よぞら至上主義クラブ

とのずみ

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本編ー総受けエディションー

13:ゆゆ島よぞらは研究室へ行く1

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 2人と別れ、教室を出ると当然ながら虹緒の姿は見えず。まあ待つ訳ないよなあと、俺は迷わず研究棟へと足を向けた。広い大学の中でも来た回数は多い方だ。虹緒の研究室の場所はしっかり覚えており、迷わずたどり着くと目的のドアを小気味良くノックして語尾にハートマークがつきそうな勢いで突撃した。

「にじおせーんせっ」

 すると、虹緒の呆れたようなため息と――もう1つ、可愛らしい女性の視線がこちらへと降り注いだ。

「お、わっ……すみません!」
 
 予期せぬ姿に俺は驚き、つい謝罪の言葉を口にする。彼女も急な展開に目を丸くしてぽかんとした為、自然と見つめ合うことになり、なんとも言い難い空気が流れる。
 こちらも、やらかした事実を俺の頭が理解するまでしばし無言だったが、脳まで行きつくと俺はすぐさまドアノブを握り――、

「失礼しまっ、」
「待ちなさい」

 逃げるように立ち去ろうとする俺へ、先生から静止の声がかかる。
 それがあまりにもいつも通りの、抑揚のない落ち着いた声色だったので俺もドアを閉める寸前で静止して次の指示を待った。

「……」
 
 しかし、虹緒からはそれっきりうんともすんとも無い。ぴたりと、しばらく待っていたものの、ドアが壁になって室内の様子も分からないしどうしたものか。
 相談する人も居ない俺は1人思考をぐるぐるさせ……脳内会議の結果、そおっと、気配を殺しながら室内を覗き見ることにした。

「――、」
 
 小声なため、こちらには内容まで聞こえてこないが、2人は何か話をしているようだった。冷静な虹緒に対して、女性の方は焦っているかのように先生へと詰め寄っているのを見て、なんだかいけない気分になってきた。
 やっぱり覗き見はやめよう。そう思い直し伸ばした首を元に戻すと、タイミングを合わせたかのように誰かが横をすり抜けていった。突然の事に目だけでその様子を追っていたが、肩を叩かれハッと我にかえる。見上げると、虹緒が目の前まで来ており、俺を見て目尻を少し緩めたかと思うと、「すまないな」と自らドアを開けてくれた。
 
 それがあまりに普通で、まるで虹緒の見ている現実は元から第三者の存在等いない、そう言われているみたいだったので、

「……あの子泣いてた感じしましたけど」
 
 あえて俺の方から彼女の話題を振ってみた。煮湯を飲まされたような顔をしていた、とでもいうだろうか。横切る際に涙を見たのも思い出し、告げるが、

「さあ、」

 先生からは気のない返事が一言。そして――
 
「私はゆゆ島が来たかと思って入室を許可し、――しばらく話を聞き、彼女の誘いに対して断っただけに過ぎない、それだけだ」

 個人の感情は本人にしか分からない、それで話は終わりだ。――肩を竦めてそう切り上げると先生は体をずらし、研究室へ入るよう俺の背中を押した。
 

 

 彼女がこの場に存在していたという異常性について、事柔らかに否定した……ある意味いつも通りの先生に呆れた笑いを零しながら中へ入ると虹緒は背後手にドアをカチリと閉め、こちらへとやってきた。
 
「私の授業に出るのは久しぶりじゃないか?」

 先生の質問に俺は首を傾げる。そうだったかな? いやそうだったな。
 ちょこちょこ講義に潜り込んではいたが、大学内で虹緒の顔はとんと見ていない気がする。
 
「そうですね先生……お久しぶりです」

 別の場所ではよく会いますが、とふはふは笑う俺に全く……と先生は軽く溜息をつく。
 
「あの時ゆゆ島の顔を見た時は驚いた……今日は、私の授業に?」
「そ、俺もびっくりしたけど結果的には大成功イエイ」
「フ……」

 子供みたいな表情が可笑しかったのか、虹緒は控えめな声で笑い、俺の頭を軽く撫でた。冷たい、クールだと評されながらも案外スキンシップが好きな先生はこうして良く頭を撫でる。

