よぞら至上主義クラブ

とのずみ

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本編ー総受けエディションー

15:ゆゆ島よぞらは何処へ行く

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 ポケットの中には、お菓子がふたつ。
 
 俺は、研究棟の屋外階段の段差に腰掛けて、ズボンのポッケから零れ落ちそうになっている個包装をカサカサと突っ込みなおしていた。このお菓子は、虹緒の部屋にあった例の刺激的なお土産だが、こんなもの割れて分裂しても喜びもクソも無い。
 
 3階の踊り場から見える景色は、変わらず白い。

 少しだけ雨脚は弱くなっていて、しと、しと、と静かな音が聞こえていた。風は意外にもさらさらと肌を擽る冷たさで気だるい体にはちょうど良く、ふうと目を細め靡く髪を好きに遊ばせていた。
 
 雨だなあ。風だなあ。

 虹緒先生の部屋から出たものの、晴朗たちは授業中だしどう暇を潰そうか。ひやりとするコンクリートの壁に頭を預け、ぼお、とそんなことを考えていたら、頭に浮かんだのは小学生みたいな感想だった。
 もう少し先生の所に長居してもよかったかなと、何処となく引き留めたそうな先生の顔を思い浮かべるが――いやいやあれ以上居ると絶対挿れられてたに違いない。……ナニをとはいわないが。

「どうしよかなあ」
「どうしましょうかねえ」
「ねえ~………………は?」

 ひとりごとだったはずなのに、俺は何故相槌を打ったのだろう。ゆら、と頭を起こし、声のする方へ振り向くと、
 
「ゆゆ島君、みいつけた」

 ――ニイとチェシャ猫みたいに笑う、飄々とした姿がこちらを見つめていた。
 
「……やほ、探し物は俺ですか~、先輩」

 俺はわしわしと手を振る。気安げに接した彼は、知南風(しらはえ)さんと言って学園の先輩であり今はサブカル研究会という名のエロゲサークルに所属する、ここに来た時に良く会う相手の1人だった。

「ゆゆ島君がいるって聞いてこっちの方きてみたんですが……当たりでしたね」
「え、何すかそれ」

 どこでそんな話がされているのだろうか。噂話がされていた割に出会ったここまで誰とも出会わなかった俺は思わず聞き返してしまう。

「はは、コッチの話。……それにしても」

 愛想のいい笑いをあげ、きゅう、と目を細め口を開いた。

「1人でこんな所にいたら悪い狼に食べられちゃうかもしれませんよ」
「……先輩みたいな?」

 童話みたいな冗談を言う知南風に指を折り曲げ、がおーとポーズをしてみせると面白がるような黒目は線みたい細くなり、クスクスと口から笑い声が零れた。

「ははっ。確かに。なんせゆゆ島君は目立ちますからね……みつけやすい」
 
 笑い上戸みたいに肩を揺らす先輩の指摘に俺は、ですよねーと、ぼりぼり頬を掻いた。外見的な意味で言えば否定できない。この髪色は天然だが、特にこういう場所では思った以上に目立つ。知南風も俺の髪を気に入っているのか、会う度にクセのある言い回しで似合ってますよと褒めてくれた。
 
「あんだけ進学嫌がっていたのにココでも顔を見かける事になるなんて、おかしな後輩ですねえ」

 う゛……。それを言われると何も言えない。2つ上の先輩は、卒業式の悲しみも交えて、笑い話で語る。勉強まで見てもらったのに進学もせず、現在フリーターでふらふらと……ごめんなさい。

「俺だって学生生活も……、たま~になら浸りたいもんなんです。多分。……ずっと勉強すんのは嫌だし、てか卒業出来ない可能性のが高かったくらい俺が馬鹿なの知ってるでしょう」
「あっはは」
「その嘘くさい笑いは同意とみた……どーせ馬鹿ですよ」
「馬鹿で結構?」
「こけこっこー」
「あははは!」

 やっぱり馬鹿にされてるね!
 
