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本編ー総受けエディションー
18:沸点と、妥協点。
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浅い夜は、全てが大き過ぎる。
音も、星のない空も、人も。
あまりに大きく聞こえてきて、いつも耳が痛い。
あまりに深く見え過ぎて、目を閉じてしまう。
人の気配が濃い、中途半端な夜は苦手だ。
だから、俺は人のいる夜に1人で出歩かない。
◇ ◇
ピ、……ガチャ、ジージー……
「普段即席の袋麺卵入りが好きな俺でも、」
「――ふむ」
ピ、ピ、……ピ。
「たまに濃いラーメン食べたくなることがある。……――ありません?」
白湯系の白濁濃厚スープにやや脂身の多いチャーシュー。半熟煮卵と、うん、後は青菜があってもいい。獣臭いのは苦手だが、たまぁに、食べたくなる。あっさりとコッテリの良いところを凝縮したあの味わい……。完成した理想のラーメンを思い浮かべ、俺は垂れそうな涎を腕で拭う。
脳内調理しちゃった……。
「あれって夜に恋しくなっちゃうんですよ」
「――だから今言い出したのか」
レジ締め作業を終えた店長はこちらへ緩やかにやって来ると、一緒に控え室に入るためドアを開けた。
「いえすー」
先程から一方的に話しかけていた相手に俺は頷いた。
大学生のバイトくんがテストだか、レポートだかでお休み期間に入り、変則的だった俺のシフトはここしばらく遅い時間に固定されていた。
今日もラストまで入って、閉店間際にこうして店長にゴロゴロ懐いて世間話という訳だ。
せーくん達もテストだし、学生さんは大変だなあ。勝手に俯瞰し労いの念を送り、タイムカードを切った。
「今日は食って帰るのか?」
「うーん、店のちゃんとしたラーメン……食べたいけど、あんまこの時間出歩くの好きじゃないんですよね……」
「あれ、でもゆゆ島、どちらかっていうと夜型じゃなかったか?」
「口で言うと難しいんですけど……俺的には夜だけど、夜じゃないというか」
音が綺麗なのに、ノイズを混ぜて安心する。そんな感覚。静かに、ひたひたと迫るのが怖い。
「……口にすると厨二くさいなあ」
「中々、難儀だな」
「にはは……」
難儀……、単に面倒な奴だよな。でも実際そうなので適当に、はぐらかし笑っておいた。
「……食べたいのはぁ、……山々なんですけどお」
「俺の好きな店でいいなら連れてってやるよ」
「え、店長本当ですかっ」
「――お前。くっ、そんな顔されたら……、なあ」
チラチラとワザとらしく窺っていた俺に店長はくつくつと楽しげに笑う。ですよねえ。すみません、本当は申し訳ないと思ってます。
「店長~!」
「はいはい」
「店長好き、愛してる」
「ラーメンをだろ」
「いえす!」
喜ぶ俺をみて、店長は目を眇めると呆れたように俺の頭をぐしゃぐしゃにした。撫で回され、セットした髪型を崩されてしまった。
だが今はそれも気にしない。彼の肩に腕を回し、好きにしてちょうだいと抱きつく。店長のしっかりとした首に俺の髪がかかると、擽ったかったのか彼の眉がぴくりと上がり、こらと嗜める声がかかる。すいませんと離れる前に、店長の手のひらが俺の耳元へ伸びた。
整い分けるように横へ梳き、撫で付けると、目元が親指で擦られた。意味の有無が分からず、なすがままで大人しくしていると、気づいた時には店長の顔は思ったより近くにあり、そのまま背中に腕が回された。俺よりでかいので自然と上目遣いになるが、疲れて次第に視線は下へ下がっていく。口元の辺りまできた時、――ふと体に振動を感じた。
「あれ……?」
ぼんやりと、静かな空間で居たからだろうか。断続的な振動音に着信だと分かり、音の出所を探した。もう上がっている俺は、エプロンも脱いで普段着になっている。ズボンから取り出すと、手に収まったそれは、ディスプレイを光らせブルブルと小刻みに振動していた。
面倒くさがりな俺はいつもバイブレーションだ。普段着信があってもそうそう気づかない。それどころか、本体ごと家に忘れていて携帯を携帯してないと怒られる始末だ。電話としての役目を果たす回数が普段から少ないからか、今回は久々なタイミングだった。
「先生……?」
「先生?」
電話の着信を確認すると意外な人物で俺の口からぽつり、と声が溢れ、それを聞いた店長が意表を突かれたのか、子供みたいな鸚鵡返しをした。
「あ、ハイ、虹緒先生から。――って虹緒せんせとか珍しすぎて出るしかないなこれ」
自問自答してる時間は無い。俺は店長に断りを入れ切れない内に電話へ出る。すると直ぐに低い落ち着いた声が聞こえた。
『――もしもし』
「もしもし、せんせ? どうしました、こんな時間に」
時間も遅いのに、珍しい。
『……いや。君は今何をしている?』
「今ですか? 今は仕事丁度終わったとこですよ」
『そうか』
「先生は? ……あ、もしかしてなんか俺まずいことしました?」
『いや、……』
言い淀んだ虹緒を不思議に思っていると若干でノイズが掛かったのか耳元でザ、と不明瞭な音が聞こえた。
『終わったばかりなら、食事もまだのようだね』
「え、あ、はい」
『そうか、なら丁度良かった――これから――』
「? ……って、っ――」
先生との会話を続けていると、背後から店長の気配がして意識が其方へ逸れる。
「てんちょ……?」
左後ろに首を動かすと、目が合い、スッと細くなった。店長の口元に、シィーと人差し指が当たると、うっと俺の喉から空音が出て手のひらで熱を持った電話を握りしめてしまった。
それを見た彼は俺の耳朶に顔を寄せ、柔らかい唇で食む。離れる時の舌先で体の力が抜けた瞬間、もう片方の耳に添えられている携帯をスッと抜き去っていった。
「――夜遅くにご苦労だな、虹緒先生」
『…………、……』
その電話を片手に、店長はそのまま通話を始めた。漏れる声は微々たるもので殆ど内容は分からないのに、何故か虹緒先生の禍々しいオーラは、はっきりと伝わってきて、いや、これは怖い。
「――そりゃあここは俺の店だからな。――、ああ、――く、はは、」
『……、』
「ああ、丁度いいだろう? ――俺達3人で」
3人? 店長の口から出た単語に俺は首を捻ると、その様子を見た彼は口角を上げ、
「――ああ、わかった。ゆゆ島にかわろうか?」
電話口で俺の名前を出し、はい、と手渡される。あわあわと分からないままに交代し、聞こえる声に応えた。
『――ゆゆ島?』
「っ、もしもし? 虹緒せんせ?」
『…………詳細は、梅野に訊くように。では、また後で』
「へ…………、――あ、切れた」
用件を言うと、通話は切れ、ビジートーンが鳴り響く。これ、変わる必要あったか……?