「さっきの子にもこれくらいしてあげれば良かったのに」
「考えておこう」
「…………うっわー……」

 体のいい日本人特有の断り文句に俺はドン引きだ。

「あーあ……先生に泣かされた女の子はどれくらいいるんだろうなぁ……」

 愛想のカケラも無いと評される先生は、裏を返せばクールで大人っぽいと女子大生が持て囃すもので。実際のところ、ヤってる事ヤってるのかは知らないが、先生の所に遊びに行くとああして泣いている女の子に出会う確率が高かった。

「当の本人はこうして男の面白くもない頭を撫でてるし……」
 
 撫でやすい位置にあるのか、先生は手が頭から離れない。俺はまた1つ女の子に同情した。
 ただ、抵抗しない俺も悪いと言われれば確かにそうだ。抗えない存在に別段悪い気はせず、されるがままになっていると……つ……と指が下へ下へ、顔の輪郭をなぞるように触れた。顎の所で動きが止まり俺は虹緒を見やる。

「……先生?」
「――、いや」

 どうしたのかと訊ねるとハッと気づいた様に目を開き、指はすぐに離れていった。

     ◇  ◇

 立ち話もなんだからこっちへくるといい。そう誘われ俺は、間仕切り代わりのパーテーションにと並べられている棚たちの横を通り、奥へと足を進めるが――
 
「…………、」
「うっわ何コレ……」

 虹緒の声をかき消す様に放たれた俺の声が部屋中に響く。ゴミではない何かが机の上に、そして本や紙類、中身不明のダンボールが所狭しと溢れていて、こういった光景を見るのは慣れてはいるが、やはり雑然とした部屋に毎度口元が引き攣りわかりやすいリアクションをとってしまう。

「相変わらず、せんせーはお片付けが下手っぴだなあ」

 勿論人のことは言えないが。でも、あの先生の見た目につられてここに来たらさぞびっくりするに違いない。俺も初めて訪れたときには唖然としたものだ。
 先生は顔で得してるのに、そういうとこで損してるなぁ……いや、もしかしたらそれさえも素敵、とアドバンテージになっているかもしれない。

「……」
 
 無言で黙り込む虹緒がもの言いたげな視線だけを寄越すのも、きっとモテる秘訣なんだろう。ぐ、イケメンめ。全く、本当にしょうがないなあ。
 
「……今日も、いっちょやりますか」

 笑みをこぼしながら腕まくりを1つ。俺の住処よりも広い室内に羨みながら程々に片づけ始めた。





 
「せんせの部屋は広いなあ……」
「そうか? そんなものだろう」
「うぅ……フリーターの一人暮らしには刺さるセリフ……」

 わざとらしく胸を押さえて呻き声をあげる。
 
「……ゆゆ島は一人暮らしだったのか」
「ん? ああはい、ぼちぼちですけどね」
「バイトはあそこだけか?」
「俺にそんな気力があると思います? てんちょーのとこだけですよ」
「そうか……」
「ソ、だからこそ、ここに来る時間があるんです、……よ、っと」

 掛け声と共に紙の束を作業台代わりのテーブルに乗せる。プリントに印字された数字の羅列を見ながら、いつ見てもちんぷんかんぷんで住む世界が違うなぁとチベットスナギツネみたいな顔で先生を見た。

「バカみたいな顔していると、余計バカに見えるぞ」
「どうせ、知識も知恵も無いですよ」

 虹緒の指摘に、昔叔父である先生に、基礎も応用も解けないなと揶揄われたのを思い出す。あれは周りの友人がなまじ優秀なせいで余計に俺の頭の悪さが目立っただけだ。……多分。
 ぶすくれていると「そういう訳ではない」と頭をぽんぽん、とあやすように叩かれた。
 
「でも……なんかこうしてたら俺、本当に大学生みたいに見えるかも」

 研究室で先生の手伝いをしている今の状況をはたから見ると、もしかしたら違和感なく学生に見えるのではないだろうか。あり得たかもしれない未来を感じ、少しだけ気持ちが上がると胡乱気な目線がこちらへ向いた。

