな男でつよつよじゃん」
わしゃしゃーと強めに撫でまわすと、彼は微動だにせず唇だけ僅かに動いた。
「――俺、処女でも非処女でも全然気にしないんです」
「ん?」
「……いえ、先輩には敵いません」
小さな呟きは消え、ほんの一瞬夜の静寂があり、彼の顎が上がった。至冬は意味深に目を閉じてニッコリと曲線を描き、言った。
「欲しい物は秘密だ」と。
――今日は、珍しく雨が降っていない。
「……しとしと、しとらんがな」
いや、知らんがな。
◇ ◇
「…………いやいや、ちょっと待って、やっぱりさっきの超恥ずい、無し」
冒頭の独り言に早くも後悔していた。セルフツッコミもあわせてるよね、コレ。
「一人で親父ギャグとか言い出したら終わりだよな……」
今度から気をつけないと。……いや、もしかしてもう遅かったりするのだろうか。
「……、もう直る見込みなさそ」
しかも、持って出た傘は手持ち無沙汰になってしまったし。
恥ずかしさを消し去りながら振り回し、ある程度満足したら、俺は傘の柄を持ち直してバイト先へと向かった。
気付かなかったのには訳がある。だって、ダラダラと直前までカーテンを閉め切って寝ていたんだから。てっきり、いつもの空模様だと思い込んでいたんだ。……まあ現実は、めためたに晴れてたけど。
外の通りは柔い陽の光が降り注ぎ、肌がいつもより鮮明に輪郭を持つ。気持ちワントーン明るく見えるような気がした。
「こないだの荒れた天気とは大違い」
そいでもって、ぽっかぽか。
ピーカンまでとはいかないが、晴れ空に羊雲が駆けている。とめどない集団の、あの大きな塊を見ていたら雲の隙間からさっき聞いたばかりのせーくんの声がまた降ってきそうだった。
ぼけた頭の俺は、ふぁ、と間伸びした嘆息と共に項垂れる。
先に謝っておこう。――あーめん、ごめん、折角早めに起こしてくれたのに二度寝してすまん。
この地域は日中雨が降りやすい。普段薄曇りの空を見ることが多い分、気温は低く涼しいくらいで安定しているのが唯一のメリット……とは大袈裟だが、どちらかと言うと暑がりな俺は恩恵が大きかった。だが、今日は珍しく天気が良くて暑いし、明るい。
歩いていると、一房、また一房と髪が垂れ視界に入る。皮膚に当たると、擽ったい。元に戻さなければと思うものの不器用だし、こんな気分じゃあ……、と面倒が勝ってきて手が止まり考え込む。
別に髪型に拘りがある訳でも無いのだ。童顔に見えなければ、――耳元と、そこそこおでこが見えれば問題ない。
だから切ってしえば早い話……ではあるが、実のところそこまで簡単な話では無かった。誰かに言うと大概反対意見をくらってしまうのだ。今のところ、100パーセント勝ち目無しで。
「坊主なんかにした日にゃあ……」
泣かれるかも。
俺は明るい光で垂れ下がった少し癖のある髪がキラキラと反射するのをぼんやりと眺めていた。不思議だ。自分のなのに、生えてる、くっついているだけだなんて。勝手に伸びていくのを見て、おお、君、いつの間にかよく伸びたね……みたいな他人事に見える。
どうでもいいし、どうにもしようがない。
何度考えてもそこに帰着し、ハサミを入れようとする。でもその時。自分自身の存在意義としては無なのに、泣かれるかも知れない人物が目の裏に浮かぶ時がある。そして、それが何回か続くと、いつの間にか他人の目を通して見た光に愛着が湧いてきたりしていた。
幽霊みたいな希薄なテンションの割に、見え透いた、気付かれたい気持ちが燻ってくるのだ。惜しむ人がいるなら――切らないって選択肢を選んでしまうくらいに。
他人の意見に従う必要はなかったけれど。
それでも。
俺は片手を動かし、そっと後れ毛を髪を耳へかけた。
分かっていて、そこに認識が追いついていないからか、短絡的な迷いが浮かんでくる。でもいいんだ、それで。違っているものはやがて、同じになる。どう思っても俺は残念ながら正常で本当に、どうにもしようがなかった。
「まぶしー……」
暗がりの場所では眠くなるけど、この色の光も暖かくてすーっと意識が薄れていってしまいそうだ。つまり俺にとっては、どちらも眠い。
年中眠いが、最近またメーターが振り切って布団に包まり、みの虫状態だったので全体的になんかダメだ。むにゃむにゃと珍しい日中の晴れ間にふわふわ浮き足立ってしまう。
好物が頭の中で湯気を立てているような、ラーメンに卵が乗っていた時のような温かな丁度良い加減の喜びというか。想像だけで鳴る音に苦笑しながらお腹をさする。この体は欲望に忠実だ。全くもって……あぁ……全くもって。
冒頭のくだりはどこへ行ったのか、平日の日中から1人、電波曲の話をしたくなってしまった。
「……残念すぎるけど、しょうがないね」
――しようか(うん!)