 先輩は自分の古いネタに腹を抱えている。細身で襟足長めの、いかにも優男な見た目に反して、知南風は非常に親父クサイ。黙っていればウルフカットが似合うオシャレなメンズなのに、変な丁敬語まじりの会話がチグハグさせて、時代錯誤なジョークに脳が変なバグを起こしそうになる。
 
「まあ僕は、ゆゆ島君がサークルに顔を出してくれたら嬉しいから何でもいいですけど」

 涙が浮かんだのか、目尻を指で拭いながら、裏表無い優しい言葉をくれるのもまた、先輩で。

 誰だってそんなこと言われたら嬉しくならない訳がない。
 
「……――俺も先輩と会えると嬉しいです」

 素直にそう思える。
 頬を緩めながらいうと、先輩はゆっくりと、満足気に見つめ、遊ぶように笑いを返した。

「相変わらず人をたぶらかす天才だ」
「……人聞きの悪いこといわんで下さい」
 
 それを言うなら先輩のほうこそ。そう言い返したが、そういうのがまたかわいいのだと頭を撫でられてしまう。正当に後輩として扱われるとむず痒い。

「嫌そうな顔をするゆゆ島君がね、みたくて意地悪言うつもりだったのに、可愛くて困る」
「……マジで先輩、こう言うの本人以外に言うのやめた方がいいっすよ」
「大丈夫、ゆゆ島君にしかいいませんから」
「……」

 ゲンナリした俺にだがそうはいかんざき。と先輩はネタを振る。

「一緒に悪いことしようか」
「アリスみたいな?」
「ドーナんだろうね」
「ふはっ」

 ブン! と勢いよく打ち返すと同志ならではの小気味いいやり取りが返ってきて俺は我慢できずに噴き出してしまった。箸が転げただけで笑いが止まらない小学生の気分だ。

 今度やり終わったらゲーム貸してくださいとアイコンタクトを送ると、了承の意が返ってきた。
 

    ◇  ◇

 
 立ちっぱなしにさせている事に気付き、「座ります?」とお尻をニジリと動かしスペースを空けた。
 年下の俺ばかりが座っているのは流石に駄目だろう。どうぞと勧めると先輩は頭を少し下げ感謝を述べると、俺の隣へと腰を下ろした。

「失礼……おや、よぞら君の温度を感じますね」

 コンクリートに俺のぬくもりが残っていたのか、さわさわと階段を撫でる様に触る。その手つきがいやらしく見えて、俺はゲンナリした声が出る。

「ヤダこの人ほんと…………そういうのは黙ってて欲しいですね。ほんと。……てか誰かが座った後とか生ぬるくてヤじゃないですか?」

 もう何回この話をしたか分からないが、俺は誰かが座った後のシートとか、自分の布団から出て戻った後の温もりが苦手だ。
 ソフトクリームだと思って食べたら生クリームだった、それくらい違う。あの生ぬるい感覚を思い出して鳥肌が立ってしまい、腕を労わる様にさする。
 人に引っ付くのは何とも思わないのに、不思議なものだ。
 
「よぞら君は子供体温だし、暑がりですよねえ」

 ぴとり、と知南風が俺の摩っていた腕に触れる。
 
「わ、先輩つめたっ」

 確かめる様に触れただけでも、温度差が分かる。だからと言ってどうなる訳でも無いが、違いにちょっと驚いてしまった。

「あはは」

 百面相している俺に手本のような笑い声をあげ、指先が俺の髪に絡む。くるくるといじり始めたので触りやすいように、もう数センチほど先輩に近づき、はいどうぞ、とやりやすい様に頭を差し出すと、糸が緩んだようにふ、と笑いを零した。これだから君は。と相好を崩した先輩は、またくるり、と指を絡ませた。




 
「ああ、そういえば」
 
 そのまま好きにさせ、ぽつり、ぽつり共通の趣味であるゲームの話をしていると何か思い出したのか知南風は声を上げた。

「君は……もう知ってますよね」
「……何のことです?」

 緩く、首を傾げる。既知の話のだと思って切り出したが俺の反応に知南風はおや? と眉を動かし、ややあって1人納得したように頷いた。

「おやおや、なるほど……これは彼も意地悪なことをする」
「……」

 一体、なんなんだ。知っている前提で話され、俺は今も分からずまま煮えきれない気分になる。先輩は、俺が黙り込むと、きょとりと目を見開き、機嫌を損ねたのを慰めるように髪を撫で、知っている名を口にした。
 
「――天の原君」
「え、」
「天の原君、帰ってきたみたいですよ。留学先から」



    ◇  ◇



 全然知らなかった。

 天の原(あまのはら)先輩。
 彼も知南風と同じ学園の先輩で内部生だった。6年通じて良くお世話になっていたが、天の原先輩は卒業後、海外留学して遠くの地へ旅立っていた。
 
 ……――しかし、先輩が?

