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最終章 『歩いてきた道程を』
101.『それぞれの場所へ』
しおりを挟む吹き抜ける風を遮るものはなく、見上げるほどの建造物の群れなんてまるで最初から存在しなかったように、広大な草原が広がっている。
確かにあったはずのセドニーシティは消えてしまった。
そして、俺を焦燥に駆り立てる要因がもうひとつ。
草原の至るところに横たえる、人々の群れだ。
少なくない数の人たちが、揺れる草を押さえつけるように寝そべっていた。
「な、この人たちは――」
どこから現れたのか。
一番近くで臥す男性に駆け寄り、脈を探る。
生きている。
見れば、見渡す限りに散在する人々の誰もが、その意識を失っているようだった。
あまりにも不可解な状況に、俺は大きく息を吐く。
セドニーシティは消え、その場所に草原が広がり、つい先ほどまでは確実に存在しなかった人々の群れが見渡す限りに横たわっている。
整理するなら、きっとこれは――、
「結界を壊したから、とかか……?」
魔王が悪さをしていたと、そう捉えるのが自然か。
幸いと言っていいものか、今のところ死人は見当たらない。
彼らは眠っているだけで、いずれは目を覚ますだろう。
その点だけで言えば最悪の事態は避けられたと表していい。
問題は、彼らの正体だが――、
「この人……」
その中に見覚えのある顔を見つけたことをきっかけに、段々と明瞭になってきた。
彼はセドニーシティで青果店を営んでいた男性だ。俺たちも何度か利用したことがあるので、その顔は知っていた。
それを皮切りに、タマユラとルリも声を上げる。
「この方は、近衛兵ですね。一度任を共にしたことがあります」
「……あ、この人、冒険者ギルドで見たことある」
行方が知れなかったセドニーシティの民、その行き先は判明した。
その結果と言うべきか、まさかセドニーシティの行方が知れなくなるとは思いもしなかったが、ともかく――、
「みんな無事なら、よかった……」
力が抜ける。
正直なところ、俺が一番気にしてたところと言えば、魔王の生死よりも街のみんなの安否だった。
街はなくなってしまっても、全てが失われたわけじゃないのなら、俺たちの戦いにも意味が見出せるものだ。
その後タマユラやルリと話し合った結果、草原を埋めつくしていたモンスターの群れも、何らかの要因でその全てが消え去ったと結論づけた。
タマユラの感知スキルに一切の反応がなく、目視でもただの1体たりとも見つからなかったことから、そう判断した。
「しかし……これだけの難民が生まれたとなると、また別の懸念が浮かびますね」
冷静に物事を捉えるのは、タマユラだ。
ひとまずは民の無事が確認された安堵に浸り、その後は表情を変えた。
彼女が思うのは、今後の話だ。
突然に故郷を失った彼らが生きていく、その術を編み出さなければならない。
「たしかにな……とにかく、まずは食料と水が必要だ」
「……あと、ずっとここにいたら危険。今までは街に結界が張ってあったから、モンスターも入ってこなかったけど……」
辺りを見渡す。
相変わらず、ただの草原だった。
「ここじゃ、いつモンスターに襲われるかも分からないよな……」
「近郊のモンスターはほぼ狩り尽くされているので、差し迫って危険というわけではありませんが……万が一がありますからね」
俺とタマユラの言葉に、ルリが頷く。
それから、避けては通れない問題がひとつある。
人は、腹が減るのだ。
「セドニーシティの人口って、どれくらいいるんだっけ」
「正確な数は私にもわかりかねるところですが……凡そ、20万から25万といったところでしょう」
25万人に食料を行き渡らせるには、一体どれほどの数が必要なのか。
まぁ、1回の食事につき25万食だよな。
一日3回食べるとして、日に75万食だ。
「そんな量、用意できるか……?」
「王都に支援を求めるしかないでしょうね。しかし……これだけの数ともなると、住居までは期待できないと思います」
考えるべきところは多い。
だが、俺たちの手が届く範囲は狭い。
だからこそ、他の誰かを頼るのが正解なのだ。
――俺は、俺のできることをやろう。
「――【神域結界陣】」
今回の対象は、【モンスター】から【セドニーシティだった場所に存在する人間】だ。
大分曖昧な条件指定だが、俺の魔力の減り具合から察するに、しっかりと効力は働いているはず。