とんこつ色の脳内をピンク色に変える。電波を受信した、それかアルミホイルを巻き忘れたせいにでもしてほしい。浮き足だった気持ちに電波曲を口ずさむ。
CHUというかわいい歌詞の大洪水と耳馴染みの良いメロディー。さくらんぼなアレや巫女的なソレと並ぶお馴染みの曲だ。
息の長い老舗ブランドと某サウンドクリエイター集団のタッグはハズレが無い。電波曲の中でも最古参に近いこの曲は、デュオの掛け合いとセリフで絶妙に脳がとろけるのを感じる。シンプルなメロディーラインはかなり頭に残って、つい口ずさんでしまう。個人的にはパラパラリミックスがオススメなので興味があれば聞いて欲しいところだ。
そんな主題歌から始まるゲームも内容が中々斬新で、当時まだ珍しいであろう男装ヒロインが軸の恋愛アドベンチャー、オーソドックスな純愛とブランド初期特有の陵辱系ルートも存在する。主題歌とのギャップを感じる凌辱の気配はシナリオライターの担当作品を見れば納得のラインナップ。はい。作画も愛らしさの中に何処か少年らしさを感じるヒロインが描かれていて非常にいいというか、本当、あの時代の原画はなんでこんなに胸がときめくのだろうか……実に不思議だ。
「……あ、」
俺は、ふと思い出す。
男装のヒロインといえば、――虎賀雨(とらがめ)さんだ。
……いや、全くもって彼は正真正銘男だけど。
そういえばこないだ、店長との会話でも聞いたが元気にしてるかな。
「――知ってたけど、俺、虎賀雨さんは店長と仲良いくらいしか知らないんだよな」
ふらっとやってきては俺を構い倒し、店長とダラダラ冷やかして世間話に興じる彼。
顔がいいと何しても許されるのかと思うが……うん、俺は許してしまうだろうな。そんな、セクハラされるのを差し引いても、虎賀雨さんとしこたまエロゲトークをするのは、非常に楽しかった。
店長曰くツケがまわってきたんだとか言っていたが、確かに最近パタリと姿を見せなくなった。
うーん、と店長の含み笑いを脳裏に浮かべながら伸びを1つ。何をしている人なのか、未だに分からないままだ。
「そういや、暁くんも色々忙しそうだしなあ……」
前に彼が俺の部屋に来た時のエロゲバレ事件。
片づけを怠っていたツケで弟の暁にコソコソ隠していた趣味がバレ。ドン引かれたついでに折角だからと帰り際俺のオススメを一本暁の手に握らせたアレだが――、
「とうとう弟ともこの話ができるようになってしまうとは」
感慨深くこないだ連絡が来たのを振り返った。
貸したゲームをプレイしたらしい弟に、俺はどうだった? と訊くと正直、恋って難しい。とのことだった。さっきの電波曲の歌詞に当てはめると頭も心もめいっぱいになってしまう。という奴か。イケメンでも恋愛ゲームでは形無しなのかもしれない。
[……よぞ兄のだし早く返したいんだけど、しばらく学校が忙しくて]
そんな返事が返ってきて、ううん全然いいよ、むしろあげちゃうよと思いながら忙しいの? と訊いてみたら、どうやら先生が休職するらしく、バタついているようだった。
[その人風紀の顧問でさ、引き継ぎできてないみたいだし――、]
風紀の文字に俺は懐かしさが込み上げる。
「――暁くんも風紀だっけ。立派になったなあ」
生徒たちのまとめ役として存在していた生徒会とそれを補佐する風紀。人生の長さから言えば短い、けれど経験という点からいえば非常に深いその役職につけるのは一種の憧れであったが……まあ、所謂体のいい雑用だ。できることは何でも押し付けられてしまう。暁も立派に、大変だ。
ふぅ、と空気を漏らして天を仰ぐ。
いつの間にか道端で立ち止まっていたのか、体の芯が冷えるような感覚で我にかえる。さっきまで暑いくらいだったのに。
俺は、なんとなくズボンのポケットを確かめるようにポンポンと叩く。――うん、カギはちゃんと持ってる。重みを感じる。
「ログを追うのはエロゲで十分」
晴れの日は本当、意識がどこかに飛んでいってしまうし、眠くていけない。考えるのに向かない日だと気怠い欠伸を漏らした。