「……2回目は長いんじゃなかったですっけ?」

 近況報告とか、頻繁に連絡を取り合うとか、そういうのは無かったけど今回の留学は長いと出国前に説明されたのを覚えている。
 
「僕もそう聞いてたんですが、思った以上に早いお帰りで」
「…………」

 先輩も困惑の表情だ。
 そう、なのか。それは嬉しい情報、情報……なのだが……年上の先輩の中では特別親しかっただけに、人伝で聞かされ俺は思ったよりショックを受けた。

「……俺、先輩から連絡来てない」

 ガーンとコミカルに、非常にわかりやすく凹んでいるのを見て、知南風は困ったように笑う。
 
「いや、僕も連絡なんか無かったですから。ホント。アイツは神出鬼没というか、忘れた頃に現れるというか。……大学の人伝みたいなもんで知って、驚きましたよ。ええ。そう落ち込みなさんな。僕も、アイツも院に進むみたいだしすぐ会えますよ」
「……知南風先輩はまだ会ってないんですか?」
「ええ、さっきも言った通り連絡の1つもない。案外おっちょこちょいで気が抜けてるから携帯でも無くしたんじゃないです?」

 おっちょこちょい、なんて大の大人に使うには響きが可愛すぎるけど。年中モノを無くしてるあの人ならあり得そうだ。
 辛気臭く萎れていた俺は先輩の言葉につられて笑ってしまった。

「ふは、そうかもしれません」
「……案外寂しさに耐えきれなくなったのはアチラさんだった、ってね」
「え?」
「いえ、アイツが戻ったらよぞらクンがサークルに来てくれなくなるのが寂しいなって」

 きょとり。
 俺は目をパチリと知南風を見やるが、何でしょう? と首を傾げるだけで特に教えてくれることはなかった。
 
「……先輩が店に来るのと、俺がサークル行くの今も大差無いでしょう」

 寂しいとは言うけれど、だからと言って誘い誘われる回数が増える様なそんな関係では無い。
 可愛がられている実感はあるが。
 
「じゃあこれからは頻度増やしましょうか、週1とか」

 いっぱい指名しますね、と先輩が真面目な顔で言う。
 
「……どこのシャッチョさんですか」
「負けないようにボトルキープしないと」
「――もうヤダこの人」

 呆れて前屈みになり、膝に手を突く。その手に顎を乗せた俺はジト目でため息をつく。

「いつからエロゲ屋はキャバクラになったんです」

 

 
「この後、よぞら君はどうするんです?」
「この後?」
「どうでしょう、よければサークルに寄りませんか?」

 先輩はこの後サークルに顔を出すのか、多分暇なやつがたむろしてると思いますよ。と声をかけてくれた。俺は目をパチパチ瞬いた後、丸めて座っていた体を起こす。悩んでいた所だったので、そう告げる先輩の誘いは魅力的だったが。
 
「ん~……せーく、良崎(ややさき)とか講義終わったら多分俺のこと探すだろうから」

 勿論願ったり叶ったりではあるけれど、今サークルに行くと長居するし、連絡したらせーくん、絶対優先させて俺を見つけにやってくるだろう。

「今日はやめときます」
「そうですか、残念…………。ふ、はは、じゃあ今日は探しに来た僕の一人勝ちってことでサークルの奴らには内緒ですね」

 秘密秘密、と少しだけ眉を下げ、からかうような声色で笑ったかと思うと、
 
「じゃあちょっとだけ……ん、あーんして」

 その音色のまま口を開けてごらん、と囁いた。
 
「? あー……」

 こういう所を馬鹿と言われるのだろう。知南風さんがあまりに普通に、元からそうするみたいな仕草だったので、俺は素直に口を開けて彼の方を見た。
 するとひょいと何か入れられる。次第に、ほんのりと甘さが広がった。

「……んぐ、」
「よしよし」

 美味しい? と訊く先輩。
 
「……む、おいひい。ですけど」

 コロコロとした、飴だ。でも、何で飴なんだろう。思案しながらモゴつかせていたら唇に柔らかい感触がして、吐息と共に飴の甘さがついた箇所を舐められた。
 
「飴あげるっていわれても知らない人についてかないように」
「……」
「言ったでしょう、悪い狼に食べられてしまうかもしれませんねえって」
「……先輩は、猟師じゃない?」