「店長に訊けって、せんせに言われたんですが」
全くわからないまま、言われたことを繰り返すが……。
「店長、くっそ笑ってる……」
「はは……時間が待ってましたと言わんばかりだったもんで……っくく」
「なんか疎外感がパないんですけどぉ……どゆこと」
「まあ、あれだラーメン食いに行こうってとこだ」
「……ほ? ほお……」
あ、そなんだ。
◇ ◇
どうやら、場所は店長の行きつけで決定しているらしい。虹緒先生はここまで来てくれるらしいので合流すべく、ビルの外で待つ事になった。
「店長の運転久しぶりだ」
「そうか? ……そうか」
「ふはっ、そーです」
ここで働く前は良く乗っけてもらっていたな。ふわりと懐かしさに駆られながら後ろで両手を組みビルの壁に寄りかかる。
すると風が頬を撫で、追いかけると、涼しさから甘い匂いを感じた。後、一息で出てきそうな答えに何だっけな、と俺は目を伏せる。ああ――、
「――金木犀?」
すん、と鼻を動かし、空気の味を確かめた。
「なんだ犬みたいに。鼻が動いてるぞ」
「いやいや、俺は今霞を食う仙人の気分でしたが」
俺と店長の例えのギャップに風邪をひきそうだ。
「馬鹿言え……、――ん、そうだな。確かに花の匂いがする」
一見、花が咲いているなんて分からない。でも暗闇の中には確かに、花の存在を感じるのだ。強く、甘い匂い。
「俺、金木犀の匂いを嗅ぐと、ピンクの粉薬を思い出すんですよね」
記憶としてしっかりと、脳に残っているのかその存在を思い出した。
健康優良児の自分は薬とほとんど縁が無いが、自分では無く、他人の――俺の弟が昔、良く寝込んでいたあの時の……客観的に見たピンク色だった。
「ピンクって……あの小児用のドライシロップ?」
「そうそう、それです。多分ちゃんと嗅ぎ比べると違うんだろうけど……漂う甘い匂いが頭から離れなくて」
「なんとなく気持ちはわかる気がしなくもないな」
「どっちですか」
否定に否定を繰り返し、どちらつかずで曖昧な笑みだけしか分からなかった。
「店長はなんかあります?」
「俺は――そうだなフルーツ牛乳とか」
「ああー確かに! てか可愛いなおい」
あの香料も甘く、すぐに結びついた。存外可愛い連想にぽん、と手を叩いて頷いていると、
「――金木犀といえば精液だろう」
やや低めの、平坦な声が入り込んできた。
……いや、さあ。
もーちょっと……こう、もうちょっとさぁあ? 知ってるよ? 言うもんね、栗の花の匂いとかも精液の……って。でも、せめて外では、もう少しオブラートに包んで欲しかったなあ。
――というのを、
「……あーハイハイ、スペルマスペルマ」
この一言に凝縮した俺と、
「自重しろ虹緒……」
ゲンナリした店長が迎えた。
待人来たるのはいいが、初手の発言に俺達2人はドン引きだった。非難の目が虹緒へ刺さる。
「こっちは情緒に浸ってたんですよ、情緒に。……先生、その見た目じゃなかったら犯罪もいいとこだと思います」
「顔面偏差値高くて良かったな虹緒」
「……君たちは揃いも揃って喧嘩を売ってるのか」
どちらかと言うと、先生の方が茶々を入れてきたのだが。俺は心の中でぶつぶつと言いながら、虹緒を見やる。
彼は本当に花に関心が無いのだろう。虹緒は責め立てられるのに不満をたれ、心外だといった風に柳眉を顰めていた。
「――待たせて悪かったという気が失せた」
むすり。そんな音が聞こえてきそうだ。大の男が拗ねているのが何だか面白くて、俺は吹き出しながら答える。
「ふはっ――、いや先生、充分早かったですよ」
下に降りてまだ数分しか経っていない筈だ。そう伝えると、先生は俺を見て口元を緩め、そして、ついと奥の方を睨みつけた。
「――そこでニヤついてる男、やめろ」
「く、ははっ。まだ何にも言ってないぞ、く、」
店長は堪え切れず笑い声が漏れている。
「…………」
「大学から閉店時間に、間に合うよう駆けつけるなんてご苦労なこった」
「……………………」
「まあ、今日の先約は俺だったけどな」
「……、ハァ。もういい。行こう、ゆゆ島」
「?」
ぐっと肩を引き寄せられ、駐車場の方へと押し進められる。ちら、と後ろを確認すると肩を揺らしながらも、ゆっくりと着いてくる姿が見えたので、抗わずに足を進めることにした。虹緒は何処となく疲れた顔をしていて、ちょっと可哀想になってきた。
「先生、今日は弄られっぱなしですね」
「タイミングが最悪だった……」
いつもはかっちりしてる先生も、友人の前では砕けた感じなのかフランクな口調だ。俺は、くすくすと、笑いながら労いの言葉をかけた。
「お疲れ様です、せんせ」
「――――、」
等間隔に並んだ街灯の真下で数秒みえる先生の目は、きゅ、と細まる。瞳の甘さを感じる、そういう仕草で俺を見つめた。
「君が――」
肩を掴む手の力が僅かにこもる。薄着の俺は指の動きに意味を持っているのを知り、彼の言葉を待った。
「私の学生であったら、と思うと同時に学生で無くて良かったと安堵している」
「先生だった良かったけど、先生でも無くて良かった? ……うーん先生の大洪水だコレ」
こんがらがる俺の頭に、虹緒は「試しに名で呼んでみるかい」と提案した。
「んー……や、なんか先生って、先生の方がしっくりくるんですよね」
それにあだ名の方が俺的に価値が高い。
だから、先生は俺の中で特別なんだと。そう言うと「君は憎らしいほどあざといな」と困ったような、でも何処か嬉しそうな珍しい顔でそおっと俺の耳元の髪を撫でた。
◇ ◇
「ゆゆ島は後ろな」
「はーい」
後部座席に乗り込むと、エンジンがかかる。なんと今日は虹緒先生の奢りだ。
「先生流石~ゴチになりまっす」
「……その方が喧嘩にならないからな」
「――けんか?」
要領を得ない俺に、店長は分からなくていいと笑う。簡潔明瞭が先決なんだとか。