「君はあの店にいる方が自然だと思っていたのか?」
「そりゃあ、せーくん達と同い年だから大学に居る方が自然ですけど……」
「…………」
「だがしかしエロゲ屋にいる俺。これはこれで…………んん、もしかしてこういう意外性って女の子にモテる要素になったりする、とか」
 
 そんなことくだらない呟きをしながらも手は動かす。これはとりあえず一纏めにしてトントン、と揃える。これも残念ながら詳細不明だ。ナンバリングが記されているから沿って並べるだけにして……

「…………」
「……………………」

 俺は無言の圧力に屈し、作業を止めて虹緒の方へ振り返った。
 
「…………いたたまれないからなんか言ってくれませんか……」
「人に話せない意外性なら意味がないだろう」
 
 返事の催促に嘆息しながら、「君は初対面の異性に性的な話をオープンにできるのか?」そう正論を振りかざされ、俺はぐうの音も出ず頷くしかなかった。ギャップ萌えの世界は厳しいな……。
 
「……しかし、意外性だかギャップだとかはさておき、あの店は少々異質だろう」
「異質?」
「見目が良い店員ばかりで気が散って落ち着いて買えもしない」
 
 たしかにそわそわしているお客さんも見かける気がする。
 
「それはせんせも大変ですね……」
「……まあ買うがな」

 買うのか。

 でも彼の言う通りエロゲ屋のくせして、妙に顔面偏差値が高いのは俺も気になる。店長はホストクラブでもやりたいのだろうか……。夢を売る場所という意味では同じだが、客が求めているのはあくまでゲーム内の彼女たちであり、現実のスタッフではない。裏方が目立ちすぎるのはいかがなものかとは俺も思う。

「先生はそれでもよく来てくれますよね」
「それは……あの店に行く目当ては元々……」

 ほんの少し言い淀んだ虹緒に、俺は少し考えてああ、と納得がいくように相槌を打った。

 先生は三大電波ゲーを愛する人間だ。
 彼曰く今日日流行りの作風とは毛色が異なるため、新作では好みの尖り具合に出会えないらしい。そんな愚痴をよく聞いていた。

「エロゲも一期一会……」

 エロゲのペイライン、ヒット作と呼ばれるのが大体1万本と言われているが、実際そこまで売り上げる作品は数少ない。特に流通量が多くないジャンルや、虹緒の好む所謂狂気、猟奇系だと発売時に数百本、残りは売れずワゴン行きの悲しい現実を目にすることも多い。ただ、一部熱狂的なファンによる需要から数年経ってプレミアがつくといったレアケースも比例するように多いのだ。
 更に言えばこの業界、倒産してある日突然ドロンと消えたり、亡くなったりで権利関係の承諾が得られず再販されないことも多い。そういった作品も当然プレミア価格で手の届きにくいものになったりするので益々ユーザーと売り手側のズレが生じていく。大人の事情とは本当に悲しい。
 
「今だと出せないような作品もあるしなあ……」

 あれや、それや、コレ。頭に浮かぶものに全部モザイク修正がかかっていく。
 
「悔しい……せめて俺もあと10歳早く生まれていれば……」
「無茶を言うな」
「うぐぐ…………あ、でも10歳早く生まれてもまだ先生の方が年上ですね」
「……そう、だな……」
 
 そう考えるとびっくりだ。ぱっと脳内のモザイクが霧散して虹緒の顔に移り替わる。
 年齢という壁とあの時手にしていればという後悔が蘇る俺とは反対に、先生は全て解決して、めぼしいものは殆ど入手していた。

「道理で先生に敵わないわけだ。俺も大人の貫禄とお金が欲しー」
「……バカは程々にしなさい」
「またバカって言った」
 
 けらけらと笑う俺に今日で何度言われたかわからないバカが飛んできた。

「しっかし、いざ新しい刺激を探すとなると、中々難儀っすね……」

 先生が現状手に入れていないもので、残るとするならば破格のプレ値がついたディスクか、絶版した関連書籍、あるいは……なんて俺は指折り数えていく。

「……君はいつも楽しそうに話しをするな」
「なんででしょう、でもなんかこういうのって考えるだけでにこりとする、というか……ふは」
「他人事だと思って」
「いつか先生の電波、届くといいですね」
 