 俺は親指で口の端を拭い、舌先でついた唾液を舐めとる。些細な動きだが、先輩はそれを目で追っていた。
 
「さあねぇ……しーらない」

 赤ずきんを食べる狼か、助けに来た猟師か。
 
 子供心たっぷりの瞳に、俺は先輩のイジワル。と睨め付け、奥歯で飴を噛んだ。

 
    ◇  ◇


 ――カリッ。
 ああ、また。
 
 口に入れられた飴をカラコロと舐める。どうしても、噛んじゃうんだよな。飴。
 
 あの後サークルへ顔を出す知南風(しらはえ)さんと別れ、また1人うろついていた。いや、目的地は決めたのだから彷徨っている訳では無いけれど。若干迷っていたというのが正しいか。

「ここの図書館好きなんだよねえ」

 大学の附属図書館。
 勉強は苦手だが、本は好きだ。気持ち軽めの足取りになってしまうのも致し方ない。一般の人も利用できるので気軽に入れるのも嬉しく、俺はこの場所が気に入っていた。

 自動ドアをくぐり、口元に手を当てどうしようかなあとしばし考える。目的も無いし、今は特に探しているものもない。

 うーん……、と適当に少し奥のコーナーへ棚を覗きに行く。すると――、

「あれ、」

 今は居ないであろう人物がそこにいた。








 
「せーくん」

 何故君がそこに。

「あ、よぞらくん」

 俺の動揺など気にせずな晴朗は朗らかな笑みをこちらに向け、持っていた本を棚に戻した。

「ちょちょ、せーくん、あんた講義はどしたのっ!?」
「しー……」
「う゛ぐっ……、むむ。せーくん」

 声が大きいと注意されたため小声で責め立てると、
 
「サボっちゃった」
「……せーくん」

 堂々と告白された。
 この男最強だな。

「俺、せーくん待とうと思ってここに来たんだけど~?」
「待たなくても連絡してくれればよかったのに」
「そっちこそ」
「よぞらくんは見ないでしょう? 特に外だと」
「……見ませんし、振動も気付きませんね、ええそういやそうでした」
「どうせよぞらくんは、僕が連絡みたらサボって来ちゃうんじゃって思ったんでしょう?」
「せーくんはテレパスかな」
「そうだったらどうする?」
「ぎゅっと抱きしめて欲しいですね……」

 あはは、うふふ、あちちな夏の物語宜しくそう伝えると嬉々としながら抱きしめてくれた。

「以心伝心なダーリンだなあ……」

 怒涛の展開と勢いにほのかな青春の香りを感じていると、くっついていた晴朗が耳元でくんくんと鼻を動かした。
 
「……ん、何だか甘い香りがする」
「あ? あ~、多分飴ちゃんだ」
「誰かに貰ったの?」
「うろついてたら、さっき知南風先輩に会って」

 俺は晴朗に飴を貰ったことを伝える。

「お菓子は貰ったけど、ついて行かなかったのは偉いね」
「馬鹿にしてる?」
「ちょっとね」

 ちょっとしてるのか。む、と俺の眉が寄ると、晴朗はふふと笑いながら寄った眉間をぐりぐりと押し伸ばした。

「いだっ……」
「先輩は元気だった?」
「ぬ、……ああ、いつも通り……――」
「……どうしたのよぞらくん?」

 ふと、知南風が言った、もう1人の先輩の顔が頭をよぎる。元気にしてるかなあ、なんて、心配とかしている訳では無いが一度気になりだすと頭に残り続けるくらいには、天の原の存在は俺の中に居着いていた。
 いつもと違い、歯切れ悪く言い淀む俺を心配気に見つめる。そんな些細な変化に気づく晴朗の綺麗な黒い瞳が、赤い夕焼けの揺らぎに見え、俺は一寸おいて振り払うように首を小さく振った。
 