「それにしても店長と、先生、仲いいっすね」
「妬けるか?」
「ぜーんぜん」
「なんだ、……まあ、虎賀雨も入れて俺達は同期だからな」
「マジすか……そりゃあ、みんなさぞかしモテたんでしょうねえ」
見た目も中身の濃さも半端ない3人だ。男子校なら余計騒がれただろう。そう言うと虹緒は含みのある色で言った。
「――あの学園だぞ」
「あー……ソでした」
今でも店長はイケメンっぷりで目が眩むし、先生は知的でカッコいいし、虎賀雨は綺麗で惚れ惚れする。
「俺や虹緒は兎も角綺麗どころは大変そうだった」
「ひえ」
良く男嫌いにならなかったなと思う。
「まあ、虎賀雨の見た目に騙されて逆に食われる哀れな馬鹿が多くてある意味……」
「……それ、俺が聞いて良かった情報なんですかね」
「――君は虎賀雨に関して少々、いや、かなり緩む気がしてならない。そろそろ奴の本性を知った方が良いとは思う」
どしたの。虎賀雨さんってばそんなに裏が深いの。2人の言葉に曖昧に頷きつつも、本人不在の前で話を続けるのもどうかと思って俺は違う話題を振ってみた。
「そーいやその後3人は卒業後の進路は違ったんですか?」
「ああ」
虹緒先生は県内に残り、虎賀雨さん、店長は県外に行き、また戻ってきたのだと言う。
「――で、店長がこの地でゲーム屋を始めた、と。なんだかんだでエロゲの繋がりで再会したの面白いですね……って俺もか」
「あんまり人に話せない馴れ初めだな」
ここに居る全員そうだった。好きなものに帰結したのが、馬鹿らしくて、そして可笑しくて。俺が1人後ろで笑っていると前の2人も釣られたのか肩が揺れて道で拾う振動と混ざって見えた。
◇ ◇
居酒屋が立ち並ぶ繁華街。
夜も更けて静かだったビルと比べ、ここら一帯は賑やかで爛々としていた。
暗がりに暗さが無い。夜の声に、酒とタバコの匂いが混じる。あれだ、所謂陽気なパリピの雰囲気と言うやつだ。場所に馴染みのない俺は、パリピ怖……、と2人の後を着いて歩く。
コインパーキングに車を停め、その近くにあるラーメン屋へと向かう。客層は〆目当ての酒飲みが多いがラーメンだけを食べに来る客も多いらしい。
そんな話を聞きながら次第にスープの香りが鼻をくすぐってくると、目当ての店へと到着した。
食券を買い、暖簾をくぐる。来店をスタンバイしていた店員に渡し、カウンターへと座った。テーブルでは無く、敢えてのカウンター席。なんでも? また喧嘩、になるから、らしい。
ふうん、と俺は特に話を広げるでも無く、置かれたグラスの汗をなぞり、お手拭きで拭う。
「虹緒、お前ラーメンとビジュアルが合ってないにも程があるな」
程々に席が埋まった店内、虹緒が1人浮いたように見えたのか隣で店長が揶揄い気味の笑いをこぼした。
「……」
「……てんちょー」
何を言い出したかと思えば。まあ、確かに先生ならもう少し敷居の高いお店が似合いそうな気はするけど。
当の本人を見ると、片眉を動かし、「残念ながら梅野と趣味が似ているからな」と逆に店長を揶揄していた。どういう意味なんだろう。
よく分からず首を捻っていたら、虹緒は俺の方へと憐れみの視線を向けてきた。
「――こんな奴の店より他で働いた方がいいんじゃないか」
「急にどったの、先生」
俺は訊ねながらも、素知らぬ顔で箸を割り、テーブルに置いてある辛いもやしの蓋をとった。
「梅野の元で働くなんてどうかと思ってな」
「ふうむ」
「おいこら、俺のスタッフを勝手に辞めさせるな」
店長が聞き捨てならないと話に入る。
「ったく、私情を挟むな。大体、ゆゆ島だって辞める気ないだろうが……なあ?」
「なはは、」
それはその通りなので、適当に笑って店長の意見に頷いておいた。
エロゲに囲まれる環境も中々無いし、接客はあるものの、必要以上に人と話す必要も無い。うん、やっぱりいい職場だ。
「飲食の接客とか、むかーし、やった事ありますけど、結構な確率で絡まれちゃうんですよね……。声かけるのが多いほどそれも増えて……」
流れに身を任せてたら溺れかけたという。
「だから……今んとこ店長の店でバイトしてるのが1番良いかなと思ってます。ん、そりゃあ働かないのが1番ですけど」
豆板醤だろうか。ピリリと美味い。
もぐもぐと、辛味の効いたもやしを食べながら俺はそう話した。
終わりがないのをいつ終わらせるか、それだけ考えていれるのなら良かったけれど。今日は土曜? だと思っていたら月曜な自分だ。
面倒臭いながらも時間だけは確実に過ぎていく。俺はその事実にいつまで経っても追いつけない。
差は広がらないが、埋まらない。
加速していく中で、出来るだけ形成された関係性の中で過ごしたい。そう、ぼんやりと――
唯、ぼんやりと、浮かぶ色が出来ていた。
でもそれは、口にするようなものでもない。冷たい氷水を飲み、辛さと一緒に喉の奥へ流した。
◇ ◇
1番のウリである、甘辛い豚バラと黒いスープ。青ネギメンマにお好みで生卵。
黒系で味が濃そうだが、甘めで割とスルスルいける。細いストレートの麺がまた合い、要は箸が止まらない。熱さでハフハフ息を吐きながら勢いよく啜った。
「ゆゆ島は、美味そうに食うなあ」
生卵を割りながら、俺を見た店長は呆れ少々嬉しさ増し増しに言う。店長とは同じラーメンを頼んだが俺は生卵を入れるとラーメンが緩くなるのを嫌って何も入れていなかった。
「はぁ……美味しい、熱うま細麺ストレート最強」
ある程度食べたラーメンに胡椒を多めに振りながら俺はご満悦に語る。甘さの中に独特の引き締めた香りでスープごと肉をゴクリと飲んだ。絶対塩分過多なんだけどやめらんない……。
ぷはあと顔を上げ、下を見ると大盛りの器の中、濁りのある濃い色に油と照明が煌めきがあった。うっとりしていたら、そこにぽちゃん、と波紋が広がって……あれ? と声が出た。