◇ ◇
表の通りからは少しだけ外れた所に佇む雑居ビルへ辿り着く。昼を幾ばくか過ぎ、色んな客や従業員が出入りしている所へ、俺も紛れて中に入った。
綺麗なビルのテナントとエロゲ屋の客層の違いってわかりやすい。ほら、あれ。独時の空気感があるじゃない。バカな俺でもエレベーターですれ違う顔は大体覚えており、お店関係の人とは時折挨拶を交わしていた。
「お」
奥のエレベーターのドアはタイミングよく開いている。ラッキーと口笛を吹きそうになるが、近寄ると、残念ながらそこまでの幸運ではなかった。
中には既に人が乗っていたのだ。サブカルの波動を感じないところを見ると他のテナントの人か……?
密室空間で他人と居る時の沈黙って割と痛い。
こう、どうにもできない空気がチクチクと刺さる気がする。その痛みを想像して俺は乗るのを止めようと足を止めたが、中の人物はどうやら開のボタンを押して待ってくれているようだった。どうにも扉の閉まる気配がない。
……こうなると、どうぞ俺に構わず締めちゃってください、と言う勇気もなく。観念して俺はペコリとお辞儀だけして無言で乗り込んだ。
何階ですか、と訊かれる前に自ら目的地のボタンを押す。すると狭い箱の中だからか、俺はボタン側に立っていたその人の腕に少しぶつかってしまった。びくりと、俺は驚きのあまり、体を震わせてしまう。
「……、」
すみません。と言ったつもりだったが、きちんと音にならず吐息だけ吐き出され、反響もせず消えてしまった。何となく気まずくて言い直せず、俺は目線を足元へ向け黙り込んで到着を待つ。
うーん。見られている様な気がする。
もしかして知ってる人なのかな……と気になるものの恥の上塗りは出来ないし。ぐるぐる思考をかき混ぜていると、艶やかな革靴の、爪先の光のサインが目に留まった。
そこに気を取られている内に軽い音が鳴り目的の階に着く。最初の時の様にどうぞとサインを送られたので、軽くお辞儀だけをし、俺はエレベーターの敷居溝を跨いだ。
一足進めるとフロアの色が変わる。着いた着いたと気を抜い瞬間、背後で何か――手を振られたような気がして振り返るが、既に扉は閉まった後だった。
◇ ◇
「ひええ可愛いの暴力」
「……っす」
――エロゲ屋の入り口を抜けるとそこには、うさみみの店員さんがいました。
「おはゆゆ島~」
「ゆゆ島先輩おはようございます」
名護月の緩い挨拶に続いて声をかけてくれたのは同じバイトの至冬茜(しとう あかね)くんだ。
彼は晴朗と同じ大学に通っている一個下の年下くんで、近くでバイトできるところを探してココに辿り着いたらしい。こないだまでのお休み期間は終わって復帰したのか久々に元気な姿を見た。
「おはざす……てか、どったの至冬くんそれ。……いや、もしかしなくても前に俺が着けてた何時ぞやのうさみみでは」
はえ~と至冬を見上げる。
彼は店で1番若いが、1番背が高い。近づくにつれ頭上近くのうさみみを確認するのも一苦労になってくる。首をグキグキ反らしていたら、うっかり、ポキリと骨を鳴らしてしまった。
見覚えのあるそれは、確かに販促か何かで俺だけ強制的につけたヤツだ。でも新作自体はこの間発売して販促期間も終了したと思ったが。
「……罰ゲーム」
「そういうことっす」
手短に至冬が呟き、名護月が頷いた。
「どういうことよ……」
俺は端折られた説明で眉間に皺が寄りそうになる。どちらも言葉足らずでわけがわからんが、――兎に角。
「君たち仕事中に遊んでるんじゃあ無い」
「あでっ」
「……」
腰に手を当てメッと2人を順に小突いた。特に名護月は強めに叱る。至冬(しとう)くんはまだしも、名護くんは年上だ。先輩が1番ふざけてどうする。
「って~……でも、ゆゆ島もコレ可愛いと思ったでしょ」
意にも介さず名護月は、ニイと子憎たらしい顔で至冬の頭を指さした。
「……いやそりゃあ、もう。
…………――ええ、とっても」
「ブイ」
うさみみ男子大学生最高。
俺は悔しさに震えながら全肯定すると、至冬くんがVサインをした。なんぞい、可愛いDKだな。
