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悠行

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七月二十五日
 店を閉めるとおっちゃんは友達と飲みに行くからと言って、私に千二百円渡した。
「ここから広場へ行く途中の道に『楽園亭』というラーメン屋がある。これで十分足りるはずだからセロと食べてきてくれ。美味しいから一度食べさせてやろうと思っていたんだ」
「へぇ、そんなに?」
「わしの焼きそばについで上手いぞ」
 おっちゃんが海の家で出す焼きそばはめちゃくちゃ美味しい。焼きそば屋を開いても売れること間違いなしの味だ。ソースの量や焼き加減、麺の太さでここまで変わるのだと思うと、焼きそばの奥の深さを感じる。それに次ぐラーメンは、かなりのものなのだろう。
「場所わかるかなぁ」
「分かるだろう。少なくともセロ君はこの町の子だから分かる筈だ。暗くて危なそうだったらそこで漫画でも読んで待ってろ。どうせ寄るから一緒に帰る」
「はい」
 おっちゃんが出て行ってすぐ私とセロ君は外に出た。ドアのカギわ閉めながら言う。
「ラーメン食べるんだって」
「聞いた。楽園亭でしょ」
 靴を十分に履けていなかったらしく踵をトントン、と砂浜にぶつけながら答える。靴が履けたのを見て私は歩き出した。
「セロ君食べたことある?」
「あるよ。すっごくおいしいんだ」
 セロ君のすっごく、には美味しいという気持ちがよく表れていた。
「へぇー楽しみ」
 上を向いて空を見ながら呟いた。さっき日が暮れたので、電灯が何回か点滅してからぱっと点いた。犬を散歩させているおばさんがいる。ちょうど真下で電気がついたので上を見上げていた。
「とーこおねーちゃん」
「ん?」
「セロ君って君付けで呼ぶのやめて欲しい」
「え、なんで?」
 私はおじさんにセロ君のことを話されて以来、彼=セロ君、という公式が頭の中で出来上がっていたから突然の申し出にかなり驚いた。
「嫌だった?」
「なんていうか・・うん、嫌だ」
 語尾のはっきりした言い方になんだかさらに驚いた私は、何も考えず、
「別にいいじゃん」
 と返してしまった。
「嫌なんだもん」
「なんでよ。セロ君でしょ」
「セロって呼んでほしい」
「だから、なんで?君ってつけた方が丁寧じゃんか」
 私は自分の意思に反して自分の声が怒っていることに気付いてその時びっくりしていた。しかしセロ君は気にせず続けた。
「セロ君っていう言い方は悲しい音がする。誰がどうぼくを呼ぼうと、セロ君は悲しい。悲しいんだ」
 いつもと同じ声でセロ君は言った。
 悲しい、という言葉の意味が私には分からない。そりゃあこっちだって義務教育を九年間受けたのだから意味は知ってる。泣きたくなるような気持ち、嘆く気持ちだ。でも分からない。セロ君の言う悲しみの意味は分からなかった。
 分からないならどうするか。一つは分かるまで追求すること。そしてもう一つは、
「分かった分かった。セロって呼ぶって」
 とりあえず受け入れること。
「うん。セロって呼んで。とーこおねーちゃんはとーこおねーちゃんでいい?」
「別に何でもいいよ」
「じゃあとーこおねーちゃんね」
 にこにこしながら言うセロには、セロの悲しみなど全く見えなかった。私は困惑した。
「ところで、そのセロ、ってどんな漢字?」
「うん?」
「まさかカタカナ、ひらがなじゃないでしょ、セロって名前」
「うん。確かおじいちゃんが名前ぐらいはって教えてくれたんだけど、セは浅瀬の瀬、ロは道路の路だって」
「瀬、路、か・・」
 空中に指で字を書くように意味を考えた。なんだかよく考えられているような雰囲気の名前だ。
「どういう意味?」
「さぁ。お母さんに聞かないとね」
「知らないんかー」
「とーこおねーちゃんのとうこ、は?」
「とうは透明の透。お母さんは明子っていうんだけど、明るい子って書くんだ。あ、透明の字、分かる?」
「とう、を知らないけど、明るいとめいは一緒でしょ」
「そう。多分そこからとったんじゃないかなぁ」
「こ、は子供の子?」
「うん。まぁそれしかないでしょう」
 そう答えて角を曲がると、「楽園亭」と看板が見えた。
「あっあれ?」
 指さして聞くと、うん、と頷いた。
 店に入ると、いらっしゃい!と言って満面の笑顔のおばさんが奥から出てきた。他のお客さんはいないらしい。
「あーあれでしょう、椿木さんとこの」
「そうです」
「と、セロ。元気にしてる?」
 セロはおっちゃんの言葉通り、相当可愛がられているらしい。
「うん。かなり」
 セロの言葉におばさんは「そうなのね―良かったわ」と言い、「ラーメン二つね?」と確認して調理場へ入って行った。私とセロは調理場の前のカウンターに座る。
 ラーメンをちゃちゃっと茹でながら、おばさんは話しかけてきた。
「名前はなんていうの?」
「透子です。」
「どんな字?陶器の陶?」
「いえ、透明の透です」
「あーなるほどねー。おばちゃんは藤子(ふじこ)っていう名前。藤は草花の藤でね」
「へぇー」
「それにしてもこの店の名前、楽園亭ってセンス悪いと思わない?」
「そうですか?」
「ラーメン屋っぽいよ」
「そうかしらー。三十年ぐらい前にうちの旦那がつけたのよ。でも私はあんまり好きじゃないわー。センス悪いのよ。ラーメンの味だって私がやってるからおいしいのよ。旦那に食べさせたら何でもおいしいっていうもの」
「はぁ・・」
「でもおじさんいい人だよ」
「人はいいんだけどね。今日も飲みに行っちゃうし。あ、椿木さんらと行ってるんだっけ。」
 喋っている間にもおばさんは手際よく作っていき、「はいよ、出来上がり」と言ってセロと私の前にどんぶりを置いた。
 こってりとした味のスープに、太麺だ。セロとおっちゃんの評判もあって、期待が高まる。私はおなかがすいていたのでお箸をとってすぐに食べ始めた。
「お、いい食い付き」
 そんな私を見ておばさんはころころと笑った。
 味はかなり美味しい方だった。何口か食べて、私は思わず、
「美味しい!」
 と叫んだ。セロもスープを凝視しながら食べていた。
「そうかいそうかい。嬉しいねー」
「すごく美味しいです。すごいです」
 そう言って私はまた食べるのに集中した。
 チャーシューを食べながら、ふと突然私はセロのさっきの言葉を思い出した。
『さぁ。お母さんに聞かないとね』
 おっちゃんはセロのことを、確かそう、『身寄りのない子供』と言っていた。つまり私はセロに聞いてほしくないことを聞いちゃったんじゃないか。もしかしたらセロ君、と呼んでほしくないのもそういう感じの理由かもしれない。私には分からないけれど。
 セロは気にしていないようだったので、私も気にせず食べた。さすがに多いのかセロが少し残した分のラーメンも、平らげた。そんな私を見てセロは目を丸くし、おばさんは「威勢がいいねぇ」とまたころころと笑ったのだった。
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