「――卵をあげよう」
俺とは違う豚骨ベースで、黄色系のラーメンを頼んだ虹緒は、トッピングされていた味付け卵を俺の器に落とし込んだ。
赤が強いオレンジ色の黄身が艶やかに沈んだのを見、そのまま驚いた顔を先生へと向けた。
「え、先生いいの?」
「ああ、食べなさい」
「――じゃあかわりにこの豚バラあげます」
ほい、とレンゲで1すくいし、先生の器へと移動させた。私まで貰っては、意味がないだろうと言いつつも口元は緩んでいるのをちらりと見て、俺は物々交換です、と卵を齧った。あ、味玉おいしい。
「仲いいなお前ら――ほら、ゆゆ島」
卵で膨らませた頬が萎んだのを見計らい、店長は炒飯を俺の口へと1口突っ込んだ。
香りが口いっぱいに広がる。
「ふ、……ん、んまあ炒飯う、うまぁ……っ」
美味すぎて喘いでしまう。
家で出せない高火力の食感。パラパラの米に濃い味付け。鶏ガラスープと脂身多めのチャーシューに手早く卵が合わさってお椀型に皿に盛られた、あの黄金炒飯。
添えられた赤い福神漬けで味見た目共に完璧だった。
「……君たちも仲が良いな」
さっきから美味い、美味しい、をロボットのように繰り返す俺と同じように、大人たちも同じセリフを呟く。
ついでとばかりにカウンター奥の店主も、「あまりに美味しそうに食べるから、お兄ちゃんオマケね」と餃子がトン、と置かれる始末だ。
いいね、と思う事が短絡的に続き、過ぎ去る。麺を味わい脳まで満たされる感覚に箸を動かしながら舌で唇を舐め、空になる器にご馳走さまをし、おっちゃんありがとー! と、サービスの餃子へ手を伸ばした。
◇ ◇
「ご馳走さまでしたー!」
感謝の言葉をかけながら店を出ると、
「わ、店長たちじゃーん」
近くの居酒屋で飲んでいたのか、顔を赤くした名護月とばったり出会った。何人かで飲んでいるのか周りに一声かけて此方へとやって来る。
「名護月また飲んでるのか」
「よっすー店長」
出来上がっているのか、手を挙げ空気みたいな返事を店長へ返し、俺にも同じような挨拶をした。
「よっすーゆゆ島じゃーん」
「うっすー酔ってんねー名護くん」
に、と笑いかけると、ぐい、と肩に名護月の腕をかけられ引き寄せられ、つんのめりそうになる。
テンションも体温も上がっているのか触れた部分から熱さを感じ、温かいなぁと眠たげな意識になって来て、下向きに目を伏せ頬を緩めた。
「……ゆゆ島、ラーメンの匂いがする」
「ふはっ、こしょばいよ名護くん……そりゃあ、ラーメン食べてたからね」
「3人で?」
「3人で」
名護月のやや長めの横髪が首元に当たりこそばゆい。
「店から出てきたその並びだと、ゆゆ島が若い燕にしか見えねえよ」
「やだなあ、名護くん。冗談は笑えるから冗談なんだよ。酔い覚ましなー?」
ぺんっと肩を叩くと、酔っぱらい特有の「いや、酔ってねえから」というテンプレートな返しが返ってきた。
「おい梅野……。あの酔っ払い、お前の店のだろう。採用を間違えたんじゃないか」
「――こう見えて融通が利くからアイツ」
大人達は大人達で、ボソボソと失礼な話をしていた。名護月は気づいているのかいないのか。特に気にする様子もなく俺に絡み続け、もう2、3軒はしごするのだという。
「……名護くん。飲み過ぎないよーにね」
「ういー、ゆゆ島も飲めたら良かったのになあ」
「俺酒激弱だもん。無理無理、てか絶対無理。いいよなあ名護くんは楽しく酔えて……」
弱いと言ったが、本当はそれ以前の話で体が受け付けない。悲しいことに5%のチューハイ三口で失神してしまってから酒に関するモノは全て断っていた。名護くんにも勿論伝えているので無理に誘ってはこず、こうして憐れみの目が向けられる。
「冗談抜きで犯罪の臭いがするもんな」
「あーね……ヤダヤダほんと」
薬も効きすぎるし。子供体質なのが残念だ。
「俺を大人しくさせるなら酒に薬なんか混ぜなくても酔い止め飲ませりゃ副作用で一発コロリよ」
「……てんちょー! とそこの人ー! マジちゃんとゆゆ島送ってって下さいよー!」
ぐわんっ、と大きな声で店長達へ叫ぶ。すると、店長がやってきて、
「……道のど真ん中で騒ぐな酔っぱらい」
頭を殴った。俺に絡んだまま名護月は片手で殴られた箇所を押さえる。
「いってー」
「あーあー名護くんいらんことするから……やっぱり一緒に帰る……?」
大丈夫かと心配すると、顔を上げた名護月と目が合い、からっとした笑みを見せた。
「ゆゆ島よ、夜はこれからだ……あんがと――」
ふに、とアルコールで白んできた名護月の唇が頬に当たった。
柔らかい感触に眼を瞬かせていると、さっきまでの酔っぱらい具合とは違い、やけにしっかりとした視線が俺の向こう側へと向いた。
「じゃあね、ゆゆ島」
それは長く続いた訳では無く、すぐに解かれてしまうと、別れを告げ彼は雑踏へと消えていった。
「……名護月め」
「店長?」
「気にするな、名護月のことは捨て置け」
「……御意」
呆けていたら、店長の声が聞こえたのでノリ良く合わせてみた。すると彼の目は点になり、次いで柔く細まって可笑しいと言わんばかりの声が聞こえ、俺も息を漏らし笑った。
「帰るぞ」
「はーい!」
ああ。今日は夜が浅い。
音も、星のない空も、人も。
あまりに大きく聞こえてきて、いつも耳が痛い。
あまりに深く見え過ぎて、目を閉じてしまう。
人の気配が濃い、中途半端な夜は苦手だ。
だから、俺は人のいる夜に1人で出歩かない。
◇ ◇
ピ、……ガチャ、ジージー……
「普段即席の袋麺卵入りが好きな俺でも、」
「――ふむ」
ピ、ピ、……ピ。
「たまに濃いラーメン食べたくなることがある。……――ありません?」