「でしょでしょー」
悶える俺に名護月が満足そうに頷く。罰ゲームか何か知らないが今回ばかりは名護月に感謝しなければならない。
至冬はそんな俺たちのやり取りを特に表情を変えずに見ていたが、
「でもコレ……色々当たって邪魔ですね」
不意に何を思ったのか、そういってうさみみをバシン、と無遠慮に投げ捨てた。
「あー!」
あまりにあっさりした至冬の行動に名護月は数秒体が固まった後、悲鳴のような声を上げる。どうやらツッコミが追いつかない内に罰ゲームは強制終了したみたいだ。
「じゃあ俺、休憩行ってきます」
「……いってらっしゃい。至冬くん、あんま名護くんのおバカに付き合っちゃダメだよ」
「っす」
「ゆゆ島ひどっ」
泣き真似をする名護月を無視して俺は至冬と交代に入った。おバカな彼に構い始めると終わる話が終わらなくなる。
「――俺はゆゆ島先輩の方が似合うと思います」
「え?」
至冬は短い言葉を呟きながら横を通り過ぎていく。俺はよく分からず聞き返したが答えはなく、彼は控室へと消えて行った。
首を傾げながら、俺は床に落ちたうさみみを拾い上げる。やれやれ。みょん、と耳を引っ張りながらこのまま名護月につけてやろうかと悪ふざけが浮かんだが、また騒ぎ出すのは目に見えていたのでやめておいた。備品入れへと戻す。
「あれ、ゆゆ島着けないの? うさみみ」
「つけねーよ……何でつけると思ったの」
「だってそれ似合ってたし~、大好評だったじゃん」
「あーね……」
俺はモヤモヤを飲み込み、深々とため息をついた。確かに新作ゲームの前評判が良かったのか、もしくは笑いになったのか知らないが名護月の言う通り、その格好は思ったよりウケた……――ウケたのだが。
「けどなぁ、なんかそれから妙に声かけられることが増えたというか何というか」
前にもあった、この感じ。バイトに入って間もない頃、何かの気の迷いでネコミミを着けた時もそうだった。何故かこういう事があるとしばらく話しかけてくる客が増えるのだ。体感的にそう思うだけで別に増えてはいないのかもしれないけど。
「まあクレームとかじゃ無いからいいんだけどね」
その内おさまるし、無駄に難癖つけられるよりはマシだ。理不尽な接客よりフレンドリーな方が良いのは明らかなので、全部ひっくるめて弱弱しく微笑うと名護月が肩を軽く叩いた。
「ゆゆ島は変に雰囲気あるからなー分かるわ。ふらあっといっちゃう気持ち」
「それって褒めてる?」
「おにいさんは褒めまくってるよ~キャンキャンなバニーも真っ青! ほら~ゆゆ島らびゅー」
むちゅちゅ~と怪しい擬音で近づいてくる名護月に一種のホラー味を感じながら全力で遠慮した。
「とんでもないものを引き合いに出さないでください! あ、残~念。名護くんの愛は軽過ぎて流通に乗らなくて届きませんでした」
「やっべ俺の愛、何年後かにプレミア付いて高騰するパターンじゃん」
普段俺の言葉がキツいだなんだのと嘆くが気にしていないのが丸わかりだ。次の瞬間にはケロリとしている。この軽さが名護月の良いところというか、タフというか。
「……名護くんありがとね」
「ま、なんかあったら言いなー」
「じゃあ虎賀雨さんのセクハラなんとかしてもらおっかな」
「あはは~それは無理」
即却下されてしまった。どうやら彼では太刀打ちできないらしく渋い顔をしている。
「虎賀雨さん、俺のことなんか眼中にないって感じで相手にもされないんだぜ。あの顔で凄まれてみ……、ほらみてこの鳥肌」
名護月の捲った腕を見ると、見事な鳥肌が立っていた。
「んーいうほど怖いかなあの人」
「……知らぬが仏だねえ」
首をひねる俺に、あの人こそ最たる例じゃん、と名護月は目を細めて言った。
「ゆゆ島も罪な男よの」
「……ワハハ」
俺は含みを言うほど理解出来ず、乾いた笑いで誤魔化した。えーい、もうどうにでもなれ。
◇ ◇
そろそろ上りだ、と名護月は店内の時計を見やり、そして――
「――ゆゆ、……ゆゆ島?」