「いんや、何でもない」

 教える程情報が無いし、今は何となく言うのは憚られた。
 俺は晴朗に知らないふりをして欲しくて、もう一度首を振り、――知らないと誤魔化した。



「お前らは見るたび引っ付いてんな……」
「うお、」
 
 人気のない図書館で背後から声をかけられ振り返ると、なんと日野出までやって来ていた。
 
「日野出までどしたの」
「どうしたのじゃねえだろこんのっ、サボリ」
「い、いだだだだ」

 無慈悲な暴力が俺を襲う。
 
「ふふ、ああ見えて日野出も仲間に入りたーいってさ、よぞらくん」

 よしよしと俺の腕を摩りながら晴朗が日野出の心情を語る。
 
「え、そなの……? ……しょうがにゃいなあ」

 晴朗の腕をそっと外すと、俺は日野出へと近づきぎゅう、と抱きついた。

「ンアー、やっぱ安心する……」
 
 鍛えているのか、体の厚みに差を感じる。こうして彼に触れるのは久しぶりだなあとぎゅうぎゅうしていると、予想外の行動だったのか、当の本人は硬直して動かない……というか、シャツの胸元当たりばかりに目線が集中している気がする。

「日野出?」
 
 彼らしく無い反応に俺は目だけを見上げ様子をと、

「……その首、元……だらしねえのなんとかならないのか」

 日野出は、自分の状況を察すると酷く嫌そうに指摘しながら、目線はたじろぐように彷徨った後、ふい、と横に逸らした。
 どうしたんだろう。俺は頭を下げ、自分の襟元を見る。
 
「伸び伸びのダルルと人はいいますが」
「誰も言ってねえよ」
「いやいや、そうはいいますが……これ気に入ってるからなあ……」

 おかしな口調で言っていたものの飽きて直ぐに戻り、俺は唇を尖らせた。
 ちなみに服を気に入っているのは本当で、同じものを数着持ってる。色んなものを着こなすよりも、好きなのを1着ずっと着続けるのが好きなんだからしょうがないじゃない。

「はあー……。ったくお前は、せめて羽織るものくらい着ろ」

 重いため息と共に片手が俺の顔に伸び、指で目尻をぐに、と伸ばされ強制的に視界が狭まる。
 変な顔とされるがままになっていると、日野出は何か気づいたのか、体が僅かに動きスンと鼻をひくつかせ始めた。目元から耳の辺りを嗅がれ、吐息が擽ったい。捩るように動かし目を微かに開けると丁度離れていこうとした日野出の頬に口がぶつかってしまった。
 
「っうぉ、ごめん」

 音もなく、柔らかい感触だけが唇に残る。
 
「いや……」
 
 向こうも驚いたのか、呆気に取られたように発せられた一言の後、腕は遠慮がちに下へと降りた。

「わり……なんか、甘え匂いがしたから」
「それ、せーくんも言ってた。やっぱり近いとわかるかな? 飴食べてただけなんだけど」
「……飴?」
「そ、もう溶けちゃったけど」

 そう言って「ぇあ」と舌を出すと、見せなくていいと怒られてしまい慌ててしまう。

 自分ではわからなかったが香料と言うのは結構鼻につくんだな。


    ◇  ◇


 結局あれから腹が減っただ何だと日野出がいいだし、俺も俺もと乗っかると、晴朗が決まりだねと後を押し、流れるように学食に行くことになった。3人で道のりを歩く。

「さっき虹緒先生とこでお菓子も食べたけどさ……あれは食べ物じゃない味がした」
「そうなんだ」

 横に並んだ晴朗が俺の言葉に驚いたと相槌を打つと少し前を歩く日の出が、
 
「あの先生のツラで部屋に菓子置いてんのにビックリだよ……」

 ウゲ……と舌を出すように会話に加わった。
 
 虹緒は普段学生との交流も少ないのだろう。植えられた客観的なイメージに、先生も苦労してんなぁと俺は苦い笑みを浮かべる。
 
「あーね……俺も見た時はさ、虹緒先生甘党なのかよってちょいビビったけど……でもそれって旅行の土産だとか、所謂頂き物って奴が行き場を無くして大量に積んであるだけでさ」

 部屋の悲惨さを語る。一目瞭然の好意からの贈り物も多々あったがそれもまとめて放置だった。そのうち勿体無いオバケでそう。
 
「で、よぞらくんはハズレを食べちゃった……と」
「土産物ってなんでああもゲテモノ系出しちゃうかなあ……いや知ってる、知ってるんですけどねインパクトあるとつい買っちゃう購入者の心理を突いてるって」
「ネタになるしね」
「今現状も話題になってるからな……」

