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最終章 『歩いてきた道程を』

100.『小さな大魔法使い』

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 セドニーシティを襲った大災、その顛末は、魔王の死を持って終わるはずだった。
 街はこんなになってしまったけど、それでも苦渋の勝利を掴み取った、そのはずだった。

 ――しかし、眼前に広がる景色からは、そんな軽い言葉が出てくるはずもない。

「100体、では済まなそうですね」

 その瞳に影を落とし、腰の剣に手を当てるのはタマユラだ。
 鋭い視線の先には、気が遠くなる数のモンスターたちがひしめいている。

「……負けることはないと思う。でも、キリがない」

 俺の背中を2回ほど叩き、屈ませてから地面に降り立つルリは、魔杖を握りしめて言った。

「そうですね。見えている数に収まるとも思えません。それに――」

 足音を鳴らして数歩、門をくぐり抜ける一歩手前のところで、タマユラは空中を叩く。

「出られないということは、攻められないということです。幸い、こちらに興味を向けているモンスターはいないようですが……」

 ――結界。
 街を覆うそれは、恐らく魔王が遺した置き土産だ。

 俺たちをここに縛り付けておくためのもの、だろうか。
 魔王軍が何らかの計画を進めるための時間稼ぎ、とか。

 どちらにせよ――、

「このままこの街に留まっておくのはマズそうだな。この街の人たちも探して、安全な場所に届けないといけない」

「この結界、ヒスイならなんとか出来ますか?」

「うーん……」

 記憶している限り、結界破りのスキルや魔法は持っていなかったはず。

 しかし、俺には【万物の慈悲を賜う者】がある。
 こいつは出来る子で、例えば絶対に勝てない敵から勝利をもぎ取るためのスキルを授けてくれたり、突然上空に放り出された時に重力を操作するスキルを授けてくれた実績がある。

 大袈裟でもなんでもなく、このスキルがなかったら俺は何度も死んでいた。
 今回も出番に違いない。

「どうしたのですか、ヒスイ。手なんて合わせて」

「どうって、願ってるんだよ」

「……なるほど。神頼みもいいですが、天命を待つ前に人事を尽くすことが必要かと思いますよ」

 怒られた。
 違うって。俺にとってはこれも人事なの。
 っていうか、タマユラは俺のスキルのこと知ってなかったっけ? お茶目さんですか?

 しかし、現状を打破するためのスキルを授からなければ、俺はただ祈っただけの男になる。
 俺が祈る相手は【万物の慈悲を賜う者】であり神ではないにしろ、なんとなくそれは嫌だった。

 ――だから、祈った。

「――――」

「……ヒスイ。あまりこういうことを言うのは本意ではないのですが」

「わかった、やめるから言わないで! 多分傷つくから!」

「ヒスイが傷つくことなんて言いませんよ」

 そうは言うものの、タマユラの目つきがいつもと違うのは、俺の目から見ても確かだった。
 たしかに、怒っているわけではないと思う。
 これは、あれだ。

 保護者の目つきだ。
 俺のことを、守らなければいけない存在だと思っている目だ。

 そんなに頼りないところ見せたかな。見せたな。
 かなり情けないところを見せてしまったな。
 なら、当然か。

 いや、そんなことはいい。
 そんなことよりも、この結界をどうするかという話だ。

【万物の慈悲を賜う者】が役に立たないなら、俺にはどうにも出来ないのではないか。
 だが、それではダメなのだ。
 すぐにでもこの街から出て、まずは消えた人々の行方を明らかにする必要がある。

 本当は休息のひとつでも入れるはずだったが、状況が変わった。
 街の外をおびただしいほどのモンスターが闊歩している今、安全な場所などないだろう。

 なんとか出来なくても、なんとかする。
 そのための手段なら、惜しまない。

「最悪、全力で斬れば結界だって――」

「……ヒスイはもうちょっと、私を頼るべき」

「――! ルリ、なんとかできるのか!?」

 声の方向に振り向くと、頬を膨らませてジト目を向けるルリの姿が目に映る。
 この規模の結界、それも術者が魔王ともなると、俺の持つスキルや知識では太刀打ちができなかった。
 経験と知識が豊富なタマユラでも、この結界を解除する手段に心当たりはないらしい。