白湯系の白濁濃厚スープにやや脂身の多いチャーシュー。半熟煮卵と、うん、後は青菜があってもいい。獣臭いのは苦手だが、たまぁに、食べたくなる。あっさりとコッテリの良いところを凝縮したあの味わい……。完成した理想のラーメンを思い浮かべ、俺は垂れそうな涎を腕で拭う。
脳内調理しちゃった……。
「あれって夜に恋しくなっちゃうんですよ」
「――だから今言い出したのか」
レジ締め作業を終えた店長はこちらへ緩やかにやって来ると、一緒に控え室に入るためドアを開けた。
「いえすー」
先程から一方的に話しかけていた相手に俺は頷いた。
大学生のバイトくんがテストだか、レポートだかでお休み期間に入り、変則的だった俺のシフトはここしばらく遅い時間に固定されていた。
今日もラストまで入って、閉店間際にこうして店長にゴロゴロ懐いて世間話という訳だ。
せーくん達もテストだし、学生さんは大変だなあ。勝手に俯瞰し労いの念を送り、タイムカードを切った。
「今日は食って帰るのか?」
「うーん、店のちゃんとしたラーメン……食べたいけど、あんまこの時間出歩くの好きじゃないんですよね……」
「あれ、でもゆゆ島、どちらかっていうと夜型じゃなかったか?」
「口で言うと難しいんですけど……俺的には夜だけど、夜じゃないというか」
音が綺麗なのに、ノイズを混ぜて安心する。そんな感覚。静かに、ひたひたと迫るのが怖い。
「……口にすると厨二くさいなあ」
「中々、難儀だな」
「にはは……」
難儀……、単に面倒な奴だよな。でも実際そうなので適当に、はぐらかし笑っておいた。
「……食べたいのはぁ、……山々なんですけどお」
「俺の好きな店でいいなら連れてってやるよ」
「え、店長本当ですかっ」
「――お前。くっ、そんな顔されたら……、なあ」
チラチラとワザとらしく窺っていた俺に店長はくつくつと楽しげに笑う。ですよねえ。すみません、本当は申し訳ないと思ってます。
「店長~!」
「はいはい」
「店長好き、愛してる」
「ラーメンをだろ」
「いえす!」
喜ぶ俺をみて、店長は目を眇めると呆れたように俺の頭をぐしゃぐしゃにした。撫で回され、セットした髪型を崩されてしまった。
だが今はそれも気にしない。彼の肩に腕を回し、好きにしてちょうだいと抱きつく。店長のしっかりとした首に俺の髪がかかると、擽ったかったのか彼の眉がぴくりと上がり、こらと嗜める声がかかる。すいませんと離れる前に、店長の手のひらが俺の耳元へ伸びた。
整い分けるように横へ梳き、撫で付けると、目元が親指で擦られた。意味の有無が分からず、なすがままで大人しくしていると、気づいた時には店長の顔は思ったより近くにあり、そのまま背中に腕が回された。俺よりでかいので自然と上目遣いになるが、疲れて次第に視線は下へ下がっていく。口元の辺りまできた時、――ふと体に振動を感じた。
「あれ……?」
ぼんやりと、静かな空間で居たからだろうか。断続的な振動音に着信だと分かり、音の出所を探した。もう上がっている俺は、エプロンも脱いで普段着になっている。ズボンから取り出すと、手に収まったそれは、ディスプレイを光らせブルブルと小刻みに振動していた。
面倒くさがりな俺はいつもバイブレーションだ。普段着信があってもそうそう気づかない。それどころか、本体ごと家に忘れていて携帯を携帯してないと怒られる始末だ。電話としての役目を果たす回数が普段から少ないからか、今回は久々なタイミングだった。
「先生……?」
「先生?」
電話の着信を確認すると意外な人物で俺の口からぽつり、と声が溢れ、それを聞いた店長が意表を突かれたのか、子供みたいな鸚鵡返しをした。
「あ、ハイ、虹緒先生から。――って虹緒せんせとか珍しすぎて出るしかないなこれ」
自問自答してる時間は無い。俺は店長に断りを入れ切れない内に電話へ出る。すると直ぐに低い落ち着いた声が聞こえた。
『――もしもし』
「もしもし、せんせ? どうしました、こんな時間に」
時間も遅いのに、珍しい。
『……いや。君は今何をしている?』
「今ですか? 今は仕事丁度終わったとこですよ」
『そうか』
「先生は? ……あ、もしかしてなんか俺まずいことしました?」
『いや、……』
言い淀んだ虹緒を不思議に思っていると若干でノイズが掛かったのか耳元でザ、と不明瞭な音が聞こえた。
『終わったばかりなら、食事もまだのようだね』
「え、あ、はい」
『そうか、なら丁度良かった――これから――』
「? ……って、っ――」
先生との会話を続けていると、背後から店長の気配がして意識が其方へ逸れる。
「てんちょ……?」
左後ろに首を動かすと、目が合い、スッと細くなった。店長の口元に、シィーと人差し指が当たると、うっと俺の喉から空音が出て手のひらで熱を持った電話を握りしめてしまった。
それを見た彼は俺の耳朶に顔を寄せ、柔らかい唇で食む。離れる時の舌先で体の力が抜けた瞬間、もう片方の耳に添えられている携帯をスッと抜き去っていった。
「――夜遅くにご苦労だな、虹緒先生」
『…………、……』
その電話を片手に、店長はそのまま通話を始めた。漏れる声は微々たるもので殆ど内容は分からないのに、何故か虹緒先生の禍々しいオーラは、はっきりと伝わってきて、いや、これは怖い。
「――そりゃあここは俺の店だからな。――、ああ、――く、はは、」
『……、』
「ああ、丁度いいだろう? ――俺達3人で」
3人? 店長の口から出た単語に俺は首を捻ると、その様子を見た彼は口角を上げ、
「――ああ、わかった。ゆゆ島にかわろうか?」
電話口で俺の名前を出し、はい、と手渡される。あわあわと分からないままに交代し、聞こえる声に応えた。
『――ゆゆ島?』
「っ、もしもし? 虹緒せんせ?」
『…………詳細は、梅野に訊くように。では、また後で』
「へ…………、――あ、切れた」
用件を言うと、通話は切れ、ビジートーンが鳴り響く。これ、変わる必要あったか……?