「ぬあっ、っ、はい」
名護月の声で見えない鼻提灯が割れ、目を瞬かせ前を向く。いっけね、ウトウトしてた。明るい日差しに、つい微睡んでしまった。
「……聞いてましたが」
「キリ、じゃあないが」
何事も無かったかのように真面目な顔をしたら怒られてしまった。ツンツンと名護月から頬をつつかれてしまう。
「痛い痛い」
「話聞いてない罰。俺もうすぐ上がりだから。んで、これ。今日届いた分の検品と請求書――」
「あのーすみません」
じゃれあっていたら遠くの方から呼び声がかかり、名護月の台詞が遮られた。俺はすぐさま、はいと返事をすると、どうやら客からの問いかけみたいだった。
「――ん、分かった名護くんありがとう。後やっとく」
「おーう」
名護月を見ると、心得たという風に首を縦に振っていたので、俺は棚の方へ向かった。
「すみません、お待たせしました」
「あ、コレなんですけど……」
呼ばれた先には男性が1人佇んで待っていて、声を掛けると所在なさげな雰囲気からパッと明るくなり、話し出した。どうやら初回限定版を探していて、在庫を訊ねてきたみたいだ。俺は合点がいくとそばに寄って対応し始めた。
「ああ、これ初回版にも何種類かあって。パッケージが似てて少し分かりにくいんですけど……えっとBバージョン……たしかあったはず」
曲芸商法……迄とはいかないが、少しずつ内容や特典を変えて発売するブランドも結構ある。店側としては棚面積と商品数の関係で馬鹿デカい箱を並べることは出来ず、予約数の多い商品に絞って陳列しているのだが、今回は出してないものがお目当てだったみたいだ。
「Aバージョン買ったんですけどプレイしたら他のも揃えたくなっちゃって」
あははと恥ずかしそうに笑う男性に、俺もその気持ち大いに分かりますと深く頷く。
「わかります、俺も特典揃えたくなるし」
「中古にあれば安く買えるんですけどね、でも買い支える意味では新品買う方がいいですから」
――なんぞこの客、良い客じゃないか。
ぐうの音も出ないくらい、完璧だ。在庫置き場でもある下の引き出しを見るために座り込んでいた俺は、感動のあまり笑顔で見上げる。
「やっぱそうですよね」
心清きユーザーに、こっちまで気分が良くなる。俺はるんるん気分で目当ての品を取り出すと立ち上がり、
「こちらでよろしいですか」
彼へと手渡したが――。
「あ、ありがとうございます」
「っ、……」
お礼の言葉と共に商品を渡した手ごとぎゅっと握られてしまう。
人知れず感じた温もりに、俺は驚愕と困惑で握られたまま思案していたが、その内すっと手は離れていった。陰で光が届かない空間に、ぬるい気配が残る。
「――いえ、では失礼しますね」
……特に悪意も故意もない。こういうのは俺もあまり気にしない方がいいだろうとニコと笑いかけるに留めた。
「あれ、名護くん。上がってくれて良かったのに」
レジに戻ると、もう帰ったと思っていた名護月が立っているではないか。彼は、おかえりと手をヒラヒラ振る。
「ゆゆ島とあのまま別れて、生き別れてしまったら……なんて考えたら悲しくて、待ってた」
「名護くんのその口達者なところ、すんごく尊敬する」
「惚れんなよ? ――あの客のレジ終わったら上がるから他行って」
「? う、うん」
さっきのお客さんのことだろうか。確かに、すぐにこっちへ来て会計をすると思うので待っていても時間はかからないが、――名護くんがそう言うなら、いっか。珍しく仕事をしてくれる名護月にそこを任せて、俺は一度至冬くんの様子を見に向かった。
「しーとうーくーん」
彼は拭き掃除をしている最中だったので、大きな背中に呼びかける。ビルの窓ガラスなどあまり吹けるところはないが、ポスターの貼り直しや埃の溜りなど周辺は汚れやすい。
振り返った至冬に、俺は顔を綻ばせる。背伸びをして顔へ指を伸ばした。
「埃、ついている」
「…………っす」
鼻の頭に埃が着いてるのを取ってあげていると、彼は珍しくキョトンとしたまま指が離れていくのを見つめていた。