 しかしルリだけは、得意気に薄い胸を叩いて――、

「……私を誰だと思ってるの? ヒスイなんて、魔法の知識じゃお子ちゃまだよ」

「……やっぱりちびっ子扱いされるの、気にしてた?」

「…………」

 意趣返しだった。俺は謝り倒した。
 ルリは苦笑を見せながらも許してくれた。
 それはともかく、彼女はこの結界をこう評した。

「……たぶん、構造自体は単純。大がかりなだけで、そんなに難しい術式じゃない」

 結界に触れながら、ルリはその構造を解析する。

 聞くに、結界というのは魔法の延長らしい。
 というのは、よく考えてみれば俺の【神域結界陣】がスキルではなく、魔法である事実からも察しはつく。

 ルリのルリたる領域はこの先で、魔法である以上、知識を用いて無効化することが可能だという。
 そんなの、知識ではなく感覚で魔法を使っている俺にはできない。

「ルリはすごいな……」

「……でしょ」

「ルリはすごいですね」

「でしょ――ちょっと待って。なんかムズムズする」

 俺に続き、タマユラもルリの巧手を褒める。
 一度素直に受け取りつつも、彼女は困ったような顔を見せた。照れているのだろうか。

 さて、ルリ曰く。

「……結界は、文字を書く感覚に似てる。条件に合わせて魔力を編む」

「【神域結界陣】では、そんな感覚はないような気がするな」

「……あれはよくわかんない。っていうか、結界なのかすら怪しい」

「そうなの!?」

 衝撃の事実。
 俺の結界、結界じゃないかもしれないらしい。

 というか、大魔法使いルリさんを持ってして『よくわかんない』と言わしめる【神域結界陣】、下手したら魔法ですらない可能性もあるのではないだろうか。
 タマユラも、あれは神聖術に近いと言っていたし。

 冷静に考えれば、よくわかんないものをよくわかんないまま使ってる俺、ちょっと胡座をかきすぎかもしれない。

「勉強しよ……」

「それで、結界の解き方というのは?」

「……対になる魔力を編んであげればいい。複雑な結界ほどそれが難しいんだけど、例えば――」

 ルリが一瞬、その小さな手のひらに魔力を込めると、音を立てて空に亀裂が生まれる。
 瞬く間にそれは広がっていき、ついに街を覆い尽くして――、

「――こんな簡単な結界なら、崩すのに5分もかからない」

 ――あっという間に崩れ去った結界の残滓が、光の破片となって降る。
 キラキラ、キラキラと――煌めくルリの姿はとても綺麗で、俺はゆくりなく、改めて彼女に惹かれてしまったのだった。

「……そんなに熱い視線で見つめないで。照れる」

「そんな視線をルリに向けていたのですか。妬けます」

 二方向から浴びせられた言葉から顔を隠したい衝動を誤魔化すように、俺は大声をあげた。

「よし、とりあえずあいつらを倒そう!」

「そうですね。ルリ、お疲れ様でした」

「……多勢相手なら、まだ私の出番だよ」

 敵はすぐに終わる数ではないが、とにかく倒し続けるしかない。
 最低限、この街をこれ以上蹂躙させないためにも、全てのモンスターを倒し切る気概で挑むのだ。

 ルリもいる。タマユラもいる。
 よし、いける。

 戦闘準備。
 心を戦いに向け、地面を蹴った。

「あれ」

 地面を蹴って、門から飛び出したところで、まるで世界が反転したような違和感に苛まれ、視界が黒く染まった。



 気がついた時には、俺は爽やかな風が吹き抜ける草原の中にいた。
 当然の違和感と、妙な安心感に挟まれ、目的さえも忘却する。

 そうだ、俺はモンスターを倒さなければならない。
 大量のモンスターを、そう、あれだけ大量の――。

「……モンスター、どこだ?」

 視界を埋め尽くすほどの群れは、元からそんなもの存在しなかったかのように、ただの1体たりともそこにはなかった。
 
「ここは……」

 呟くと同時に、照らし合わせた記憶の中から正解を見つける。
 ――否、再認識する、と言った方が正しいかもしれない。

 ここは、ほんの寸刻前までモンスターが蔓延っていた場所――セドニーシティ近郊の草原で間違いなかった。

「モンスターが、消えた……?」

 景色はそのままに、モンスターだけが姿を消した。
 その事実を上手く咀嚼できずに、俺はその場に立ち尽くす。

 状況を整理しよう。
 結界は、ルリの手によって砕かれた。
 セドニーシティに壊滅的な被害をもたらした魔王は死んだ。
 街の外を覆い尽くすモンスターの群れも、1体残らず消えた。

 結果だけで見れば、僥倖とも言えるだろう。
 しかし、その原因がとことん不明瞭な今では、手放しに喜ぶこともはばかられる。
 どんなきっかけで、再びモンスターが現れるのかも分からないのだから。

「……ここは、どこでしょうか」

 思索に耽っていると、隣から凛とした声が届く。
 タマユラだ。その声はどこか固く、呆けているようでもあった。
 状況が理解出来ていないのは俺も同じで、心情も彼女と類語しているであろう俺は、それでもひとつだけ理解した事実――この場所が先程と寸分も違わぬ草原であることを、彼女に伝えるために振り向いた。

「タマユラ、ここはセドニー、の――」

 そして、気付く。
 タマユラに向き直った視界の端、セドニーシティであったはずの場所。

「――ここ、どこだ」

 ――そこには、街がまるごとすり替えられたように、ただの草原が続いていた。
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