「店長に訊けって、せんせに言われたんですが」
全くわからないまま、言われたことを繰り返すが……。
「店長、くっそ笑ってる……」
「はは……時間が待ってましたと言わんばかりだったもんで……っくく」
「なんか疎外感がパないんですけどぉ……どゆこと」
「まあ、あれだラーメン食いに行こうってとこだ」
「……ほ? ほお……」
あ、そなんだ。
◇ ◇
どうやら、場所は店長の行きつけで決定しているらしい。虹緒先生はここまで来てくれるらしいので合流すべく、ビルの外で待つ事になった。
「店長の運転久しぶりだ」
「そうか? ……そうか」
「ふはっ、そーです」
ここで働く前は良く乗っけてもらっていたな。ふわりと懐かしさに駆られながら後ろで両手を組みビルの壁に寄りかかる。
すると風が頬を撫で、追いかけると、涼しさから甘い匂いを感じた。後、一息で出てきそうな答えに何だっけな、と俺は目を伏せる。ああ――、
「――金木犀?」
すん、と鼻を動かし、空気の味を確かめた。
「なんだ犬みたいに。鼻が動いてるぞ」
「いやいや、俺は今霞を食う仙人の気分でしたが」
俺と店長の例えのギャップに風邪をひきそうだ。
「馬鹿言え……、――ん、そうだな。確かに花の匂いがする」
一見、花が咲いているなんて分からない。でも暗闇の中には確かに、花の存在を感じるのだ。強く、甘い匂い。
「俺、金木犀の匂いを嗅ぐと、ピンクの粉薬を思い出すんですよね」
記憶としてしっかりと、脳に残っているのかその存在を思い出した。
健康優良児の自分は薬とほとんど縁が無いが、自分では無く、他人の――俺の弟が昔、良く寝込んでいたあの時の……客観的に見たピンク色だった。
「ピンクって……あの小児用のドライシロップ?」
「そうそう、それです。多分ちゃんと嗅ぎ比べると違うんだろうけど……漂う甘い匂いが頭から離れなくて」
「なんとなく気持ちはわかる気がしなくもないな」
「どっちですか」
否定に否定を繰り返し、どちらつかずで曖昧な笑みだけしか分からなかった。
「店長はなんかあります?」
「俺は――そうだなフルーツ牛乳とか」
「ああー確かに! てか可愛いなおい」
あの香料も甘く、すぐに結びついた。存外可愛い連想にぽん、と手を叩いて頷いていると、
「――金木犀といえば精液だろう」
やや低めの、平坦な声が入り込んできた。
……いや、さあ。
もーちょっと……こう、もうちょっとさぁあ? 知ってるよ? 言うもんね、栗の花の匂いとかも精液の……って。でも、せめて外では、もう少しオブラートに包んで欲しかったなあ。
――というのを、
「……あーハイハイ、スペルマスペルマ」
この一言に凝縮した俺と、
「自重しろ虹緒……」
ゲンナリした店長が迎えた。
待人来たるのはいいが、初手の発言に俺達2人はドン引きだった。非難の目が虹緒へ刺さる。
「こっちは情緒に浸ってたんですよ、情緒に。……先生、その見た目じゃなかったら犯罪もいいとこだと思います」
「顔面偏差値高くて良かったな虹緒」
「……君たちは揃いも揃って喧嘩を売ってるのか」
どちらかと言うと、先生の方が茶々を入れてきたのだが。俺は心の中でぶつぶつと言いながら、虹緒を見やる。
彼は本当に花に関心が無いのだろう。虹緒は責め立てられるのに不満をたれ、心外だといった風に柳眉を顰めていた。
「――待たせて悪かったという気が失せた」
むすり。そんな音が聞こえてきそうだ。大の男が拗ねているのが何だか面白くて、俺は吹き出しながら答える。
「ふはっ――、いや先生、充分早かったですよ」
下に降りてまだ数分しか経っていない筈だ。そう伝えると、先生は俺を見て口元を緩め、そして、ついと奥の方を睨みつけた。
「――そこでニヤついてる男、やめろ」
「く、ははっ。まだ何にも言ってないぞ、く、」
店長は堪え切れず笑い声が漏れている。
「…………」
「大学から閉店時間に、間に合うよう駆けつけるなんてご苦労なこった」
「……………………」
「まあ、今日の先約は俺だったけどな」
「……、ハァ。もういい。行こう、ゆゆ島」
「?」
ぐっと肩を引き寄せられ、駐車場の方へと押し進められる。ちら、と後ろを確認すると肩を揺らしながらも、ゆっくりと着いてくる姿が見えたので、抗わずに足を進めることにした。虹緒は何処となく疲れた顔をしていて、ちょっと可哀想になってきた。
「先生、今日は弄られっぱなしですね」
「タイミングが最悪だった……」
いつもはかっちりしてる先生も、友人の前では砕けた感じなのかフランクな口調だ。俺は、くすくすと、笑いながら労いの言葉をかけた。
「お疲れ様です、せんせ」
「――――、」
等間隔に並んだ街灯の真下で数秒みえる先生の目は、きゅ、と細まる。瞳の甘さを感じる、そういう仕草で俺を見つめた。
「君が――」
肩を掴む手の力が僅かにこもる。薄着の俺は指の動きに意味を持っているのを知り、彼の言葉を待った。
「私の学生であったら、と思うと同時に学生で無くて良かったと安堵している」
「先生だった良かったけど、先生でも無くて良かった? ……うーん先生の大洪水だコレ」
こんがらがる俺の頭に、虹緒は「試しに名で呼んでみるかい」と提案した。
「んー……や、なんか先生って、先生の方がしっくりくるんですよね」
それにあだ名の方が俺的に価値が高い。
だから、先生は俺の中で特別なんだと。そう言うと「君は憎らしいほどあざといな」と困ったような、でも何処か嬉しそうな珍しい顔でそおっと俺の耳元の髪を撫でた。
◇ ◇
「ゆゆ島は後ろな」
「はーい」
後部座席に乗り込むと、エンジンがかかる。なんと今日は虹緒先生の奢りだ。
「先生流石~ゴチになりまっす」