「ふ、」
寄り目がちになっている彼がなんだか可笑しくて自然と口元が緩んでしまう。子供かわいい、そんな表情が俺は好きでつい構ってしまうのがクセになっていた。
「掃除ありがとね」
手足の長い至冬には高かったり、届きにくい場所の掃除をお願いすることが多い。俺がお礼を言うと寡黙な年下くんは、擽ったそうに微笑んだ。
「エロゲ屋にデュエルスペースで作ろうかな……なんて言った奴出てこい」
「ゆゆ島先輩、それ、店長っす」
「………………」
本人おらんがな。俺は顔をうぐぐと歪めた。
この店【プラムフィールド】は男性向けアダルトPCゲームショップだ。基本的には新作中心だが、中古品や関連商品も扱っている。中古に関して新古品はほぼ無く、看板もしくは、ある種ネタになりそうなプレミアのついた作品、それに加えて懐かしい古めのタイトルが豊富だ。店では買取りをしてないのにいつの間にか珍しいのが増えてたりするから俺はいつも驚いている。
新作は予約が主だし、中古品を整理すれば机1、2台くらいなら置けそうだけど……何でまたTCG(トレーディングカードゲーム)なんか。
「まあ俺もカードゲーム好きだけど」
なんせ、エロゲにハマる前は美少女TCGにハマっていたからガッツリ否定は出来ない。
「店長のことだから単に話す場所が欲しかっただけなのかもしれないですね」
「ありえる……」
建前でトレカ置いて、ちゃっかり暗黙の休憩スペースにしそう。腕を組んで置き場を考えていた俺は唸る。
「うーん最近はブランドごとにエキスパンション展開したトレカもあるし、置いたら華やかには、なるかなぁ……はぁ~、どうすっかなあ。ここら辺退けて机入れるスペース作る?」
「俺退けますよ」
「あ、あんがと。じゃあ、ちょいそこだけ、退けてみよっか」
ガタガタと物音が響く。……この店、狭いのか広いのか分からんな。至冬に物を退けてもらうと、窓ガラスから光芒と共に隙間に挟まったグッズがポロリと落ちてきた。俺は救い出し汚れを払うと、横から埃と背焼けで傷んだパッケージも見え、反射する光に目を眇めた。
動かしたからか、塵がキラキラと辺りを漂う。物の風化がそこにはいくつもあった。
「そういや、もう夕焼けの時間かあ」
西日のきつい時間は、進む全てが色褪せやすい。箱を手に取り赤い陽から隠した。
「ブラインド……下ろしますか?」
「あー……、」
今日は晴れていたのに、落ちる色彩が重くて目蓋が潰れそうだ。俺はぎゅう、と強く目を瞑った。
「至冬くんは眩しくない?」
「普通っす」
「そっか」
「ゆゆ島先輩は眩しいですか」
眩しい、そう訊かれて口籠る。ふと、この言葉は月をさす指なのだろうか。それとも月なのかと疑問に感じてしまった。
「眩しいね」
括弧の中に入れて、口に含んでみると意外と淡白で。やはり指は、ものを言わない。
色づきが無いものに目を伏せ、潰れた箱の角をなぞり、這っている小さな虫を払った。
◇ ◇
とりあえず、ある程度片付けてから「やっぱり店長居ないと分からないな」と2人の意見は一致し、スペース作りは一旦保留となった。
通常業務に戻り、長い影を2つ伸ばしながら俺は至冬が居るからこそ話せる根強い売れ行きのジャンルを口にする。
「小さきは、良いよね」
小さいが何に係るかは人それぞれだが、この場合は年齢の話で、見た目が幼いのを好む話を意味する。
実は至冬くん、小さい子が登場する所謂ロリ系作品がストライクゾーンの後輩紳士だったりする。彼は俺の言葉にこくりと相槌を打った。
「こんなに良いのに世の中は何と世知辛いことか」
世は幼児への劣情は悪だと、ゴキブリを嫌う目でみるが、それはゴキブリも同じではないだろうか。
虫側から見ればこんなの人間の方が異常だし、異端だ。実際犯罪を犯す奴は論外だが、イエスロリコンノータッチを遵守する民まで非難される謂れはないと思う。
「どう思うかね至冬くん」
「ゲームはやっぱりインピオ系が難しいのが……残念っす」
「あーね……ギリ同人ソフトなら、くらいだもんねえ。かわいい主人公はオッケーでも、幼すぎるのはアウトだし」