 実際他人事なので軽く聞こえてしまうが、割と本心だ。探していれば、いつか目当ての品を見つけられる。
 オマージュも兼ねた俺の言葉に、

「……君には届いたかな」

 先生はこう呟いた。
 逡巡したような、迷いのある音。それに付け足された、君には分からなくても良いという含み。
 
 電波、電波塔。――メッセージ。モチーフとして特定の言葉を呟いたが分かりやすければ別に電波じゃなくても良い。大体どれも異質なものに満ちているようで、その狂気的な周波は安全で、ある種平穏だ。狂う前提の世界観に守られているから誰が何をしようと勝手、なのだ。
 
 側から見れば意味不明な会話の応酬も先生と俺には周波数が合っているから、わかるんだと思う。
 誰だって実はわかる。わかろうとすれば、理解る。
 
「勿論、俺には」

 俺は、いつだって、届くと思う。
 届いていると、思っているから。


    ◇  ◇


 よいしょ、と言われるままに、矢張りよく分からないファイルを棚へ適当に仕舞い、古めのガラス戸をガラガラと閉める。綺麗に閉まり終えると、そこには中途半端に自分の姿が映っていた。
 
「電波系は最新作とかには無い、画面全体に文字がばーっ! と出るのが多くて俺、好きなんですよね」
 
 片づけながらも考えていたのはやっぱりエロゲのことで、俺は先生にだらだらと好みのUIについて語っていた。テキストウインドウが設置されてるのもいいけど、文字が被さるあの方式が好みという話。読みやすさと視認性は下がるかもしれないが、ビジュアルノベルの雰囲気の良さとしては個人的に満点だと思う。
 キャラクターに被る文字まで演出の一部だ。逆にテキストとグラフィックが分割されていれば視覚的な没入感が上がる可能性が高い。
 
「それこそ作品によって変わるから優劣つけらんないんですけどね」
 
 あくまで、俺は、という注釈がつく。

「一見紙芝居などと馬鹿にされるけどビジュアルノベルは読むだけが全てではない」

 他にも音楽から演出から、言うなれば計算された舞台みたいなものだ。そう、先生はいう。

 しかも演出というのは何も感動させるものだけでは無い。
 先生の好きなジャンルの話で言うと、ホラー、グロテスクに寄ったあの作品は怖さの演出が凄かった。
 肢体を洗う仕事と病院、薬物。厳密には存在しないらしい肢体洗いを、リアリティを持たせ臨場感で狂気に染めていく。ライターは実際死体洗いの経験があるからかその描写が凄すぎて俺は1人で風呂に入れなかった。
 あまりに怖いのでOVAのアニメーションに逃げたらこちらはこちらでドラッグ的な狂気さが増していて、逃げ時を逃し、また泣いて、怖くてせーくんに一緒に添い寝してもらった。ゲーム版とはストーリー展開が異なり殆どオリジナルのようなものだったのと主人公に声があるのが、結果として目が離せずガクブルする要因だったのかもしれない。
 だって本編序盤の年上お姉さんとのエッチは最高だなぁなんて見ていたらあれよあれよとグロさが増し、最後の展開は……。

「狂気もあるけどホラー要素が強すぎた……血がぶしゃあ! とかじゃない……いや多少あったけど思ったよりなくてちょっと安心したけど! その分気持ち悪さの方面にぶっとんでたけど!」
「だから言っただろう、やめておきなさいと」
「でもちょっと興奮してしまった自分もいる……怖かったけど!」

 どのシーンとは言わないが。
 こういうグロ系って、エロ要素などいらないのではないかと始めは思うのが、最後にはやはりエロゲにエロは必要不可欠だなと思考が行きつく……そんな行ったり来たりの感覚が腹の中でぐるぐるしてしまう。

「……先生は怖いの見たりしても平気で風呂とか入れるんですか」

 悲しさとか、不甲斐なさじゃない、ただ猟奇的で困惑させる後味が凄かった。それを思い出し、涙が出ている訳では無いがついつい鼻をスンと啜ってしまった。

「……」

 虹緒はそれに答えず、俺ばかりやいのやいのと騒いでいるのをただ見つめていた。反応が返ってこないのが段々と気恥ずかしくなりたじろぎ始めたところで、ぼおっとしている先生に気づき、覗き込むように近づくと、彼はぎくりとした後に咳払いを1つして。