「……その方が喧嘩にならないからな」
「――けんか?」
要領を得ない俺に、店長は分からなくていいと笑う。簡潔明瞭が先決なんだとか。
「それにしても店長と、先生、仲いいっすね」
「妬けるか?」
「ぜーんぜん」
「なんだ、……まあ、虎賀雨も入れて俺達は同期だからな」
「マジすか……そりゃあ、みんなさぞかしモテたんでしょうねえ」
見た目も中身の濃さも半端ない3人だ。男子校なら余計騒がれただろう。そう言うと虹緒は含みのある色で言った。
「――あの学園だぞ」
「あー……ソでした」
今でも店長はイケメンっぷりで目が眩むし、先生は知的でカッコいいし、虎賀雨は綺麗で惚れ惚れする。
「俺や虹緒は兎も角綺麗どころは大変そうだった」
「ひえ」
良く男嫌いにならなかったなと思う。
「まあ、虎賀雨の見た目に騙されて逆に食われる哀れな馬鹿が多くてある意味……」
「……それ、俺が聞いて良かった情報なんですかね」
「――君は虎賀雨に関して少々、いや、かなり緩む気がしてならない。そろそろ奴の本性を知った方が良いとは思う」
どしたの。虎賀雨さんってばそんなに裏が深いの。2人の言葉に曖昧に頷きつつも、本人不在の前で話を続けるのもどうかと思って俺は違う話題を振ってみた。
「そーいやその後3人は卒業後の進路は違ったんですか?」
「ああ」
虹緒先生は県内に残り、虎賀雨さん、店長は県外に行き、また戻ってきたのだと言う。
「――で、店長がこの地でゲーム屋を始めた、と。なんだかんだでエロゲの繋がりで再会したの面白いですね……って俺もか」
「あんまり人に話せない馴れ初めだな」
ここに居る全員そうだった。好きなものに帰結したのが、馬鹿らしくて、そして可笑しくて。俺が1人後ろで笑っていると前の2人も釣られたのか肩が揺れて道で拾う振動と混ざって見えた。
◇ ◇
居酒屋が立ち並ぶ繁華街。
夜も更けて静かだったビルと比べ、ここら一帯は賑やかで爛々としていた。
暗がりに暗さが無い。夜の声に、酒とタバコの匂いが混じる。あれだ、所謂陽気なパリピの雰囲気と言うやつだ。場所に馴染みのない俺は、パリピ怖……、と2人の後を着いて歩く。
コインパーキングに車を停め、その近くにあるラーメン屋へと向かう。客層は〆目当ての酒飲みが多いがラーメンだけを食べに来る客も多いらしい。
そんな話を聞きながら次第にスープの香りが鼻をくすぐってくると、目当ての店へと到着した。
食券を買い、暖簾をくぐる。来店をスタンバイしていた店員に渡し、カウンターへと座った。テーブルでは無く、敢えてのカウンター席。なんでも? また喧嘩、になるから、らしい。
ふうん、と俺は特に話を広げるでも無く、置かれたグラスの汗をなぞり、お手拭きで拭う。
「虹緒、お前ラーメンとビジュアルが合ってないにも程があるな」
程々に席が埋まった店内、虹緒が1人浮いたように見えたのか隣で店長が揶揄い気味の笑いをこぼした。
「……」
「……てんちょー」
何を言い出したかと思えば。まあ、確かに先生ならもう少し敷居の高いお店が似合いそうな気はするけど。
当の本人を見ると、片眉を動かし、「残念ながら梅野と趣味が似ているからな」と逆に店長を揶揄していた。どういう意味なんだろう。
よく分からず首を捻っていたら、虹緒は俺の方へと憐れみの視線を向けてきた。
「――こんな奴の店より他で働いた方がいいんじゃないか」
「急にどったの、先生」
俺は訊ねながらも、素知らぬ顔で箸を割り、テーブルに置いてある辛いもやしの蓋をとった。
「梅野の元で働くなんてどうかと思ってな」
「ふうむ」
「おいこら、俺のスタッフを勝手に辞めさせるな」
店長が聞き捨てならないと話に入る。
「ったく、私情を挟むな。大体、ゆゆ島だって辞める気ないだろうが……なあ?」
「なはは、」
それはその通りなので、適当に笑って店長の意見に頷いておいた。
エロゲに囲まれる環境も中々無いし、接客はあるものの、必要以上に人と話す必要も無い。うん、やっぱりいい職場だ。
「飲食の接客とか、むかーし、やった事ありますけど、結構な確率で絡まれちゃうんですよね……。声かけるのが多いほどそれも増えて……」
流れに身を任せてたら溺れかけたという。
「だから……今んとこ店長の店でバイトしてるのが1番良いかなと思ってます。ん、そりゃあ働かないのが1番ですけど」
豆板醤だろうか。ピリリと美味い。
もぐもぐと、辛味の効いたもやしを食べながら俺はそう話した。
終わりがないのをいつ終わらせるか、それだけ考えていれるのなら良かったけれど。今日は土曜? だと思っていたら月曜な自分だ。
面倒臭いながらも時間だけは確実に過ぎていく。俺はその事実にいつまで経っても追いつけない。
差は広がらないが、埋まらない。
加速していく中で、出来るだけ形成された関係性の中で過ごしたい。そう、ぼんやりと――
唯、ぼんやりと、浮かぶ色が出来ていた。
でもそれは、口にするようなものでもない。冷たい氷水を飲み、辛さと一緒に喉の奥へ流した。
◇ ◇
1番のウリである、甘辛い豚バラと黒いスープ。青ネギメンマにお好みで生卵。
黒系で味が濃そうだが、甘めで割とスルスルいける。細いストレートの麺がまた合い、要は箸が止まらない。熱さでハフハフ息を吐きながら勢いよく啜った。
「ゆゆ島は、美味そうに食うなあ」
生卵を割りながら、俺を見た店長は呆れ少々嬉しさ増し増しに言う。店長とは同じラーメンを頼んだが俺は生卵を入れるとラーメンが緩くなるのを嫌って何も入れていなかった。
「はぁ……美味しい、熱うま細麺ストレート最強」