 日野出のツッコミに本当だ、と驚く。してやられた。全く、商魂凄まじいと嘆息しつつ俺はポケットの中から――アレを2つ。
 
「そして、これがその噂のお菓子です。……是非どうぞ」
「わあ」
「…………いらねえー」

 デッデデーンと口にした効果音の後、笑う晴朗と、嫌がる日野出へそれぞれ手渡した。


 
 ピークを外した時間帯なのか、食堂は比較的空いていた。日野出は1人早足で着席したかと思うと、

「――ほら席あっためといてやるから、ゆゆ島、買ってこい」

 顎をしゃくって命令した。
 
「横暴! しかも俺人肌くらいにあったまったイス嫌いなんだけど!」
「奢ってやるから早く行ってこい」
「いってきます!」

 喜び勇んで食券機まで駆けて行った。
 

 着いてきてくれた晴朗とメニューを相談する。
 
「よぞらくんは何にする?」
「俺は他人の作る飯なら何でもいい~」

 食券機の前で人差し指を動かしながら答える。誰かが作ったご飯を座して食らうのが1番好き。どれにしようかな。
 
「まあ迷った時は日替わりだよな」

 隣に並んだ晴朗も同じでいいというので3人仲良く同じものを頼み、俺は日野出の分を持って席に着いた。
 


「ああ、うまい……白米もうまいおかずもうまい」
「お前、ほんと美味そうに食うな」
「他人の飯ならなんでもうまい……いや、ごめんウソ、餡かけだけは無かった……」
「……あれか」
「寮のあんかけ、まずかったもんね」

 げんなりする日野出に、僕も苦手だったなあと行儀良く食べながら晴朗も同意する。
 
「おばちゃんには悪いけどあれは餡ではなかった……」

 学生寮の記憶が蘇る。他の料理は美味いのに、何故あの餡の硬さだけ異様だったのだろう。とろみとはなんだったのか……あんかけのダマに哲学的な思いを馳せてしまったが……。

 とろみのことは忘れよう。
 
「寮の、冬だけ食べれる朝の卵かけ御飯は美味しかったなあ」

 夏だと食中毒の恐れがあるので冬だけしか食べられない生卵。
 
「起きれなくて殆ど食べれなかったお前らがよく言うわ」
「ぐうの音も出ない……」

 日野出の言う通り、起きられない俺はせーくんに良く卵を持って帰ってきてもらった。
 持つべきものは親友だ。
 
 白身フライをサクリと頬張る。細目のパン粉がサクサクだ。家だと、コンロの火力が弱いからか揚げ物がカラッと揚げられない。対して学食の揚げ物は揚げたて高温サックサクだ。これは非常に嬉しい。
 揚げ物といえば、学園の、先生とか外部用の食堂のも美味しかったな。カフェテリア風で学生が利用する食堂よりも高級感があるその場所はちょっと近寄り難い雰囲気だったが教師だった叔父によく連れて行ってもらった。

「ゆゆ島、顔が馬鹿みたいになってるぞ」
「ああ、美しく生きたい……って失敬な。味も見た目も大事だけど、それ以上に食感って大事だわ……って思い浸ってたの」

 食感大事。結局それに尽きる。

「馬鹿にした日野出には、亀の甲羅と人間の爪の成分が同じ話をしてやろう。――あれは雨上がり……道路にいた亀の甲羅は車に轢かれ……」
「…………食事中にやめろ」
「細長い内臓が出てたもんね」
「待ってせーくん、話すっ飛ばして落ちド直球やめて!」
「お前が1番ダメージ受けてんじゃねえか……」
「ふふふ」
「日野出助けてえ」

 泣くぐらいなら言うなと、日野出の大きな溜息と共にコロッケを一切れ、泣きつく俺の口へと放り込んだ。

「……おいし」
「……黙って食え」



    ◇  ◇
 


 ちょっと寝たい雨上がり。敷地内にあるルーフの下のベンチで――ひと眠り。
 
 そう言ってよぞらは、ベンチへ横になった。
 
 先に居場所を寝とった友人を見、そして曇り空の明るさに晴朗は両目を細めた。実際は晴れの日の10分の1くらいの光量だが、雲の乱反射で照らされ眩しいほど白さを感じる。そっと、瞼を伏せるとさっきまで見つめていた彼へと移すとそこでも眩しさを実感した。