なんせ、今回は25万人を守る結界だ。張り切らないと、魔力の枯渇もありえる。
そう気合を入れていると――、
「……ヒスイの魔力って、なんか、気持ち悪い」
「え!?」
暴言だ。
暴言を吐かれた。
ルリに背中から刺されたのだ。
その事実は想像を遥かに上回るダメージを俺に与えた。
そんな俺の様子を見て、ルリは焦ったように俺の胸を撫でる。
「あ、ちがうちがう。気持ち悪いって、別にヒスイが生理的に受け付けないとかじゃなくて……」
「ルリの言葉選びは切れ味が鋭すぎますが……言わんとしていることはわかります。なんとなく、違和感があるんですよね」
「違和感って……?」
「以前、ヒスイの結界のことを神聖術と類似している、なんて言いましたが……本物の神聖術をこの目で見て、それとも違うな、と。普通の魔法と相違点があるのは間違いないのですが」
なんて小難しいことを言っているタマユラではあるが、心当たりでいえばひとつ。
もう思い出したくもないのに、事ある事に脳裏を埋め尽くす理不尽の象徴――例の神がなんかやったんだろう。
この世の理不尽と違和感は、大体それで説明がつく。
そう思えば便利なヤツだ。責任を全部押し付けられる。関わり合いにはなりたくないが。
ともかく、俺の魔力については一旦それで納得するとして、だ。
「あの神聖術はなんだったんだろうな」
「魔王を封じ込めていた、といったところでしょうか。魔王と交戦し、私たちの記憶から居場所をなくされた者が、神聖術の使い手だったのかもしれませんね」
E級だった時代を含め、俺も割と長いこと冒険者をやってきた。
その中で神聖術というものの存在は知らなかったし、当然セドニーシティにその使い手がいるなんて話、一度も聞いたことがない。
でも、それも魔王の能力なのだろう。
人々の記憶から消えれば、存在が消えることと同じなのだから。
「さて……私は王都に向かおうと思います。速やかに報告する必要がありそうですから」
「俺はこの街……この場所に残るよ。いざという時、戦えるヤツがいるだろうし」
といっても、【神域結界陣】の効力が続く限り、彼らに危害を加えられるモンスターはいないと思うが。
しかし、危害を加えるのはモンスターだけとは限らないわけで。
目を覚まして故郷を失ったことを知る彼らの心情を思えば、寄り添える人間が要るだろう。
なんて、それは俺よりもタマユラの領分な気もするが――、
「ヒスイは既に、セドニーシティの民にとって大きな希望となっていますよ。私よりも適任です」
タマユラからのお墨付きをもらい、俺はここに留まることとなった。
必死にやってきたつもりではあったが、届かなかった経験も多い。
自分で自分のことが見えなくなってきた頃に、こうして言葉をかけてくれる仲間の存在というのは、本当に尊いものだ。
そして残されたルリの選択だが、
「……支援は多い方がいい。私はグローシティに行く」
「……意外でした。ルリはヒスイといるものかと」
「……そりゃ、いたいけど」
かつてルリが拠点にしていた街、俺にとっては始まりと終わりの街、グローシティに向かうと言った。
冷静に考えてみれば、眠っている彼らの受け皿として、王都だけというのは心もとない。
将来的な話をすれば、彼らは王国の各地に移住することになるだろう。
だったら、その筆頭候補であるグローシティには早急に話を通しておいて損はない。
ルリの判断力と冷静さたるや、やはりS級、頼りになる。
「……じゃあ」
「一旦、別行動ですね」
「……ああ、そうだね」
3人でお互いを見つめ合い、笑みを交換する。
思えば、3人でパーティを組んでから、こうして離れるのは初めてのこと。
ルリとタマユラのことだ。
心配なんてないし、きっと俺よりもずっと上手くやってくれる。
俺はこの街の人たちを守りながら、彼女たちの帰りを待てばいい。
なのに妙な名残惜しさを感じて、後ろ髪を引かれる思いだった。
しかし、事態が事態なのだ。そんなことを言ってはいられない。
俺はすぐに振り切り、改めて笑った。
「じゃあ、待ってるから。ふたりとも気をつけてね」
「任せてください。ヒスイも……まぁ、ヒスイなら大丈夫でしょう。期待しています」
「……帰ってきたら、いっぱい甘やかしてもらうからね」
そうして俺たちは背を向け、歩き出した。
それぞれがそれぞれの場所へ、同じ目的のために。
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