ある程度食べたラーメンに胡椒を多めに振りながら俺はご満悦に語る。甘さの中に独特の引き締めた香りでスープごと肉をゴクリと飲んだ。絶対塩分過多なんだけどやめらんない……。
ぷはあと顔を上げ、下を見ると大盛りの器の中、濁りのある濃い色に油と照明が煌めきがあった。うっとりしていたら、そこにぽちゃん、と波紋が広がって……あれ? と声が出た。
「――卵をあげよう」
俺とは違う豚骨ベースで、黄色系のラーメンを頼んだ虹緒は、トッピングされていた味付け卵を俺の器に落とし込んだ。
赤が強いオレンジ色の黄身が艶やかに沈んだのを見、そのまま驚いた顔を先生へと向けた。
「え、先生いいの?」
「ああ、食べなさい」
「――じゃあかわりにこの豚バラあげます」
ほい、とレンゲで1すくいし、先生の器へと移動させた。私まで貰っては、意味がないだろうと言いつつも口元は緩んでいるのをちらりと見て、俺は物々交換です、と卵を齧った。あ、味玉おいしい。
「仲いいなお前ら――ほら、ゆゆ島」
卵で膨らませた頬が萎んだのを見計らい、店長は炒飯を俺の口へと1口突っ込んだ。
香りが口いっぱいに広がる。
「ふ、……ん、んまあ炒飯う、うまぁ……っ」
美味すぎて喘いでしまう。
家で出せない高火力の食感。パラパラの米に濃い味付け。鶏ガラスープと脂身多めのチャーシューに手早く卵が合わさってお椀型に皿に盛られた、あの黄金炒飯。
添えられた赤い福神漬けで味見た目共に完璧だった。
「……君たちも仲が良いな」
さっきから美味い、美味しい、をロボットのように繰り返す俺と同じように、大人たちも同じセリフを呟く。
ついでとばかりにカウンター奥の店主も、「あまりに美味しそうに食べるから、お兄ちゃんオマケね」と餃子がトン、と置かれる始末だ。
いいね、と思う事が短絡的に続き、過ぎ去る。麺を味わい脳まで満たされる感覚に箸を動かしながら舌で唇を舐め、空になる器にご馳走さまをし、おっちゃんありがとー! と、サービスの餃子へ手を伸ばした。
◇ ◇
「ご馳走さまでしたー!」
感謝の言葉をかけながら店を出ると、
「わ、店長たちじゃーん」
近くの居酒屋で飲んでいたのか、顔を赤くした名護月とばったり出会った。何人かで飲んでいるのか周りに一声かけて此方へとやって来る。
「名護月また飲んでるのか」
「よっすー店長」
出来上がっているのか、手を挙げ空気みたいな返事を店長へ返し、俺にも同じような挨拶をした。
「よっすーゆゆ島じゃーん」
「うっすー酔ってんねー名護くん」
に、と笑いかけると、ぐい、と肩に名護月の腕をかけられ引き寄せられ、つんのめりそうになる。
テンションも体温も上がっているのか触れた部分から熱さを感じ、温かいなぁと眠たげな意識になって来て、下向きに目を伏せ頬を緩めた。
「……ゆゆ島、ラーメンの匂いがする」
「ふはっ、こしょばいよ名護くん……そりゃあ、ラーメン食べてたからね」
「3人で?」
「3人で」
名護月のやや長めの横髪が首元に当たりこそばゆい。
「店から出てきたその並びだと、ゆゆ島が若い燕にしか見えねえよ」
「やだなあ、名護くん。冗談は笑えるから冗談なんだよ。酔い覚ましなー?」
ぺんっと肩を叩くと、酔っぱらい特有の「いや、酔ってねえから」というテンプレートな返しが返ってきた。
「おい梅野……。あの酔っ払い、お前の店のだろう。採用を間違えたんじゃないか」
「――こう見えて融通が利くからアイツ」
大人達は大人達で、ボソボソと失礼な話をしていた。名護月は気づいているのかいないのか。特に気にする様子もなく俺に絡み続け、もう2、3軒はしごするのだという。
「……名護くん。飲み過ぎないよーにね」
「ういー、ゆゆ島も飲めたら良かったのになあ」
「俺酒激弱だもん。無理無理、てか絶対無理。いいよなあ名護くんは楽しく酔えて……」
弱いと言ったが、本当はそれ以前の話で体が受け付けない。悲しいことに5%のチューハイ三口で失神してしまってから酒に関するモノは全て断っていた。名護くんにも勿論伝えているので無理に誘ってはこず、こうして憐れみの目が向けられる。
「冗談抜きで犯罪の臭いがするもんな」
「あーね……ヤダヤダほんと」
薬も効きすぎるし。子供体質なのが残念だ。
「俺を大人しくさせるなら酒に薬なんか混ぜなくても酔い止め飲ませりゃ副作用で一発コロリよ」
「……てんちょー! とそこの人ー! マジちゃんとゆゆ島送ってって下さいよー!」
ぐわんっ、と大きな声で店長達へ叫ぶ。すると、店長がやってきて、
「……道のど真ん中で騒ぐな酔っぱらい」
頭を殴った。俺に絡んだまま名護月は片手で殴られた箇所を押さえる。
「いってー」
「あーあー名護くんいらんことするから……やっぱり一緒に帰る……?」
大丈夫かと心配すると、顔を上げた名護月と目が合い、からっとした笑みを見せた。
「ゆゆ島よ、夜はこれからだ……あんがと――」
ふに、とアルコールで白んできた名護月の唇が頬に当たった。
柔らかい感触に眼を瞬かせていると、さっきまでの酔っぱらい具合とは違い、やけにしっかりとした視線が俺の向こう側へと向いた。
「じゃあね、ゆゆ島」
それは長く続いた訳では無く、すぐに解かれてしまうと、別れを告げ彼は雑踏へと消えていった。
「……名護月め」
「店長?」
「気にするな、名護月のことは捨て置け」
「……御意」
呆けていたら、店長の声が聞こえたのでノリ良く合わせてみた。すると彼の目は点になり、次いで柔く細まって可笑しいと言わんばかりの声が聞こえ、俺も息を漏らし笑った。
「帰るぞ」
「はーい!」
ああ。今日は夜が浅い。
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