 背もたれの無いベンチの横から寝入りのいい彼の頭を上げ、自分の太ももに乗せて座った。これくらいでは起きないよぞらは、逆にちょうど良い枕だと頬を寄せいいポジションを探る。
 無意識の行動だが、甘えられていることに仄かな優越感を感じてしまう。無防備な姿を見せてくれるくらいには信頼されている、その現状を確認するように晴朗はその時間を噛み締めた。
 
 物理的な近さから勘違いされるが、晴朗は特別近い位置にいるわけでは無い。
 
 特別。そんなものに意味はないし、何故惹かれるのかだって明確に言葉になんか出来ない。でもそれは誰でもいいわけでも無い。
 毎度誤解され説明に苦心するが、答えを求める気は晴朗にはない。
 
 いっそ情欲で流せてしまえば、良かったのだけれども。

 静かに、流れ落ちるブロンドを梳くように撫でる。よぞらは、すらっとはしているが程々の体格の成人男性だ。デカい男が2人、膝枕。
 両者とも目立つ顔立ちで、ある意味良く知られている。たまに通り過ぎる人がちら、と驚いたように見ては晴朗へ視線が流れ、そして愛想のいい笑みに惚けた。

「毎度気持ちいい寝方だな、ゆゆ島は」
 
 一服が済んだ日野出が戻ってくると彼は等間隔に置かれたベンチの1つへ迷いなく腰を下ろした。自然と目線が下がり、晴朗に膝枕されたよぞらの顔が見えると、気が抜けたように日野出の瞳が柔らかく弛んだ。

「外の昼寝は気持ちいいからね」
 
 肌に感じるそよかぜが心地よくて、つられて寝てしまいそうだと晴朗は夢見心地に笑う。
 
「……そうだな」
 
 日野出は身を乗り出して、よぞらの目元が見えるように髪をかきあげる。目は醒さないものの、閉じられた瞼が微かに震え、頬に指がふれると口元がピクリと動き、また何事も無かったかの様にすう、と寝息が聞こえた。
 
 目を閉じているこの男は、賑やかなようで人見知りのきらいがあるのか、自分からは積極的にコミュニケーションをとらない。なのに知らないところで厄介な奴らと連んでいる。
 
 講義中、よぞらの頭を肩に寄せた時に感じた視線のキツさといったら……。
 無意識なのか、どうなのか。その事実を知る気もない日野出は自嘲する。
 
 全く、無関心なのはよぞら本人だけだ。

 体だけを避けて絹のように流れる風。
 雲の動きがいつもより早く感じるのは、自分たちの時間がゆっくりだからだろうか。
 
「……だらしねえ服」
 
 寝相で、ただでさえダボついたズボンがズレ落ちそうになっている。腰元が露出したのを見かねて、日野出は黙り込んだまま上着をよぞらへと掛けた。

「優しいじゃん」
「……いちいち言うな」
「ふふ、」

 くっついている部分が熱い。晴朗はよぞらの額に光る汗を指の腹で拭った。
 
「よぞらくん体温高いから暑いや」
「……変わってやってもいいけど」

 横目で、何かいいたげな瞳で、日野出はぼそりという。照れて赤くなった首を掻いている彼を晴朗は理解しながら敢えて視線を合わせず、

「――やだよ」

 一言そう言うと、自分の頭を、重みのままに首を傾げ、目を閉じた。
 
 白い空は色を見せ始め、雨上がりの虹が架かる。
 虹に気づくのが先か、眠りから覚めるのが先か。どちらだったのだろうか。
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いじめっこ令息に転生したけど、いじめなかったのに義弟が酷い。

えっしゃー(エミリオ猫)
BL
オレはデニス=アッカー伯爵令息(18才)。成績が悪くて跡継ぎから外された一人息子だ。跡継ぎに養子に来た義弟アルフ(15才)を、グレていじめる令息…の予定だったが、ここが物語の中で、義弟いじめの途中に事故で亡くなる事を思いだした。死にたくないので、優しい兄を目指してるのに、義弟はなかなか義兄上大好き!と言ってくれません。反抗期?思春期かな? そして今日も何故かオレの服が脱げそうです? そんなある日、義弟の親友と出会って…。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

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