残念ながらエロゲに関しては大人の事情で登場人物が全員18歳以上、となっている。
こんな創作物を規制したところで抑止力にはならないと思うが、エッチなのはいけないと思います勢力は脅威だ。でも、ランドセルにモザイクとか逆に……いや、これ以上はやめておこう。
「先輩のやってたやつ、良かったです」
「ん? ああ、あれか。ほんと? それは嬉しい」
さくらをむすんだあれ。血縁の方に気を取られていたけど、絵柄の方向性的にはガッツリペドいので至冬くんにオススメしていた。へにゃりと顔が緩む。
「良いよねえ……俺あれから黄金水がセットじゃないとそわそわするようになっちゃったわ」
世のロリゲーは何故放尿させたがるのか。業の深いジャンルだ。それに関して至冬と話が弾む。
俺はたまたまやった作品にロリキャラがいた、というのはあるがガッツリターゲットにした作品をやるまでには至っていない。彼との話はいつも新鮮な気持ちになれて勉強になる。
「でも……やっぱり規制がきついですね」
「……祖父倫め」
その一言に今度は恨めしげに顔が歪む。情緒が不安定なのかもしれないが、憎むのも許して欲しい。だってあれのせいでスチル修正やら何やらで発売延期になったんだから。
そもそも、引き金になった沙織事件からどれだけ枷になっているのか。良い結果をもたらした可能性も万が一にあるかもしれないが、それを知っても俺は到底納得できそうにない。
「禁止することはトラブル以外何も生まないって偉くて悪い人も言ってたのに」
規制は裏で悪い人が悪いことをしてよく無いものが蔓延るきっかけになると思うのだが。まあそれさえも思う壺なのかもしれないけども。
「ほんと、少女は狂ったくらいが気持ちいいのにね」
「……先輩、あの少女は狂いすぎな気がします」
「あれはあれでいいのだよ、しとーくん。ぶっ飛び過ぎたのを浴びてる内に段々いいのでは……って洗脳されて、良くねーよ! って現実に戻されるこの感じがね」
「なるほど」
年代的にはぐんと古くなるが、妖精ブランドの某作品。エロより何より猟奇的な意味で18禁扱いの有名なメインヒロインは、キャッチコピーが言わしめる通り小学四年生の美少女だ。そこだけでも至冬くんのセンサーに引っかかるかなと思ったが、彼的にはストライクゾーンでは無かったらしい。曰く、少女には幼さの淡い性的魅力が少ない、とのこと。うーん深い。
他にも妹と少女性には親和性が高いように見えるか訊いたが、それもやはり年齢がぐっと引き上がるため妹要素だけでは弱いみたいだった。
「大きなカテゴリはあるけど、あとは個々の好みによりますから……あくまで、俺の場合です」
今度は俺が彼の言葉になるほどとなった。
「じゃあさ、至冬くんのオススメおせーて」
「俺の、ですか」
ふ、と俺の言葉を受け止めた後、静かに一つ瞬きをし、薄い唇を動かした。
知名度でいえば指折りのロリ系エロゲ。はじめてのごにょごにょ――といえば分かる人にはわかるだろう。ぜ~んぶ架空の世界で2人の双子とイチャイチャできる至高の一品は至冬くん一推しらしく彼から熱いレビューを聞いた。
「至冬くんは初めてに拘りはあるほう?」
この作品でも一時期ザワつかれた話題をはたと思い出す。ある意味センシティブなアレ。
「処女か非処女かなんて小さい話っす」
「かっこよ……じゃあ男の娘は?」
「チンコは要らないですね」
相変わらずスパッとキレのある回答だ。
俺もどうせ可愛いなら女の子とエッチしたい派ではある。紫色のロングヘア美少女のオカマちゃんみたいに、あれくらい確立されたキャラだったら全然ありなんだけど。
ちょっと脱線するが、このキャラは本当にすごい。主人公の親友としての立ち位置での良さは唯一無二なんじゃないだろうか。良い距離感や性差を感じさせない性別〇〇だと思わせる説得力の強さ。こういうのは、男性向けエロゲでないと出せない良さだと俺は思っている。
「あ、至冬くん的にロリババアはアリ?」