「――……、いや、」
「せんせ?」
「ん……、あまり……」
「?」
「……他でそう言う発言はしないように」

 ぽかんとした俺の顔に虹緒は、また1つコホン、とわざとらしく咳をした。

 
 

 あれから何故か先生が妙にやる気を出し、テキパキと片付けは進んだ。出来るなら人にやらせないでほしい――と心の中で思いつつ、あとは応接用のソファーの前にあるテーブルの上だけになった。
 
「せんせ、どったのこれ」
「知らん」
「知らんってあんた……」
「――あんた?」
「すみません、――先生。でも机に置いているってことはせんせのじゃないの?」

 まあ正しくは先生では無いのだが……変に言葉遣いの厳しい虹緒へ、俺は一応呼び名れている敬称で言い直し、改めて長方形のソファーテーブルを見た。
 
「お菓子、これもお菓子あれも……おかし」

 オカシのオンパレードだ。土産物みたいなチープさが際立つ物から並ばないと手に入らないようなラッピングのされた、恐らく焼き菓子が入っているであろうブリキ缶まで。多種多様、色んな食べ物が置いてある。

「勝手に置いて行ったんだろう」
「でもこれ、メッセージ付きの贈り物ですよ? 絶対先生に渡したかったと思いますけど」

 いいのかなあ。俺はこれとか、あれとか、と無遠慮に包みを取り上げてくるくる見回す。

「……気持ちが見えないのも厄介だが、形として存在するとそれはそれで迷惑なものだ」

 悩みの種なのか、虹緒は額を押さえて重々しい声を出した。それを翻訳するとつまるところ――。

「……つまり、邪魔ってこと……」

 ……人間関係面倒クソ喰らえだ。そう呟かれたセリフで、俺はそうだこの人こういう人だったと再認識する。面と向かって口に出さないだけマシだが、恨みを買いそうな言葉もかまわずバンバンと飛び出してくる。

「大体、勉強以外でここに来る奴の気がしれん……大学をなんだと思っているんだ」
「先生は顔がいいしクールだって、こないだ講義前に女の子が噂してましたよ」

 いつだったか隣で話したミユキちゃんが言ってた。と思う。そう虹緒へ伝えると、
 
「……それは君の知り合いか」

 しばし無言の後、探るような目でゆっくりと訊いてきた。
 一瞬何のことがわからず目を瞬かせていたが、ああ、と理解し、うーんと顎に手を当て、ミユキちゃんミユキちゃん……、と脳内で反芻する。

「や、全然知らない子っす」
「……そうか、ならいいが……――それなら尚更くだらない」

 俺の返答に僅かに眉間の皺を緩めるが、すぐに嫌気がさしたとばかりに第三者の発言を切り捨てた。
 不機嫌そうな彼をみて、事実なんだけどなぁ、と俺は苦笑する。

 ――年上で落ち着いた雰囲気に涼しい切れ長の目元。実直冷静、頭脳明晰。
 そう言う分かりやすいカッコよさは若い女性の格好の的だろう。
 
「……君もか?」
「? ……え、」
「…………ゆゆ島から見ても、私はそう見えるか、と聞いている」

 先生を羨んでいると、どこか真剣な顔をして虹緒が再度訊ねてきた。珍しく歯切れの悪い言い方に俺は口をもたつかせていると、妙な間を取り繕うように短く「忘れてくれ」と言い、その話を切り上げるように「とりあえず座りなさい」と席を勧められた。

 
    ◇  ◇ 

 
 ソファーに浅く腰掛けると目線が下がって、テーブルのお菓子の山へと自然に向く。何気なく見ていたら、食べてもいいぞと虹緒の声が頭上から聞こえた。

「先生は――」

 どうします? と見上げると。

「食べると思うか?」
「いいえ、まったく」

 予定調和の展開にブンブンと俺は首を振った。
 まあそうだろう。食べないからこうして山盛りになっている。

「じゃあどれでも食べちゃってもいいですよね?」
「……好きにすればいい」
「やたっ」

 うわラッキー! お許しも出たので俺は近くの箱に早速手を伸ばし、その中から1つ選ぶと、ピと包みを破り開ける。個包装から茶色いお菓子を手に取りパクリと口に入れると……――次の瞬間、俺は過去の俺を殴りたくなった。

「…………~~~~っ! うっわ何これ………………まっっっず………………」

 突然のダメージと時間差で襲う味のコンボに、う゛う゛と呻きながら口を押さえ、……そこから、何とか飲み込むことに成功した。ロシアンルーレットみたいな辛い、痺れるとか罰ゲーム的な不味さじゃなくて、根本的に違う。殺意しか感じない。
 俺の様子を見兼ねてか、先生が備え付けの小型冷蔵庫からペットボトルを差し出してくれた。そのお茶を息つく間もなくガーッと流し込み……やっと危機を脱した。この場で吐き出さなかっただけ偉いぞ、俺。

「…………死ぬかと思った……」

 死んだ事は無いが、今この状態で表す一言はこれしかないだろう。
 
 適当に選んだお菓子なのに普通どころか……食べ物の味がしなかった。いや、ていうか不味すぎるだろ。実は石鹸だったりするのか、エトセトラエトセトラ……。うっかり全てを疑い始めてしまい疑心暗鬼になりそうだ。

「……あーこれは仕方がないな」

 虹緒は、俺の手の内にあるパッケージをひょい、と取りあげると冷静に眺め納得するように呟いた。

「う゛う゛う゛……」
「軽率に口にするからだろう」
「だっで……」

 不味すぎて呂律が回らない。
 口の中にしまっておけないため乾かすように「んべ」と、感覚がおかしくなった舌を出す。

「……」
「……へんへ?」
「――いや、何でもない。大丈夫か」

 不憫に思ったのか虹緒が俺のすぐそばまでやってきてしゃがみこみ、背中をいたわる様に摩る。その手があまりに暖かいので、思わず先生の肩になつくようにそばへ寄りかかってしまった。辛い時の手の暖かさは異常に効くなあと、ごろごろのどを鳴らしそうにしている気分でいると。

「…………そういえば、今日の講義、居眠りをしていたね」

 思い出した様に淡々と語り掛ける虹緒に、俺はギクリと肩を揺らす。……居眠りしっかりバレてら。

「あの時寄りかかっていた……あれは君の友人か?」
 
 アレ、というのはきっと日野出の事だろう。俺は答える代わりにコクリと頷く。

「……その割には、随分こちらを見る目がきつかったが、……」
「……?」

 何処か、トゲのある声色に、頭を少し持ち上げ様子を窺うと、こちらを見ていた虹緒と視線が絡んだ後、ふっと彼の目元が細まった。

「――、」

 ちゅ、と唇を軽く押し当てられ、そっと離れていく。

「苦いな……」

 苦い? ああ、……そうかキスをしたからか。虹緒が苦いと漏らした意味を理解し、気づいた時には俺の顎は長い指に掴まれていて、再度柔らかいものが触れていた。

「ん、っ…………ぅ、」

 舌が俺の唇を湿らせるように舐め、レロ、と抉じ開けるように入り込んだ。唾液がじわり、と滲み出る。
 あ、とも……う、とも言えない間に虹緒の舌は顔の角度を微妙に変えながら俺の舌先と擦り合わさり、「やっぱりひどい味だな」とやや細めの神経質そうな眉を顰めながら離れていった。

「――キスも、セックスも相手が居てこそ成立するだろう」
 
 虹緒は指を絡める様に俺の手の甲を握り込む。

「嫌ではないか?」

 男らしい指先が皮膚の感触を確かめるようになぞりながら、そう問う。
 
「……」
 
 苦味が和らぎ、俺は自分の舌で舐められた唇を触れ、歯形がつかない程度に噛みしめる。隣の男は、冷静にこちらを見つめている。なのに俺はその吐く息の近さに、視線の熱さに、――狂気性の話が反芻する。狂う世界観があるからこそ、ケレン味のある世界は成立するというアレだ。
 
 狂っていないという異常性を説くのは存外難しい。
 
 何が嫌かは単純で明快だ。だが、だからこそ、複雑に考えてしまう。

「……先生の、喉仏、動いてる」

 そう答えると、先生は俺の手の甲を親指から小指まで覆い被せるように上から強く握り締めた。

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