「俺の場合は……ありっすかね」
実際の年齢よりも見た目の幼さを優先すると言う意味ではありなのだという。
「フィクションならではの、色んなハードルが一気にクリア出来ちゃうロリババア……可愛いのに恐ろしい……」
「っす」
「しかも伝奇要素とか、ファンタジーにクトゥルー神話までネタの宝庫だもんなあ」
人外まで枠が広がると多種多様だ。
俺も世界最強魔導書の人外美少女に、「このうつけがー!」って罵られたい。
「田舎の幼女と妖怪の戯れ……ですかね俺的には」
「ふむ、至冬くんは堅実に、良いところを攻めるね……ロリと妖怪……非常に良いと思います」
親和性の高さが最高だと思います。抜きよし、ストーリー良しの良作に俺も納得の顔だ。大きいだけが全てじゃ無い。
小さきは可愛い。抜けて、更に可愛い。
◇ ◇
ダラダラ、とエロゲ話に興じていたら、気づけば長かった影は短くなり、外の暗さに吸収されていた。俺は急いで照明のスイッチがあるレジ裏に行き、外の看板の明かりを点ける。
「少しずつ夜が長くなってきましたね」
薄らと電気の光が足されていく。至冬の乾いた声に、俺も夜が来るのを眺めた。人差し指を照明スイッチから離し、見え始めたかもしれない月をゆび指すと、そこに至冬の顔が見えて、
「あ、」
と声をあげた。
「どうしました」
「そだそだ、最初に言わなきゃダメだったのに忘れてた」
「? わ、……」
「至冬くん、こないだまで勉強大変だったでしょ? おつかれ~」
俺は、えらいえらいと彼の頭を撫でる。真っ直ぐの黒髪は猫みたいに柔らかく、艶を追いかけるように手を滑らせた。
「しかも終わってすぐにバイトまで入って……偉すぎる」
至冬は表情を変えず、短く「っす」と言って腰を折ってくれた。目線が同じになる。墨色の瞳は興味を惹いたのか逸れずに、しんと真っ直ぐな眼差しでこちらへ向いていた。
「そんなに徳を積んでどうすんだよ至冬くん……」
俺だったらダラダラ休みたいと思うのに。年下なのに彼は俺と同じ人間なんだろうか。なんだか怖くなってくるんだが。
「いや、別に」
「無欲だねえ」
「いや、そう言うわけでも」
「え、なんか欲しいものとかあるの? 世界征服?」
「いえ、……いや、そうっすね、それに近いかも」
流石に子供過ぎたのか、否定に緩い笑いが混じり、そして逆に肯定した。
「マジかよ……至冬くんビッグな男でつよつよじゃん」
わしゃしゃーと強めに撫でまわすと、彼は微動だにせず唇だけ僅かに動いた。
「――俺、処女でも非処女でも全然気にしないんです」
「ん?」
「……いえ、先輩には敵いません」
小さな呟きは消え、ほんの一瞬夜の静寂があり、彼の顎が上がった。至冬は意味深に目を閉じてニッコリと曲線を描き、言った。
「欲しい物は秘密だ」と。
0
お気に入りに追加
89
あなたにおすすめの小説
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
主人公の兄になったなんて知らない
さつき
BL
レインは知らない弟があるゲームの主人公だったという事を
レインは知らないゲームでは自分が登場しなかった事を
レインは知らない自分が神に愛されている事を
表紙イラストは マサキさんの「キミの世界メーカー」で作成してお借りしています⬇ https://picrew.me/image_maker/54346
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
王道学園なのに、王道じゃない!!
主食は、blです。
BL
今作品の主人公、レイは6歳の時に自身の前世が、陰キャの腐男子だったことを思い出す。
レイは、自身のいる世界が前世、ハマりにハマっていた『転校生は愛され優等生.ᐟ.ᐟ』の世界だと気付き、腐男子として、美形×転校生のBのLを見て楽しもうと思っていたが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる